16:エイダン・マクスウェルの例外

 エイダン・マクスウェルは、時間を浪費することが負けることと同じくらい嫌いだ。それは五分程度の時間であっても許容出来ないため、何かと手間暇がかかるからという理由で同級生との交流すら持とうとしなかった。ケイトやオルセンたちは辛うじて友人と言えるかもしれないが、それも彼等彼女等がエイダンの自分勝手な振る舞いに合わせて行動してくれているからだ。肩で風を切りながら誰よりも先頭を行くエイダンを、その他が追いかけるように着いて行くような間柄であれば、エイダンにとって妥協出来る範囲内の人付き合いであった。

 しかし、我が道を行くエイダンにあっても、例外は存在する。


「メリエルちゃん、好きな人とかいないの?」


 授業を全てこなし、いつものように脇目も振らず帰路につこうと廊下を歩いていた時、空き教室から声が聞こえてきた。常ならば自分に関する噂話であっても聞き流すが、その話題の中心人物の名を、エイダンの脳は雑音として処理しなかった。

 エイダンは足を止め、教室内を窺う。其処にはメリエルと数人の女子生徒が居て、円を成すように座っていた。エイダンは廊下の壁に凭れ、彼女等の解散を待つ姿勢に入る。

 オルムステッド学園を諦めるように諌めてから、エイダンはメリエルと会話すら出来ていない。メリエルは可憐に見えて頑固なところがあるようで、エイダンの手を借りずとも学力を上げてみせると躍起になって勉強しているようだ。それがエイダンは面白くない。あの成績では、オルムステッドは愚か此処の高校さえ上がれるか危うい。潔くオルムステッドを諦めて、エイダンに任せさえすれば、此処の高校に次席合格させるくらい訳はないというのに。メリエルはエイダンを頼る機を逸してしまっているようだから、ほんの少し泣き付く切っ掛けを与えてやろう、と考えていた。


「あっ、これは好きな人居るな~」

「えー誰々? 同じクラス?」


 彼女等は色めき立って、メリエルに怒涛の質問攻めを繰り出している。追い詰められたメリエルは、小声で何事かを話した。


「え!? 幼稚舎の頃から好きなの!?」


 彼女等の一人が大きな声を上げて驚いた。

 その言葉に、エイダンの心臓も大きく跳ねる。思わず掌で口元を覆った。幼稚舎の頃から好きということは、メリエルと同じ幼稚舎の同級生が好きということだ。それは、つまり、もしかして……、


「あれ? エイダン、まだ帰ってないなんて珍しーね」


 突然かけられた声に振り向くと、キャップを後ろ向きに被ったケイトが鞄を背負って立っていた。


「何してんの?」

「うっせ。テメェにゃ関係ねぇだろ」

「あー、スチュワートさんね」


 ケイトはこっそり教室内を覗き見て、訳知り顔でにやりと笑った。


「エイダンさぁ、あんまりスチュワートさんイジメるのやめなよ」

「はぁ? イジメてねぇわ」

「昼食買いに行かせてたじゃん」

「それのどこがイジメなんだよ」

「いや、フツーはイジメに入るから」


 ケイトは呆れたように溜息を吐く。


「ちょっと前まで、スチュワートさん顔色悪かったじゃん。絶対エイダンがイジメてるせいだって。スチュワートさん、優しいから何も言わないけど、可哀想だから手加減してあげな」

「……」


 確かに、メリエルの様子が暫くおかしかったのは事実だ。それが自分のせいだとは微塵も考えていなかったエイダンは、思わず押し黙る。転入してきたばかりの環境になれていない状態で使いっ走りにするのは良くなかったか、と、エイダンにしては珍しく反省の念が頭を擡げていたが、そうとはおくびにも出さない。


「彼氏の近くにあんなのが居たらヤダ」

「胸押し付けて露骨だよねー」


 教室内の雰囲気が不穏になったのを察知して、エイダンとケイトは注意を向けた。エイダンと共によく行動している女子生徒といえばケイトくらいなもので、彼女等の不満の矛先が誰に向いているかなど、名前を出しておらずとも容易に分かった。

 エイダンにとってはどうでもいい話題であったが、張本人である隣のケイトはそうではない。先ほどまでとは違い顔を強張らせて、ケイトは教室内の話に聞き耳を立てていた。


「そういえば、メリエルちゃんって仲良いの?」

「あ……、うん」

「ふーん、そっかあ」

「大丈夫? イジメられたりしてない?」

「そんなことないよ」

「メリエルちゃんとはタイプ一緒じゃないよね」

「結構いじめっ子らしいじゃん、彼女」

「女友達少ないしねー」

「転入してきたばっかだったから仲良くなったんでしょ?」

「これからはさ、私たちと一緒に居ようよ」


 彼女等は同調圧力を発していて、教室内の空気は重かった。その場に居るメリエルなど、吸う空気すら質量を感じることだろう。

 これだから女は面倒臭く恐ろしいのだ、エイダンは内心でうんざりした。エイダンに好意を寄せてくる女子生徒さえ、告白を切り捨ててしまえば途端に牙を剥く。いつだったか校内で一番の美人だという女子生徒をフったら、翌日には三股しているという噂を流されていた。

 ケイトが唾液を嚥下する音が聞こえる。


「うん、ありがとう。私も皆と仲良くしたい。でもね、私はケイトを素敵な子だと思うの。何かあったら心配してくれるし、全然出来ない私に魔法学教えてくれるんだよ。ケイトと一緒に居るのも楽しい。私は、どっちとも仲良くしたいな」


 メリエルの言葉に、教室内が、そしてケイトが固まった。ケイトは俯き、少し震えている。そう思えば、ケイトはエイダンの腕を引っ張って教室を離れていった。

 女一人の腕力などエイダンにとっては高が知れていて、振り払おうと思えば振り払えたが、流石のエイダンもそうはしなかった。ケイトを思い遣ったからとかいう理由ではなくて、単純に今はメリエルに接触するタイミングではないと思ったからだ。

 校舎を出て渡り廊下に差し掛かると、ケイトは足を止めて手を離した。ケイトはエイダンに背を向けており、彼から表情は窺えない。小さく鼻を啜る音が聞こえた。


「スチュワートさんに言わないでよっ」


 こんな些細なことを誰かに話すかよ、とエイダンは思ったが、面倒なので黙っていた。


「……何でエイダンがスチュワートさんを好きか、よく分かった気がする……」

「っはあ!? 誰があんなブス!!」

「あはは、ガキなんだから」

「テメェが見当違いなこと言うからだろうが!!」


 勉強も出来ないじゃじゃ馬が好きなど、エイダンにとっては不名誉極まりない。目を吊り上げ声を荒げて否定するが、やはり訳知り顔のケイトは笑っていた。この女燃やしてやろうか、と殺意が芽生え実行する寸前で、ケイトが急に振り返る。


「応援してあげるよ」

「だぁからクソブスのことなんざ好きじゃねぇっつってんだろ!!」


 最後の一押しに完全に切れたエイダンは、ケイトの制服のスカートに火を点けた。ケイトはすぐさま水を出して火を消し、相変わらず意地悪な笑みを浮かべている。

 能力が水系とは相性が悪い、エイダンは舌打ちして、踵を返した。これ以上時間を無駄にしないためにも、エイダンは急ぎ足で家へと向かった。


 エイダンは帰宅し、母親への挨拶もそこそこに自室へ上がる。制服からトレーニングウェアに着替え、下半身、背筋、大胸筋、大胸筋共働筋、背筋共働筋と順に鍛えていった。短時間で効率的に強い負荷をかけるため、エイダンの額には汗が浮かんでいる。屋内でのトレーニングを終えると、ランニングシューズを履いて走りに出た。毎日走っているルートをいつもより早めに走り終えると、呼吸が荒く乱れている。エイダンは何も言わずに家に帰り、トレーニングウェアを洗濯機に放り投げシャワーを浴びた。シャワーから上がると、食欲をそそる香りが漂っている。リビングに出ると、食卓には夕食が並べられていた。


「エイダン! 髪乾かしてから食べなさい!」


 母親の怒号を無視して食べ終えると、再び自室に上がった。エイダンにとって考えあぐねるまでもない課題を全て終わらせ、高校の参考書を取り出して問題を解く。時計の針が天辺を回れば、翌日の準備をして就寝した。

 エイダンの日常は、至極無駄がなく禁欲的だ。それはエイダンの性格から来るもので、その生活に嫌気が差したことなどない。

 朝になれば目覚ましが鳴る前に目を覚まし、身支度をして、朝食を摂る。歯磨きを終えれば、やはり母親に声をかけることはせずに家を出た。学校に着くと、教室内の目に付いた空席に腰を下ろす。

 すると、エイダンの元へ、ぱたぱたとメリエルが小走りで駆け寄ってきた。


「マクスウェル、おはよう……」


 メリエルはばつの悪そうな顔で挨拶をする。


「おう」


 エイダンがそう短く返すと、メリエルは手をもじもじと擦り合わせながら、言いにくそうに口を開いた。


「あの、マクスウェル、お願いがあるの……」

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