日帰り漂流本屋 ~異世界でも営業中~

フミヅキ

1.どこにでもありそうな本屋さんにも秘密はあります

 とある駅前、懐かしい面影を宿す個人商店が立ち並ぶ中に、その店はあった。


「伊海渡書店」


 薄汚れた看板にはそう書かれている。店舗スペースは八畳ほどしかない小さな店で、店中央の両面棚には各種雑誌やムックを取り揃え、人が一人通るのがやっとの通路を挟んだ壁面側の棚には、漫画、小説、ビジネス書、学習参考書などが並んでいる。


 この店をほぼ一人で切り盛りしているのは、伊海渡美晴という若い女性だ。大学を休学中である彼女は、半年ほど前に亡くなった祖父からこの店を継いだのだった。


 壁時計が指し示すのは午後七時の五分前で、そろそろ店じまいの時間だ。客はスーツ姿の中年の男が一人で、官能小説を取り揃えたエリアで立ち読みしている。出入口の脇に設置された狭いレジスペースにいる美晴は、足元の古いラジカセの再生ボタンを押した。流れ出したのは「蛍の光」のピアノ演奏バージョンだ。


「♪たんたーたたー、たーたーたたー……」


 だが、音が流れてしばらく経っても、客に動きはない。


「ふむ……」


 長身のスレンダーな体に「伊海渡書店」のロゴの入った緑色のエプロンを纏った美晴は、祖父の代から使っている家紋入りのハタキで掃除をしながら男性客に近付く。客は不機嫌そうな顔で、女子大生調教ものの小説から顔を上げた。


「まだ閉店時間じゃないだろう?」

「はい。でも、あと数分で閉店ですよ」

「閉店前に客を閉め出す気かね?」

「いえいえ、そういうわけでは!」


 困った表情の美晴を見て、男性客はニヤリと嫌な笑みを浮かべる。


「ところで、店員さんとしてはどちらの本がお薦めかね?」


 男性客は立ち読みしていた女子大生調教ものの他に、棚から義姉凌辱ものの本を取り出して美晴に見せた。ほうれい線の目立つ顔に卑しい笑みを浮かべている。


(お~、そういう系統のお客様か……)


 美晴は一呼吸おいてから、爽やかな笑顔とともに返答する。


「どちらもいい本ですよ。そっちはベテラン作家さんで読ませる感じ、こっちは新人作家さんでフレッシュな感じですね。あとは個人の好みだと思います。では、間もなくですけど、閉店まではごゆっくり~」


 長いポニーテールを揺らしながら離れていく美晴の姿に、男性客はつまらなそうな視線を向けた。だが、同時に、細身のジーンズに包まれた彼女のお尻の辺りをねっとりとした視線で見つめる。


(エロ親父め……!)


 彼女は心の中でのこの男性客の呼称を「お客様」から「おっさん」に変えることを決意した。


 美晴にとってはお客様が官能小説を買おうがヌード写真集を買おうが、まったく気にするものではない。むしろ、大手書店に比べれば猫の額ほどしかない棚に厳選に厳選を重ねて置いた本を選んでくれたわけで、感謝しかない。


(ただし、迷惑客は除くがな!)


 美晴は軒先の週刊誌を収容した可動棚を、車輪をキュルキュルといつもより音を立てながら店内に運び込む。しかし、やはりおっさんは動かない。


 ついに時計は閉店時間の七時を指し示した。美晴は手にした家紋入りのハタキがブルブルと振動し始めたのを見て、そろそろヤバイなと焦る。おっさんは気付いていないようだが、ハタキと共鳴するかのごとく、書店内の空気もビリビリと不気味に震えている。


「あの~、さすがに閉店時間も過ぎたのでそろそろ……」


 出来るだけ穏便に話し掛けた美晴に、おっさんは不機嫌な顔を向けた。


「ちょっとくらい、いいだろう。だいたい、七時に閉まるなんて時代に即してないんじゃないのかね?」

「いや~、うちは小さな店で、たまに叔母とか従妹に手伝ってもらう他はわたし一人で回してるもんで」

「そんな店の都合は知らん」

「知らんと言われましても……」

「お客様は神様というだろう。もう少し客への気遣いを学んだらどうかね?」


 不遜な態度のおっさんに、美晴は笑顔を消して溜め息を吐き出す。


「いや、おっさん。マジでそろそろ帰った方がいいっすよ。後悔しても知らないですよ?」

「は? なんだね、その言葉遣……」


 おっさんが苛ついたように表情を歪めた瞬間、店がズシンと大きく揺れた。


「なんだ! 地震か?」


 おっさんがキョロキョロと周囲を窺う間にも揺れはどんどん大きくなり、さらに、バチンバチンと放電現象のように空間にスパークが飛び散り始める。


「なんだこれは!」

「仕方ないっすね。今回はこのおっさんも連れてくしかないか……」


 時計の針が七時三分を指し示すと同時に、伊海渡書店全体が閃光に包まれた。

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