第5話
「九郎、おまえ、
蒼白の顔で白月丸が訊いてきたのは七日後のことだ。
「このところ、ずっと姿が見えない」
九郎は鼻で笑った。
「相手は白拍子だ。また旅にでも出たんだろう」
「白拍子が
なあ、ほら、七日前、丹菓はここに来てたろ? あの日以降、ふっつりと姿が消えたそうだ。
九郎、おまえ、何か知らないか?」
九郎は黙った。
「もしや、おまえ、何かしたのではあるまいな?」
答えを求める白月丸の声が異様に震えていた。
「ああ」
と、九郎は言った。早く震えを止めてやりたくて。
一言で済む。
「俺が殺した」
「──」
美しい主人の声の震えは止まったものの──
体の動きも止まってしまった。
「俺が殺したさ」
大きく見開かれた双眸。
「……何故?」
「そうだな。だって、俺はあんたの〈犬〉だから」
「何だと?」
ゆっくりと、楽しむように。
ちょうど、骨をしゃぶって味わう、そんな調子で九郎は言った。
「あんたも気づいているんだろう? 丹菓が教えてくれだぞ。
二人きりの時に、閨で、乳繰り合ってる最中に、あんたがそう言ったって」
「九郎、それは──」
「なんでそんな顔をする? いいじゃないか。本当のことなんだから。
その通り! 俺はあんたの犬なんだ。だから──」
犬歯から零れる深紅の舌。九郎はゆっくりと唇を舐める。
「だから、あんたを護る必要がある。ご主人様を護るのは俺の役目だ」
ご主人様に
ご主人様を汚す何者をも許さない。
「あの中納言も、そして、あの遊女もな。だいたい──
あんな汚れた連中とかかずらわっていたら、あんた、今
「──……」
声にならない悲鳴を上げて、白月丸はその場に崩折れた。
どのくらいそうしていたことか。
やがて、白月丸は薄らと煙のように立ち上がって、か細い声で訊いた。
「……何処だ?」
「何が?」
「何処へやった、丹菓を?」
「捨てたさ」
「それは何処だ?」
「今更、聞いてどうする? 白拍子の屍骸の捨て場所なんぞ。それとも──」
ここで再び九郎の胸に意地の悪い炎がチロと燃え立った。
九郎は言った。
「また、後生大事に傍に置いとくか? そら、
「──」
「俺が始末してやらなければ、今もあのままだったんだぞ。忘れてはいないよなあ?」
病に臥している母、などとは昔の話。
白月丸の母と、その年老いた
ここに足繁く通うようになってほどなく、九郎はそれに気づいた。
全く動こうとしない白月丸に変わって、邸内に放置されたままの、散らばった骨片、その一つ一つを拾い集めてキレイに片付けてやったのは九郎である。
「では」
ところが、これを聞いて白月丸は目を輝かせた。九郎としては皮肉のつもりで言ったのに。
「
私の丹菓は、そこにいる──!」
言うが早いか、秘色の袖を翻して白月丸は飛び出して行った。
「あっ、待て、白月丸……!?」
一口に鳥辺野と言っても、古くは〈六原〉と呼ばれたそこは鴨川から東山に続く山地である。
貴賎を超えて
貴種の血を引く、あのたおやかな足で、一体何処をどう走ったものやら……
白月丸は、後を追って来た九郎も呆れるほど、転けつまろびつ、愛しい女を捜して、山中を必死に駆け巡るのだった。
空からはチラチラと雪が落ち始めた。
雪はからかうように、嬲るように、白月丸の額や頬……肩に肘……腰と踝にまで降り散った。
それでも、白月丸は捜すのを止めなかった。
とうとう、積もった雪と立ち枯れた草が
むしろ変わらないのはその装束の方。
丹菓の体は見る影もなく腐り崩れていた。
白月丸は暫く、茫然と見下ろしていた。
勢いを増した雪が春の桜花のように降る。
醍醐寺の花見会、清流会でこそ、こういう白月の姿を見たかった。
追いついた九郎はつくづくと思った。
桜の花びらならば、一枚一枚、この指でそっと払い落としてやれたものを。
あの雪め……!
その白月丸、突然、突っ伏して、溶けた屍の中に身を浸すようにして泣き始めた。
かって愛物だった者を掻き抱き、掻き集め、声を限りに泣き悶える。
九郎は、狂態のその様をただ黙って眺めていた。
九郎の胸に暗い炎が立ち昇ったのはこの時だ。
それはブスブスと煙って喉を燻り、鼻腔を塞いだ。
目はヒリヒリと染みて涙が滲む。
火種は、憎しみとも言い、愛とも言うモノ。
殺ってしまえ、と決めた。
一筋に白月丸のことだけを慮って、それ故、殺生さえ犯した俺のことは微塵も顧みず、
ただ殺されただけの、何もしない、無力の遊女なんぞのために血の涙を流すとは……!
思えば、この尊い主人を護り通すために、名を知る限りでも二人、中納言藤原成明と丹菓……
いや、待てよ、もう一人、阿字も勘定に入れるべきか? とにかく──
名を知らぬ者たちに至っては、何人か、数さえ数えられぬ。それほど殺して来たが。
こんなことでは、この先、また何人も殺さなければならないだろう。
だが、ここで、白月丸を殺してしまえば、それこそ、
ここで終わる。
何と、確実で、鮮やかか。
その身の安全や純潔について、もう永遠に思い煩うこともない。
そう言えば、『愛しい』と言って、俺に食われたがったのは阿字だったっけ?
だが、俺は違うぞ。
俺はむしろ──俺なら──
その阿字から、かつて授かった、今となっては体の一部のように慣れ親しんだ刀の柄に手を置いて、九郎が一歩踏み出した時──
ほとんど同時に、地面に突っ伏して泣き崩れている白月丸目掛けて襲いかかった臭い影があった。
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