異世界シャーク

神島竜

第1話 なぜ、サメ映画を撮るのか?

「カァーット! ダメだダメだ!」

ガラガラ声の怒号が大海原に響く。

先ほどまで悲鳴を上げていたカップルはふと真顔になり、クルーザーから投げ出される二つの浮き輪にそれぞれつかまる。

カップルを見下ろす白いクルーザー、そこからひょっこりと一人の男が顔を出した。その男、両頬がヒマワリの種をつめこんだハムスターのようにふくらんでおり、プックリと膨らんだ腹はタヌキのようだ。汗で乱れた黒髪はやや薄く、隙間から見える肌色が少々頼りなさを感じさせる。

しかし、眉は濃く、眉間に刻み付けられたシワから、みるからに怒っていることがわかる。

この男の名前は鮫島亘。40歳、映画監督である。

亘は船から上がってきたカップルに向き直り言った。

「いいか! この映画の舞台は沖縄! 島での暮らしがいやになり、都会を目指すことにした二人の男女! クルーザーに乗り込み、島を出た二人に立ちはだかったのが巨大なサメだ! そのサメと戦い! 島へと抜け出す重要なラストシーン! それが今!」

そう言って、亘は両手を大きく広げた。

見回せば、そこは広大な海のど真ん中。そう、二人のカップルは役者であり、彼らは映画の撮影をしている。クルーザーの中には5人のスタッフが先ほどのカットをもう一度撮るために準備をしていた。

「だが、好きな女を連れ出したお前! お前のあの演技はなんだぁ!」

亘の言葉に男はムスっと不機嫌そうな顔をしている。

「サメを見てすぐ、サメダァ〜って女みてぇになさけねぇ声出しやがって!」

「脚本通りじゃないスか。男は、海の方を見て「サメだ」と言った」

「違ぁぁぁう! ぜんぜん違ぁぁぁう! いいか! 海の向こうからだ。灰色のなにかがみえる。恋人の語らいの中、キミはそれをみつける。あれはなんだ? 迷い考え、そして気づく。ああ! これはサメだ、と。しかし、まだまだ半信半疑で、抑え気味にだ」

「いや、サメを見たらまず驚くっしょ」

「甘ぁぁぁい! いいか! 男はだ! はじめて、サメを見るんだ。島の人から何度も言われていたサメ。両親からも巨大なサメがいるから海を出るなと言われていた。そのサメに、男ははじめて出会う。その時、彼は目の前のことに現実味を持たないのだ」

亘の言葉に、男はため息をつく。

「そもそも、ラストにサメって唐突じゃないですか……」

「唐突で何が悪い。ジョーズだって、実際にサメが映るのはほんの数分だ。本当の事件やドラマはすべて唐突に起きるんだ」

亘はカップルを品定めるように眺めながら言った。

「とにかく、「サメダァ〜」じゃない! 「サメだ……」だからな。そこをよく考えてやるように」

そう言って、亘はクルーザーの奥へと引っ込んだ。

「たく、あのオッサン、ヒトの演技にケチつけやがって……」

「ちょっと、監督にそんなこと言っちゃダメでしょ」

「あのオッサンが監督? 笑わせるね。鮫島亘、40歳。キミと愛よ、やコミット東京などの少女漫画の実写映画が代表作だが。本当にやりたいのは特撮映画。しかし、人気漫画、真実の巨兵の実写映画を担当したところ。それが大コケ。仕事もなくなり、最後の起死回生に選んだのが日本ではまったくつくられないサメ映画。まったく笑っちゃうね」

そう言って男はふん、と鼻で笑った。

「詳しいじゃない」

「べつに、雑誌で書いてあっただけだし」と、男はそっぽを向いた。

嘘、本当は大好きだ。彼にとって、鮫島亘のつくった映画、キミと愛よは彼が役者を目指したきっかけとも言える作品だった。だが、亘にとってはあの映画は不本意につくった駄作で。だからこそあなたの映画のファンですなんて言えるわけがないのだけれども。

男は、深いため息をついて、海をぼんやりと眺めた。

眼前には大海原が写っている。そして海にはたくさんのカモメが飛んでいた。子供の笑い声のように高い鳴き声を上げるカモメたち。そのカモメをみていると。

ザヴァリと、大きな波が高々と上がった。

「あれ?」

思わず、男はつぶやいた。

「どうしたの?」

「今さ、カモメが一羽いなくなったような」

また、ザヴァリと、波しぶきがたつ。

「ほら、さっきまで5羽飛んでいたのに。もう3羽しかいない」

またザヴァリと、大きな波が上がり、引いた時にはカモメは一匹もいなくなっていた。

男は不思議に思う。なぜ、どうして? そう思いクルーザーの端に近づき、海を覗きこむ。

ザヴァーン、大きな波しぶきが目の前で上がり、そこから灰色の亡霊のように無表情な怪物は口を大きく開いていた。男はぼんやりと眺め、つぶやいた。

「サメだ……」

つぶやいた男は上半身からパックリと食われた。

「キヤァァァァァ!」

女性の叫び声に、鮫島は何事かと、外へ飛び出す。

クルーザーのデッキには、下半身だけになり、棒立ちとなった男性と青ざめた表情の女性がいる。

「どうしたんだ!」

「サッ……サメがっ!」

見ると、海には真っ赤な血が広がっている。

サメがいたのか?

そう思い、目を凝らすと、そこには恐ろしい光景が。

水面に浮かぶ大量の背びれ。

サメ、サメ、サメ。そこにいるのは大量のサメであった。

「さめ、サメ、鮫、シャーク……悪い冗談だろ……」

どう言い換えてもこの現実は変わらない。

ズドォンと砲弾を受けたかのような衝撃が響く。

サメたちだ。サメの群れがクルーザーに次々と体当たりしているのだ。

まるで、弁当箱を無理やり開けようとする獣のように。

船の中に、美味しい獲物があることを彼らは知っているのだ。

「人を食ったことがあるのか? この群れは?」

困惑していると、またズドォンと大きな音が響き。クルーザーは斜めになった。船体がやられた。このままでは沈んでしまう。亘は慌ててしがみつく。他のスタッフたちも手近なものにしがみつく。

しかし、一人のスタッフがそのまま船の外へ投げ出された。

「ウギャアァァァ!」

叫び声をあげながら海の中へ消える。海が血で真っ赤に染まった。

「船の先まで登るんだ!」

すると、スタッフたちはほふく前進のような体制で傾きつつある船を登る。

「もう! なんなのよ!」

女性が苛立ちながらも登る。力がないのか。彼女は船の一番後ろにいた。

「早くしろ! 海に落ちちまうぞ!」

「わかってるわよ!」

必死で登る。だが、どうしたことだろうか。足に力が入らない。

なんで? ふと、下を見る。すると、そこにはあるべきものがなかった。

足がなかったのだ。

下半身がサメに食われていた。

女性は手から力が抜け海へと落ちた。

「チクショウ、こんなとこで死んでたまるかよ!」

スタッフの一人が言った。

「ああ、ホントにな。クソ、まだ撮影も終わってないのに……」

亘の言葉にスタッフは信じられないと言いたげな顔をする。

「ふざけんなよ! 人が死んでんだぞ!」

「知るかァ!」

「そもそも、撮影ならもっと岸の近くでも浅いところでもよかったんだ! そしたら、サメにも出会わなかった!」

「それじゃあリアリティがねぇだろうが! そもそもジョーズではな……」

ジョーズ! その言葉を聞いた瞬間、スタッフの怒りは頂点に達した!

「ジョーズ、ジョーズうるせぇんだよ! ジョーズならこうなっていた。ジョーズならこう動かすだ。クソくだらねぇサメ映画のためにこき使いやがって!」

「くだらねぇだと……」

亘は鬼の形相でスタッフを睨みつける。

下でサメたちが今か今かと待ち構えているのにも関わらずである。

「サメ映画はくだらなくない! この世には恐ろしい化け物がたくさんいて! 俺たちはそれと戦わなければいけない……サメ映画はな、脅威と恐怖と戦うヒトの強さを描いた映画なんだ!」

「それなら、ゾンビや恐竜でいいじゃねぇか! 日本だって、ゾンビ映画や恐竜映画はあるが! サメ映画なんかつくってねぇだろうが! あんなのアメリカがつくったくだらねぇB級映画なんだよ!」

「違ぁぁぁう!」

鮫島亘は叫んだ。大海原に響くように。

「ショッピングセンター、森の中、大富豪の屋敷……逃げようと思えばどこでもある陸での怪物を撮って……何が面白い。誰も助けが来ない。不安定な海の中から襲いかかる恐怖……それこそがサメ映画の魅力なんだ。だからこそ、あえて言いたい。なぜ海に囲まれた島国の日本でサメ映画がないんだと! サメ映画は、広大な陸を持つアメリカでなく、日本でこそつくられるべき映画なのだ!」

「この大バカサメ野郎が!」

スタッフは亘をうえから思いっきり蹴る。

その勢いで、彼はクルーザーの根元まで滑り落ちてしまった。

サメたちはぶら下がった餌に食いつこうとする。

「クソ! 死んでたまるかよ!」

亘はそう言って、懐からダイナマイトを取り出す。

「ラストシーンに使おうと思っていたが、背に腹はかえられねぇ、死ねぇぇ!」

そう言って、亘はダイナマイトに火をつけて、サメたちに向かって放り投げる。爆発は勢いよく広がり。サメたちだ死んでいった。

「ヒャハハハ! これぞサメに立ち向かう人間の強さだ」

笑う鮫島亘。燃え広がる炎の海に高笑いをするも。

バシャーンと炎の海から水しぶきがあがり、巨大なサメが現れた。

「クソ……サメには叶わねぇな……」

サメは亘に噛みつき、海の中へと沈んでいった。

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