第5話 織姫のナイフ

8月7日、今日は七夕祭りだ。

僕の町では毎年この日に七夕祭りをする。

旧暦だと聞いたこともあるが、僕は夏休み中のほうが人が集まるし、準備や練習がしやすいからじゃないかと思っている。


僕はこの一週間死にかけのような生活をおくった。 


外に一歩も出ず、空を眺めたり、携帯を分解したりして過ごした。


冷蔵庫の中はとっくに空っぽだ。


最後の方二日間は水しか飲んでないという有り様だ。


でも、不思議なことに腹は減ってなかった。それに寝てないのに気分は悪くない。むしろ爽快に近くて、頭も冴えている。



死ぬ方法が決まったせいかもしれない。



一番シンプルで、自殺の王道。何故すぐ思いつかなかったんだろう?




手首を切る。




それが一番いい。『蒼白い手首に流れる緋色の鮮血』…カッコいいではないか。

目をつぶって想像する。 腕をつたうワインレッドの液体。絶対、綺麗なはず。


そう思うとゾクゾクした。


きっとこのときの僕は、自分に酔っていた。死を想う自分に。



一週間ぶりに外に出た。死ぬ前にもう一度外を見るってのもいいと思った。

七夕祭りっていう幻想的な感じが僕の外出欲?を掻きたてたというのも事実だ。

でもなにより僕には用があった。



ナイフを買いに行く。



僕はふと思い出したのだ。去年、祭りの屋台で、いやあれは露店と言うのか、ごついネックレスやリングと一緒にナイフを売っていた。 

あのころはまだ海華とも付き合いはじめたばっかりで、二人ともどこかテレていた。海華は紺地に淡い薄紫の桔梗の柄が入っている浴衣を着ていた。

高く結い上げた長い髪の下から見える白いうなじが、紺に映えて美しかったのをよく覚えている。 


刃物は家にもある。でも包丁や黒くさびたカッターナイフで死ぬってのも味がない。どうせなら、とびきり奮発して高いナイフを買おう。


だってもう金なんて使わないのだから。


外はたった一週間でも全く違った姿をしていた。

いたるところにゆれる笹の葉と短冊。 大きな玉状の飾りが上からぶら下がってたりもして、かなり邪魔だ。 

でも夕闇とあいまって、なかなか幻想的であることに僕は満足していた。

ちょうど、美夏と出会った橋の上を歩いてたときだ。



「駿!」



いきなり名前を呼ばれた。 ビックリしてふり返るとクラスメートの涼と、その彼女の花梨がいた。


「あぁ、ひさしぶり。」

僕は笑って答えた。


「駿、心配したぜ?何度メール送っても戻ってくるし、電話もつながらないしさ。」

涼は走り寄ってきて、全く困ったよって顔をして言った。 

後から浴衣を着てるせいか、花梨がぎこちなく走って追って来る。



「あ、あのさ、携帯壊れたんだけど携帯ショップに行くのが暑くて面倒でさぁ。ごめんごめん。電話って、俺に何か用だったの?」

我ながら上手い嘘だと思った。僕の笑顔は崩れない。



「今からね、徳原と彩香を誘ってお祭り行くの。 ホントは駿君と海華も一緒に行けたらいいなって…。」

そう言って花梨は下を向いた。



「おまえさ、海華と別れたんだって?」

花梨の言葉の続きを代弁するように涼が言った。



「なんか、おばさんの話によると海華、飯も食わずに部屋から出てこねぇらしいぞ。 駿、一体どうしたんだよ?」



僕は動揺した。



海華は強い人間だ。そう思っていた。


僕一人が彼女の生活に関与しなくなったくらいで、弱くなるなんてことは思ってなかった。

そりゃ泣くくらいはするだろう(してほしい?)けど、次の日には笑って、「新しい恋を見つけるわ!」って言う、そんな子だと思っていた。

幸い、彼女には新しい恋をするには十分な美貌や性格をもちあわせているし、慰めてくれる男や友達なんか、腐るほどいるはずだ。なのに―



―まじかよ?―



「なぁ、どうしたんだよ?」

涼が僕の顔を覗き込む。


「海華が悪いんじゃないんだ。ただ、僕らは合わなかったんだよ。 …いや、僕が悪いんだ。」

僕は、うわごとのように呟いた。

このときの僕は奇異な存在だったと思う。

目の前に涼たちがいることはトウに考えていなかった。

むしろ忘れていたんだ。別のことが頭を占領して、彼らの事を考える余裕なんて、僕の脳みそにはこれっぽっちも残っていなかったんだ。




僕は気がついたら家にいた。手にはしっかりと、重たい折畳式の銀のナイフが握られていた。

朦朧としながらも、ナイフはちゃんと買ったようだ。

財布から、札が数枚なくなっていた。

家に着いた安堵と、記憶の混乱、そして空腹と寝不足でその日僕は、そのまま玄関で眠った。

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