第2話『探索』

第2話『探索』-1

「――以上が、事件当夜に私が見たものです」

川島織花おるか巡査はその一言で報告を締めくくった。

大岳の事件から二日が経ち、青森署では関係者を集めた緊急の会議が行われていた。川島の報告が終わるや否や、会議場の中を困惑のどよめきが包んだ。無理はなかった。

「津島巡査長」金の階級章を付けた男が、津島のほうを見やる。「君は彼と行動を共にしていたそうだが。彼が話した内容は本当なのかね」

「間違いありません。私もこの目で見ています」津島は包帯の巻かれた右手を示す。「川島巡査と私の負傷は、ゴールドラインにて遭遇した識別不明の存在によるものです」

「つまり君たちは、――何だね。八甲田山中に人を襲う怪獣の類がいて、さらにその怪獣を素手で倒す民間人が現れたとでも?」

「ええ」川島が答える。「僕は、――失礼、私は、はっきりと見ました。黒色の花に似た、異生物です。そうとしか形容しようがない」

「…ふむ」報告が終わってからただ一人無言を貫いていた署長が、口を開いた。

「川島巡査。現状、君の言う異生物…か。それに関する証拠については、まだない。すまないが、山中の捜索を引き継いだ陸自が何かしらを見つけてくれることに期待してくれ」

「我々が大岳に再び赴くことは。不可能ですか」

「現時点で大岳における捜査等は全面的に中断された状態にある。自衛隊による行方不明者の捜索を優先するためだ。我々としても現場にて事実確認を行いたいが、こればかりは如何ともしがたい。焦る気持ちはわかるが、わかってくれ」

それと、と署長は続ける。「君が同じく現場で目撃したという民間人。これも我々にとっては重要な案件だ。――いや、これについては判断が難しいところなのだが」

署長は傍らの警官に目配せをする。警官がノートPCを操作すると、程なくして会議室のスクリーンに映像が出力された。

「市内各所の定点カメラ映像の中に、事件当夜不審なものが映っていなかったか調査するように指示を出していた。で、その結果。一点だけだが異常が確認された」

 映し出された画面の中、マウスポインタが動いた。

「異常を確認した撮影ポイントは県道44号線、新総合運動公園前の地点。日付は事件当日の10月28日、20時40分前後だ」

 暗がりの中、街灯に照らされたアリーナ会場のアーチ屋根が浮かび上がっている。それ以外に映像に目立ったものはなく、夜間撮影によるノイズと時折通過する自動車以外には動くものも見当たらない。

「…そろそろだ」

 署長が口を開いた直後、画面左上から小さな影が飛び込んできた。影は車道の路面に一瞬脚をつけたかと思うと、次の瞬間には勢いよく跳び上がったかのように上方へとその姿を消した。着地したと思しき地点には、ひび割れたアスファルトが残されている。

「…隕石?それとも落石か」

「バカな、石や岩があんなに弾むものかよ」

「明らかに地面で体勢を変えている。小動物の類だろう」

「あんな高さから落ちてくる犬や猫がいますか」

会議室内を困惑の声が飛び交った。署長はさらに続ける。

「見てくれた通りだ。今の箇所を拡大してスロー再生した映像が、これだ」

 画面が切り替わる。先ほどよりもノイズの粒子感が強い映像が、コマ送りで流れ出した。先ほどと同じように、影が映り込む。川島の眼は解像度の荒い画面の中に、その姿をはっきりと捉えた。


 そこにはあの夜現れた少女が映っていた。輪郭こそブレていたが、赤いドレスに似た特徴的な服装は確かに川島の命を救った少女に他ならなかった。

 少女は空中で体勢を変えて着地したかと思うと、次のコマに切り替わるころには既にその姿の半分ほどを映像のフレームの外へと隠していた。映像に移り込んだ影の正体が人間らしいことに気付いた警官たちは一様に息をのんだ。

「巡査」署長がおもむろに口を開く。「この人影と、君が大岳で見た民間人。何か関連性を感じるかね」

「おそらく、同一人物であると考えます。服装・髪型などの特徴が現場で目撃した人物と一致して――」

「それはあり得ない」川島の二つ隣りの椅子に座る髭面の警官が被せるように言った。「先ほどの証言が正しければ、君たちは20時43分頃に大岳山中にて当該の民間人を目撃したはずだ。この映像と君の見た人物が同じだとすれば、この人物は撮影ポイントから大岳山麓までの30km以上の距離をわずか3分間で走破したことになる。――500km。そんな速度で移動できる生物などいるはずがない」

「菊池巡査長。確かにもっともな意見なのだが――こちらの件については、裏付けがある」

 署長がPCの前に座る警官へと視線を送ると、スロー映像と入れ替わりにスクリーンに一枚の写真が映し出された。

「現場で撮影された写真だ。撮影時刻は事件当夜の20時45分。大岳にて津島巡査長らが襲撃を受けたとされる時刻、その数分後に酸ヶ湯温泉にて撮影された」

「…信じられん」菊池と呼ばれた警官がぼそりとつぶやいた。写真の中では、車のドアらしき枠の向こう、漆黒の闇の只中でケープをひるがえす何者かの背中が確かに写り込んでいる。

「撮影者は誰です」と津島。

「警察車両の中にいた少年だ。事件当夜に持っていたインスタントカメラにて撮影したらしい。この一枚が撮られた直後、写っている人物は跳躍してその場から消えたとのことだ」

 川島には撮影者に心当たりがあった。おそらく、大岳到着後に保護した少年のことだろう。川島は少年と交わした約束を思い出す。…彼は、無事に両親のもとに辿り着けただろうか。

「この大岳に現れた人物についてだが、我々としては今回の事件の重要参考人として事情聴取を行う必要があると判断している」署長が会議場の面々を見渡しながら言葉を紡ぎ出す。「しかし同時にこの人物は明らかに、異質な存在でもある。津島巡査長と川島巡査、そして複数の生存者が証言している黒色の異生物同様、その身体能力が人間の常識をはるかに上回っていることは確かだ。この人物を、単なる民間人として扱うのは極めて難しいと言えるだろう」

 そこで、と署長は切り出す。

「近日中に、この人物の身辺調査と身柄確保、並びに山中の識別不能存在についての調査・各種対策を目的としたチームを発足させるつもりだ。初期人員は刑事部各課から選抜、配属してもらうこととなる。なお本件については後ほど、詳細をまとめた資料を改めて各部署へと配布する」

 急な事態ですまないが確認を怠らないように、との言葉で会議は締めくくられた。

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