第3話 午前七時半 今日はそのまま異世界に行ってくれって?
家に会社からかかって来た電話は午前七時半。家から出かけたとろこの着信に、片方だけ靴を履いたまま玄関につっ立って電話を受ければ、
——はい? 今日も
——案件はまた同じ……昨日説明会やった例のやつ?
——確かに先方のエンジニアの仕様要求に問題あったけど、マニュアル強化でなんとかするってなったはずだよ。
——説明会は無事に終了したよ?
——え? そのあと連絡入ったって?
——僕に連絡つかなかって?
スマホの履歴を見る。昨日の夕方は……異世界でルビーさんと酒飲んでたからな……日本からの電波は届かないからな。終電の時間で帰ってきて、その後……スマホにショートメッセージ入ってるな。といっても、酔って帰ってすぐ寝たから見てるわけないが。
——ともかくすぐ向かってくれって。あっ……ちに?
僕は。家から直接、
今入ったのと同じようなエントランス。その脇にある更衣室で異世界に合わせた魔法使いのような服装に着替えれば、そのままいそいでビルを出て、大慌てでルビーさんの待っていると言う
数ブロックはなれているだけのそこには、十分もしないでつくのだが、
「……待ってました。急いで呼んでしまい申し訳ありません」
先日にも増してすまなそうな顔を下に向けているルビーさんであった。
聞けば、昨日のよる説明に行った例の
「なんで?」
「その責任者の人が自分の言った機能が入ってないって……」
「その機能——聞いてたの?」
「……聞いてません」
「なら……」
「だめなんです」
もちろん失敗は依頼して来た
「どうしようもないんだろうな……」
コクリと頷くルピーさん。
どうやらルビーさんはそれを断れないようだ。
ミスは先方の方なので、それ理由に、急に対応できないことで暴れてみる方向の対処も考えられるし、少なくともルビーさんは僕に強制はできないだろうが、
「やってみるか……」
「すみません……」
正直、今日は東京で次の仕事の準備や、たまった庶務をこなしてしまいたかったところだ。でも、ルビーさんの身の上——転生の話を聞いて、この世界でも不遇なプロジェクトマネージャーとして生まれ変わったことを嘆かれると思うと、
「で、何が足りないのかって?」
「はい」
僕は今日の異世界出張業務を開始するのであった。
*
やることは単純と言っても良いものであった。
ある偉い人が思いついた「俺の理想の決算処理フロー」が入ってないと言うのだった。
それをシステムに入れ込むだけであった。
別に難しいものでもなかった。
単純なロジックに単純なユーザインターフェース変更。
いや、と言ってもバカにしたもんじゃなく、確かにこれはこれで合理的な処理なんだろうし、下手したら実際に使う人たちもこっちの方が使いやすいのだとは思うが……
「いきなりいわれてもな」
問題は作業量だった。この間ユーザーインターフェースをちょっと直した時とは違って——あれはあれでデータベース処理をいじって面倒ではあったが——大幅に見た目含めて変えていかなければならないのでめんどくささが半端ない。単純作業が多いのであった。
なんかスクリプト書いて自動化して作業楽にすることも考えたが、ほんと最後の見た目とか、入力が選択肢チェックかプルダウンかとか、作業がばらけていて共通化できない。結局ひたすら単純な
「本当に毎回すみません……」
気づけば昼が過ぎ、夕方に近い時間。今日の作業は、特別に個室を用意してもらい、そこからノートパソコンを工房の
「それより……そっちの方は大丈夫なんですか?」
「はい……なんとか」
今日、また仕様がかわったことに対する影響は、僕の作業しているコーディングだけではない。仕様書の書き直しから、新たな見積もりやその支払い交渉。社内、社外の確認作業や不平不満の対応。きっと神経がすり減る作業が多いのではないかと思う。その証拠に疲れ切った顔をしているルビーさんであったが、
「でも、私なんかより」
「……?」
「——疲れ切った顔をしていますよ」
どうやら俺も同類のようであった。
そして、
「ふう……しかしどうするかな」
俺はルビーさんから渡されたコーヒーを手に取り、それをちょっとすすりながら小声で呟く。
もう夕方近く。作業の進捗は半分は行っていない。作業開始から終電までの経過時間を考えればちょうど半分の時間が過ぎて作業はもっと進捗がわるいというところ。
このままでは危ない。絶対帰宅SEたる俺のポリシーが崩れる。今日、家に帰れなくなってしまうかもしれない。
調子が出て来て作業スピードは上がっているが、この後に疲れて効率悪くなることを考えれば、プラスマイナスはゼロ。やっぱりぎりぎり終電まで作業は終わらないんじゃないかと予想する。
ならば、なにかもっと効率がよくなる方法をとりたいのだが……
やっぱり、これは……
「あの。ルビーさん。お願いがあるんですけど」
「はい。コーヒーですか? もう一杯でも何杯でも持って来ます。それより食事でしょうか」
「いえ……これを」
「はい?」
びっくりしたような目で俺を——そして渡されたノートパソコンを見るルビーさん。
「できるよね?」
「…………!」
ルビーさんは今回のプロジェクトのプロジェクトマネージャーだが、単に工程管理や調整だけでなく、僕の作ったコードの中身までちゃんとチェックして理解してそれをしていたのを知っている。もしいま
効率の良いパソコンでの作業を行って大きな戦力になれるのが彼女であって……
「やります」
この日、僕らの「初めての」共同作業はこうやって始まったのだった。
*
夜。結局なんだかんだで終電にギリギリ間に合うかと言う時間。
僕はルビーさんと一緒に工房を飛び出すのだった。
「なんとか間に合いそうだよ」
「いえ、またこんなぎりぎりまで残ってもらって……本当に大丈夫でしょうか。家に帰れるでしょうか」
「正直ギリギリだけど、ダッシュすれば」
「そんな……急いでもらうの申し訳ないです。こちらで
「ううん。
「それなら……私が建て替えます——じゃなくて。私が出します」
「いや。そんなの悪いよ」
「たぶん……工房で出してくれるはずです……頑張れば……予算……
「いいよ。忙しいルビーさんにそんな庶務増やしたくないから」
「それなら……あ……私の……」
「……?」
「実は結構近いんです……
「……?」
「私の家……泊まりませんか?」
「……! それは……」
僕は、終電の目黒線に乗りながら、今日のルビーさんの表情を思い出す。
「……そうですよね。いきなりそんな事言われたらびっくりしますよね……他人の家にいきなり泊まるなんて嫌ですよね」
「嫌……なんかじゃなくて。そんな、僕なんかを止めて、ルビーさんが誤解されたら……」
「誤解? なんの誤解ですか?」
「それはその……」
僕が俯くと、ルビーさんもその意味に気づいたか俯いて顔を赤くする。
そしてちょっと、気まずい沈黙があり、
「あ……あっ! まずい。本気で終電間に合わなくなっちゃうから。もう行かないといけないので……」
僕はその雰囲気から逃れるように慌てて歩き出す。
下を向いたままのルビーさんは恥ずかしそうな顔で首肯するが、
「あの……」
数歩ぐらい進んだ僕を呼び止めるように声をかける。
「はい?」
立ち止まり振り返る僕。
「誤解……」
「……?」
「誤解じゃありませんから……」
「……!」
思い出してもどきりとしてしまうあその言葉と表情。僕はドキドキしながらも、勢いがついて、歩き出したのが止まらなく、何も言えないままその場から去ってしまった、自分の間抜けさを、ヘタレさを悔やみ、初めて家に帰るかどうかを迷った自分のアイディンティティの危機を感じながら……
——時間は十二時過ぎ。
満員の電車に揺られながら、異世界から今日も帰還した絶対帰宅SEたる僕は、外の通り過ぎる家々の光を眺めていると、窓に映った自分が思わずにやけてしまっていることに気づき……思わずこう呟くのであった。
「今度は長期出張とかもいいかもな……」
絶対帰宅SEの異世界出張 時野マモ @plus8
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