第3話
翌日、何気ない顔で盗賊団の
九郎は首を傾げた。
(近く、〝仕事〟の予定はなかったはずだが?)
配下の男たちを前に阿字は切り出した。
「昨晩、中納言藤原成明の邸に賊が入ったのを知っているか?」
女首領のいつもながらの早耳に、内心驚きながら、九郎は
「フン、
「おや! 珍しいさ。何しろ、
「
手下の一人が真顔で叫んだ。
「間違っても、我等が疑われる心配はない!」
「おう、その通りじゃ! 〈仏心の阿字様〉は殺生は金輪際なさらない!」
「物は奪っても、人の命を奪わないのが我等のやり口だものな!」
一味の男どもが口々に安堵の言葉を交わし合っている中、阿字は立ち上がって言った。
「九郎、来い」
「
「私にはわかっている。あのやり口は私の技……私がおまえに仕込んだのだ……」
「こっちの方は、どうだ? 仕込まれた覚えはないがなあ……」
「九郎……」
「こっちは、俺が……元々持っていた技……違うか?」
「九郎──」
だが。
存分に差し貫いた後で、聞き返したのは九郎の方だった。柔らかで熱の籠った肌から体を引き剥がしながら、
「どうして、俺がやったなどと言うのだ?」
「わかるさ」
くぐもった声で阿字は笑った。
「もっと言えば……おまえを拾った時から、こんなことになるのではないかと……それさえもわかっていた。だって、おまえは──」
今となってはきちんと
「血の匂いがする。獣の匂いがする」
「ならば、何故、助けた?」
九郎は鼻を鳴らした。
「捨てておけば、俺はあそこでくたばったろうに」
「救われたかったかな」
「俺の命を助けて? つまり、善行を施して自らを救うって、あれか?」
「いや、そうじゃない。そう言う救われ方じゃない」
再び九郎に跨ると、行為とは裏腹に、少女のような夢見る眼差しで阿字は言うのだ。
「血の匂いがしたから……おまえが獣とわかっていたから……食われてしまいたかったかな……」
呆れて九郎は笑い出した。
「それのどこが救いだ?」
「おまえには……わかるまいよ……」
この頃にはとうに九郎は、この女首領の仏教カブレに辟易していた。好きなだけ泣かしてやることはできるが。俺を獣臭いと言うならあんたは抹香臭さすぎる。
所詮、殺生も、盗みも、陵辱も、罪を犯すことに変わりはない。
(何を今更──?)
この日を持って、九郎は阿字の盗賊団から放逐された。
仲間たちはこのことを別段奇異に思わなかった。
愛物を他に作った九郎に女首領が腹を立てて追い出したのだ、と皆は解釈したらしい。
無罪放免、自由の身となった九郎は、むしろ小躍りして白月丸の邸に赴くと、言った。
「先の荷物に加えて──俺も置いてもらってもいいだろうか?」
縁先で、母の着古しの
クスクスと笑って、
「構わないさ! 言ったろう? 私の邸は隙間だらけだ、と」
流石に、従者として使ってくれるよう九郎は申し出た。
白月丸は、友として、と首を振った。
が、九郎があまりにも執拗に言い張るので、とうとう折れた。
「九郎のような凛々しくて目にも彩な随身を持つ身になるとは……! 私もこれでやっと貴人らしくなったな?」
かくして、白月丸の邸で二人の生活が始まったのだが。
それから、そう日も経ない内に都ではちょっとした騒動が持ち上がった。
「おい、聞いたか、九郎?」
白月丸は自身が聞き知った噂話を得意げに九郎に教えてくれた。
「長い間、この京の都を我が物顔に跳梁して来た〈仏心の阿字〉を名乗る盗賊団が、遂に捕まったそうだぞ!」
何でも、一味の首領が女だった上に、その素性のせいで今、都中、噂で持ちきりらしい。
白月丸が語った処に依れば──
最近、白河辺りで強盗があった。
物は取られたが、幸いなことに人身に被害はなかった。却って、盗賊の方に怪我を負った者があったらしく、血の痕が点々と道に零れていた。
誰か知らぬが、この血の痕をつけた豪気な輩がいて、その血が、検非遺使の別当の邸の北の
報告を受けた別当は、当初、仕える女房の誰かが盗賊を
更に、縁の下からは黒い装束が……!
ここに、遂に〈仏心の阿字〉の正体が明らかになったのである。
「全く。美しい上臈が盗賊の首領とは、世の中には奇異な話もあるものよ!」
つくづくとため息した後で、更に白月丸は続けた。
「だがな、奇異な話はこれで終いではないぞ、九郎。
何でも、この盗賊のことを別当に伝えに来た男が、別当が後になって考えれば考えるほど──死んだ部下に生き写しだったそうな。巡邏に出たまま消息を絶った
「ふん」
ここまで、神妙な面持ちで白月丸の話を聞いていた九郎だったが、薄く笑って感想を述べた。
「使庁の別当が泥棒を自分の邸に飼っているようでは世も末だな?」
白月丸も手を叩いて同意した。
「その通りじゃ! やはり、飼うなら犬に限るわ……!」
こんな風に九郎と白月丸の二人一緒の暮らしは楽しく過ぎて行った。
差し当たって生活の心配もなかった。
かつて飼い犬のクロが食物をひっさらって来たように、今は従者の九郎が何処からか工面して来る金品で十分だった。
九郎は惜しげもなく上等な絹など次々と買い求めて来たから、今では白月丸はどこから見ても立派な貴族の若君だった。
二人連れ立って歩く姿は、絵巻から抜け出たよう。
儚げな若君と寄り添う精悍な随身である。
東の市や北野の社前、祇園御霊会、城南宮の祭りと、遊び惚けて日々は流れた。
だが──
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