2.マジでこの本屋さんは異世界に移動したの?

――ズシィィィィン!


 地響きが終わり、光も収まる。美晴は家紋入りのハタキを手に仁王立ちしながら、おっさんが恐る恐る目を開けるのを見つめていた。店内は照明が消えて真っ暗で、おっさんは不安げに体を震わせる。


「い、いったい……何が……?」

「まあ、ちょっとこっち来てみてくださいよ」


 美晴はニヤリと笑い、おっさんに背を向けて店の外に向かって歩き出す。さすがのおっさんも素直にその後ろに従った。


「な、ななな、なあああああ!」


 外に出た瞬間、おっさんは素っ頓狂な悲鳴をあげた。それもそのはず、そこには別世界が広がっていたのだ。


 店があるのは何もない草原で、その周囲一面が森に囲まれていた。


 しかも、草も森の木々も、すべて緑よりも黒に近い色と禍々しい形をしていて、普通ではない。森からは時々、「ぎょるるるるる、ぎょるるるる」と不気味な鳴き声が聞こえてくるし、木から木へと飛び移る小鳥のような生き物はよく見れば鳥ではなく、人と虫との混合体ともいうべき、妖精のような羽根つき生物だった。


「ひ、ひえええええ!」


 おっさんが裏声で悲鳴を上げた時、ひときわ大きく森がざわめいた。


――キュオオオオオオン!


 超音波のような高音から地響きのような低音までの重層の鳴き声と共に、森の中から空へと何かが飛び立った。


「お、ドラゴンの原種かな。珍しいっすね」

「ふへええええええええ!」


 おっさんはぺたんと草むらに尻もちをついてそれを見上げる。深緑の体をしたドラゴンが、翼をはためかせながら黒い森の上を旋回していた。ゲームのイラストより小柄で痩せたイメージのその個体は急下降し、再び黒い森の中に消えていく。


「な、なな、ななな……!」


 妖しい森に囲まれた草原に、ポツンと伊海渡書店の小さな建屋が存在している。現実感のシュールな光景におっさんは圧倒されているようだ。


「だから言ったんすよ。後悔しても知らないって」


 美晴は溜め息をこぼした。

 その時、森の中からこの草原へと続く土の小道に、ヒョコヒョコと歩く小さな影が見えた。


「ミハルさん、今日もお疲れ様でございます」


 慇懃な礼をする小柄な老人に、美晴は親し気に手を上げて応える。


「あ、ザハーさん、こんばんは!」


 だが、おっさんは老人を見てポカンと口を開けて静止している。というのも、黒のゆったりしたローブを身に着けたその老人は、皺の寄った全身の肌は緑色、顔には尖った耳に裂けた口、額の両脇には角が生えているのだ。美晴の半分の背丈しかないその老人は、おっさんをちらりと見遣りながら美晴を窺う。


「そちら様は?」

「ああ、こっちの世界からの巻き込まれ客なんですけど……」

「ははぁ。どう致しましょう? また眠りの魔術でもお掛けしましょうか?」

「いや、この人はいいです」


 普通の巻き込まれ客の場合はこの老人に眠り魔術をかけてもらい、「この世界」に来た事実を誤魔化してきたが、美晴はこのおっさんについてはそのつもりはなかった。


「ミハルさんがそれでよろしければ従いますが……」


 小柄な人は心配げにおっさんを見やるも、おっさんは異常事態に神経が高ぶったのか、声を荒げる。


「ア、アンタ、一体、何者だ!」

「ホッホッホ! 伊海渡書店のご先代、ミハルさんのおじい様にたいへんお世話になった卑しい小鬼――というところですかな?」


 小さな老人は悪戯っ子のように笑う。


「私のことはザハーとお呼びください」


 丁寧に頭を下げたザハーに、おっさんは勢いを削がれ、呆然とする。

 その時、森の小道から今度はきゃらきゃらと明るい声が聞こえてきた。


「ミハルちゃ~ん、今日も来ちゃったぁ!」

「お待ちなさい、そこの破廉恥なサキュバス! 抜け駆けは許しませんことよ!」


 一人は凹凸のはっきりしたスタイルの良い体に露出度の高い黒のミニドレスを纏った女の子で、黒い翼と尻尾、額の脇の二本の角が生えている。もう一人は華奢な体にふんわりしたデザインの緑のロングドレスを着た女の子で、真っ白な肌と尖った耳の形が特徴的だ。二人とも十代半ばくらいに見える。


 森の中から走り寄ってきた二人は、飛びつくように美晴に抱き着いた。


「ちょっと、お二人さん、そんなにくっつかれたら苦しいって」


 美晴が苦笑すると、二人は美晴を挟んで睨み合う。


「だそうですわよ、リリア。あなた、お控えになったら?」

「あら~? 邪魔なのはアンタでしょ~、腐れエルフのカレン!」

「ホッホッホ! ミハルさんはモテモテですなあ」


 ザハーがのん気に微笑んだところで、また森の小道から、今度は大きなだみ声が聞こえてきた。


「お~い、ミハル坊、今日も坊主どもを連れてきたぞ~!」

「あ、ガラさん、どうも!」


 道から現れたのは、筋骨隆々の全身を獅子のような毛皮に覆われた大男だった。巨大なリヤカーを軽々と引いていて、そこには十歳くらいの身長の少年六人が乗っていた。少年達はリヤカーを飛び降りると、サキュバスとエルフの少女に抱き着かれた美晴の元に走ってくる。


「ミハルさん、今日は飛翔コミックスの新刊が出る日だよね。入荷してる?」

「当然」


 ふんぞり返って頷く美晴の周りで、子供達は目をキラキラさせながら歓声を上げた。


 だが、おっさんは顔を引き攣らせながら彼らを見つめる。少年達は骸骨姿のスケルトン、人頭馬身のケンタウロス、犬耳のついた獣人、ずんぐりむっくり体型のドワーフなど種族混合グループだった。人間の男子もいるが、髪が緑色をしている。


「あれ? そっちの子は初めて見る子かな」


 美晴は一人の少年に、目を止める。


「僕らの新しいお友達!」

「ダークエルフのヒューマ君!」

「僕らの学園の編入生なんだ。頭がすっごくいいんだよ!」


 少年達は黒い肌と尖った耳を持つ少年を囲んで、自慢げに彼の肩を叩く。少年は少し緊張した面持ちで頭を下げた。


「は、はじめまして……。よろしくお願いします……」

「こちらこそ、よろしくね、ヒューマ君」


 美晴が微笑むと、ダークエルフの少年は少し恥ずかしそうにはにかんで笑った。その無垢な表情に、美晴に抱き付く二人の少女も「可愛い!」と歓声をあげる。


「ヒューマ君はね、植物好きなんだってさ。ミハルさんの世界の植物図鑑がどういう風に書いてあるのか興味があるって。確かあったよね?」

「もちのろん!」


 力強く頷く美晴の姿に、ヒューマ以外の少年達はぷっと吹き出して笑う。


「『もちのろん』とか! 何それ!」

「ミハルさん、ダサくない?」

「うっさい。こっちの世界じゃ、流行ってんだよ」

「本当に~?」

「本当だよ!」


 ガヤガヤとうるさくなってきたところで、ザハーが咳払いをする。


「さて、そろそろオープン致しましょうかな」

「そうですね」


 少女二人を離れさせた美晴はザハーと一緒に店内に入る。おっさんも置いて行かれるのが不安なのか、それに続いた。


 ザハーは美晴が店の奥から持ってきた脚立を昇り、ブレーカーボックスを開けると、空中に指を滑らせながら言葉を紡ぐ。


「雷鳴の音。轟き、舞う蛟。蠢き留まり、落差生む滝は流れ続ける。現象名【雷電】」


 ザハーの指の軌跡に沿って、空中に青白い色で魔法陣のような絵と文字が浮かび上がった。またもやおっさんが目を剥く中、店舗内の照明が点り、空調が動き出す。


 外にいた面々も店内に入り、思い思いの本に手を伸ばし始めた。


「こ、これは一体……」


 呆然と立ち尽くすおっさんの肩を、美晴はポンと叩いてニヤリと笑う。


「いわゆる、異世界ってやつじゃないですかね?」

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