中学校編
08:メリエル・スチュワートの初日1
私は学校に行く前に、姿見の前で服装を確認した。袖や裾、襟に赤いラインの入った紺色のジャケットの襟元を正す。丸襟の白いブラウスの首元を飾る赤い紐状のリボンをきゅっと固く結び、緑を基調としたチェックのプリーツスカートの裾を払った。腕を上げたり背を向けたり、何処か変なところはないか、入念にチェックした。
「登校のお時間です」
白い扉がノックされ、扉の向こうから声をかけられた。
紺色のハイソックスを上げ直し、深い飴色の革のリュックを背負う。白い木材でできたポールスタンドに掛けていた紺色のベレー帽を取り、鏡の前で被って、部屋を出た。
黄色味を帯びた白い壁には、嵌め込まれた白い窓枠が等間隔に並んでおり、遮光性の高いレースカーテンがかけられている。ウォルナットの床には臙脂色の細長いカーペットが敷かれており、二人の足音を静かに吸収した。同じくウォルナットでできた回り階段を降りれば、其処には玄関がある。靴を脱ぎ履きするための場所が段差で明確に区切られていないため、玄関脇の棚と同じだけの幅を玄関ホールと決めていた。スリッパを脱いで、黒革のローファーに履き替える。
黒スーツのその人に開けられた玄関扉を潜り、ドアが開けられていた黒塗りの高級車に乗り込んだ。車に乗ってしまえば、外の様子は分からない。窓にはカーテンがかけられ、運転席や助手席が見えないように仕切られていた。外出する必要がある時は必ずこの車に乗っていたが、私は一度も窓外の景色を見たことが無い。だから居住地が何処なのか、学校を含め目的地は何処らへんにあるのか、そんなことさえも私は知らない。〝それ〟は逃走防止のためなのだろう。元より逃走の意思は無いため、そしてそれを示すため、下手に外部を詮索するような真似はしない。鞄から文庫本を取り出して、読書する姿勢に入った。
五ミリほど読み進めた頃、車が止まり、後部座席のドアが開けられた。文庫本を鞄に仕舞い、車から降りる。
「放課後に、お迎えに上がります。いってらっしゃいませ」
深々と頭を下げるその人から逃げるように、校舎へ小走りで駆けて行った。
職員室へ向かい、以前に顔合わせしていた担任のところへ行けば、教室まで案内された。担任が前座を話している間も教壇の横に立っているとちらちらと注目され、無表情を装いながらも人見知りな心臓は忙しなく鼓動を打つ。
「今日から新年度だが、新しいクラスメイトを紹介する」
いよいよ自己紹介の時になり、震える声を抑えながら挨拶をした。
「メリエル・スチュワートです。よろしくお願いします」
無難な自己紹介を終え、指示されるまま廊下側一番後ろの席に座った。隣の席には男子生徒が座っており、頬杖もつかず器用に眠っているようだ。
「あの……、お隣、よろしくお願いします」
「……あ?」
義理として隣の席の同級生に声を掛けると、俯いていた彼は顔を上げた。色素の薄い金色の短髪はつんつんと逆立っており、硬そうな髪質をしている。眉間には深い皺が刻まれており、赤い瞳の三白眼も鋭く前を見据え、人相をより悪くしていた。ジャケットのボタンは全て留められておらず、ホワイトシャツも第一ボタンは開けられ、首元にリボンは結ばれていない。腰履きしているスラックスからはシャツの裾が出ており、ポケットの淵に親指を引っかけていた。
記憶よりも精悍且つ凶悪になった容顔を見て、私は固まった。彼もまた、僅かに目を見開いている。その睨み合いから一足先に離脱したのは彼の方で、口元をにやりと意地悪く歪めた。
「やっと会えたなぁ、メリエル・スチュワートちゃんよぉ?」
「マ、マクスウェル、久し振り……」
彼は嘗ての餓鬼大将エイダン・マクスウェルその人だった。
「おいブス」
先生による朝のショートホームルームが終わるや否や、親指をポケットに引っかけたまま偉そうに足を組んだマクスウェルが横柄に私を呼ぶ。
幼稚舎時代と変わらない口の悪さだったが、声変わりを終えたマクスウェルの声はドスが効いていて、少しばかりの恐ろしさを覚えた私はやおら彼を見た。
「一限までにジュース買ってこい。炭酸な」
「はっ……?」
極々自然に使いっ走りを命じられた私は、その言葉を脳に浸透させるまでに時間がかかってしまった。理解した頃には聞き間違いだったのかと混乱してしまい、思わず硬直する。
その様子に静かに苛立ったようであるマクスウェルは、完璧な笑顔のまま言い募った。
「はよ行ってこいや」
餓鬼大将だと思っていた彼のその顔はいじめっ子そのもので、私は思わず席を立った。校舎の三階から急いで一階に下り、ピロティにある自販機でサイダーを買う。自販機からサイダーを取り出した時ほど、自分が情けなく感じたことは無かった。帰りも急いでいるつもりではいたが、三階まで階段を駆け上るには体力が足りず、目的の階に到着する直前で息切れして、手摺りに掴まりながら足を進めた。
階段を何とか上り終えて教室に差し掛かると、同級生の女の子たちに迎えられた。
「あ、スチュワートさん!」
「スチュワートさん、何処行ってたの?」
「ジュース買ってたんだ」
私は瞬く間に女の子たちに取り囲まれ、転入生お決まりの質問攻めに遭った。皆純粋に目を輝かせ話しかけてくれるものだから、私も悪い気はせずついついその場で話し込んでしまう。
「スチュワートさんって、前は何処に住んでいたの?」
「山奥の田舎だよ。お母さんの実家なの」
「へえー、此方にはお父さんの転勤か何かで?」
「う、うん」
「私、朝にスチュワートさん見たよ。高級車で送迎されてたでしょ」
「えっあれスチュワートさんだったんだ」
「お嬢様なんだねー」
「全然そんなことないよ!」
「スチュワートさんって可愛いね。髪も綺麗」
「えっ、そんな……、ありがとう」
「メリエルちゃんって呼んでいい?」
「あ、私も!」
「うん、是非!」
コロコロと変わる話題の中心に居たため目が回りそうだったが、久し振りに友達と話す感覚が擽ったくて、思わず笑みが溢れる。上手く話せないのではないかと心配していたが、質問に答えていく内にその心配は彼方へ吹き飛んだ。やっぱり此処へ戻って来て良かった、私は笑いながらそう思った。
すると突然、女の子たちは蜘蛛の子を散らすように私から離れていった。皆廊下に出て、私の背後でじっとしている。私は不思議になりながら彼女たちを振り返って見詰めていたが、彼女たちが私を通り越して何かを窺っているのに気付いて、正面に目を向けた。
「おいブス……、このオレを待たせるとは良い度胸じゃねぇか……」
其処には青筋を浮かべたマクスウェルが立っており、身長差のせいで余計に迫力が増して見える。
「ご、ごめん、マクスウェル……」
「炭酸買ってきたんかよ」
「あ、うん……」
手に持った缶を渡すと、マクスウェルは只でさえ皺の寄った眉間を顰めた。
「あ? 舐めてんのか。ぬりぃだろうがよ」
「えっ」
「昼に買い直してこい」
缶は炭酸だというのに投げ返されて、マクスウェルはつかつかと自席へ戻っていった。呆然としていると予鈴が鳴り、背後に居た同級生たちも私に気不味そうな顔を向けながら席に着いていった。私はマクスウェルの居る席に恐々しながら座る。マクスウェルの机上を見ると意外にも既に教科書が出ていて、授業を受ける準備は整っていた。私は、教科書が間に合わなかったため隣の人に見せてもらうようにと先生に言われていたことを思い出し、絶望した。
「あの……、マクスウェル」
「あぁ?」
「教科書まだ無いから、見せて欲しいの……」
手を合わせて下手に出ながらお願いすると、マクスウェルは舌打ちをして顔を背けながら教科書を私と彼の間に置いた。
「ありがとう!」
意外と優しいところもあるじゃないかとマクスウェルを見直しながら、私は授業を受けるべくノートを取り出した。
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