第2話 夢とストーカー


 そうあるのだと思い込めば、現れるものもある。


 夢にはまだ未解明な部分も多いが、記憶の整理と言う説や深層心理を表すものだとも言われる。


 あるいは、そこに神秘を見いだすものもいる。

 夢はそれだけ、時に暴走しやすい危険な力を秘めているのかもしれない。


 相談者は当初、個人の特定に非常に怯えていたため、個別識別番号や名前は伏せておく。


 これはあくまでぼくのための記録だ。




 フローリングの床、暖色系の照明、造花の活けてある花瓶、苔色のソファ。


 優しげな景観をしている犯罪被害者支援センターで、ぼくは向かいに座っている痩せた男性に水を向ける。

 充血気味の眼と、その下の深い隈が彼の睡眠の質を物語っている。



「それで、最近はどうですか……」


 この質問だけで、男性は自分が何を言うべきかわかっている。


「ええ。セミの死骸と脱け殻が頭陀袋に一杯詰まって届きましたよ。もうとっくに冬が来てるって言うのにね」


 ハ、と乾いた笑い声をあげるのは凍りついた空気を紛らわすためだと分かるが、ぼくはそれに応えられないで曖昧に頬笑む。


 彼はストーカーの被害に遭っており、そしてそれに伴う絵に描いたような悪夢にも悩まされている。


 ストーカーされる理由も、相手の性別も年齢もわからない。


 ただ数日に一回、家の玄関の前に、意味のわからない手紙、手作りのクッキー、虫食いだらけの野菜、釘がたくさんつまったぬいぐるみ、金塊、濡れた毛束などが届く。


 警察もはじめは相手にしなかったが、野良猫の死骸が土鍋に詰めて届けられたときにようやく事態を認識した。


 しかし、住居不法侵入や脅迫文がないこと、金塊など貴重品の盗難情報が一切出てこないことから、事件性は低いと警備などはろくにしてくれなくなったらしい。


 監視カメラを何度設置しても、黒いノイズがかかったりホワイトアウトして、いつのまにか荷物が置かれている。


 引っ越ししてもそれは変わらず、定期的かつ野放図な犯行のため気味悪がって友人や恋人はだんだん彼のもとを離れていったようだった。


「そうだ、先日、遠方の父が亡くなりまして……」


「それは……お悔やみを申し上げます」


「丁寧にどうも。まあ元々たいした交流も無かったのですが……とうとう、こんなことを話せるのも、あなただけになってしまいました。わたしがにこにこしてるうちだけでしたよ、誰かが側にいてくれたのは」


 やけに無表情のまま、男性はそんなことを言う。


 ぼくはそうですか、とだけ言って曖昧な愛想笑いで返す。話題を変える。


「夢のほうは……」


 彼にとって最大の悩みは、荷物のことではなかった。


「ええ、陽射しとセミの鳴き声が雨みたいに降り注ぐ雑木林のなかで、汗だくでセミの死骸と脱け殻をひたすら集める夢でした」


 彼は、ストーカーとおぼしき人間に乗り移って行動する夢を見る。

 その翌日か翌々日までに、必ずその時行動した結果が荷物になって届く。

 そして、荷物が届かない日が三日続くことはない。


「犯人はわたしを愛しているのでしょうか、憎んでいるのでしょうか」


「それを考えることは、あまり精神によくないと思います」


「だとしても。わたしはいつか殺されるのではないかと」


「……本当に殺すのだとしたら、それが望みだとしたら、もう、とっくにそうされているかもしれませんよ」


 男性はしばらく黙りこむ。


「……もし、悪意でないなら。好意だとしたら。それでもわたしはストーカーの愛には応えられない」


「それが正常ですよ。第一、年齢も性別もわからないのですから。怖がるのを面白がっている愉快犯かもしれませんし。わからないことをあれこれ悩むのは程々にしたほうがいいですよ」


「……そうですね」


 男性は強張った顔で苦笑いする。悪夢に悩まされる前は美丈夫だったことを伺わせる、均整のとれた口元の動きだった。


「最近、夢で見る映像もだんだんはっきりしてきているんです。そいつの意識とわたしの意識がシンクロしてきているみたいで、恐ろしくて恐ろしくて」

 男性は呼吸を浅くする。精神的なストレスのせいだろう。ぼくは深呼吸を促す。


 男性が目を閉じ、胸に手をあてて深々と呼吸をする様は、殉教した聖人の彫刻のように見えて、悲壮感に似た美しさがある。


「少し落ち着きました。ありがとうございます」


「それは良かった」


 手だけは機械的に動かしながら、ぼくの思考は別の方へ向かっている。



 ぼくは最近この相談者について、ある思いにとらわれている。


 彼こそが、夢のストーカーそのものなのではないか?と。


 もちろん彼は、夢遊病患者ではない。

 睡眠時間を削って金塊を買ったり、奪ってくる力も富もない。

 猫を土鍋に詰め込む残虐性もない。


 しかし、夢の中のストーカーはきっと、彼の中に住んでいるのだ。


「ほかに、どんなことでもいいので気になることは?些細なことでも構いません」


「そうですね……先生の夢を見ました」

「先生?」

「あなたですよ、先生」


 彼は真っ直ぐこちらを見つめる。充血気味で潤んだ眼のなかの瞳孔が、かすかに開く。

 ぼくは何故か猛禽類の剥製を思い出した。


「ぼくは夢の中で何をしていましたか……」


「買い物帰りのようで、はっきりとは覚えていませんが透明の袋の中に林檎と緑の野菜のような物が見えました。自分ストーカーは、先生が通りの角を曲がって見えなくなるまで、背後でじっと観察していました」


「……なるほど」


 それはぼくの一昨日の買い物の内容と一致した。


 林檎とケールと、ベーコンと玉子。


 普段は林檎を買わないので、その日なのは間違いない。


「先生はそれについて覚えがありますか」


 その一致を、ぼくは黙っておくことにした。


「いえ、特には。……それはあなたのただの夢で、ストーカーの見た景色とは違うのではありませんか」


「それはありません。わたしにはわかります。夢の中で、先生、あなたを見ているときの感情が……わずかに燃え上がるようで、憎しみなのか愛情なのか、それは小さすぎてわかりませんが、とにかく、執念のようなものを感じたのです」


 男性は柄になくきっぱりと言う。

 そう言うならばそうなのだろう。


「そうですか」

「気を付けてください。ストーカーは邪魔をされたと思って今度はあなたを追い詰めるかもしれません」

「心に留めておきます」


 ぼくが時計を見やると、ちょうどカウンセリングが終わる時間になっていた。


「では、引き続き来週もこの時間に来ますか」

「ええ、よろしくお願いします。ありがとうございました」


 男性はほっそりした身体を立ち上がらせ、さっさと帰っていった。




 その二日後、勤務終わりにいつもと違う道を通って帰っていると、後ろから声をかけられた。どこかで見たことがあるような、しかし知らない人だった。


 道を訪ねてきているようだったので、教えようとするがいまいち要領を得ない。その人はしまいに怒りだした。

 叫び声が耳にキンと響く。

 なぜいつもと違う道を通って帰る、わたしを拒絶するのか、わたしがいやなのか、わたしは、わたしはあなたにあいされてはいけないのか。


 ぼくはひたすらごめん、ごめんなさい、とあやまりながらにげた。なにもかもがこわかった。

 いえにかえって、どあにかぎをかけて、ようやくひといきつくとあんしんしてねむってしまった。





 さらに翌日。

 あれが夢だったのかどうか、ぼくにはどうしても区別ができなかった。


 この事態をなんとかするべくぼくは考えた。


 その日は休みだったので、ぼくはたっぷり寝てだらだらしてから簡単に身支度をして、公園に出掛けた。

 ベンチに腰かけてホットドッグにかぶりついていると、隣に見知らぬ誰かが腰かけた。見たことがあるような、無いような人物だった。


 ぼくは無視してホットドッグを頬張り、食べきり、紙ごみを丸め込んでゴミ箱に放り投げる。一発でうまく入ったので、隣の人物は控えめに拍手をした。


 鳩がパンくずを求めて近づいてきていたので、鳩が飛び立つか立たないかの速度で追いかけ回した。

 気まぐれに突然走り出して鳩を飛ばすと、少し離れて見ていたその人は驚いていた。


 次に図書館に行って、心理学関連の書籍を漁った。

 その人もついてきて、残酷絵本を読んでいた。


 図書館を出ると日が傾き出していた。

 川辺を歩いていると、どんよりした灰色の空に陽射しが反射していて妙に綺麗だった。


 そしてぼくは、目当ての店にたどり着いた。


 沢山の色と形から、目当てのものを見つける。

「この花を一輪ください」

「スイートピーですね。こちら、今日から入荷を始めたところなんですよ。旬は春なので」

「そうですか。では春にはもっとたくさんの色が見られるのですね」

 雑談をしながらでも、店員の手は止まらず早い。

「そうですね。本当、新緑の萌え出る春が待ち遠しいです。……お待たせしました。では、こちらのお値段になります」


 ぼくは支払いを済ませて店を出る。


 ついてきたものの、居心地悪そうに店外でうろうろしているストーカーに、おもむろに花を差し出す。


「これで、さようならです」


 ぼくは一息に話す。


「あなたはなにかを愛したかった。あなたは誰かに愛されたかった。それは誰にも埋められるものではなかったから、だからあなたは自分に歪んだ愛情表現をしていた」

 ストーカーは表情を固くする。

「……そういう風に思われたくないかもしれませんね。でも今は、カウンセラーとしてではなく、一個人としてあなたの心に触れているのです。そしてそれは、ここでもうおしまいです」


 ぼくはなるべく誠意を込めて、しかし余計な憐憫を籠めないよう、鏡としての矜持を持って話す。


「あなたはもう、誰かのそばにいることができます。誰かを愛することができます。そんな人を見つけて、真っ当に自分を愛せます。誰も憎まなくていいんです」


 ストーカーはゆるゆると手を上げて、花を受けとる。


 スイートピー。

 花言葉は、門出、別離、優しい思い出。


「……せんせい」


 ぽつりとストーカーが呟くと、何故かいきなり眼がチカチカしたので擦った。次に眼を開けたとき、その人物はいなくなっていた。




 カウンセリングの約束の日、男性は来ることがなかった。代わりに、手紙だけが届いたと事務員に言われ、繊細な模様で彩られた便箋が手渡された。




「先生へ 夢を見ました。数年ぶりに見る幸せな夢でした。そして、ストーカー被害は何故か三日連続で現れていません。

 それは今までに無かったことなので、もしかするともう今後も荷物が届くことは無いのかもしれません。

 呆気ない気もしますが、本当に喜ばしいことです。

 きっと先生のお陰なのでぜひとも直接お礼を言いたかったのですが、父が亡くなった後の事業の振り方について力を貸してほしいと、絶縁状態だった母から連絡が来ました。

 折角の機会なのでそこでしばらく頑張ってみようと思い、そちらに身を寄せることにしました。

 今まで、本当にありがとうございました。

 先生におかれましては、まだまだ寒いですのでお身体に気を付けて、くれぐれもご自愛ください。


 追伸 本当はわたしの連絡先をお知らせしたかったのですが、そう言うことはしないのが分を弁える、ということなのですよね。いつかまたご縁があればお会いしましょう(もっとも、あなたは自分に会いたいと願うべきではないと言うでしょうね)。ではさようなら。 ◯◯」




 便箋にはスイートピーの押し花が入っていた。



 それ以来、ぼくの自宅の前には時々、一輪の花が置いてあることがある。



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