第6話 スイーツエンジェル開店です!


 その後、片付けなどを済まし僕達は開店準備に取り掛かる。

 愛優さんはケーキをカットしたりするためにキッチンに残った。


 「ところで愛音さん。僕はここからどうしたらいいのでしょう」


 開店準備……とは言ったものの、僕がクッキーを作っている間に愛音さんと凛菜さんがほとんど終わらせてしまったらしく、これと言って何をすればいいかわからずにいた。


 「そうですね……ほとんどの作業は終わっているので、ケーキのカットが終わったら愛優さんからケーキを受け取ってそれをショーケースに入れる……くらいですかね」

 「わかりました」


 ケーキのカットが終わるまでの間、愛音さんにこのお店の説明を受ける。

 その後僕は、イートインなどをやっているか、呼び込みやチラシなどの配布など……話を聞いた限りではどれも一通りやってはいるらしいがイマイチ効果が出なかったらしい。

 色々やることが残っている状況ならまだしも、ほとんどやり尽くしてこの状況だ……これは思っていた以上に厳しくなりそうだ。

 そうこうしてるうちに、ケーキのカットが終わったらしく、愛優さんが僕達を呼びに来た。


 「……あれ?」


 キッチンへと向かう途中、僕はある事に気がついた。凛菜さんは付いてきているのに愛音さんは付いてきていないのだ。もしかしたら元々ケーキの量はそんな多くもなく、三人で運ぶ量ではないから残ったという可能性もあるが……僕は何故か少し引っかかっていた。

 まぁ引っかかるのなら聞けばいい。僕は凛菜さんを呼び止める。


 「あの、凛菜さん。いつもケーキって何人で運んでいるんですか?」

 「ん~? 基本ボクだけかな。たま~に愛優姉も手伝ってくれるけど」

 「その時愛音さんは?」

 「カノちゃん? カノちゃんはホールで色々な準備してると思うけど……」

 「そうなんですね」

 「? ボクは先に愛優姉の所に行ってるね、ソラくんも早く行かないと愛優姉が怒っちゃうよ~」


 凛菜さんはそう言い残すとそそくさとキッチンへと向かって行った。

 気になる事があるが、今はそんなことを気にしている場合じゃないか。

 僕も凛菜さんの後を追う。


 その後、カットされたケーキをショーケースの中に入れ開店前の作業が一通り終わる。僕は初めてのことだらけのせいか少し疲れたため、少しばかり休憩をもらい椅子に座っていた。


 「お疲れ様です、これよかったらどうぞ」


 背後から声がしたので振り返る。そこには愛音さんがコーヒーを片手に立っていた。


 「いつもこんなに大変な作業をしてから開店してるんですね……」

 「ずっとやっているとこれが日課になって、むしろやらないと調子が出ないくらいですよ」

 

 軽く笑みを作り僕の前にコーヒーを置くと、コーヒーのいい香りが辺りに漂う。


 「ありがとうございます。では早速」


 僕は受け取ったコーヒーを一口。コーヒーが口の中に入る、そしてそのまま喉の奥へ。


 「……美味しい。こんな美味しいコーヒー初めて飲みました」

 「そ、そんなに褒めて貰えるとなんだか少し照れますね……」

 「このコーヒーもしかしなくても、愛音さんがいれたんですか?」

 「……は、はいっ」


 照れくさそうにはにかむ。

 それにしても驚いた……料理だけではなく、こっちの方もかなりの腕前だったとは。

 これはますます色々な人にここのお店を知って欲しくなってくる。しかし……。


 「あの……難しい顔をされて、どうかされましたか?」

 「い、いえ。その……なんというかこんなに美味しいコーヒーがあるのに知らない人が多いのは悲しいですね」

 「美味しいのはコーヒーだけじゃないんだけど」

 「えっ?」


 声が聞こえると突然目の前にショートケーキが置かれる。

 誰が置いたのかと見上げるとそこには少し自信ありげな表情を浮かべる愛優さんが立っていた。


 「えーっと、これは?」

 「差し入れをするのは愛音だけじゃないってこと♪」

 「そうそう、ボク達も忘れちゃダメだよ」


 いつの間にか背後に回っていた凛菜さんがひょこっと肩から顔を出すと、他の人には聞こえないように耳打ちをする。


 「実はね、愛優姉さっきのソラくんのクッキーが美味し過ぎて悔しいからってケーキで対抗してるんだよ」

 「そうなんですか?」

 「うん。あ、これは内緒ね。愛優姉に聞かれたら怒られちゃうから」

 「はい」


 と、約束はしたものの、きっとそれは無意味な形で終わるだろう。

 なぜなら僕の隣に立っている愛優さんの瞳はしっかりと凛菜さんを捉えていたから。


 「ねぇ凛菜、ちょ〜っと裏でお話しようか〜」

 「ひぇっ!? 愛優姉ごめんなさいーっ!」


 脱兎のごとく逃げていく凛菜さんを追いかける愛優さん。

 気がつけば再びふたりきりに。


 「……いつもあんな感じなんですか?」

 「えぇと……いつもはもう少し静かなんですけど……。あ、それよりもケーキ」

 「あぁそうでしたね。ではいただきます」


 


 そうはいったものの、僕の頭の中はスイーツエンジェルの事でいっぱいだった。


 ──開店五分前。


 「うぅ……緊張してきました」

 「わかっているとは思いますが、そんなにお客様は来ないので身構えなくても大丈夫ですよ」

 「は、はい」


 そう言われても接客業……と言うより、バイトすら初めての僕はかなり緊張していた。

 あのノートを見た感じでは、多くのお客様は来ないようだが、それでもそれなりに来てはいる。

 数少ない常連さんを不快にさせないように出来るか……それが一番の心配だ。


 「ほらっ! ソラくんリラックスリラックス~」

 「わっ! 凛菜さん!?」


 僕を心配してか、凛菜さんが後ろから僕に飛び付いてきた。

 くっ……朝の感触をまた味わう事になるなんて…………本当にありがとうございます。

 決して大きくはないが、それでも女の子特有の膨らみ……なんというか、ふにふにしてて最高です!


 「ねーねー? ソラくーん?」


 僕を呼ぶ時、その胸が僕の背中に押し付けられる……あぁ、エデンはここにあったのか。


 「ねぇソラくんっ!」

 「はっ!」


 危なかった……もう少しであちらの扉(ロリコン)を開くところだった。

 凛菜さんには少し気をつけないとな……素でやってきているから本当に危険だ。


 「それで、凛菜さんなんでしょうか」

 「もうすぐで開店時間になるからしっかりねっ!」

 「は、はいっ!」


 開店時間は十時、そして今は九時五十九分……開店時間まで、5、4、3、2、1……。


 「「いらっしゃいませ、スイーツエンジェルへようこそ♪」」


 女子中学生の元気な声が店内に響いた──。



 ──開店から二時間後。


 「……お客さん、全然来ないですね」

 「ん~、いつも来るのは十五時くらいだからね」

 「それまでは基本こんな感じですね」


 何故こんな事を話しているかと言うと、開店してから二時間の間、お客さんが誰一人として来ていないのだ。


 考えが甘かった……まさかここまでとは思わなかった。


 しかし、十五時になればお客さんも来るらしいし……もしかしたらその時間帯はかなり忙しくなるのかも……。そう期待したものの────。


 ──それから四時間後。現在の時刻十六時。


 確かに十五時を過ぎた辺りに、確かにお客様は来た。五人だけ……。


 「あの、愛音さん」

 「大丈夫です。この後も少しは来てくれるので、十人前後くらいです!」

 「愛優姉のケーキもカノちゃんのコーヒーもこんなに美味しいのにね~」

 「そう、ですね」


 どうしてなんだろうか、味はいいのに何故か評判にならない……。

 しかしその答えは意外にも呆気なく出た。


 「……あれは?」


 イートインスペースに置かれているテレビに映るのは見覚えのある公園とお店だった。確か名前は……。


 「スフィールですよ。最近あの公園に支店が出来たたんです」

 「愛音さん……」

 「最近隣町のショッピングモールが建てられて、そこの中にあるのが第一店です。ショッピングモールというのはそれだけで人を集める魅了があります。つまりそこの中に構えれば……」

 「自然とお客様が入る……」

 「はい。ですがまあスフィールはそれだけじゃないんですけどね」


 そう言って彼女はテレビの方へと視線を移す。

 僕も視線をそちらへ移すと、そこには愛優さん達とそれほど変わらない容姿の金髪の女の子がインタビューに対応していた。


 「彼女の名前は橘久怜羽たちばなくれはと言います。なんでも愛優さんと同じ年齢ながらパティシエ界では有名だそうです」

 「つまりその……橘久怜羽さんとショッピングモールの件とか色々重なって……」

 「……ですが、それはあくまでも原因の一つでしかないんですけど」



 ……それから何人かは来たもののケーキの売れ行きは微妙なカタチで閉店時間を迎えた。


 (これは本格的に考えないといけないかな……)


 少ないのはわかってはいたが予想をはるかに上回っていた。


 (確かにこれはスフィールが出来たからというわけでは無さそうだ)




 「みなさんお疲れ様でした」


 閉店作業を終わらせた後、一度みんなで集まる。


 『お疲れ様でした』

 「今日も、売れ残ってしまいましたが、それでもめげずに明日も頑張りましょう」


 こういったところでは、やはりオーナーである愛音さんが進行していた。

 しかし、彼女……いや愛音さんだけではなく、僕を含めた全員が少し暗い表情になっていた。


 「とりあえずあちらの方へ行きませんか? 僕もうお腹ペコペコで……」


 僕はお腹を抑える。無理やりにでもこの空気を変えたかった。


 「ふふっ。そうですね……では、私は先にお夕飯を作っているのでこれで」


 少し微笑みながら愛音さんは家のキッチンへと向かった。


 「……ソラくん、ありがとうね」


 愛音さんの姿が見えなくなった所で、凛菜さんがそう呟いた。


 「私からもありがとう。ここまで暗い愛音を見たのは私達も初めてで、どうしたらいいかわからなかったから」

 「そうだったんですか」

 「うん、と言ってもこれはみんなの前でって意味で自分の部屋では……」


 これ以上言うのが辛いのか、ここで言葉が止まる。


 気持ちはわかる……僕はここに来て間もないが彼女達は違う。長い間一緒に居る家族のそんな姿を見るのはもちろん、それを語るのも辛いだろう。

 どうにかしたい、その気持ちはかなり強い……しかしどうすればいいのか全く浮かばない自分が歯がゆかった。


 「ねぇソラくん。君までそんな顔になっちゃダメだよ、そんなソラくんを見たらきっとカノちゃんもっと悲しくなっちゃうからさ」

 「すみません……」

 「ううん、これは本来ならソラが抱え込む事じゃないの、こちらこそこんな事に巻き込んでしまってごめんなさい……と、あんまり遅くなりすぎると愛音が心配してこっちに来ちゃうかもしれないから早めにリビングへと向かおうか」

 「はい。そうですね……」


 そう言ってリビングに向かおうとした時。


 「愛優さん、少しいいですか?」

 「うん?」


 僕は彼女を呼び止めた。

 僕の顔を見て何かを察したのか、了承の意を込めて無言で頷く。


 「愛優姉?」

 「あ、うん。凛菜は先に言っててくれる?」

 「? わかった。でもなるべく早めに来てね」


 ……これで凛菜さんもいなくなり、完全にふたりだけになった。


 「……それで、何が聞きたいのかな?」


 いつでもリビングに戻れるようにすぐ近くの壁に寄りかかる。


 「単刀直入に聞きます。僕が聞きたいのは今のところ一つです、スフィールの影響があるのはわかりましたがそれよりも、もっと根本的というか……ここまで人が入らない理由があるんじゃないかって」

 「……どうしてそう思うの?」

 「愛音さんが原因の一つって言ってたので」

 「なるほどね。ま、別にこれも後々言おうと思ってたけど……このお店、スイーツエンジェルは一度休業したんだよ。丁度一年前にね」

 「でも今はやってますよね?」

 「それは……みんなで話し合ってやっぱりスイーツエンジェルが休業のままは嫌だってなったから。休業する前は人がたくさん来ていたからね〜、また開けば沢山来てくれるって思ったんだけど」

 「なるほど。……ちなみにですが、学校の日もやってたんですか?」

 「それはもちろんだよ。とは言っても学校から帰ってきてからだけどね」

 「うーむ」


 僕は顎に手を当て考える。

 少しすると、もしかしたらこれは宣伝不足なのではないか? という結論が出る。

 昔から通っていた人はこのお店のことを知っていたとしても、そうじゃない人だって多い。

 昔は多くとも一度でもいつ再開するかもわからない長い休業に入ってしまうと口コミであそこはやっていないという情報が伝わってしまい、それなら別のところに行こうとなってしまう。

 仮にその事を抜きにしてまた来ようとした時、平日であればみんなは学校に行っているわけだから空いている時間に行ける確率はそこまで高くない。

 そこにスフィールという洋菓子店が出来たものだから、スイーツエンジェルが再開したことを知らない今までの客のほとんどがあちらに行ってしまった。

 と、こんなものだろう。

 つまり今出来ることはスイーツエンジェルの再開を伝えること。

 愛音さん達はチラシとかでやっていたみたいだけどそれは少し古いやり方。

 今の時代に合わせるならアレしかない。


 「ねえソラ……もしかして何かいい案でも思いついたの?」

 「どうしてですか?」

 「なんか面白いイタズラを思いついたような顔をしていたから」

 「面白いイタズラって……まあでも今出来る事で上手く行けばすぐにでも効果が出そうなことは思いつきました」

 「ほ、本当っ!?」

 「はい。と言ってもこれは僕ひとりの力じゃ無理なので何かそういうのに詳しい人とかが協力してくれればいいんですが……」


 真っ先に思いつくのは悪友でもある聡志さとしだ。

 アイツならネット関係に詳しいから環境を整えるくらいはしてくれそうだが、絶望的なほど国語が弱い。

 そして僕もそういったことには自信がない。調べながらやれば抑えるべきところを抑えることは出来るだろうけど、それでは足りない。

 もっとインパクトのあるようなことを書ける人が必要だ。それもスイーツエンジェルかそこで働く愛音さん達にとてつもなく愛しているような人を。


 「えーっと……ごめんね。多分君の頭の中で議論しているせいか私には全然情報が伝わってこないの」

 「え、あっ。ご、ごめんなさいっ!」

 「ううん、別に謝る必要もないんだけど。私も手伝いたいから教えてくれると嬉しいなーって」

 「そ、そうですね。こほん、では簡単に説明すると──」


 僕は自分の考えとそれに必要な技術を持っている人に心当たりがないかなどを説明する。


 「なるほどねぇ、確かに君の言う通りだね」

 「はい。チラシは確かに長い目で見れば効果はありますがやはり受け取ってくれない可能性も高く、その場合結局スイーツエンジェルのことはわからないままなので」

 「だからこのインターネットが普及している現代ではチラシなんかよりもSNSとかを使って宣伝した方が効果が出るってことだね」

 「その通りです。ですが例えSNSで宣伝したとしてもやはりインパクトというか人の目を引くような記事は必要です。抑えるところだけ抑えるくらいではチラシより少しいいかなって感じで終わってしまうと思うので」

 「それと、最初の記事は確実に目に止まるようにしたいんです」

 「それはなんでかな? 悪いところを少しずつ変えるとかじゃダメなの?」

 「はい。理由としてはまずは初めて見たものには興味を示すけれど二度目は興味を示さないことが多いからです。次に一回目が微妙だと次が良い記事だとしても前回の悪いイメージがついてしまっているので中々そのイメージを変えることが出来ないんです」

 「まさに最初が肝心ってやつだね」

 「はい。なのでそういったことが得意な人がいたら……と考えているんですが」

 「……もしかしてあの人なら」

 「誰か心当たりでもあるんですか?」

 「うん。確証は無いけど……出来るかもしれない人なら──」





 それから僕達がリビングに着くと、既に夕飯の準備が出来ており、愛音さんも完全とは言わないが元気を取り戻していた。

 それを見て僕達も少しは気が楽になった。


 ──そして夕飯も終わり、それぞれが自室へと行ったなか僕は、愛音さんが食後にいれてくれたコーヒーを飲みながら一息。するとそこへ愛優さんがやって来た。


 「隣座ってもいい?」

 「は、はい。どうぞ」

 「ありがとう、じゃあ失礼して……よいしょ、っと。……そんなに愛音のコーヒー気に入った?」

 「えっ?」

 「だってソラ食事の時以外、基本愛音がいれたコーヒーばかり飲んでるんだもん」

 「そういえば、そうですね。あまり気にしてませんでした」


 気付かなかった……確かに言われてみれば朝にコーヒーを頂いて以来、食事の時以外に、飲む物といえばずっと愛音さんがいれたコーヒーを飲んでいた。

 まさかここまでハマってしまっているとは……。


 「あのねっ、私も紅茶なら少しは自信があるんだ。流石に愛音がいれたくらい美味しいわけではないけど……どう、かな?」

 「それは……愛優さんのいれた紅茶も飲んでみたくなりますね」


 愛優さんが少し上目遣い気味に言うので、僕はドキリとしてしまった。


 「そ、そうっ! じゃあいれてくるから少しそこで待っててねっ」


 そう言い残し愛優さんはキッチンへと向かった。

 その時、愛優さんの横顔がちらりと見えた。それはかなり嬉しそうな表情をしていた。


 「よっぽど紅茶をいれるのが好きなのか……これは楽しみだなぁ」


 程なくして、僕の前に紅茶が置かれた。僕は紅茶に関しては余り詳しい訳では無い、かと言ってコーヒーなどに詳しい訳でもないが……何故かはわからないけれど、香りだけでこの紅茶はかなり美味しいと断言出来る。


 「それでは、いただきます」


 僕は紅茶を少し口に含む。その瞬間紅茶の味が口いっぱいに広がる。


 「……美味しい。かなり美味しいです」

 「お世辞でも嬉しい、ありがとうっ」

 「お世辞なんかじゃないですよ! 僕の姉さんも時々いれてくれますが、正直姉さんの紅茶より美味しいです!」


 僕があまりにも食い気味に言ったのが、可笑しくなったのか愛優さんは口に手を当て上品に微笑んだ。


 「あ、お風呂はもう出来ているみたいだから好きタイミングで入っていいよ。でも誰かが入っていたら一応入っていいか確認してね」

 「他に人が入っていたら確認を取るまでもなく引き返すので大丈夫ですよ。じゃあ僕はお風呂空いていたらいただきますね」

 「うん。私はさっき言っていた人のところに行ってくるね」

 「確か……」

 「奈美なみさんだよ♪ ついでに頼んでいた君の服も撮りに行っちゃうから」

 「すみません色々と」

 「いいのいいの。これが今の私に出来ることだからさ」


 そう言って僕は風呂場へ、彼女は奈美さんという方元へと向かった。



 「……愛優さん」

 「かの、ん?」


 玄関まで行ったところで声をかけられた私は思わず手が止まる。


 「もしかしてさっきの話聞いてた?」

 「はい」


 私がそう言うと愛優さんはため息をつくと、お店から出る前にした会話の説明を始めた。





 「ふぅー」


 お湯に浸かると、自然とおっさんみたいな声が出る。


 今日は新しい発見と今の問題を直視出来た……それはいいのだが、これは本当に思っていたより深刻だ。

 試食などをしてみた感じ、味の方は問題ないと言うよりみんなに広めたいくらいだ。しかし何故か人気が出ない。


 「スフィール……か」


 隣町に新しく出来たショッピングモールの中にある店の話が頭に浮かぶ。

 隣町だから気軽に行ける上に、ショッピングモール内にあるため買い物ついでにも行ける。

 そして何よりも有名なパティシエもいるだけあって知名度が圧倒的に高い。


 「流石にスフィールと同じくらいってのは高望みしすぎかな」


 何かスイーツエンジェルだけのイベントを開催出来ればそれだけで宣伝になるんだけど。

 ……まあこれはまだ早いか。開催するにもお金がかかるし、それに今の状況だと宣伝になっても実際にお客さんが来てくれる保証がない。


 「結局僕に出来ることなんてあまりないんだな……」


 クッキーが上手いとか掃除が出来るとか色々褒められたけれど、結局最後は自分の力ではなく他人の力になっている。


 「はぁ……」


 沈みそうな気持ちを少しでも上げようと風呂場の天上を見つめた。

 すると、トントントンと扉を叩く音が。

 誰かがやって来た……と言っても多分シルエット的に愛音さんだろうけど。


 「はい?」

 「湯加減はどうでしょうか?」


 予想通り声の主は愛音さんだった。


 「丁度いいですよ。もしかして愛音さんまだ入っていなったですか?」

 「はい。まだですが……」


 これは不覚。お風呂は一番最後に入るつもりだったのに。

 あ、いや別に女子中学生三人が入った後のお風呂のお湯で何かしようってわけじゃないよ? くれぐれもそこの所勘違いしないでよねっ!

 ……と、それよりもまだ愛音さんが入っていないなら早めに出るか。


 「僕もうすぐ出るので少し待っていてください」

 「いえ、大丈夫です」


 僕の言葉に対して意外な返事が返ってきた。


 (大丈夫? 何が大丈夫なのだろう……)


 しかしその疑問はすぐに解決した。それも意外な形で。


 「──って、あれ? 愛音……さん?」

 「どうしました?」

 「いや、どうしたのではなくてですね……何をしているんですか? 僕から見たら服を脱いでるようにしか見えないんですが、と言うより脱いでますよね? 脱いでますよね?」


 そう、大丈夫とはそういう事だったのだ。つまり……。


 「は、はい。今日も一緒に入ろうかなと思いまして」


 こういう事だ。一緒に入る……これは社会的に見たら大問題だ。

 誰だかわからないけどそこのあなた、110番押すのやめてください僕が社会的に死んでしまいます。

 止めようと思ってもね、僕全裸。この状態で彼女の前に出て、脱ぐのを止めさせたら本当に捕まっちゃう。

 かと言ってこのまま彼女が入るのも不味い……。こうなったら。


 「あ、あの愛音さん」

 「はい?」

 「僕何も巻くものとかも無いですので」

 「今日はちゃんとタオル二枚持ってきたから大丈夫です」

 「なんてこったい……」


 全ては計画通りってか……。というかこれ本当に大丈夫なの? こんな事で捕まるのは嫌だよ?

 しかし僕のそんな思いとは裏腹に事態はどんどん進行していく。


 「では失礼します」

 「愛音さん待って! まだ入るのは待ってくださ──」


 彼女がはいってきたと同時に壁を見る。何だろう昨日と同じ事を繰り返している気が……。


 「って、あれ?」


 その時、電気が消えた。


 「これなら、恥ずかしさも減ります、よね?」


 停電かな? そう思ったがどうやら愛音さんが消したらしい。と言うか恥ずかしいと思うなら最初からやらなければ、既に遅いけど。

 しかし電気を消すとかなり暗くなる。窓から月明かりが差し込みお風呂場を照らす。


 「あの、愛音さん。愛音さんがなんとなくそこにいるのはわかりますが、ほとんど何も見えないんですが……」

 「見えにくくするために電気を消したんですが……」

 「いやいやいや! だってタオル巻いてるって言ってたじゃないです……か」


 そこで嫌な予感がした。まさか巻いてない……なんてことは無いよね?


 「確かに二枚あるんですが、一枚はとても小さいので……その、隠しても見えてしまいそうなので」

 「見えっ!?」

 「それより今日もお背中を流したいのですがよろしいですか?」

 「えーっと、それどころじゃないですよね? それに暗くてよく見えないから上手く椅子に座れないですし」

 「そこは大丈夫です。私がちゃんと誘導するので」

 「いやしかしですね」


 流石にこれは不味いんじゃないか?

 そう思うものの、彼女も好意でやってくれているわけだからそれを無下に出来ない。

 それにこのままだと愛音さんが風邪をひいてしまうかもしれない。えぇーい仕方ないこれなったらやるしかない。

 みんなには重ね重ね言っておくが、僕はロリコンでは無いからな? これは本心からしたいってわけ……では、ないぞ? 確かに嬉しいけど! でも僕はロリコンじゃないからね!!?


 「……わかりました。では、お願いします」

 「はいっ♪」


 心なしか愛音さんは楽しそうだった。

 僕が椅子に座ると愛音さんは昨日よりも手馴れた手付きで泡を立てる。

 そういえば僕からは見えないけれど、愛音さんからはちゃんと見えてるのね……あ、言い忘れたけど出る前にちゃんと僕はタオル付けたからね?


 「それじゃあいきますね」

 「はい」


 彼女の小さな手が僕の背中に触れる。

 そのまま手を動かしたところからどうやら手で洗ってくれるみたいだが。

 どうしてかこれが中々に気持ちがいいのだ。

 普段固めのタオルでゴシゴシやっているのだが、愛音さんの小さくて柔らかい手のひらは優しく丁寧に洗ってくれる。

 肌が弱い人はタオルは使わないと言ってたけど、これに抵抗がないということは愛音さんもそのタイプの人なのかもしれない。


 「どう、ですか?」

 「とても気持ちいいです」

 「それは良かったです。昨日は大変だったのでやり方を変えたんですが」

 「うん、全然大丈夫だよ」


 会話をしながらも手を休めない愛音さん。これは癖になりそう。

 これは至福の時間だ。こんな時間がずっと続けばいいのに、そう思わずにはいられないほど。


 「……ソラさん、一つ聞いてもいいですか?」

 「はい?」


 突然彼女の手が止まる。

 その時、窓からの月明かりが強くなり鏡に映る彼女の表情がはっきりとわかるくらいまで明るくなった。


 「……愛音、さん?」

 「えっ? あ、ご、ごめんなさい……これは違うんです……」


 月明かりによって鏡に自分の顔が映ったことで焦ったのだろう、目元を優しくこする。

 彼女は涙を流していた。


 「……もしかして無理させちゃってた?」


 しかし彼女はゆっくりと首を横に振る。


 「そういうことでは……ないんです……。こんな状況なのに何も出来ない自分が悔しくて……。どうして私はこんなにも非力なんでしょうか、どうして私はあなたや愛優さん達のように今の自分に出来ることが出来ないのでしょうか……」


 今までの苦しみや悔しさを全て吐き出すように、涙をぽろぽろと零す。


 (……違う。僕がしたいのは彼女を泣かせることじゃない。僕が見たいのはみんなが笑っているところなんだ)


 「僕は立派だと思うよ」

 「ソラ、さん?」


 僕は彼女の手を取る。


 「だって愛音さんはずっと頑張ってきたんでしょ。どんなに辛い状況でも、笑顔を作ってでも、前に進もうと必死に頑張ってきたんでしょ?」

 「そうですけど、でも結果は……」

 「結果なんてまだわからない!」

 「えっ?」

 「確かに今の状況が続くのなら悪い結果で終わる……と、思う。でも僕は絶対にそうはさせない」

 「ですがもう……」

 「諦めたらそこで全部終わりだよ」

 「っ!?」

 「僕は逃げたり諦めたりするのは別に悪いことではないと思ってる。だってそれも一つの選択であり、選択したということは色々と悩んだ結果その選択を選んだってことだからね」

 「ですから私は……スイーツエンジェルを」

 「だけどその選択をするのは今じゃないよ」


 僕は真っ直ぐ彼女の瞳を見つめる。

 吸い込まれそうなほど大きな瞳には今までにないほど生き生きとした自分が映っていた。


 「ソラさん、一つ聞いてもいいですか?」

 「うん」

 「どうしてそんなに強いんですか。お店がこんな状況なのに……普通なら見捨てられてもおかしくないくらいなのに」

 「恥ずかしいけど、本音を言うとみんなの笑顔が見たいから、かな」

 「私達の笑顔ですか?」

 「うん。可愛いみんなには可愛いままでいて欲しいからね」

 「か、可愛い!?」


 月明かりのみでよく見えないはずなのに、耳まで真っ赤になっているのがわかる。

 ……だけどこれは本心なのだから仕方ない。


 「成功した時に得られる本当の喜びは失敗した者にしかわからない」

 「ふえっ?」

 「なんだか名言っぽくなっちゃったけど、僕はこう思ってるんだ。だから今まで失敗だらけだったとしてもここで成功させて心から喜びたいなって……」

 「私も今ならそう出来たらいいなと思います」


 彼女の顔にはもう涙は無い。

 あるのは希望に満ちた素敵な笑顔のみ。


 「落ちるところまでは落ちました。あとは上に登るだけ」

 「うん、その通りだ。もう十分に失敗した、だから次は成功するだけだよ」

 「はいっ!」


 手を取り合いこれからの頑張りを誓いあう。

 ……お互いが不安定なタオルでからだを隠していることを忘れたまま。

 運命の悪戯というものは本当に恐ろしい。

 小さい方のタオルを使っていた彼女のタオルは呆気ないほど簡単に役目を終える。


 「──っ!? か、愛音、さん?」

 「どうかしましたか?」


 もちろん月明かりのみのお風呂場なので運がいいのか悪いのか、彼女の大切な部分はしっかりとは見えない。

 これが唯一の救いだと思っていたのに。

 突然お風呂場の電気が付けられる。

 唯一の救いがなくなり、同時にお風呂場の扉が開かれる。


 「……あれ、二人共なにやって──えええええええぇぇぇ!?!?」


 入ってきたのは全裸の愛優さん。

 やはり三人の中では一番お姉さんなだけあって、色々なところの発育が……いやいやいや! 何を考えているんだ僕よ!

 結果がどうだったのかとかあの柔らかそうなおっぱいとか色々気になるけれど、今はそれどころではない。


 「あ、ああ、あわわ……そ、そら、さん……」

 「えっ、あっ! ご、ごめん!」


 全裸の愛優さんから視線を外そうと正面を向いたのが悪かった。

 タオルが落ちて幼児体型の透き通った白い肌が晒された愛音さんの顔は先程よりも赤くなっていた。


 「ソラさん、その、タオルを取りたいので手、離してもらってもいいですか?」

 「そ、そうだよねっ」

 「ありがとうございます」


 手を離すと自然な流れで自分の慎ましやかなちっぱ……胸などを隠す。

 何が何だか理解が追いついていない愛優さんは入口で固まったまま。


 「じゃ、じゃあ僕は先に出るから……本当にありがとね」

 「は、はい」


 僕は愛優さんの横を抜けてそそくさを着替えを済まして、脱衣所の扉を閉めた。


 『きゃっ、きゃあああああああああああああっ!!!!』


 同時に二人の美少女の悲鳴があがる。


 「本当にごめんなさい!」


 見えないながらもその場で土下座する僕。

 スイーツエンジェルの事もそうだけど、私生活の方でも色々と大変そうだなと改めて感じた潮乃夜空だった。

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