09:              2

 本鈴が鳴って授業が終わり、昼食の時間を迎えた。私は今度こそジュースを買ってくるミッションを果たすため、挨拶と共に席を立って走り出す。


「メリエルちゃん、お昼一緒に食べない?」

「あ、えっと……」


 そう呼び止められて思わずマクスウェルを見遣ると般若のような顔をしていたため、私は有難いその誘いを泣く泣く断った。私の視線につられてマクスウェルを見たその子も、気にしないでとフォローしながら顔を青くして退散していく。

 私は転入初日に躓いてしまった。これでは中々友達と親交を深めることが出来ない。それどころか友達すら作れないのではないだろうか。折角戻ってきたというのに孤独に逆戻りすることだけは嫌だと悲鳴を心中で上げながら、一刻も早く女の子たちの昼食に混ぜてもらうべく、再び走り出した。

 脇目も振らずジュースを買って、肩で息をしながら教室に駆け戻ってきた。マクスウェルは悠々と席に座っていて、その様子に僅かながらの殺意を覚えながら、言葉すら話せずにジュースを彼に渡す。

 マクスウェルは満足そうな顔をして、軽快な音を立てて缶のプルタブを開けた。


「ご苦労」


 その横柄な言葉に怒りすら湧かず、私は疲労に肩を落とした。私は足を翻す。


「何処行くんだよブス」

「昼食買ってくるの」

「行っても何も売ってねーぞ」


 マクスウェルのその言葉に、私は足元が崩れる気持ちがした。転入早々お昼抜きとは、やはり私は躓いてしまっている。

 暗澹たる思いを引き摺っていると、ジュースを飲んでいたマクスウェルが机の上に数々のパンを取り出した。


「おら」


 サラダのサンドイッチ、コロッケパン、ハムチーズトースト、タマゴのパニーノ等々、マクスウェルが成長期の男子と雖も一人で食べるには多過ぎる量だ。マクスウェルの机には山ができて机面が見えない。


「早く食わねぇと昼休み終わんぞ」

「え……、貰ってもいいの?」

「食うんか食わねぇのかどっちだ!」

「食べます!」


 私は隣の席に座って、サラダのサンドイッチを頂戴した。ぺこぺこに減っていたお腹に染み渡り、何ということのない食事だというのに感動してしまう。


「マクスウェル、ありがとう~」

「はっ」


 マクスウェルは外方を向いてコロッケパンにかぶりついていた。サラダのサンドイッチを一切れ食べ終え、喉の渇きを覚えた私は席を立とうとしたが、マクスウェルが透かさず紙パックの飲み物を取り出す。麦茶、紅茶、いちごオレ、野菜と果物のスムージー、これもまたレパートリーが豊富だ。


「これもいいの……?」


 そう尋ねるとジロリと睨まれた。私はお礼を言って紅茶を手に取り、ストローを刺して飲む。飲みながら、私はマクスウェルを上目がちに窺った。

 マクスウェルはハムとサラダのクロワッサンサンドを食べている。寡黙なその横顔は何処か不機嫌そうで、美味しいのか美味しくないのか分からない。横顔だと際立つ高く通った鼻梁は、彼の端整な顔立ちをより引き立たせている。黙っていれば精悍な芳容なのに、と私は何だか残念な気持ちになった。

 マクスウェルの横顔を見ていると、彼の肩に突然何かが飛び付いてきた。私は驚いて、ストローで空気を吸ってしまう。


「エイダン~、何で今日はお昼一緒じゃないの?」


 ボリュームのある付け睫毛が印象的なメイクの決まったブロンド髪の女の子が、マクスウェルの首に腕を回してその豊満な胸を押し当てていた。

 私はといえば、その積極的なスキンシップに驚くやら、マクスウェルと彼女が所謂スクールカースト上位なのだと気付いたやらで、固まっていた。ストローを咥えたまま彼女たちを凝視していると、縁取られた大きな目が私を見る。


「スチュワートさん、だっけ? 何でエイダンとご飯食べてんの?」

「えっ……、何で、でしょうね……」

「やだぁ、敬語! タメなんだからフツーでいいよ」

「う、うん、ありがと」

「あたし、ケイト。ヨロシクね」

「うん、よろしく。ケイトちゃん」

「ちゃん付けとか恥ず! 呼び捨てにして」


 制服を着崩しており派手な見た目で近寄り難いかと思っていたが、ケイトは気さくな子だった。そして、とても憎めない子だった。終始マクスウェルに抱き着きながら話していても怒鳴られていないことからも、それは顕著に表れている。


「てゆーかエイダン、女子に構うとか珍しくない?」

「うっせ」

「あたしには全然構ってくんないクセに~」

「抱き着くなや。香水臭ぇ」


 やはりマクスウェルは怒鳴らない。タマゴのパニーノを食べる手は決して止めず、無表情で冷静にそう言うのみだ。隣の席に座ってから凶悪な顔しか見てこなかった私は、まるで誰か違う人を見ている気さえした。


「こっわ~! じゃあ、そろそろ授業始まるから。スチュワートさんも、またねー」

「あ、うん」


 私はケイトに手を振って見送った。ケイトの向かった元には、やはり彼女に系統の似た男女が居る。マクスウェルが其処に居ても何の違和感も無いだろう。彼等を見詰めていると、その内の一人の男の子に手を振られ、思わず手を振り返す。すると、その男の子とそれを見ていた他の男の子たちが歓声を上げて爆笑した。手を振るなんて、調子が良かっただろうか。


「おい」


 先ほどの淡白な声とは打って変わって地を這うような低い声が聞こえて、私は慌ててマクスウェルを振り返った。其処には眉間に皺を寄せて青筋を浮かべているマクスウェルが居て、思わず私はひっと声を上げた。


「さっさと食い切れや、このクソブスが」

「ご、ごめん!」


 サンドイッチを頬張り紅茶を飲み切って、私は漸く人心地ついた。お昼を分けてくれたせめてものお返しに、私はゴミを纏めて廊下のゴミ箱へ捨てに行く。

 すると、先ほど手を振ってくれた男の子が歩み寄ってきた。


「スチュワートさん」

「あ、さっきの……」

「あのさ、もしかして、教科書ねぇの?」

「うん」

「俺が見せてあげようか?」

「あ、大丈夫だよ、ありがとう。マクスウェルに見せてもらうから」

「けどさ、アイツ怖くねぇ? 別に席なんて何処座ってもいいんだしさ、俺等んとこ来なよ」


 その言葉がすとんと腑に落ちた。確かに、授業毎に教室を移動して自由に席に座る方式のため、絶対にマクスウェルの隣でなければならない理由は無い。

 私は彼をじっと見た。制服を着崩しており髪の毛も遊ばせているが、こうして私の身を案じて声をかけてくれるし、悪い人にも見えない。目は逸らされてしまったが。ここは優しそうな彼にお願いしようかと口を開こうとした時、彼の頭が鷲掴みにされた。


「ゴミ捨てるのに何分かかってんだぁ? このクソブスがよぉ」


 マクスウェルは完璧な笑顔を浮かべ、地獄から這い出してきたような声でそう言った。私も彼も、思わず顔が青くなる。


「教室帰んねぇと授業始まんぞ」


 マクスウェルは彼の頭を離したかと思えば即座に私の左手首を引っ張る。このまま席に戻れば、また胃の痛む思いをするかもしれないと我に返り、抗うようにその場に踏ん張った。


「マ、マクスウェル!」

「あ?」


 振り返ったその表情は凍てつくような凶悪な顔で、私は何も言えずに黙り込み、やはり席まで引き摺られて連行された。その日の授業は全てマクスウェルの隣で、彼に教科書を見せてもらいながら受けることになる。

 漸く一日が終わると、私は机に突っ伏した。マクスウェルに変な気を遣っていたせいで、普通に授業を受けるより何倍も疲れた気分だ。暫くそのまま癒されていると、後頭部をスパンと叩かれた。


「なに寝に入ってんだ。帰んぞ」

「うっ、ええ?」


 いつの間に用意したのか、マクスウェルは既に鞄を持って立っていた。

 私は急かされるまま筆記用具等の持ち物を掻き集め、傍らに置いていた鞄に詰め込む。


「家何処だ」

「え、分からない……」

「あぁ? ふざけてんのか」


 私はマクスウェルと教室を出て、いつの間にか一緒に帰宅することになっていた。マクスウェルの気迫に押されて連れ立ってはいるが、正直に言うと私は一刻も早く一人で帰りたい。朝に黒スーツの人が言っていたことには、放課後も目立つ黒塗りの車で迎えに来るのだ。誰にも見られない内に学校を去ってしまいたい。

 その思いとは裏腹に私たちは校門まで来てしまい、やはり傍には高級車が停まっていた。


「メリエル様、お帰りなさいませ」

「……あ?」


 深々と頭を下げる黒スーツのその人を、マクスウェルは立ち止まって睨み付けた。


「えっと……、マクスウェル、ごめん、家の人が迎えに来てくれてるから、此処でお別れね」

「……家の人だぁ?」


 マクスウェルのその顔は如何にも家の人じゃねぇだろと言いた気だったが、彼は何かを察したのかそれ以上は何も言わなかった。

 私は開けられたドアから車に乗り込みシートベルトを締めて、窓を開けてマクスウェルに手を振る。


「また明日ね」


 マクスウェルは何も言わなかった。

 車が走り出したので窓を閉め、外界を意識からシャットアウトした。

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