第8話クリスマスパーティー

 十二月二十三日、大学の寮のパーティールームでは派手な飾り付けがなされていた。ジェイスはこのところ毎晩ギターでクリスマスソングを弾いていた。パーティーで演奏するのかも知れない。僕は姉に送ってもらったプレゼントを手に、パーティールームへと向かった。プレゼントは扇子だった。なるほど、西洋人の好むお土産ナンバーワンが扇子だと、昔何かのガイドブックで読んだことがある。姉がこれを送ってくれたのはうなずけるというものだ。その扇子は僕が見てもとても綺麗で、錦絵のようなものが描いてある。ジェイスだったらきっと喜んでくれるだろう。だが、これがジェイスの手に渡るとも限らない。プレゼント交換の方法が一体何なのか、目下それが一番気になるところだった。

 他でパーティーをする人もいるのか、寮生全員が集まったとは思えない人数だった。それでも何十人かはいるらしい。夜になると続々と集まってきた。

「メリークリスマス優輝、今日のこの白いセーター、素敵じゃないか。緑のズボンがお洒落だね」

「ありがとう、カール」

カールにそんな風に言われるのはどうも調子が狂う。カールときたら、ジェイスと親しくなったことでいきなり自信をつけたみたいなのだ。最近めきめきかっこ良くなっている。しかも僕を口説くような真似をする。ジェイスの真似なのかしら。

「メリークリスマス、優輝」

突然ディーンが僕の頬に軽くキスをした。僕はびっくりして声も出なかった。ディーンは穏やかに微笑んでいる。その笑顔を見て少し安心した。近頃のディーンは悲しそうな笑顔ばかり見せていたから。それにしてもクリスマスというのは、とても特別なものらしい。僕はいつも「別に普段と一緒」「街が騒がしい」くらいのイメージしか持っていなかったが、アメリカでは誰にとっても特別の日だということがなんとなく分かる。だからと言ってみんなして熱っぽい目で僕を見るのは止めてほしい。

「優輝はストレートの黒髪だから、こういう白いモコモコのセーターはとても似合うね。コントラストがとてもいい」

ディーンがそんなことを言って僕の髪に指を絡める。僕は少し困ってキョロキョロした。さっきからジェイスの姿が見えない。ジェイスに見つかったら大変だ、という気もするし、ジェイスに助けてもらいたい気もする。

 アハハハ、とジェイスの笑い声が聞こえた。見るとパーティールームにギターを持って入ってくるところだった。別の部屋でリハーサルでもしていたのだろうか。それにしてもジェイスが楽しそうに話している姿になんとなく複雑な思いがする。話し相手にジェラシーを感じる。

「僕とじゃあ、ポンポン弾む会話はできないもんな」

「ホワット?」

…失礼。物思いに沈んでしまって思わず日本語で独り言を言ってしまった。日本語の思考回路になっていて、一瞬ディーンに言われた一言が内容として伝わって来なかった。英語モードに転換しなくては。

 しかし、簡単にモードは切り替わることなく、次なる思考がどっと頭を支配した。ジェイスにさっきから目ざわりに付きまとっている背の低い美少年がいる。そいつが今、ジェイスの腕に自分の腕を絡めたのだ。ジェイスはゲイだから、ただの友達には気安く触れない、前にディーンに言われたことだ。そのジェイスが嫌がりもしないでそのまま腕を組んでいるなんて。そいつは更に、黒髪のストレートだった。どう見ても白人だから、ジェイスの好みに合わせて髪を染め、もしかしたらストレートパーマまでかけたのかも知れない。

「あの子、誰?」

一応英語モードに戻ることができた。僕はさりげなく尋ねるつもりが、指まで震えてそいつを差していた。

「ああ、ルイスだよ。あの子、黒のコンタクトレンズまで入れてんの。眉まで染めてるけど本当は金髪だよ。気になる?」

 どう見てもジェイスの好み。僕の特徴だった黒目黒髪とは、実は簡単に作れることだったのか。しかしルイスの方が僕より美少年だ。ジェイスがニコニコあいつとじゃれ合っているのは、正にルイスがジェイスの好みだからだ。いかん、負けてしまう。何とかしなければ。

 僕がジェイスの方へ歩き出そうとすると、不意に腕を引かれ、僕はディーンの腕に抱き竦められた。またまた驚いて声も出ない僕に、ディーンはこっそりと耳打ちした。

「ジェイスがあんなことしてるんだから、僕達もこうやって見せつけてやろうよ」

「え、あの、どうしたの、ディーン」

考えてみたら人がたくさんいるというのに、何ということをしているのだ、僕達は。ジェイスなんかどうせこっちを気にもしていないのに、こんなことしても意味がないと思うのだけれど。

 え…こんなに離れていて、間に人がたくさんいて、騒がしくて声だって聞こえているわけがないのに、ジェイスはハッとしたようにこっちを振り返った。ジェイスは今までニコニコしていたのに、突然真顔になり、ずんずんこっちへやってきた。僕は慌ててディーンの腕を振り解いた。

「こら、俺の優輝に手を出すな。まったく、油断もスキもあったものじゃない」

ジェイスはさっと僕を引き寄せて横から軽く抱きしめた。

「そうだ。お前が油断してるからいけないんだぞ。お好みの美少年なんかとイチャついてたんじゃあ、優輝が怒るのも当然だろ」

ディーンは全く悪びれず、まるで僕の方から仕掛けたような言い方をした。

「怒ったのか?」

ジェイスは心配そうに僕の目を覗き込んだ。

「いや、別に」

「違うよ優輝、浮気とか、そういうんじゃない」

「そうかなあ、鼻の下伸ばしてたぞ」

ディーンがからかうように言った。

「ディーン、お前は何なんだ」

「俺は優輝を狙ってんの。お前がボロを出したらすぐに俺が優輝をいただくよ」

ディーンはそんな風に言っているが、本当は僕が傷つかないように、ジェイスが浮気しないように牽制してくれているのではないだろうか。わざとジェイスにやきもちを焼かせて僕を放っておかないように仕向けているのではないだろうか。考え過ぎだろうか。

「考え過ぎだよ」

「え?」

「たまたま優輝に髪型が似てるってだけじゃないか」

ジェイスの言葉は別に僕の自問とは関係なかった。

「いいや、お前は黒目黒髪だったら誰でもいいんだろう」

「ばか言うな、そういう時代は終わったの。前は理想の人が見つからなくてフラフラしていただけなんだよ」

僕を間に挟んでジェイスとディーンが言い争いをしている。僕があたふたしていると、どこかへふらっと出かけていたカールが戻ってきて何やってんだ、と僕に向かってからかいの眼差しをした。

 しかしそこへ、二人を黙らせるような人物が現れた。女の子だ。

「新藤君」

「森元さん」

「おや、啓子、日本語で内緒話はダメだぜ」

ジェイスはそれほど森元さんと親しいとは思えないのに、そんな風におどけて言った。

「日本語だと内緒話になっちゃうの?」

「そのつもりじゃないのか?でも俺にその手は通用しないぜ。日本語を勉強してるからな」

またまた、強がり言っちゃって。いくつか単語を知ってたって、会話を聞き取るのは無理だ。僕らは英語を学ぶ際に嫌と言うほど実感したのだ。

「じゃあ、今から日本語でしゃべるから、何て言ってるか当ててね」

森元さんておとなしいのかと思ったら結構しっかりしているではないか。天下のジェイスに(まあ、今は僕のジェイスだけど)クイズを挑むとは。

「新藤君、明日の予定ある?」

森元さんはいきなり日本語でそう言った。モードの切り替えが一瞬追いつけずにとまどった。しかし意味を理解するともっととまどった。

「え、えーと、実はジェイスの実家に行くんだ。その、急に決まって」

「そうなの。それで、私は連れてってくれないの?」

「それは、その…」

無駄だと分かっていてもチラッとジェイスの方を見てしまう。助けを求めてもダメだが。こうしてディーンやカールやジェイスに囲まれて日本語の会話をすると、突然周りが人形か何かのような気がして淋しくなる。みんなが遠い世界の人のような気がしてしまう。「…やっぱりやめようよ。日本語で話すと却って淋しくない?みんなとの間に大きな壁作っちゃうみたいで」

僕はまだ一応日本語のまま森元さんに提案してみた。

「私はいいけどな。こんなに大勢いるのに、今二人きりで話してるみたいで。そんなことより、話し逸らさないでよ。約束守ってくれないわけ?」

うっ。約束を破るというのはアメリカ人の最も軽蔑するところだ。ジェイスに聞かれたら却ってまずい。ここは日本人同士、曖昧に理由を作って断らなければ。

「あの、本当にごめん。パーティーに呼ばれたなら一緒にと思ったんだけど、ジェイスの家はジェイスと叔父さんの二人きりで、女の子が一人で行くってのもなんだし、だから、あの」

「じゃあ、私は独りってわけね」

「他の日本人に当たってみたら?」

「いやよ。私、新藤君がいいの。新藤君じゃなきゃいや。私、新藤君が好きよ」

「え」

こんなところで…そりゃみんな分かっていないけれど…僕は困った。僕には恋人がいるけれど、それを言うのはちょっと…。

 するとジェイスが僕を後ろから抱きしめた。振り返るとジェイスは真剣な表情で森元さんを見ていた。言ってることが分かっているはずはないのに。

「ユウキハ、オレノ、コイビトダ」

ジェイスはゆっくり、しかし上手に日本語でそう言った。森元さんはかなりびっくりした顔をした。

「恋人…?」

僕はカッと顔が熱くなるのを感じた。この状況では冗談には聞こえまい。

「うそ…本当に…?」

「ホントー」

ジェイスは結構分かっているらしい。僕を抱きしめる腕に力を込めてニッと笑った。

「ジェイス」

森元さんはジェイスに向かって日本語で言った。

「あなた、私の言ってること分かってるの?」

するとジェイスは眉を寄せて小首を傾げた。何だかおかしかった。やっぱり分かっていないのだ。

 森元さんはそんなジェイスの様子を見てアハハと笑った。そして今度は英語で言った。「残念だな。まさかあなたたちがそういう仲だとは思わなかった」

そして踵を返して他のグループの方へ行ってしまった。良かった。断ることができた。約束破りをジェイスにばれなくて良かった。

「おいおい、ジェイスまで訳わかんないこと言ってたけど、一体何なんだ?」

ディーンとカールはずっと黙って聞いていたが、全く何も分からなかったらしい。

「俺も分からん」

ジェイスはまたニッと笑った。告白というのは顔を見ているだけでも分かるものなのだろうか。

「ただ、「スキヨ」って聞こえたからああ言ってみたんだが…タイミングずれてた?」

「いいえ、もうピッタリでしたよ」

僕は溜息までついて言った。

「あとさ、「ヤクソク」って言ってなかったか?何か約束してたのか?」

ガーン。どうしてそういう余計なことを聞き取るのだ。いや、こんな風に目の前で話していて、隠し事しようという方が間違っているのだ。

「いいんだよ。ジェイスと僕が恋人なら、約束は成立しないんだ」

「ん?」

良く分からないだろうが嘘ではないぞ。現に彼女は諦めたのだから。しかしこれから森元さんの、いやもしかしたら多くの女の子達の好奇の目に曝されるようになるのかも。僕達は一つ屋根の下で暮らしているわけだし、噂好きの日本人の女の子達のことだ。あることないこと、いやあることばっかり言いふらし、日本にまで噂が広がって行くに違いない。僕はもう日本に帰れないのかも知れない。

「どうした?」

ジェイスは僕を抱きしめるのを止めて正面に回った。

「何でもないよ」

僕は笑顔を見せた。

 パーティーが始まった。ジェイスはギター演奏に忙しい。その度に、きっと僕とジェイスが離れるのを狙ってルイスが付きまとっているのだろう。しかしルイスがじゃれつく度にジェイスは僕の方をチラッと見る。僕がどこにいても必ずこちらをチラッと見るということは、いつも僕の姿を追っているということかな、と少し自惚れ気味の僕である。相変わらず優しいディーンやカールは、僕が淋しくないように常に一緒にいてくれる。もしかしたらジェイスはそれが余計に心配なのかも知れない。

 森元さんはしばらくするとまた僕の所へやってきて、さすがアメリカだ、ゲイがおおっぴらだとか、どんな風に告白されたのかとか、散々聞かれてしまった。気味悪がられて避けられるのかと思ったら大間違いだったというわけだ。そのうち話したこともなかった日本人の女の子まで集まってきて、面白がられてしまった。

 飲んだり食べたり歌ったり踊ったりと散々騒いだ後、プレゼント交換になった。司会者がマイクを持ち、皆を静かにさせた。

「それではプレゼント交換をしよう。いいかい、みんな、プレゼントを渡す相手は」

ここで司会者は一旦言葉を切った。辺りを見渡すと、大きく息を吸いこんでから続けた。「一番大切な人だ。交換する相手がいなかった場合、今日から新たに友情が芽生えることになるぜ。ここの会場には今、偶数の人数がいるんだからな」

 ディーンとカールはパッと僕の顔を見た。しかし僕はジェイスを探した。心なしかジェイスの周りにいる人はジェイスを見ているような気がした。そうだ、僕の一番大切な人はジェイス。この扇子はジェイスのために用意したのだ。万が一間違えて他の人がジェイスと交換してしまったら大変だ。僕は大股でジェイスの方へ歩き出した。人の間を縫うように進む。ジェイスは僕の姿を見つけると、やっぱりこっちへ向かって歩き出した。運悪く僕達は部屋の端と端にいた。何だか出会う前の僕達の距離を表しているようだ。僕らは誰よりも遠くにいた。しかし今は一番近くにいる。国籍や習慣の違いを越えて僕は今、ジェイスのところへたどり着く。

「ジェイス」

僕は手を伸ばした。もう少しで届く。しかし人が邪魔で思うように進めないのだ。そしてジェイスも手を伸ばしてくれた。僕達の指が触れ合った。

「優輝」

パッと照明が消え、幾つかのキャンドルの灯だけになった。僕はもうジェイスのことしか見えない。

 ジェイスはぐいと僕の手を引いた。二人はやっと向き合うことができた。

「これ」

僕は手にしていたプレゼントをジェイスに渡した。ジェイスはそれを受け取る前に、小さな包を出し、僕の方へ向けた。

「ありがとう」

二人は同時に相手からのプレゼントを受け取った。そしてふふっと笑ってうつむいた。暗いから助かるけれど、みんなのいるところでさすがに男同士微笑み合っているのは恥ずかしい。

 暗いと言っても近くの人の姿くらい見えるのに、ジェイスは僕の腰を抱き寄せた。

「ちょっと」

僕は焦って背中を逸らせた。ジェイスは顔を近づけようとしてくる。そこでパッと照明が付いた。僕がびっくりしている間に、ジェイスは既に腕を放していた。さすがにちゃんと考えて行動しているんだ、と改めて感心した。

 パーティーがはねて皆、銘々の部屋に帰っていった。ディーンが帰り際に僕の頬にキスをしたら、ジェイスは怒ってディーンを今にも殴ろうとした。そしてその後はずっと僕の肩を抱いていた。ジェイスは本気で怒っていたのだが、周りの人は冗談だと思って大笑いをした。

「僕は恐れ多くて、ジェイスのいる前ではとてもそんなことできないな」

と、その時カールが言ったので、今度はジェイスが、

「俺がいない時でもするなー!」

と怒鳴った。そしてまた大爆笑だった。

「さ、俺達も帰ろうか」

「うん」

僕達は二人きりで寮を後にした。雪が降っていた。僕達は寒さを防ぐために(?)ぴったり寄り添って歩いていった。

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