第1話『出現』-3

 麓の方角から鳴り響いた爆音と立ち上る黒煙は、酸ヶ湯温泉一帯でも確認された。パトカーの中の少年と警官も、その耳慣れない音に反応して顔を上げた。温泉一帯を囲む木々に遮られてその実態は見えなかったが、漂い始めた特有の臭気で今しがた何が起こったのかの見当がついた。

 「川島」警官の背中から、駆けてきた大柄な体格の男が呼びかけた。

 「急いで山を下る。俺と来い」

 「なぜです。まだ山中の捜索は途中なんじゃ」

 「山を下りたはずの救急車両数台が、搬送先に到着していない。地域住民の証言からすれば、山中で立ち往生している可能性が高い。現場にいる俺たちが動くしかない」

 「捜索ですか。でも救急車両の後に下山した車がいたでしょう、キャンパーの。異常があるなら彼らが一報入れるはずだ」川島と呼ばれた警官が疑問を口にした。

 「考えられるのは二つだ。そいつらの眼に入らないところにいるか、もしくは全員まとめて何かに巻き込まれたか」

 大柄な男は遠方で立ち上る黒煙を見やる。

 「どちらにせよ気分のいいものじゃなさそうだ」

 「行きましょう。車は」

 「俺のを使う」

 川島は頷き、辺りを警備していた他の警官に少年の安全を確保するよう頼む。小走りにパトカーから離れる二人を少年が見つめていた。気付いた川島は走りながら右手を軽く上げて、微笑む。

 

 「花だと?」助手席に座る津島哲司班長が、大柄な体を車に揺られながら言った。

 「ならこの事件の犯人はこの山の植物とでも言いたいのか、その坊やは」

 「彼は見たものをそのまま話してくれたはずだ。嘘はないと思います」と川島。

 津島はありえない、と返す。「その子の見た記憶が客観的な事実と同じとは限らんぞ。恐怖やショックで記憶の混乱が生じたという可能性は」

 「もちろん、否定はし切れません」車がカーブに差し掛かる。ハンドルをきりながら川島が答える。

 「ですが、どんな証言であれ何らかの手掛かりにはなるはずです。犯人そのものを見たのではないと考えれば納得も行くかもしれない」

「例えば?」

「凶器です。彼は黒い花を見たと言っている。津島さんの言う通り、もちろん植物はひとりでには動きません。犯人が手に持っていた何らかの凶器が、彼には花に見えてしまったと考えるのが妥当でしょう。…具体的な想像はつきませんが」

「新しい可能性を提起できただけでも大きな前進だ。しかし花に見える凶器か。一体なんだ?特注のナイフか何かか」

 「仮に凶器が刃物だったとすると、被害者の体にできた痣についての説明がつきませんよ」

 「転倒してできた傷か…いや、複数の被害者に共通してできた傷がそんな単純なものなわけはないか」津島は腕を組みながら続ける。「夜が明けてからの再捜索を待つことになるかもしれん。夜間の山中だ、どうしても限界はあるし、危険も伴う。極めて稀なケースの事件だ、一度状況を整理する必要もあるだろう」

 「一度署に戻るということですか」

 「おそらく、そうなる。救急の捜索が終わり次第だが」

 「捜索か。この状況で見つけられたら奇跡ですよ」

 津島はドアの外を眺める。津島の顔の映り込む窓の向こう、遠方の木々が暖かな色あいの光を纏って揺れている。おそらく先ほどの爆音で起こったものだろう。

「とにかくできるところまでやろう。限界になったら酸ヶ湯に引き返して別ルートで山を下りる、いいな」

 川島はだまって頷いた。炎に沈みゆく山中をスカイラインが走る。

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