第2話 なぜ、サメ映画が日本でつくられないのか?
目覚めると、鮫島亘は縄で縛られて、振り子のようにぷらーんぷらーんとぶら下がっていた。もちろん、亘にSM趣味はないし。サメに食われたのも幻や夢ではない。燃え盛るサメに食われたあの痛みは、彼の魂にたしかに刻み込まれている。
だったなら、なぜ俺はこんなところでミノ虫のようにぶら下がってるんだ。
そう思っていると、パッと周囲が明るくなる。するとずいぶんと綺麗な壁が目の前にあり、向かい合うように長い机が並んでいる背後には、映画館のように椅子が階段状にならんでいる。
それはまるで裁判所のようだ。
そして、傍聴席にはぼんやりとした人影のようなものが座っている。検事席、弁護席にも人がいる。しかし、輪郭がうすく誰が座っているのかわからない。
「では、これより裁判をはじめる」
亘は声の方向に振り返る。裁判長が座るはずのところに奇妙な風体の老人がいる。その老人、ボロボロの僧衣を身にまとうも衣のうちに湧き出ている肉体美。亘は一目見ただけで、その老人が只者でないことに気づいた。
いや、誰が見ても気付くだろう。
なぜなら、その老人はあまりにも巨大だ。
巨人の如き老人が裁判長席で亘を品定めするように見ていた。
その目からは不思議と恐怖を感じない。その目は、ヴィンテージのワインを見るかのよう。博物館にある品々を訝しげに見るかのよう。自分をヒトとして見ている目ではないことがわかった。
「お前、何者だ」
「私は神だ」
「ここはどこだ。俺はさっきまで沖縄の海で撮影をしていたはずだぞ」
「ここは天界、お前は死んだのだ。そして、今から裁判をはじめる。貴様が天国に行くべきか地獄に行くべきか。それを見定めるためにな」
「裁判だと? 俺がなにをしたって言うんだ」
「貴様は、大量のサメを殺した」
「サメを殺しただと。バカバカしい、俺はガキの頃アリの巣をコーラメントスで破壊したことがあるが。まさかそれをやったやつが全員地獄に行くべきか問われるのか? いつから天界の裁判は徳川家康になったんだ」
「お前が地獄に落ちるべきだと訴えるものがいるならば、その時、天界裁判は開かれる」
「訴える者だと?」
「ああ、そうだ」
そう言って、神様は傍聴席に向き直る。
「証人よ、前へ」
「はい」
神様の声に答えるように。傍聴席から一匹の大きな影が漂う。
無機質な目、白い腹、灰色の背ビレ。
先ほど、鮫島亘を襲った巨大サメであった。
サメはギロリと、鮫島亘を睨み付けると語り出した。
「私たちがエサを求め、南を目指したところ、群れの一匹が船を発見、捕食した結果、ダイナマイトで爆破されました」
「ほら見ろ。俺は悪くないじゃないか」
「問題はこの先だ」
「証人よ、君の名はなんだ」
「アメリアです」
「ではアメリア、なぜ君たちは沖縄にいた」
「元々の住処では獲物が減ったため、南下しました」
「そうだったな、では、鮫島亘、なぜ、アメリアたちは南下する必要があったと思う?」
「腹が減ったからだろ」
「違う……」
亘の言葉に神様は首を振る。
「温暖化だよ。化石燃料の減少、天然ガス、森林の伐採。人類の消費活動が地球を変え、サメたちの住処も変えた。そしてその住処へと、君たちはわざわざ行った。たかが映画のためにな」
「たかが映画だと……」
「ああ、たかが映画だとも。あんなのカスだね」
神様は吐き捨てるように言った。鮫島亘は信じられないとでもいいたげな顔をする。当然だ。自分が人生をかけてやったことをまさか神様に否定されるとは思ってもみなかった。
「当たり前だ。ちょっと前まで森でウホホッと言っていた猿が火を知り、家を建て、畑を耕し、稲妻を操るようになった。そこまでは許そう。だが! 家族との繋がりが消え、人々は都会を目指し、無意味な仕事だけが増え、広大な土地が与えられているにも関わらず一箇所にギュウギュウに詰まって自滅する愚かな生き物になった……それははなぜだ!」
一拍、一呼吸置いてから、神様は言った。
「テレビのせいだ。貴様らはテレビによって都会幻想を抱き。形のない幸せのために時間を浪費するようになった。その形のない幸せを追わせたのはなにか! 一人の人間が努力さえすれば幸せになれるという成功物語のせいだ。貴様のつくる映画もそれだっ!」
「極論だ!」
「いいや違うな! 元々、物語は神話として語られた。人類にはこうべを垂れねばならない上位の存在がいて、超常の存在に逆らうすべはないのだと。身の程をわきまえるために物語はあった! しかし! 人類のなかで、たまたまリーダーとなった者が。神話の語り手に過ぎない巫女が! 神話に自分を登場させ、自分こそが神様の威光の担い手であると偽った。そこからは下り坂だ。物語は、人類と神の話であったハズが。人類の中にいる神の話に変わった。それが英雄物語だ。そして、自分こそが神なのかもしれないという眠れる才能に変わり。今では誰もが神になれると、誰もが心の奥では思い上がるようになった! あえて言おう! それこそが不幸なのだ! 自分の才能を、使命を、天職、天命を見つめずにただ夢だけを持とうとして、価値のない見栄の張り合いをする今の世界は間違っている! その間違った道を40代まで突き進んだ神を省みないユダこそが貴様だ、鮫島亘!」
「違ァァう! なんだそれは! テメェの逆恨みじゃねぇか! 映画は人々の心の支えとなってきた。暴走する心を穏やかにし、悩める思春期の心を支えた。映画は世界を変えている」
「映画が世界を変えている……ね」
神は自嘲気味に笑った。こんなくだらないものを許しておくべきではなかった、とでも言いたげに。
「映画は世界を変えていないさ。変えているのはいつだって人だ。映画なんてな、文化的にも地球的にもコスパが悪いんだよ。仮にだ! 一本の世界を変えるための名作ができたとしよう。その一本のために、何万本の駄作を許容しないといけないと思うんだ。この一本のためにどれだけの森林が伐採されたかがわかるわたしが、なぜその一本切りの名作を褒め称え、その監督を天国行きにせねばなるまい。ふざけんな! 問答無用で地獄行きに決まっとろうが!」
「神よ、さては映画が……いや、今この世界に存在するすべてのクリエイターが嫌いなんだな……」
「嫌いだよ! 」
「何もしてないくせに何かした気になってるヤツなんてだいっきらいだ! 震災で被災人たちを助けるために、なぜロックフェスをやる必要がある! わたしの絵をリツィートしてくれたら、その数だけ募金しますだと、ふざけんな! この映画で戦争の悲惨さを伝えますだぁ! ただ戦車が好きなだけなくせに笑わせるなバカ野郎!」
「今のクリエイターには私を敬う姿勢も、誰かを助けようだなんて気持ちもありはしない! 神(わたし)が割り振った役目を果たすことを放棄したクセに……そのクセに私の頭の中を褒めてくださいとのたまう自分のことしか考えない自己中野郎どもなんて大っ嫌いなんだよ!」
「それは違うな」
鮫島亘、神を前にして言い切った。
「さっきまで、俺は映画を撮っていた。日本のサメ映画をだ」
「悲しい人生だったな。特撮をやりたかったのに少女漫画の実写をやらざるおえなかった監督が。はじめての特撮として有名漫画の実写で大コケ。最後は予算の少ない日本のサメ映画の未完だなんてな」
「そう、未完で終わったんだ。本来であれば世界を変えていたハズなのにな」
「なんだと、ふざけんな。同じセリフを私はいろんな奴から聞いたよ。漫画家のくせに神と呼ばれた者、無声映画の主演スター、お前と同じ映画監督やアニメ監督もいた。おいぼれのくせに奴らは言ったよ。次の一作こそは世界を変える。次の作品さえ読めばお前の考えを変えられるってな。死ぬまでだれかに神とおだてられた思い上がりどもの戯言だよ。だが、お前は何だ。日本でサメ映画をつくるというおよそヒットするはずのないC級以下の映画を作っていたはずだろうが! それが世界を変える映画だと? 思い上がりも甚だしいっ!」
「いいや! 変えられるね!」
そう言って、鮫島亘はニヤリと笑う。
「おい、神様よぉ……テメエには、なぜ日本でサメ映画がつくられていないかわかるか?」
「しょせん、サメ映画が。ジョーズの登場を皮切りに大量につくられた娯楽作品の一つに過ぎないからだろ……二匹目のドジョウ、いやサメを狙おうとして、それが今も続いているだけだ」
「違ァァァウ!」
鮫島は神様に指をさして叫んだ。それは先生の間違いを嬉々として指摘する小学生のような顔であった。
「なぜ、日本にサメ映画がつくられないか! それは単純な理由なんだよ……単純だけど深刻で……だからこそ、だれかがなんとかしなきゃいけねぇんだ……」
一拍置いて、鮫島は答えた。
「日本でサメ映画がつくられない理由、簡単だよ。日本人が海を見ていないからだよ」
「海を見ていないだと?」
「そうさ、日本人って奴はな閉鎖的な国だ。グローバル化と騒いじゃいるが。だれも外の世界を見ようとしない。仮に外に興味が出たとしても。彼らは日本の外に出るばかりだ。それじゃあいけねぇ、海には敵がいる。海には何かがある。そう思いながらも、その向こうへと行ってやろう。そこを超えて帰ってきてやろうって想いをな。サメ映画なら伝えられるんだよ」
語りながら、鮫島亘は声を荒げた。
「サメ映画が日本で流行ったなら! ほかの監督もサメ映画をつくるだろう。小説家はサメを扱った小説を書くだろう。漫画家はサメが出てくる漫画を描くだろう! そしたら、クリエイターどもは考える。この日本の海にいいネタはないものかと! あるんだよぉぉぉ! たくさんなぁぁぁ!
たとえば、尖閣諸島! あそこにサメが出ればどうなる! 日本と中国、どっちがそのサメを倒すんだ! たとえば、メタンハイドレード! 日本の海にたくさん埋まっているという新しいガス資源。それがサメに異常な進化を促進させたとすれば! いろんな人がこのエネルギーに注目する。さらに、台湾と日本の間にサメが出たなら? 原子力の影響を受けた巨大サメが出たなら? 日本はサメをきっかけに海に眠る様々な問題を掘り起こすだろう! 無論! 俺がこれから作るはずだった映画のおかげでな!」
そう言って、鮫島亘は口が裂けるほどの笑みを浮かべる。
「神様よぉぉぉォォォ! アンタ、惜しいことをしたなぁぁぁぁ! アンタは俺を助けるべきだった! アンタは世界を救うかもしれないチャンスを棒に振ったんだ! この失敗はマイケルジャクソンを死なせた時以来の! 世紀の大失敗だぜ!」
「私の次の物語こそは世界を変えるっか……お前ら、クリエイターの……そういうとこがきらいなんだよ。どいつもこいつもおめでたいことばっか言いやがって……」
「お前こそ、クリエイターに……物語の語り手になんか恨みでもあんのかよ……神のくせに、芸術や物語を否定しやがって……」
「否定して何が悪い! 芸術など、物語など! すべては豊かな社会で生まれる娯楽に過ぎない! 自分の命がかかっているサバンナのトラは、巨大な海を必死で生きるイルカは、物語など作りはしない! 人だけなのだ! 神話を語り、物語を語り、劇をして、映画をつくるようなバカはお前らだけなのだ! それがどれほど贅沢な生き方なのだと……私に愛されているからこそできるということが、なぜわからない!」
「ハン! バカバカしい! 俺だったらなぁぁぁ! どんな状況だってクリエイターをやってたぜ。たとえ、貧乏だとしてもチラシの裏に小説を書いただろう。未開の森の部族であったとしてもほら話や英雄譚を語っただろう。ゴミをあさるしかないそのへんの野良犬であったとしても! 夢の中では幸せな物語を描いただろうよ。愛されたからクリエイターになっただと? 違うな! 俺は根っからの映画監督だ! どんな時だって物語をつくってやるさ!」
「そうか……じゃあ、こうしてやる」
そう言って、神様は指ぱっちんをする。すると、鮫島亘の足元の地面が割れ、巨大な穴ができた。
穴の奥には地球に似た惑星が映されている」
「喜べ、鮫島亘! お前に新しい人生を与えてやろう。これからお前が落とす世界は私の愛が届かない。私の管理下にない異世界だ。そこでは映画をつくるための科学は存在しない。娯楽を楽しむための余裕もない。すべての人が生きることに必死な世界では、貴様の語る物語などだれも見はしないのだ」
「なるほどな、いいぜ、落とせよ。映画をつくる科学がなく、娯楽を楽しむための余裕がないだと? そんなん作ればいいさ・……いちからな」
「ああ、そうそう言い忘れてた」
思い出した様に、神様はつぶやくと、にやりと笑う。
「私はヒトに生まれ変われるなんて一度も言ってないからな」
「なっ……それはどういう……」
言い終わる前に鮫島亘を縛る縄は切れ、彼は穴の奥深くへと落ちていった。
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