第16話 ひとときの休息
カーテンの隙間から朝の眩しい日差しが部屋に入り込む。
今日は水曜日、スイーツエンジェルに来てから八日目の朝。
昨日は色々あって疲れていたせいか、ぐっすり眠れたようでまだみんなが起きてこない時間に目が覚めてしまった。
「…………」
今日もスイーツエンジェルの仕事はあるけどまだ時間はあるけれど、勝手に僕がどうこうしていいものではないだろう。
となると、この前みたいに散歩に出るのもいいかもだけど。
「いや、まだ時間もあるしもうひと眠りするか。……ん?」
そう思い再び目を瞑ろうとした時、扉の外から微かに足音が聞こえてきた。
勘違いかと思ってしまうほど小さく、まるで忍び足でもしているかのような感じがする。
流石にここの戸締りは完璧だろうし泥棒……なんてことはないと思うけれど、今この家にいる男は僕だけだ。万が一のことを考えて僕はこっこりとその後ろを付いていくことにした。
「……厨房か」
順に色々な部屋を見て周り、最後に念のためと確認しに行ったここで付いているはずのない明かりが付いているところを見つける。
いや、それだけではない。中で何かをやっている音も聞こえる。
とりあえず警察……に電話しようともスマホは愛音さんの部屋だ。
ならば万が一のことに備え、相手の顔を見るのがよいだろう。
僕はそっと中にいる人に気付かれぬように厨房を覗き込む。
するとそこにいたのは―――。
「……どうして」
手に持ったボウルを持ったままわかりやすいくらいに肩を落としている愛音さんの姿だった。
見たところ生クリームを作っているところなのだろうけれど、どうも上手くいっていないのは明らかだろう。
「……いえ、まだこれからです」
それでも彼女は諦めずに作業を進めた。
だが完成したのは……。
「──ッ!」
その完成したケーキを前に悔しさからか愛音さんは机を叩く。
実際にはそんなに強く叩いていないはずなのに、どうしてかその辛さがひしひしと伝わってくる。
それもそのはずで、完成されたケーキは……お世辞にも綺麗とは言えない形だった。
ケーキというのは一つの芸術だ。
味はもちろんのこと、見た目も味と同等……もしかしたらそれ以上に大切なのだ。
それが大会という場であれば尚更。
そう言えば昔お父さんにこんなことを言われたっけ。
「私と春野さん二人揃えば一人前……」
────あんなに思いつめている愛音さんを見たのはいつだろうか。
確か初めてスイーツエンジェルで働いた時……。
僕は僕なりに頑張っている……つもりだった。人脈を使い色々やった、そしてやっとの思いで最後の希望ともいえる大会、それもあの橘久怜羽と同じ舞台で戦えるチャンス。
だけどそれはあくまでも他人の作ったものだと思ってしまう。
きっと先生にケーキの講師をやってもらったのもそれが理由なのだろう。
影から見るだけにしようとしていたのに、気がつけば声をかけていた。
「……愛音さん」
「そ、ソラさん!?」
誰かが起きているなんて想像もしていなかったのだろう、僕が見た中では一番驚いていた。
少し前に愛優さんが夜にこっそり練習をしているという話を聞いていたけれど、先生にケーキを作った日……あの時はその日初めて使うはずだったのに甘い匂いが残っていた。
愛優さんが夜にやっているという話を聞いたからか疑問にすら感じなかったけれど……。
いや、今はそんなことはどうでもいい。僕は彼女に伝えなければいけないことがあるのだ。
「愛音さんお願いがあります──」
そして今は昼過ぎ。
今日は先生が突然私用があると言って来れなくなったため、僕達は暇になった。
ちなみにスイーツエンジェルは定休日。
なので一日中先生に特訓……と思っていた矢先にこれだ。
かと言ってずっと家の中にいるのも、もどかしいということで僕達は息抜き程度に商店街へ出かける事になった。
「今思えばみんなで出かけるのって初めてかもね」
「あー確かに確かに」
「言われてみればそうですね」
4人で出かけるのは初めてだ。
と言うか愛音さん以外と出かける事すら初めてかもしれない。
「ソラさんソラさん」
そんな風に考え事をしながら歩いていると、愛音がそっと話しかけてきた。
「どうしました?」
「みんなでお出かけするのってやっぱり楽しいですね♪」
気持ちが抑えきれないのか、普段よりも楽しそうに歩いて見える。
それを見てるだけでこちらまで楽しくなるってもんだ。
普段スイーツエンジェルで働いてるみんなはキリッとしていて、年下なのに年上……のような感じがしてしまうが、こうしてみるとみんなちゃんと年相応の女の子なんだと実感する。
「そうですね。僕は基本多くても4.5人くらいでしか出かけたりしなかったですが、やっぱり1人より人数が多いとその分楽しみも多くなりますね…………って、愛音さん?」
彼女が突然歩みを止めたので、僕もそこで立ち止まる。
「…………でも」
「それでも私は、ソラさんと2人きりの方が──」
その時、突然強い風が吹き彼女の言葉が遮られる。
「愛音さん、今なんて?」
「いえ……なんでもないですので、今のは失言なので忘れてください」
「は、はい?」
先程とは違い、少し寂しそうな笑顔を見せる。
これ以上は踏み込まない方が良いと直感で理解する。
「……いや、なんでもないよ」
「ありがとうございます」
具体的なことは何も言っていない。
だけどこの時の僕達は間違いなく通じあっていた。
二人の間に、変な空気が漂い始めようとしていた時、
「おーい! カノちゃん、ソラくーん」
「2人とも早くしないと置いて行っちゃうよ~」
気が付けばずいぶんと先に行ってしまっていた愛優さんと凛菜さんが「こっちこっち」と自分達の場所を伝えるように手を振っていた。
「あっ、はーーい! ではソラさん、行きましょうか♪」
そう言って愛音さんはこの空気を壊すくらいの笑顔を浮かべながら僕に手を伸ばす。
僕はその手を取り、2人の元へと一緒にかけて行った。
「それで今日はどこに行くんですか?」
「んーとね、奈美さんのところかな。ほら、私たち大会に出るでしょ? でもソラさんのパティシエ服は無いからさ、この際ついでに大会用にみんなの分も新調してもらおうかなって」
「ボクのも新しくするの!?」
「うん、今のでもいいんだけどやっぱりこれは私たちの戦いだからさ、私たちのパティシエ服で挑みたいなって思ったから」
「それで、お金の方は大丈夫なんですか?」
「それは……実は大会に出るってこと凛菜のお母さんから私のお母さんに伝わったみたいで……」
「あぁ、つまりこれで服を新調してきなさいって言われたと」
「そうなんだよね……あはは」
「では、愛優さんのお母様にその分も返せるように大会は優勝しなければですね……」
「そうだねっ!」「そうですね」
凛菜と僕がほぼ同時に答える。たまたま重なったので、みんな自然と笑いがこみ上げてきたのかみんながみんな笑みを浮かべていた。
……そう、もう負けるわけにはいかないんだよね。ここまでしてくれたみんなのために、この無邪気な笑顔を守るためにも……。
僕はみんなの笑顔を見ながら密かにそう強く想っていた。
「っと、奈美さんのところに着いたよ」
そうこうしてるうちに、僕達は奈美さんのお店に着いた。
前回来た時の出来事……
「さ、入ろっか♪」
そう言って愛優達が店に入っていく、僕は軽く深呼吸をして店に入る──が、何故かみんな入ってすぐのところで立ち止まっていた。
「みなさんこんなところで立ち止まってどうしたんですか────あっ」
「…………」
僕はみんなが立ち止まった原因の人物と目が合う。僕もこんなところで出会うなんて思わなかったから少し固まってしまう。
「……潮乃さん」
「久怜羽さん」
名前を呼ばれ、僕もなんとか相手の名前を呼ぶ。が、久怜羽さんも僕と会うなんて思わなかったのか、かなり動揺していた。
それを見た愛優さんは僕の顔を伺うように。
「もしかしてソラさんも橘さんのこと知ってるの?」
「はい、ちょっとしたところで……」
「そっか。多分その様子だと知らないみたいだね」
「何がですか?」
「橘さん──橘久怜羽さんがスフィールの現トップパティシエだってこと」
「……えっ?」
「…………」
驚きの余り目を丸くする僕に対し、久怜羽さんはバツの悪そうに視線を別の方へズラす。
つまり、面識はあったがお互いの正体とかは知らなかったってわけ……いや、多分それはこっちだけか。
久怜羽さんはわかっていたからこそ、どうやって接すればいいのかわからないって感じだ。
「まさか……こんな所で、こんな形で再開するなんてね……」
「僕も……出来ることならもっといい形でまた会いたかったですよ」
それは紛れもなく本心だった。出会い方は決して良くはなかったけれど、それでも仲良くなれる気はしていた彼女が最大の敵だったなんて。
……いや、それは多分久怜羽さんも同じだろう。決して最大のとは言えないものの、大会に出る以上敵なのだから。
彼女もまた僕と同じように複雑な表情を浮かべていた。
そして数秒見つめ合ったあと、耐えきれなくなったのか彼女は僕達の間をするりと抜けてそのままこの場から立ち去ろうとする。
「久怜羽さんっ!」
「……ごめんなさい、別に私も知ってたわけじゃないの。本当にごめんなさい」
「それはいいんです。ただ……一つだけ言わせてください」
「うん」
「大会ではよろしくお願いします」
「……うんっ」
彼女は僕の言葉に、少し嬉しそうに返して出ていってしまった。
今は敵対関係にあるけれど、それでも僕は彼女ときっと仲良くなれる……そんな気がした。
だけどそれと大会とは別。僕達にはもう勝つしか道はないから、全力で勝ちに行きます。
口には決して出さず、心の中で留めた。
僕達がそれぞれ何ともいえない気持ちになっていると、店の奥から奈美さんが出てきた。
「おや? 久怜羽ちゃんはどこに……って、どうしたんだい? そんな顔しちゃって」
「あぁ、奈美さん。実は……」
驚きを隠せないでいる奈美さんに僕達と久怜羽さんの関係などを説明した。
すると、奈美さんはうんうんと頷きながら。
「そうか……それであの子も元気が無かったのかぁ」
「久怜羽さんが?」
奈美さんは無言で頷く。
奈美さんも心配していたのか、少し暗い顔をしていたが、パッといつもの顔に戻り。
「それで、スイーツエンジェルのみんなは今日は何をしに来たのかな?」
そうだった、久怜羽さんとの突然の再開で忘れそうになっていたけれど、本命はこっちだった。
「奈美さん、私達の新しいパティシエ服を用意してほしいのですが」
「ほほぅ?」
愛優さんがそう言うと、奈美さんは目を光らせながら。
「ほほうほうほう……それは採寸もしなきゃいけないねぇ」
「そ、そうですね……」
「愛音さんの顔が引きつってる……」
「仕方ないよ……ソラくんは男だから大丈夫だろうけれど、ボク達はどんな目に合わされるか……あぁがくがく」
この2人にここまで言わせるとは……奈美さん採寸って言いながらナニをするつもりなんだろうか……。
いや、別に気になるってわけじゃなくてね、ただ単にみんなが心配なだけなんだからねっ! 本当だよ?
……と言うよりも。
「奈美さんは確か見ただけでその人の色々をわかるはずでは……」
「エ? ソンナチカラシラナイアルヨ」
「めちゃくちゃカタコトじゃないですか!!」
「まぁまぁいいじゃないか。これもアタシなりのスキンシップって事さね。あ、夜空君はもうサイズわかってるからここで待っていてね~。それじゃあみんな奥に行こっか♪」
「いやぁ……ソラさん、助け……」
「ソラさん、たす、助けてくださ……ぁぁ……」
「ソラくん! ボクは信じてるからね、ソラくんなら助けに来てくれるって!!」
「みんなやる気があって何よりだよ~」
「「「いやああああああああ!!」」」
彼女達の悲鳴を聞こえないふりで乗り切りみんなを奥へと強制連行していく奈美さんを見送る。
「……みなさんすみません。こればっかりは僕にはどうする事も出来なさそうです……」
僕はせめてもの思いで敬礼。
それから数十分が経過した頃、ある問題が発生した。
お店には僕しかいないので、お客さんがどうとかって事ではないし、途中で奈美さんが何故か入口閉めていたし。
では問題とは何か……それは、店の奥から愛優、凛菜、愛音の3人の甘い悲鳴のようなものが聞こえてくるのだ。
「──奈美さっ、やめっ……きゃぁぁぁぁ」
「カ、カノちゃ……あぁ……ダメっ、そこはダメぇぇぇぇ」
「ふ、二人ともしっかり、してええぇぇぇぇ……」
……奈美さん、本当にナニをしているんですか……。
助けに行きたいけれど、今行っても大丈夫なのか? いや大丈夫じゃないな、くっ……僕はどうしたら。
助けに行くべきか行かぬべきか迷いながら、結局僕は突入することが出来ず採寸が終わるのを大人しく待つだけだった。
「はぁ……疲れました……」
「カノちゃんに同感」
「私も右におなじくだよ」
「みなさんお疲れ様です」
なんだかんだ色々あったけれど、なんとか無事目的を達成した帰り道。
先頭を歩く愛優さんが少し肩を落としながら。
「はぁ~……今日は息抜き出来ると思ったのに逆に疲れちゃったよ……みんなごめんね」
「いえ、あれは愛優さんは悪くないです。全ては奈美さんが悪いですから」
「そうそう! 愛優姉は気にしなくてもダイジョーブ!」
「ですね~」
「みんなぁ……ありがとう……」
みんなの暖かい言葉に愛優は胸がいっぱいになった。うう、こんな事が続いたらまた胸が大きくなっちゃうよ。
自分の胸に手を当て、そう思っていた。すると愛音が何かを思い出したのか、夜空に問を投げる。
「あ、そういえばソラさん。店から出ていく時、奈美さんに呼び止められていましたが何かあったんですか?」
「あー……」
今まで言わなかった(言いたくなかった)のだが、実は店から出る前に奈美さんに要らぬ情報を教えこまれたのだった。
──店から出るちょっと前。
「あ、夜空君ちょっといいかな?」
「なんでしょう?」
「夜空君に耳寄りな情報を……」
「……なんですか」
耳寄りな情報……今の僕にとって耳寄りな情報と言えば大会での一番の強敵になるであろう久怜羽さんの事だ。
もしかして、久怜羽さんについての事なのかなと思った僕は奈美さんに、耳を傾ける。
「あのね……実は愛音ちゃんのバスト……ワンサイズアップしたんだけど、もしかして胸、揉んじゃったりしたの?」
「はああああああ!!?」
予想外すぎる事に、つい大声を出してしまう。
すると、びっくりしたのかみんなこちらを向いた。
「ソラさんどうしました?」
「い、いえ! なんでもないです! とりあえずみなさんは先に外で待っていてください」
「? わかりました、では外で待っていますね」
そう言って3人は店の外へ。
それを確認した奈美さんは更に話を続ける。
「いやね、最近愛音ちゃんの胸の成長が全然だったのに、夜空君が来てからというもの見る度に少しずつ大きくなっていってるのよ」
「そ、そうなんですか? じゃなくて、だからどうしたんですか!!」
「だから……ほら、揉むと大きくなるって言うでしょ?」
「そんなの知りませんし、僕は揉むと逆に小さくなるって聞いたことあります!」
「十分知ってるじゃん……まぁ何も無いのか~お姉さん残念だな~」
わかりやすいくらい残念だという表情を浮かべる奈美さん。
それに対し僕はため息を付きながら。
「残念って……なんでですか」
「私が言うのもあれだけどさ、みんな可愛いじゃん? そんな人たちに囲まれて生活していれば自然とそういった関係に発展していくと思ったんだけどね」
「……そんな事、ありませんよ」
頭の中に愛音さんの事が浮かぶ。
僕が今一番頑張りたいと思っている理由であり、絶賛片思い中の女の子……。
そう、片思い中……。
「おーい、夜空くーん?」
僕には記憶を失う前に好きな人がいた……らしい。
この街で出会った女の子。
それが彼女かどうかはわからないけれど……。
「もっしもーし? 聞こえてる? やーい、このロリコンー!」
この街に来てから僕はほんの少しずつではあるけれど昔の記憶が戻ってきているようだった。
それは喜ばしい事なのだが、その度に気絶したりするのは困りものだ。
……でもそれ以上に昔のことを思い出して、その相手が愛音さんじゃなかったら……。
昔は昔、そう割り切れるほど僕は強くない。
だけど彼女に対する気待ちは本物で──。
「夜空君、夜空君応答せよ! 応答せよ!!」
「って、さっきからうるさいですよ!!」
「あ、反応した」
「そりゃ横であんな事されたら嫌でもわかりますって……」
「いや~、なんか難しい顔していたからさつい。それよりも、愛音ちゃん達待たせてるけれどいいの?」
「ついじゃないですよ……って、忘れてた! 奈美さんさようなら!」
「はいはーい。またね~~」
夜空は急ぎ足で店を出ていった。一人残ったお店。
「やっぱり彼って──君だよね。みんな……ってか愛音ちゃんは気付いていないみたいだけど」
「……ま、アタシの出る幕じゃないか。それに記憶喪失というのは一種の自己防衛、無理に首を突っ込むわけにもいかないし。……さて! みんなの分の服をはりきって作りますかぁ!!」
そう言って彼女は店の奥へと消えた。
そして時は今に戻る。
……今思ってもろくな事教えられてなかったな。
とはいえ正直に話す内容でもない。
「ただの世間話ですよ」
「そう、ですか」
「はい」
こうして僕達はゆっくりと帰る、みんなの家スイーツエンジェルへ。
そしてその日の夜、先生から大会が日曜日に行われると聞くまでは楽しい時間を過ごした……。
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