第15話 櫻宮 愛音
「はぁ……疲れた……」
そう言いながら薄暗い部屋のベッドに倒れ込む。
人と話すだけでこんなに疲れたのはいつぶりだろう。
「……僕はみんなに話したんだよな」
しかしこれこそ僕がみんなに秘密を明かした何よりの証拠となるので、確かに疲れはしたがなんだか別のところが軽くなった気もした。
今思えば家族を除くと僕の記憶喪失を知っていたのは親友と先生……両手で足りるくらいだったのだ。
僕自身、言うのも気が引けていたしそれで特別扱いとかされるのが嫌だったのもあるけど……。
「…………」
少しでもまぶたを閉じれば話した時の事が浮かぶ。
凛菜さんに記憶喪失の説明をした後、僕は凛菜さんにみんなリビングで待っていてほしいと伝えておいた。
そして隣に凛菜さん、前に愛優さんと愛音さんといったいつもと違う配置でテーブルを囲むと僕は秘密のことを語り始める。
「みなさん、集まってもらってありがとうございます。それに愛優さんも」
「……うん」
やはりまだ先ほどの事を気にしているのか、返事はするもののいつもみたいにはいかない。
そのなんともいえない空気を感じながらも僕は話を進める。
「今から話すのは僕のことについてです。……なんて言ってもそんなに大したことじゃないけれど、それでもみんなにはやっぱり知っておいてほしいと思ったんです」
「ソラさんの秘密?」
「はい。僕は……昔の記憶がありません。簡単に言えば記憶喪失……というものです」
その瞬間、その場の空気が一気に重くなったのを感じた。
まあそうなるよな。話すと決めた時からこうなるのはわかっていたはずだ。
ただ凛菜さんの場合はそうならなかったから秘かに大丈夫だと思っていた可能性も……いや、違うな。多分まず彼女に話したのは彼女ならいつもと変わらずに聞いてくれる……そんな気がしたからだろう。実際その後もいつもと同じように接してくれた。
それがどんなにありがたいことなのかすぐに理解することになるとは思わなかったけど。
「その、いいかな?」と、意外にも愛優さんが手を少しあげる。
「はいなんでしょうか」
「君はさっきケーキを作ったことがないと言ったけど、もしかして……?」
「多分愛優さんの思ってるとおりです。少なくとも僕が覚えている限りないだけでもしかしたら覚えていない時に……という可能性はあります」
「ただあの時はすみませんでした。僕自身このことを話す決心がついてなくて妙な考えを浮かばせてしまって……」
「ううん、君は何も悪くないよ。あれは私が勝手に嫉妬して……少し当たっちゃっただけなの、だから私の方こそごめんなさい」
「つまり今回は愛優姉とソラくんの両方が悪かったってことだね♪」
「まあ……」
「そう、なるね」
「ならそれでいいじゃん、確かに記憶喪失のことは気になるかもだけど今のボク達にはスイーツエンジェルをどうにかしなきゃいけないから」
「あはは、凛菜に一本取られたね」
みんなを見ているとやっぱりまだまだ適わないなと思ってしまう。
僕には愛優さんのような包容力は無いし、凛菜さんみたいに場を和ませたりすることも出来ない、ましてや愛音さんみたいになんてなれない。
いくら学業の成績が良くてもそんなものは関係ない……そう気付かされる。
凛菜さんはこれしかないと言っていたけれど、現に今僕はそれに助けられているわけだしそう考えるとスイーツエンジェルのメンバーはみんながみんなを助け合っている感じがして心が暖かくなる。
「……あの、ソラさん」
すると、ずっと黙っていた愛音さんから名前を呼ばれた。
振り返るとそこにはどこかいつもと違うような雰囲気の愛音さん。
「その……私からも一つだけ質問しようと思ったんですが」
「僕の答えられる範囲であればなんでも答えますよ」
「で、では失礼して……その、ソラさんが記憶を失ったのはいつごろなんですか?」
「──年前の年末ですよ。確か十二月二十八日に旅行の途中に事故に遭って」
「…………」
「愛音さん?」
「あ、いえ、なんでもありません。それよりもそろそろお夕飯にしませんか? 私お腹ぺこぺこで」
「それボクもさんせーい!」
「それじゃあ私と愛音で用意するからソラさんと凛菜はこっちの準備お願いね」
「はーい!」「わかりました」
「ほら、愛音いこっか」
「はい」
そのまま二人がキッチンへと向かおうとした時、愛音さんは僕の元へすっと近付くと誰にも聞こえないくらい小さな声で耳打ちをする。
「──後でもう少しお話を聞かせてもらってもいいですか?」
「え、う、うん」
「ありがとうございます」
「どういたしまして……?」
そして今度こそキッチンへと向かう彼女の背中を見送った。
それからは二人も意を汲んでくれたのか、凛菜さんみたいに何事もなかったかのように接してくれた。
でもそれとは別に気になることもあった。
最後に愛音さんに質問されたこと……。
確かにどういった経緯でというのは気になるかもしれないけど、彼女の質問には別の意図が隠れている……そんな気がした。
「……いや多分そうだからこそ最後にあんなことを言ったんだろうな」
ふと時計を見ると時刻は既に十時を回っていた。
あれから時間も経ったしそろそろ愛音さんが部屋に来る頃か……そう思っていると扉がノックされる。
「はーい」
返事をしつつ起き上がる。
中に入ってきたのはワンピースを着た愛音さんだ。
手には枕があるところを見ると恐らく時間のかかるのだろう。
僕は部屋の中央に置かれているテーブルに彼女と向かい合う形で座る。
「それで、話って言うのは僕の記憶喪失のことでいいんですよね?」
「……はい」
声は弱々しいものの目はしっかりとこちらを見ていた。
その真剣な気持ちに答えたいところだけど、僕にきちんと答えられるのだろうか。
そんな不安を抱えながら彼女の言葉を待つ。
「ソラさんは……事故に遭ったのは旅行の途中って言ってましたけど、どこに行く予定だったとかわかりますか?」
「…………」
そんな簡単な質問でさえ僕の答えは……。
「すみません」
「……そう、ですか」
わかりやすいくらいに肩を落とす。
あの事故は決して僕だけが被害にあったわけではない。相当強い衝撃を受けたせいか、僕の当時の父は死に他の家族も僕と同じように記憶喪失になっていた。
こんなことがあるのか……と思うけれど実際にあるのだから仕方ない。
なのであの日どこに旅行するつもりだったのか未だにわからないままだ。もしかしたらその先に手がかりがある……かもしれないのに。
「答えられていない僕がってのもありますけど、僕からも質問……いいですか?」
「は、はい。大丈夫ですよ」
「……愛音さんはどうして僕の記憶喪失についてそんなに気にしているんですか?」
経験上こういったのは単刀直入に聞くのが一番良い。
僕の質問に対し、愛音さんは少し悩んだ末。
「……似ている、からだと思います」
「似ている?」
「はい。数年前、私が初めて恋をした人に」
予想していない言葉がきたせいで、反応に困ってしまう。
「その人はここから遠くの街に住んでいて、私と会った時はたまたま夏休みでこちらに来ていた時でした。私はその方と仲良くなり彼が帰っても文通をしていました」
「……本当に仲が良いんですね」
しかしそれは僕と似ている……というだけであって僕自身ではない。
頭で理解すればするほど複雑な気持ちになっていく。
「そして同じ年の冬、その方と私はもう一度出会う約束をしました。それが十二月二十八日……ソラさんが記憶を失った日であり、同じ年です」
「それでその相手の方は」
「……来ませんでした。そのあと何通か手紙も送ったのですが返ってくることもありませんでした」
「似ている……ってそういうこと、ですか」
「はい。ずっと探していた人にたまりにも雰囲気などが似ていたので……」
これが理由。確かにその人が僕である可能性はある……のかもしれない。
そう置くことで合致する点もある、だけど全くの別人という可能性もあるし第一その判断を出来ることは僕には出来ないのだ。
だけど、それでも……その愛音さんの初恋の相手が僕であったらいいなと密かに思うくらいはいいだろう。
「──っと、もうこんな時間か」
あれからは記憶喪失について、ではなく普通にこれからのお店のことなどを話していた。
そうこうしているうちに針は十二時をさしかけていた。
「本当ですね。ふわぁ〜」
流石に眠いのか可愛らしいあくびをつく。
「あはは、流石にこの時間ともなふと眠く……ふあぁ」
かく言う僕も決して可愛いとは言えないけれどあくびが移ってしまう。
「では今日はお開きでもう寝ましょうか」
「そうだね。明日も普通にお店やら色々あるし」
「それじゃあ私はこのまま──きゃっ!?」
「愛音さん!」
立ち上がろうとしてそのまま態勢を崩す。
このままいけば間違いなく机へとぶつけてしまうだろう。
僕は必死に腕を伸ばし彼女の身体を受け止める。
……だけど咄嗟の出来事だったせいか、こちらも良くない態勢で受けとめてしまったらしく、愛音さん共々倒れそうになる。
それを避けようとするものの、余計にバランスを崩してしまい。
「つぅぅ……!」
なんとか愛音さんを僕の上に乗らせることで床に落ちることは避けられたものの、代償として背中を床にぶつけてしまう。
痛みに耐えながら、立ち上がろうとする。
「愛音さん、大丈夫──っ!?」
「あ……」
気付けば、僕の上に乗る愛音さんの顔がすぐ近くにあった。
意識せずとも感じる彼女の吐息。
一つ一つが小さな口や鼻などさえも、ほんの少しだけ動けば重なりそうなほどの距離。
これはシャンプーの匂いだろうか、女の子特有の柔らかくて優しい香り。
「ソラさん……すみません……」
「う、ううん。僕こそ上手く受け止められなくて……」
こうしている間も、僕は彼女から目が離せなかった。
お互いに釘付けになっているように、身体が動かない。
……いや、これは違う。身体が動くのを拒否しているんだ。
時間が経てば経つほど、僕の視線は彼女の目から唇へと吸い込まれるように移る。
彼女には他に想い人がいるかもしれないとわかっているはずなのに。
「…………」
その視線に気付いたのか、彼女は頬をリンゴのように赤く染める。
「ご、ごめんそういうつもりはないんだけど……」
そう言いながらも僕の視線は動かずに、彼女の唇へと注がれていた。
このままではいけないとわかっているのに。
「私は、あなたになら……」
「──えっ?」
彼女は何かを呟くとまぶたをゆっくりと閉じた。
まるで全てを僕に預けるように、無防備な姿を晒しながら。
「……愛音さん」
僕も彼女のようにゆっくりとまぶたを閉じる。
この状況、求められているものが何なのかわならないほど鈍感ではない。
しかしあの話を聞いてしまった以上、ここから先に進むのは本当にいいのか……。
だけどまぶたを開ければそこにはソレを待っている愛しい愛音さんがいる。
気がつけば僕は本当にゆっくりと彼女へ近付き──。
「ソラくんまだ起きてる?」
「「──っ!?」」
突然のノックと凛菜さんの声により、一気に現実へと引き戻された僕と愛音さん。
「ご、ごめん!」
「い、いえ私の方こそっ」
お互い何に謝っているのかわからぬまま距離を取る。
「お邪魔しまーって、あれ? もしかして本当にお邪魔だった?」
「い、いえそんなことはないですよ。それよりもどうかしたんですか?」
「カノちゃんと一緒に寝ようと思って愛優姉のところに行ったんだけどいなかったからこっちに来たんだ」
「あ、あぁ。なるほど。確かに愛音さん今日は凛菜さんと一緒に寝たほうがいいかもしれないですね」
「はい。そうすることにします」
「ソラくんありがとね! このお礼はまたいつかするよ!」
「それじゃソラさんおやすみなさい」
「ソラくんおやすみー!」
「二人ともおやすみなさい」
こうして僕は二人が部屋から出ていくのを見守ると、その場に座り込んでしまう。
「……危なかった」
あのまま凛菜さんが来なければ僕は、僕は……。
取り返しのつかないことになる前に、来てくれた凛菜さんに感謝しつつ僕も寝床へと着いた。
きっと明日になれば愛音さんともいつも通りだ。
……でも。
「あのまま凛菜さんが来なければどうなっていたんだろう……」
そんなことを考えながら僕は眠りについた。
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