第13話 白崎 愛優


 ──夢を見る。

 それは自分よりずっと小さい女の子とお菓子を作る夢。

 僕達は楽しそうに作っていた。二人の夫婦に見守られながら。

 そこで僕達は約束をした。

 どんな約束?

 それは、それは……。





 目が覚めると見知らぬ天井……ではなく、よく見知った天井がそこにあった。

 変な夢を見ていたせいか、ここがどこかわからない、なんてことはなかった。

 改めてここを確認する必要なんてない、ここは愛音さんの部屋だ。

 そして僕は……そうか。


 「倒れたんだ……」


 ここまでに至る経緯を思い出す。いやそこまでのことでもないけど。

 僕は先生にケーキ作りの特訓をしてもらっていた時、急に頭痛がしてそのまま……。

 恐らくここまでは先生が運んでくれたのだろう、いくら三人いるとはいえ女の子だけでここまで僕を運ぶのはかなり難しいはずだから。


 「……愛音さんの使っているベッドか」


 意識がどんどんはっきりしていくにつれて、色々なところの感覚が戻ってくる。

 ……別に深い意味はないけれど。

 とはいえいくらなんでも普段女の子が使っているベッドにいつまでもいるのは良くないよな。

 そう思い身体を起こそうとした時だった。


 「すぅー……すぅー……」

 「愛音さん?」


 ベッドの横で気持ち良さそうに眠っている愛音さんの姿があった。

 どうやら看病してくれていたようで、そのまま寝てしまったらしい。

 本当ならこっちのベッドに寝かせてあげたいところだが、それで起こしてしまうのも申し訳ない。


 「……ありがとう愛音さん」


 僕は自分の荷物のところから薄手のジャケットを取り出しそっと彼女の肩にかけ、静かに部屋を出た。



 その後、リビングへと移動し椅子に腰掛ける。

 時計を見ると針は夜の七時を指していた。

 確かあの撮影のあとすぐに特訓を開始したから……結構眠ってしまっていたらしい。


 「あっ、そうだ」


 倒れたってことは少なくとも先生に心配をかけてしまったってことだ、一応大丈夫だと伝えた方がいいよな。


 「……よし、これでいいかな」


 何度か電話をかけてみたが、中々出なかったので仕方なくメールで伝えることに。

 それにしても……。


 「用意がいいよな本当に……」


 いつの間にかポケットにメモが入っていて、そこには先生の連絡先が入っていたのだ。

 ふと目を覚ます直前に見た夢のことを思い出す。

 恐らくあの夢に出てきたのは昔の記憶……のような気がする。

 だけど不思議なことにその空気感みたいなものは昔というより最近感じた気がして……。

 と、その瞬間、突然視界が真っ暗になる。


 「──だーれだっ」

 「…………」


 同時に女の子の手のひらの感触が覆う。

 エプロンをつけているところを見ると、恐らくキッチンで夕飯の支度をいていたのだろう。しかし手で隠された瞬間甘い香りがした。

 そしてこれには覚えがある。

 僕は答えながら振り向く。


 「愛優さん、ですね」

 「大正解♪」


 そこには当てられて嬉しそうに微笑む愛優さんの姿。

 そのまま彼女は僕にそっと耳打ちをする。


 「ねぇソラさん。私と一緒にお風呂に入ってくれるかな?」

 「……えっ?」




 「まさか初日からこれにお世話になるなんて……」


 まだ一人だけの湯船に浸かりながら、身につけている湯浴み着に視線を落としそう呟いた。

 これがあればタオルほど不安定ではないのでこちらも安心して一緒に入れる。……いや、それは安心出来るのか?

 確かに見えなければいいと思うところもあるが、それでも異性の女の子とお風呂というだけでもアウトな気がする。

 やっぱりやめよう、そう思った時だった。


 「し、失礼しまーす」


 言いながら恥ずかしそうに入ってくる愛優さん。もちろん湯浴み着はしっかりと着ている。

 ……が、愛音さんや凛菜さん達とは身長こそ変わらないが、他は違ってしっかりと女の子らしいところが育っているため直視できない。

 お湯をかけ、軽く身体を流すと愛優さんはそのまま僕と向かい合う形で湯船へと浸かる。


 「……あはは、やっぱり少し恥ずかしいね」


 そう言って顔を真っ赤にする。

 この家のお風呂は普通の家庭用のものより大きく、大人二人くらいならそんなに窮屈にならないほどなのだが。


 「…………」

 「少し、狭いかな?」

 「あ、いえ、そんなことはないですが……」


 なるべく端の方で縮こまる僕を見て、心配そうにする愛優さん。

 しかしお風呂の広い狭いではなく、これは心の問題だ。

 別にゆったりしていても全然狭くないし、出来ることならそうしたいけれど……。異性と二人のお風呂、流石にそんなことが出来るほどのメンタルは持ち合わせていないわけで。


 「とにかく僕の方は大丈夫なので。それより何かお話でもあるんですか?」

 「……うん」


 話題変換という意味も込めて、早速本題を切り出すと、彼女はとても弱く頷いた。

 いつもはみんなのお姉ちゃんとして振る舞っている彼女しか見てこなかったため、その姿に驚きを隠せなかった。


 「その、突然ごめんなさい、いきなり一緒にお風呂だなんて」

 「気にしないでください。それに僕からしたらむしろご褒美、とかでもあるので」

 「ふふっ、ありがと。お風呂に入りたいって言った理由は色々あるんだけど、一番は話しやすいからなんだよね。ほら、裸の付き合いってあるでしょ、少し意味合いは違うかもしれないけど」

 「……本当はね、私君と一緒に暮らすの反対しようとしていたんだ」

 「そうなんですか?」

 「うん」


 ここにきて衝撃の事実を告げられる。

 ……いや、でもそうだよな。普通に考えてみれば何も不思議なことではない。

 自分の達の住処……それも女の子しかいないところに自分達より明らかに年齢の高い男の人を住まわせるのは色々とリスクがある。

 仮にそこを考慮せずとも、こんな状況なのを初めて会う人に見せたくはないというものだろう。


 「あ、でも勘違いしないでね、今は君が来てくれて本当に良かったと思ってるし、前も言ったとおり君はもう家族なんだから」


 家族……か。

 その言葉を聞く度に心が温かくなる。

 同時に恥ずかしくなるわけで。この気持ちに対してほんの少しの反撃。


 「やっぱり愛優さんはいいお姉ちゃんです。そして人一倍努力家で……今日もこっそりケーキ作っていたんですよね?」

 「な、ななななじぇそれを!?」

 「あはは、カミカミですよ」

 「もう……君って意外と意地悪なのかな……?」

 「ちょっとした仕返しですよ」

 「ふーん。それにしてもまさか君にバレるなんて思わなかったな。やっぱりさっきの目隠しで気付いたの?」

 「はい。甘い香りがしたので、それで夕食以外にも……っと思ったんですがそうなるとソレしか思い浮かばかかったので」

 「夕食前なら夕食をつくってる間に匂いも上書きされるから大丈夫だと思っていたんだけど。夜しか出来なかった分、しっかりやったのがいけなかったのかな」

 「……えっ?」


 その時、僕はある言葉が引っ掛かった。

 夜しか出来なかった……?

 しかしあの時、そう僕が先生にケーキの作り方を教えて貰おうとした時は……。

 あの場所は確かに甘い香りに包まれていた。

 だが愛優さんは夜しか出来なかったと言っていた、とはいえ先生も勝手に使うとは思えない。

 残るのは凛菜さんと愛音さんだが……。


 「……ソラさん?」

 「あ、いや、なんでもない……とは言えないですね」

 「なにかあったの?」

 「特に何かあったというわけではないのですが、少し聞いてもいいですか?」

 「うん?」

 「その、愛音さんって作れるんですか?」

 「子供の話?」

 「こっ、こども!? ケーキの話です!」

 「ああ、そっち?」

 「そっちです! それでどうなんですか?」


 僕のその問いに、愛優さんは少しだけ真面目な顔で考えると。


 「……作れるか作れないかで言うと作れる、はず」

 「はず?」

 「うん。ここのおじさんとおばさん──愛音の両親がパティシエだから愛音も昔は一緒に作っていたの」

 「でも今は愛優さんが作ってますよね?」

 「それが私もよくわからないんだけど……。ある時を境に愛音は作らなくなったの。理由は誰もわからず愛音は突然作るのをやめた。それで愛音の両親は私に託したの」

 「……なるほど」


 つまり愛音さんが使っていてもおかしな話はない、というわけか。

 だとしても何故だ。愛音さんが今になってケーキ作りを始めた、それも愛優さん達にはバレないようにこっそりと。そして何よりもある時を境に作らなくなったという言葉……それが一番引っかかる。


 「ねえ」

 「な、なにかな?」

 「どうしてそんなに思い詰めた顔をしているの?」

 「──えっ?」

 「それに……」


 言いながら僕の頬に手を伸ばす。その時に初めて気付いた。

 僕は涙を流していた。

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