第1話『出現』- 2
同時刻、八甲田山と青森県の市街地を結ぶ主要道の一つ、八甲田ゴールドラインを一台のワゴン車が走っていた。人通りの少なくなった山間の道を、ワンボックスはかなりの速度で駆け下りていく。車内では10代後半と思しき少年たちが、恐怖に引き攣る顔で叫びをあげていた。
「もっとスピード出せって!」
「これが限界だ!速度が上がらねえ!」運転席と助手席に座る二人が怯えたような声色で言い合う。ひどく気が動転しているらしい運転手の少年は握ったハンドルを忙しく左右にきり続ける。その度に三人が乗ったワゴン車は蛇行し、車内を揺らし続けた。
「無理だ!無理だろ!こんなんじゃあいつがぁ!」
後部座席の少年がリアウィンドウの向こうを覗きながら悲鳴を上げた。窓の向こうには異様な輝きを放つものが蠢いていた。猛スピードで過ぎ去っていく山間の景色の中、その物体は無数の脚のようなものをせわしなく動かしながら、着実にワゴン車との距離を縮めていく。距離が迫るにつれ、闇に溶けていたその姿がテールランプに照らし出され明らかになっていった。
「来るなっ!来るなぁーっ!」後部座席の少年が絶叫する。光沢のある表面を赤色に輝かせるその物体は、体の表面を複雑に展開させたかと思うとなにかを体内から伸ばしはじめた。テールランプに赤く照らされたそれは、鞭にも似た触手のようなものだった。大きくしなり風を切り裂いた鞭が振り下ろされ、速度を殺さぬままにワゴン車へと叩きつけられる。左上から車体を斜めに寸断する形で打撃を受けたワゴンは、車体を一瞬のうちに大きく凹ませた。左前輪がシャフトごと圧潰する。内側を赤黒く染め上げた助手席ドアが、真上からかかった大きな力で吹き飛ばされた。残された3基の車輪も衝撃でバラバラの方向へと向き、たちまち走行ができなくなる。固定状態になったタイヤがアスファルトに猛スピードで削られていく。やがて、車体左半分をかろうじて運転席側と繋ぎ止めていたトランクルームドアが、不自然な方向にかかった応力を受けて脱落した。一切の支えを失った車体左側は火花と金属音を上げながら道路上を滑走する。やがて縁石に激突した車体はふわりと跳ね上がり、轟音とともに勢いよく道路脇の草むらに叩きつけられた。損傷が比較的少なかった右側部分も衝撃で横転し、ドアを路面に擦りつけながら滑っていく。路肩に到達した車体は生育していた木に叩きつけられ、動きを止めた。
一撃を受けてから車体が大破するまで10秒ほどもかかっていなかった。自動車としての姿を一撃で喪失したワゴンの残骸が、ガソリンをまき散らしながら辺り一面に転がっている。そこへ、触手の鞭を打ち付けた黒い追跡者が訪れた。追跡者は散乱したワゴンの残骸を確かめるように動くと、無数に備わった脚の一つ一つにまばゆい輝線を走らせた。青白く輝く脚部、その足元に零れていたガソリンがほどなくして発火する。火炎は瞬く間に広がり、道路上を火の海に変えた。炎は路肩の高山植物群にも襲い掛かり、車体左側の残骸を巻き込んで恐るべきスピードで燃え広がっていく。周囲一帯は数分で炎上地獄と化していった。
車体右側の運転席に閉じ込められていた少年は、自身の脚に感じる違和感によってようやく目を覚ました。左半分が消失し開放状態となった車内からは、紅蓮の炎に包まれた風景が見えた。そこから容赦なく流れ込んでくる熱風が体を炙り、体内の水分を汗にして急速に奪っているのがわかる。少年は避難を考え、シートベルトに手をかけようとする。極限状態に陥り極端に明晰になった少年の思考は、彼の左腕がどうなったかを一目見ただけで把握させた。右腕は車体が横転した際に骨折したのか、力がほとんど入らなかった。感覚のない両脚に目をやる。圧潰したボンネットに挟まれ、全く動く気配がない。少年は退路が残されていないことを悟り、できるだけ穏やかにことが終わることを祈りながら、熱波で焼かれる眼球を瞼で閉じた。
――――。
――ごぉおおおぉん。
炎の向こう側で、異音がした。野太い風切り音に、細かな風鳴りのような音が混ざったような音。気付いた少年は一度閉じた瞼を薄く開ける。
視線の先、煌々と燃え盛る炎の中で黒い影が蠢いていた。蠢動し、その輪郭をかしゅんかしゅんと鳴らしながら展開する追跡者の姿を、少年の瞳は確かに捉えていた。
――まるで、機械でできた花みたいだ。
そう心の中で呟いた少年の体を衝撃と灼熱が襲い、彼の意識はそれきり途絶えた。
爆発的な引火を起こしたワゴン車の残骸は爆音とともに四散し、ひときわ大きな黒煙を立ち上らせた。
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