第6話幸せは長続きしない

 休みが明け、大学が始まった。嫌でもディーンと顔を合わせなければならない。そして僕が寮を出てジェイスと暮らし始めたこともみんなに知られてしまうのだ。何と説明したものか、心を悩ましていた。

「さあ、行こう」

ジェイスは家を出るときに僕の肩に手を掛けて口づけをした。

「帰って来るまで出来ないからな」

そう言って笑うジェイスは、みんなにどう言うつもりでいるのだろう。僕ら二人が並んで門を入って行けばみんなは何て言うだろう。

 しかし僕の心痛は徒労に終わった。大学に行くと既に仲間たちは僕達が寮を出たことを知っていた。昨夜の内に寮内に広まったのだろう。からかいながら理由を尋ねる友人たちに、ジェイスは冗談なのか本気なのか分からない調子で、

「そりゃあ、恋人同士、二人っきりで暮らしたいじゃん、当たり前だろ。もちろん俺が誘ったのさ。半ば無理矢理にね」

などと言いながら僕の肩を強引に引き寄せ、仲間に向かってウィンクをした。

「優輝、二人の生活はどうだい?ジェイスは優しくしてくれる?」

ジェイスの親友、レナードが、そんな風に僕に尋ねたけれど、これも本気なのかどうか分からない。こういう場合も、日本人ならだいたい心が読めるのに、根本的な考え方が分からないせいで、どうも読めない。

「ハハハ、もちろん…」

顔が引きつっているかも知れない。そんな僕をフォローするつもりかジェイスはいきなり僕の頬にブチュッと派手にキスをした。

「ほんっとに、可愛いい奴」

「も、もう」

僕は怒ったふりをしてジェイスの腕を振り解いた。そして教室に入って席に着く。説明の手間は省けてもちょっと恥ずかしい。

「やあ、おはよう」

早速カールがニヤニヤしながら近づいてきた。何を言われるのか察しが付くというものだ。

「やあ、カール。休日はどうだった?」

「楽しかったよ。優輝は?」

「え?いや、僕は別に…いろいろ忙しかったし」

「でも、ほんとすごいね、優輝。あのジェイスを完全に独り占めだ。どうだった、美しい人と共に過ごした夜は?」

「……」

絶句。カールはどういうつもりで「夜」なんていう言葉を使ったのだろう。しかし僕が真っ赤になってしまったので、意味は一つになってしまった。何か言ってごまかさなくてはいけないのに、何も出て来ない。カールはニヤニヤしている。

「ふーん、良かったわけね」

どうしてそうなるのだ。あっ、そうだ、沈黙は了解だった!

「可愛いいね。日本人ってみんなこうなの?」

僕は何も言えずに上目使いにカールを睨んだ。

「どうしたんだ優輝、顔が真っ赤だぞ」

ジェイスが僕の隣にやってきた。そして僕の顔を手のひらで包んだ。カールはまだニヤニヤしている。僕はたまらなくなって立ち上がった。

 すると前方にディーンの姿があった。教室の入り口の所で僕の方を見ていたのだ。遠くの方から静かに見つめていたその目は暗く、僕と目が合うとさっと教室を出ていった。僕は思わずその後を追った。

「ディーン、待って」

ディーンは振り返った。悲し気な表情に胸が痛む。

「あ、あの」

「優輝、好きだよ。君がいなくなって淋しい。だけどホッとしてるんだ。もうあれ以上我慢できなかった。ごめんな。どうしてジェイスなんかに取られちゃったんだか、ちょっと悔しいけど、まだ、僕は忘れることは出来ないから、いつでもジェイスに愛想が尽きたら僕のところに来なよ」

ディーンはそう言って笑った。僕は曖昧に頷いた。チャイムが鳴ったので僕は教室に戻った。ディーンは違う教室へと消えていった。

 席に戻るとジェイスとカールが何かをしきりに話していた。ジェイスが得意げに話している内容と言えば…。

「本当に可愛いいんだぜ。あの最中に刹那げに俺を見たりするんだ。その目がたまらないんだわ」

「へえ、それで」

「あの後もさ、俺の腕をギュッと掴んだりしてさ、もう、離したくないったら」

「ちょっと、何の話してるんだよ」

僕は思わず割って入った。人にそんなことを話すなんて信じられない。僕はジェイスの隣に置いてあった荷物を引ったくって一つ前の席に座った。

「優輝、怒るなよ」

「フン」

「どうしても人に自慢したかったんだよ。もう話さないから」

ジェイスは体を乗り出して後ろから僕を抱きしめた。

「ちょ、ちょっと、人前でそういうことは…」

慌てて振り返るとカールが吹き出した。

「全く、仲いいんだから」

「……」

黙らざるを得なかった。


 授業が終わるとジェイスは独りで他の教室へ行った。カールと僕は次も同じ授業なので、二人で教室を移動した。

「優輝には感謝してるよ」

カールは、僕と二人になると突然そう言った。

「どうして?」

「君が僕の友達でいてくれるおかげで、僕はあのジェイスと親しく話せるんだもの。みんなが仲良くしたがってるっていうのに。あんな立ち入った話も聞かせてもらえるし」

「…あの、君もジェイスが好きなの?」

「そりゃあね。好きだし、憧れてるよ。僕なんか今まで白人にはいじめられっぱなしでさ、ジェイスみたいに接してくれる人、初めてだし。たとえ仲良くなりたくてもさ、よっぽどきっかけがないと白人の、かっこいい人なんかとは仲良くなれないんだ」

「そのきっかけが僕?」

「そうだね。けど日本人ってそういうとこあるよね。白人は、白人以外の人種を軽蔑してるとこあるけど、日本人はモンゴロイドの中でも知的で裕福だからって特別扱いされてたりするでしょ。日本の経済と無関係の国なんて今時ないし。だから日本人は人種間の橋渡しをしてるんじゃないかな。優輝は現にここでジェイスと僕が仲良くなるきっかけを作ってくれたし」

「ふうん」

難しい話だ。でも日本人が人種差別を無くすことが出来るならいいことだ。日本人でもかなり差別意識の強い人はいるけれど。僕はカールもジェイスも同じように英語を話しているということで、ある意味一つのグループ―アメリカ人として見ているし、英語がまだまだいまいちの僕は二人と一線を画しているような気がしている。

「でも安心して。別に好きって言っても恋してるわけじゃないから。ただジェイスと話せて誇らしいんだ。だからのろけ話でも喜んで聞くし、僕がジェイスに君のことを聞いたからって気にしないでよ」

「気にするよお、恥ずかしいじゃないかあ」

「フフ、どっちかって言うと聞いてるうちに君に魅力を感じちゃうかもな。ジェイスは話が上手いから。リアルでね」

「えっ」

やめてほしい。第一みんなアメリカ人は僕より体格がいいんだよ。冗談と思っても気が抜けないじゃないか。


 「ねえジェイス、僕のこと、人に言ってないだろうね」

「い、言ってないよ。心配するなよ」

「もう、怪しい。カールも言ってたけど、ああいう話すると、その…僕に変な気を起こされるかも知れないから」

「なに、それは本当か、カールの奴、優輝にちょっかい出しやがって」

「違うって。そうじゃなくて、ああ、もう」

「…いらいらしてるな」

「え?」

僕は上手く言葉が通じなくてヤキモキしていたみたいだ。英語だから尚更なのだ。

「分かったよ。つまり俺が優輝との情事を話すと、そのことによって聞いた奴が優輝に欲情しちゃうかも知れないって言うんだろ。それをカールに言われたと」

「そう」

「で、カールは親切で言ってくれたわけか?それとも優輝を誘惑しようとしたのか?」

「前者だと思うよ…」

ジェイスが真面目な顔でずいと近寄ってきたので僕は少し焦った。ここは僕達のアパート。今日は仲間たちの旅行の話で盛り上がって、帰って来たのは夜の十一時。二人きりになったのは、今朝家を出てから約十四時間ぶりだ。「俺は墓穴を掘ったわけか。ライバルを増やしちまった」

ジェイスは僕の腰を引き寄せると、ゆっくりと唇を重ねた。

「別に、カールは」

「お前は狙われやすい。目立つし、清潔だし、体がきゃしゃだし」

「そんな、こと…」

ジェイスはキスを繰り返しながら僕の服を脱がし始めた。

「ちょっと」

「いいだろ、どうせもう寝るだけなんだから」

僕を裸にしてしまうと、ジェイスはキスをしながらゴソゴソやっていたが、気がつくとジェイスも裸だった。そして、ちょうどよくここはバスルームの入り口で、ジェイスは僕を抱えながらバスルームに入った。

「洗ってやる」

などと言って、はじめはちゃんと洗ってくれていたのだ。僕もお返しにジェイスの体を洗ってあげたのだが、シャワーで石鹸を落とすと、やはり始まってしまうのだ。

 シャワーを当てがいながら体を擦ってくれてるだけなのに、普通に洗うのとは絶対に違う手つき。自分だけとろけちゃうのは悔しいので、頑張って僕もジェイスの体に手を這わせる。

「お、俺、もう、ダメ」

やった、勝った。と思いきや、違った。ジェイスは僕をがばっと押し倒した。


 落ち着くと、僕は頭を洗い、もう一度よくシャワーを浴びてバスルームを出た。何も用意せずに入ったから、素っ裸でパジャマを取りに行く。誰も見ていないと分かていてもちょっと恥ずかしい。ジェイスもやっと起き上がってシャワーを浴び始めたようだ。僕はジェイスのパジャマをバスルームへ運んだ。

 ジェイスに抱かれたのは二度目だ。生活が忙しくて感慨に耽っている場合ではなかったけれど、確かに僕はジェイスを独り占めしている。本当に愛されている。みんなの憧れの人を独占しているのだ。僕がジェイス以外の人に魅かれるわけがないのに、ジェイスは僕のことを心配してくれているし、これ以上の幸せなど無い。それでも、いや、だからこそ、得体の知れない不安が胸をよぎる。僕なんかがジェイスに愛されるなんて不相応だ。もうすぐ飽きられてしまうのではないか。幸せは長く続かない。僕なんかが幸せでいられるはずがない。

「お、サンキュー、優輝」

僕はバスルームの前でボーっと突っ立っていた。ジェイスのパジャマを抱えたまま。僕はパジャマを手渡すとすぐにベッドの方へ移った。不安な顔など見せるつもりなかったのに、余計な心配をさせてしまう。そういうことが幸せを縮める原因になるのに。僕はカーテンを引いたり荷物を片付けたりして、なんとなく無言なのをごまかした。ジェイスはベッドに腰掛けて頭を拭いている。

「俺に抱かれるのは嫌か?」

「え?」

「無理してるのか?」

ジェイスは哀しそうな目でじっと僕を見ている。ああ、僕は何をやっているのだろう。こんなに好きなのに、哀しい思いをさせてしまうなんて。僕はベッドに腰掛けた。

「まさか。無理なんてしてないよ。僕はとても幸せだよ」

「幸せそうな顔してないぞ」

「それは、不安なんだ。この幸せが長く続かないんじゃないかと思って」

ジェイスはそれを聞くとニコッと笑った。とても美しい顔で。

「なんだ、そんなこと。心配することないさ」

「ど、どうして」

「幸せがずっと続くようにすればいいのさ。今の状態を維持するのなんて簡単だろ。何か特別なことしなければいいんだから。余計な心配すると、それが不幸の原因になるぜ」

ジェイスは僕の体を引き寄せた。

「安心しろよ、俺は心底惚れてるぜ、お前に。お前が笑っててくれないと俺も不安になる」

「ごめん。僕もジェイスのことが本当に好きだよ。誰よりも」

「嬉しいよ。優輝」

僕達はベッドに横たわった。そしてもう一度熱い愛を確かめ合った。

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