第22話 一時間

 外からは小鳥たちの鳴く声が聞こえる。

 閉まっているカーテンを開ける前に、軽く拳をつくる。

 昨日は早めに切り上げたので身体に疲れは残っておらず、大事な大会前の割にはしっかりと寝られた。


「……よし、コンディションは完璧」


 今日はついにやってきた日曜日。

 大会という舞台で優勝をすればスイーツエンジェルも昔のようになる、そんな期待を胸に頑張ってきた。

 僕は隣で寝ている愛しい彼女を起こさぬようそっと布団から出る。


(最初の頃は戸惑っていたこの光景もいつの間にか慣れたもんだな……)


 思い返してみれば本当に色々あった。

 ふと瞼を閉じると、ここ何日かの記憶が走馬灯のようにゆっくりと流れる。

 街全体が見渡せる丘の上の学生寮に引っ越して来たところから始まって、その日にまさかの火事で学生寮が全焼。

 行く場所もなく公園でぼーっとしていたらたまたま出会った不思議な女の子に出会って、ついて行ったら女の子しかいない家に住むことになった。

 そこでは崖っぷちにいながらも笑顔を絶やさない年下の女の子達。

 僕はその笑顔が失われないように、こんな光景がずっと続くようにと。

 そしてやっと現状が変わるかもしれないチャンスに巡り会えた。

 出来ることは全部やった、あとは実力を本番で発揮するだけなんだ。

 走馬灯が現実に追いついたところで、僕は心地よさそうに眠っている彼女の頭をそっと撫でる。

 この街に来て初めて出会ったはずなのにどうしてかもっと昔から知っていたような気がする不思議な女の子。


「絶対に、勝とうね愛音さん」


 そして僕は彼女を起こさぬように静かに着替えを済まし、お店の方へと降りていく。

 店内に入るとまず目に入るのが食品棚だ。いつもは色んなケーキが並んでいるのにそれが並んでいないケーキ屋というのは、それが開店前のお店に客がいないのと同じように当たり前の光景だけど、なんだか寂しいものだ。


 「さてと」


 手馴れた動作で掃除用のモップを手に取る。

 ここ二、三日はケーキ作りのため出来なかったけれどしっかりと掃除のやり方は身につけていたからか案外覚えているものだ。綺麗に効率良く汚れが落ちるやり方、各場所の汚れが貯まりやすいところ……全て凛菜さんが僕に教えてくれたことだ。

 掃除を終える頃には店の中はいつぞやの時よりもピカピカになっていた。


 「……ふう」


 用具を片付け一息つくために、綺麗になった店内にある椅子に座る。

 流石に一人でこの量をここまでやると疲れるな……。朝の軽い運動にはなったからいいけど。

 僕は身体を伸ばし、頬杖をつく。

 日が昇る前に始めた掃除も気付けば明るくなっていた。外はいつもと変わらぬ日曜日、だけど僕達にとっては……。

 思わず顔が少し強ばってしまう。


 「──ソラさん、お疲れ様」

 「かの──って、愛優さん?」


 言いながら紅茶の入ったカップを僕の前に置く。


 「ふふっ、一体誰と間違えたのかなー?」

 「い、いえ……」


 いたずらっぽい笑みを浮かべる愛優さん。そして僕の正面に座ると、自分の分の紅茶を一口飲む。


 「……いよいよだね大会。もしかして緊張してる?」

 「あはは、やっぱりわかります?」

 「うん、バレバレだよ♪」


 答えながら僕も紅茶を一口飲む。

 こうして早起きして、掃除もしてりゃ丸わかりか。


 「本当なら私が立たなきゃいけないのにごめんね」

 「気にしないでください。これは僕が選んだことですから」

 「それでもだよ。だからこれから私達の代わりに頑張ってくれるキミにプレゼント」

 「プレゼント?」

 「まずはこれっ!」

 「……服、ですか?」

 「うんっ」


 渡されたのは白を基調とした服……いや、これは。


 「新しいパティシエ服だよ。昨日ね、奈美さんが着て渡してくれたの、みんなの分」

 「そうなんですか。あとでお礼を言わないとですね……っと」


 服を開くと中から一枚のメモが落ちる。僕はそれを拾い読み上げる。


 「……お礼は大会で優勝してくれればそれでいいさ、か」

 「奈美さんらしいですね」


 笑いながらそう言う愛優さん、それにつられてか僕も自然と笑みが零れる。


 「本当にそうですね」

 「うん。あとは……目を瞑って♪」

 「は、はあ……?」

 「いいからっ」

 「は、はいっ!」


 訳も分からず言われた通りにする。

 すると、愛優さんが立ち上がったのか椅子の動く音がしたと思った瞬間──。


 「ちゅっ……」

 「──ッ!?」


 僕の口……ではなく、頬にほんのりと暖かく優しい感触。

 だけど一つじゃない……この感触は僕の両方の頬に感じる。

 僕がゆっくりと目を開けるとそこには……。


 「愛優さん、それに凛菜さんも……?」

 「えへへー、感謝してるのは愛優姉だけじゃなくてボクもだからね♪」

 「いやそうじゃなくて、いつから?」

 「ごめんねソラさん、実は最初からいたり……」

 「…………え?」


 聞かされた事実に間の抜けた声が出てしまう。

 そんな僕を見て笑いながら二人はハイタッチをすると、同時にそっと耳打ちをしてくる。


 「このことは、愛音(カノちゃん)には秘密だよ♪」

 「……は、い」

 「ありがとね。それじゃ凛菜準備するよ。掃除はソラさんがやってくれたから」

 「はーい! それじゃソラくんいってくるね」

 「あ、う、うん。……って、お店の準備ですか?」

 「そうだけど?」

 「でも今日は大会ですよね?」


 僕の質問に愛優さんは厨房へ行こうとしていた足を止め振り返る。


 「大会だからだよ。ソラさん達が優勝したらお客さんみんな来るでしょ? その時にケーキをこれから用意しますじゃダメだからさ」

 「でもそれだと愛優さんたちは……」

 「ソラくんボクたちなら大丈夫だよ。だってソラくんとカノちゃんなら絶対に優勝してくれるって信じてるからボクたちはここで待つ、それだけだよ」

 「凛菜さん……」

 「私も同じだよ、ソラさんや愛音にしか出来ないことをしているのと同じで私達は私達にしか出来ないことをするの。それに心強い味方も出来たから♪」

 「心強い味方……?」

 「実はね──」


 僕はその人物の名前を聞いた瞬間、目を丸くさせた。


 それから数時間後、僕と愛音さんは愛優さんから渡された新しい服を手に会場へ向かう。

 その途中、見慣れた商店街を通ろうとした時、一人の男がこちらの姿を確認し、待っていたとこちらに歩いてくる。


 「よっ、おはようさん」

 「聡志か。おはよう、どうしたんだ?」

 「どうしたもなにもないだろ。見送りだよ見送り。愛音ちゃんもおはよう」

 「はい、おはようございます宮野さん」

 「ついにこの日が来たな」

 「うん。って言っても聞かされてすぐだったしその間も色々あったから“もう"って感じがするけどね」

 「そりゃそうだろうよ。何かに夢中になっている時は時間が流れるのは早いからな」

 「ははっ、間違いない」

 「…………聡志」

 「わかってるよ夜空。こっちのことは俺に任せろ、まだまだ出来ることは少ないけれど全力でなんとかしてみせるだから」

 「僕も僕達にできることを全力でやってくるよ。ね、愛音さん」

 「はい。せっかく降りてきたチャンスですから」

 「やる気は十分みたいだな。……それじゃ俺はスイーツエンジェルで夜空達があの橘久怜羽に勝つところを見ているよ」

 「あんまりプレッシャーをかけること言わないでくれ」

 「ははっ、それはすまなかった。あ、そうだ愛音ちゃん」

 「は、はい?」

 「いいことを教えてあげる。今の夜空はこうして普通に振る舞ってるけど実は結構緊張しているから」

 「聡志!」

 「それじゃ俺はここらでさよならするよ、頑張ってね!」

 「頑張ります!」


 こうして逃げるように立ち去る聡志の背中を見つめる。


 (まったく、あいつには本当にかなわないな……)


 みんなには緊張していることがバレていなかったのに、親友あいつにだけはやっぱり見透かされていた。


 「さ、愛音さん僕達も行こうか」

 「…………」

 「……愛音さん?」


 親友の背中が見えなくなったので僕達も会場へ向かおうとしたが、どうしたのか愛音さんがその場で立ち止まったまま動かない。

 心配になって駆け寄った時だった。


 「──ソラさん、失礼しますっ!」

 「えっ?」


 言葉が届くのとほぼ同時に感じるのは彼女の小さな手の温もり。

 それは僕たちが決めた、試合前にやる事。

 僕の手に彼女の手が重なっていた。


 「どう、ですか……?」


 上目遣いで尋ねる愛音さん。彼女自身も緊張しているのか、その手は微かに震えていた。


 (そうだ、緊張しているのは僕だけじゃない。愛音さんだって僕と同じはずなのに……)


 でもおかげで僕の緊張はかなりほぐれた。


 「愛音さん、ありがとう」

 「い、いえっ。私はただ……」

 「まだ時間もあるし、時計塔の上に行かない?」

 「確かにそれもいいかもですね」

 「それじゃ行こっか」

 「はいっ♪」




 ここに来ると、とても不思議な気持ちになる。

 時計塔の上に来た僕は微かながらも毎回感じていたことだ。

 あれから二人仲良く手を繋いだまま時計塔の上から会場を見下ろしていた。

 人も徐々に集まってきて、いかにもこれから大会が始まるという感じがする。


 「私たちあの中でやるんですよね」

 「う、うん」

 「うぅ……緊張してしまいますね」

 「確かにそうだね」


 そう言うと僕達は見つめ合い、手をぎゅっと握る。

 たったそれだけのことなのにどんなことがあっても頑張れる……そんな気がしてしまうのだから不思議なもんだ。


 「でも僕達は一人じゃない。僕には愛音さんがいる」

 「私にはソラさんがいます」

 「確かに僕達は自身はまだまだ半人前かもしれないけれど」

 「私達二人いっしょなら一人前、ですよねっ♪」


 大事な大会前に見せた彼女の笑顔。

 この愛しい笑顔を守るために、お店で僕達の勝利を信じている人のために。

 ──大会開始まであと一時間。

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