第2話『探索』-3

「――これは酷い」

八甲田山中・大岳。数日前に大事故が起きたばかりの山中へ足を踏み入れた捜索隊は、目の前の惨状に唖然とする。

大岳の中腹、登山道脇に存在する避難小屋が、辺りの木々もろともに潰されていた。

冬季に深く降り積もる山雪にも耐え続け、長年登山客らの休憩地点として親しまれてきた木造の避難小屋。しかし、今やその姿は見る影もなく、無造作に叩き潰されたかのような姿を晒すばかりだった。

「隊長」

「木村か。どうだ、山頂のあたりは」

山頂方面から降りてきた部下が、捜索隊隊長に報告する。

「捜索対象者は発見できませんでした。…ただ」

「どうした」

「この一帯の電波障害ですが。山頂近辺が特に酷いんです」

「山頂?…火山活動は電磁波発生を伴うというが、局所的に強まるというのは…」

木村と呼ばれた部下がふと思い出したように言う。

「…県警の方が捜査してるあれが絡んでるのかもしれませんね」

「異生物の話か?全高二メートルほどの人食い花だと聞いてるが」

「大人一人くらいの身の丈の奴が、こんな事をやれるようには思えませんが」

部下は叩き壊された避難小屋に視線を向ける。残骸の中心部分には、太い柱が圧し掛かったような凹んだ跡が見て取れた。

「俺たちはひょっとして、人間が立ち入っちゃいけない領域に、土足で踏みこんでいるんじゃないでしょうか」

「何だと?」

「あ、いえ…すみません。何故か、そう思えてしまって」

「…いいか、木村。仮にそうだとしても、この現状を黙って見ているわけにはいかない」

隊長は肩から提げた小銃を担ぎなおす。

「この山から街まで、車なら1時間もかからん。仮に異生物がいたとしても、それが人を襲うならここで仕留めるほかはない。そのために俺たちが派遣されたんだ…肝に銘じておけ」

部下は青ざめた顔のまま返答する。



「――思い出した」

 川島が顔を上げた。

「奴の体の表面、何か青白い光が走っていたんです」

「光?」

「花びらを開いたときも、なんだか妙だった。ぴっちり閉じた殻に光が走ったんですが、こう…まるで、無理矢理光で焼き切ったみたいでした」

「まるで溶接だなぁ…」棟方班長が驚いたような声色で呟いた。

「溶接?いや、まさか」その言葉を受けて、津島は何かに気付く。

「その光、高圧電流の類なのか?」

「単純にアーク溶接とかと一緒くたにするのは、色々無茶があるかとは思いますけど」櫻井はそう前置いてから続ける。「でも、そう考えるならEMCSの反応にも一応の仮設が立てられますね」

「このパターンの発生源が、高圧電流…」川島は眉をひそめながら可視化チャートを見つめる。

「仮に本当だとするならこんなに恐ろしいことはないわ。銃弾を簡単に跳ね返す甲殻で覆われた体と、それを放電で溶断するほどのエネルギーを備えた生物。そんなものが実在して、なおかつ人に明確な敵意を向けているかもしれないなんて…」

「しかしまあ、それだけの相手に直接殴りつけられて生還するなんて。君たちは余程の幸運の持ち主だったらしいな」と棟方班長。

「……ちょっと待って」

櫻井はハッとした表情になり、PCのディスプレイに向き直る。

「先日の観測時から、EMCSのリアルタイムチャートは強磁場反応を依然としてキャッチし続けているんです。…もし、あの夜にあなた方を襲った個体以外に山中に潜んでいる異生物がいるとしたら」

「…捜索隊が危ない」そう口にした棟方の顔は、一転して深刻だった。



小屋から離れたポイントの捜索中。捜索隊長の目の前で、部下が体をびくりと大きく震わせ、その場に崩れ落ちた。

「……木村?」

隊長が呼びかける。返事はない。体には一切の力が込められていないようだった。見ると、部下の腰に、何かが巻き付いている。隊長が近くで見ようとしたその時、紐のようなそれはするすると腰から外れていき、何かに巻き取られるように脇道へと逃げていった。

隊長は訝しみ、黒い紐を追跡する。地面を蛇のように這っていった紐は、やがて深い茂みの中に消えた。

隊長は茂みを押し分け、内側を覗きこむ。

――黒色の蕾がそこにはあった。

直径2メートル弱はあろうかという紡錘形の蕾が、茂みの奥に鎮座していた。。

部下の木村に巻き付いていた紐のようなものが、蕾の中に収められていく。

「――黒い、花!」

周囲の捜索隊員を呼び寄せて対処に当たろうとしたその時、隊長は違和感を覚えた。足元が小刻みに震えるような感覚があったのだ。徐々に足裏から伝わる振動は大きくなり、地響きを立て始める。隊長は思わず膝をついた。

直後、黒い蕾が周囲の地面を巻き込んで隆起を始める。土中に隠れていた蕾の下部には、奇妙な構造物があった。倒れ込んだままの隊長の眼前で、構造物は全体を震わせ土を落としながら、折り畳まれていたパーツを展開していく。

現れたのは、太くしなやかな四本の脚を備えた胴体だった。

大地をしっかりと踏みしめた構造体が体を震わせると、内側から更なるパーツが蠢動しながら現れた。

内側へと縮められ収納されていたのは、一対の眼を備えた鼠のような頭部だった。

巨大な蕾を背負った黒い獣が、その全容を現した。

周囲を見渡すように動いた頭部はやがて、山麓側のある一点に視線を定める。

獣が吼えた。機械的なノイズに似た、耳障りな音が周囲に響き渡る。

「退避だ!退避!急げ!」

隊長が周囲に飛ばした指示は、獣の放つ雑音に掻き消された。

黒い甲殻で守られた鼻先から、細く伸びた尾の先端まで、獣の全身を一瞬のうちに青白い輝線が駆け抜ける。

立ち上がりながら必死に後退する隊長を追うかのように、黒い脚部は大地を強く蹴り込んだ。



PCのスピーカーから、アラート音が鳴り響いていた。

「何が起きてるんだ?」

EMCSチャートは急激に変化を起こしていた。先ほどまで大岳近郊で揺らめいていた円形パターンは、その円半径を急速に拡大しながら徐々にその中心位置を北側へと移動させていた。

「おい、待て。これが異生物だと?この間のものよりも反応が大きいぞ」

「いや、それよりも。…この動き。まさか!」

櫻井は焦りの混じる声を漏らす津島と川島には目もくれず、EMCSチャートを食い入るように見つめていた。

「――恐らく、そのまさかよ。電磁波発生源が山を下り始めている。市街方面に向かっている!」



「何が、小型の生物だ…話が違うじゃないか…!」

小銃を構えながら後退する捜索隊長の眼前で、部下たちが体を大きく捻じ曲げながら吹き飛ばされていく。

「全高2メートル?小型の個体だと?…ふざけるな!いったいこいつの、…何を、見間違えたら!」

引き金を引くとともに、小銃が火を噴いた。しかし猛然と迫りくる黒い壁に命中した銃弾はその甲殻に少しも食い込むことなく、硬質な音を立てながら弾かれていく。

高速で襲い来る影が隊長の視界を覆い尽くした。前面からの衝撃。体内が爆発するような感覚が最後にあった。

進路上にいた捜索隊員のことごとくを屠りながらもなお、巨体は一向に前進を止める兆しを見せない。巨岩のごとく斜面を突進し、駆け下りる。

やがて駐車していた自衛隊車両群を軽々と撥ね飛ばし引き裂いた獣は、野兎を思わせる軽やかな動きでさらに助走をつけ、やがて大きく跳び跳ねた。




「…ありゃあ、何だ?」

大岳から離れた八甲田山麓。雲谷キャンプ場の小高い丘で、一人の従業員が異変に気付く。

「なした、英ちゃん」

「いや、何か山側で見えませんか?なんかが…飛んでくるような」従業員は空を指さしながら首をひねる。

「あぁ…わ、最近目悪いはんでの。わからん。カラスか、トンビでねえが?」

「カラスだって?」

異変に気付いた従業員は、ベテランの高齢作業員が発した言葉に疑問を抱きながら再び空に目を凝らす。

「……そんなわけあるか。カラスはあんなにでかくないし、脚も生えてない!」

「足ィ!?」

空中の黒点は見る間に大きさを増していき、キャンプ場へと迫る。



やがて唖然とする二人の目の前で、漆黒の影は丘陵へと落着した。

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