第6話 彦星がナイフ

ざぁーっという雨の音で、僕は目を覚ました。

ベッドから起き上がって時計を見ると、まだ朝の5時だった。

僕は肌寒さを感じ、何週間かぶりにクーラーを切り、そのかわりにこれまた何週間かぶりにテレビをつけてみた。

ぱっと明るくなった画面にショートカットの賢そうな女が現れ、真剣な顔をして25歳の女性の遺体が…などと言っていた。

 

僕はのそのそとベットから這い出て朝食づくりにとりかかった。 

ここ数週間、僕はいくらかまともな生活をしている。食料の買出しにも行ったし、ベッドで寝るよう心がけている。 


そして、自殺の準備もはじめた。


遺書は書くことに決めた。

祖父母や海華が的外れな責任を感じて苦しむのは、あまり後味がよくないと思ったからだ。

僕はできればみんなに、自分のことを忘れて欲しい…は言い過ぎかもしれないが、いい思い出くらいで、何年か後の同窓会で「そんなやつもいたなぁ…」くらいの存在、そのくらいのできごとに僕の自殺を位置付けたいのだ。

 

まぁ、その一歩として昨日、便箋と封筒を買ってきた。

ついでに万年筆も。

何でそんなものを買ったかというと、誰かがぼくの形見として持つことになるかなと思ったのだ。ならなかったら、それはそれでいいのだが。



「8月12日、火曜日のお天気は、朝のうちは昨晩からの雨が残るところがありますが、日中はくもり、夕方から晴れるでしょう。」

画面の見慣れた日本地図のひとかけらに、雲のマークがゆれていた。



12日…12日…? そうか、今日は登校日だ。 



それにしても、七夕の晩からまだ一週間も経ってなかったとは。本当に驚きだ。すでに20日くらいにはなっているかと思っていたのに。



登校日、行ってみようか?



最後にもう一度制服を着るのも悪くない。最後にみんなの顔を見るのも悪くない。 じゃぁ海華は?会ってもいいのだろうか?

会ってしまったら、僕はもう止められないかもしれない。

涼は、食事をとってないって言っていた。

きっとやせ細った海華なんかを見たら、僕は抱きしめずにはいられなくなる。

きっと。 


どうする?我慢できるだろうか?


我慢するくらいなら、いっそ会わない方がいい。


その方が海華も傷つかないんじゃないだろうか? 




…でも、一目会いたい。




死ぬ前に愛する人を見るくらい、バチは当たらないんじゃないかな…? 

そこで僕はフっと笑った。

どうせ自殺するんだからバチ当たり者か。


死ぬ前くらい、好きにしよう。成り行きに任せよう。


海華とはクラスが違う。運が悪ければ(良いのか?)会えないかもしれない。


その時はその時。会うなってことなんだろうって諦めよう。

会えたらその時にどうするか考えよう。それほどの余裕があるかどうか怪しいけど。




チンッっとトースターの音がなった。




学校にはすっかり変わったみんなの姿があった。

日に焼けた子や、髪を染めた子、パーマをかけた子、「暑かったから」と坊主になってる子など、少し見ないうちに人って変わるんだなと、僕はそんなことを思った。



「おい駿、おまえ痩せたんじゃねぇ?」

ふり返ると、そこには日に焼けた徳原の姿があった。


「海華ちゃんの事が頭から離れなくて、拒食症にでもなったのか??」

徳原は白い歯を見せてニタっと笑った。


「まぁ、そんなトコ。 暑いし、夏バテかな?」

僕も笑った。 僕の笑顔はいつも完璧だ。


「チャイム鳴ったけど、先生こねぇな。」

徳原も笑い、そのあと話題を変えた。


「そうだね、何かあったのかな?」

ちょうど僕が答えた時だ。担任の金原先生があわてたようにダンボールを抱えて入ってきた。




「みんな、久しぶり。 ちょっと事件があってな、橋のトコが通行止めになったらしい。それで、校長先生と数人の先生方がまだ学校に着いてないんだ。だから、全校集会がまだできない。 先に夏休みの課題の解答をわたすぞ! 2学期までに丸付けと、課題テストの勉強をしておくこと。」

先生は早口で言うと、ダンボールから冊子を取り出し始めた。



「先生ぇ、事件ってなんなんですか?」

佐野が聞いた。


「先生もよくわからないんだ。うーん、まだ来てない生徒もいるようだしな。」

先生は少し大げさに教室の端から端まで首を振って見回した。




「私見たわよ。」




教室の真中辺りに座っていた澤田さんが声をあげ、みんな一斉にそっちを向いた。



「飛び降り自殺ですって。女の子が飛び降りたんだって。 私が学校にくる時はまだ救急車がついてなくて、おばさんたちが騒いでたもの。」

澤田さんはまっすぐ前を見て言った。 普段はおとなしい子なのに、いつになく声が大きい。いや、よくとおると言うべきか。



「私も見たわ。」

誰かも言った。


「まじかよ?自殺?」

教室が騒然となった。先生が静かにしろと声を上げた。



僕は立ち上がった。涼が呼び止めたようだったが、ふりはらった。

先生の驚いたような顔もちらっと視界に入ったが、もう回りの声さえ聞こえなかった。

美夏だ―。そう、思った。





でも僕は聞かなかった。聞くことができなかったんだ。

「その女の子、うちの制服着てたわ」

僕が出て行った後で、澤田さんがぽつんとと言ったのを。

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