第97節 イミテーション・ゲーム



 ゴールデンウィーク最終日さいしゅうびである5月6日の休日きゅうじつの午前中、自分の部屋にて俺は美登里みどりあおいと一緒に、床に置かれたテーブル机を囲んで学校がっこうからあたえらえた問題集もんだいしゅう課題かだいをこなすという勉強べんきょうをしていた。


 うすいカーペットの上にクッションを置き、四角い低い机を囲んで、俺、その左隣にあおい、向かい合って美登里みどりといった感じで座っている。


 こなしている問題もんだい内容ないようはというと、俺は高校二年生の数学すうがくあおいは高校一年生の数学すうがく美登里みどりは中学三年生の数学すうがくといったように科目は同じだが段階だんかいは当然のごとくバラバラであった。


 机に向かってノートにシャープペンシルを走らせている黒髪ロングツインテールないもうと美登里みどりが、うんざりした様子で口を開く。


「……あーあ、二次にじ方程式ほうていしきのたすき掛けがわからなさすぎる。なんで中学三年生が高等こうとう数学すうがくなんかしなきゃいけないんだろ」

 

 そんな言葉に、高校二年生の複素数ふくそすう問題もんだいいていた俺は返す。


因数いんすう分解ぶんかいける二次方程式が高等数学か?」

「……わたしにとっては高等すぎるっていうか、因数いんすう分解ぶんかいとかわけわからなさすぎる。数字すうじとか記号きごうとかの具体的ぐたいてきでない抽象的ちゅうしょうてき物事ものごとを考えるの昔から苦手」

 

 そんな風に美登里みどりがぼやくので、俺は返す。


「でも、数学すうがくの勉強は俺たちみたいな中高生にとっては必要なんだからしょうがねーだろ」

「……中高生にとっては必要って、なんでなんだろ? そもそも因数いんすう分解ぶんかいとかの数学すうがくって何の役に立つの? 算数っていうか計算さえできれば日常生活は普通に送れるんじゃないの?」


 そんな美登里みどり愚痴ぐちに、さっきから数学すうがくの問題集をわりと速いスピードで黙々もくもくいていた、頭に青い宝石の髪飾りを着けたショートカットでダブルテールな従妹いとこあおいが、手を止めて反応する。


みっちゃん、数学すうがくなんやくつかってゆーと、そらこの世界せかいのありとあらゆる現象げんしょうやよ。科学かがく技術ぎじゅつには微分びぶん積分せきぶんとかが必要ひつよう不可欠ふかけつやし、企業きぎょうのマーケティングでは統計学とうけいがく使つかうし、みっちゃんがいまやってる因数いんすう分解ぶんかいたもんやったらたとえばクレジットカードなんかは因数いんすう分解ぶんかい利用りようした暗号あんごう理論りろんなしにはたないんよ」


――おお、流石さすが偏差値80台。


 俺はそうあおい聡明そうめいさに心の中で感心し、迂闊うかつにもつい口を滑らしてしまう。


「ってことは、クレジットカードを持っている明日香あすかねえちゃんも、知らないあいだ数学すうがく恩恵おんけいを受けてるってことか」


 すると、美登里みどりがジト目で俺をにらむ。


「……なにそれ、お姉ちゃんがクレジットカード持ってるなんて今初めて聞いたんだけど。明日香あすかねえちゃん、もしかしておにいちゃんの口座こうざからカードでお金使ってるの?」


――あ、やべ。


 そう失言に気づいたものの、後の祭りであった。


 俺はいもうと相手に弁明する。


「いや、しょーがねーだろ。ねえちゃんが運転うんてん免許めんきょ取って車に乗ることになって、高速こうそく道路どうろ入るための ETC カードがどうしても必要になったんだよ。そのためにはクレジットカードを持たないといけないから、じゃあせっかくだからって俺の口座から引き落とされる形でカード作ったんだ。口座こうざ名義人めいぎにん兄弟きょうだい姉妹しまいでも持てる奴」


 妹は相変わらずジト目で俺をにらつづけている。そして、ほほふくらませてから美登里みどりがなんだか不満げにこんなことを言う。


「……ぷー、明日香あすかお姉ちゃんだけずるい。わたしの分は……? わたしもドラゑもんの道具みたいな、いくらでもお金が使える四次元カード欲しい」


 すると、あおい美登里みどりに対して冷めた口調で語る。


「そんなん、ウチだって欲しいわ。っていうか、ほぼ無制限にお金使えるカードなんて、世界中のほとんどの人間が欲しがると思うで」


「いや、一応月いくらまで使えるかっていう限度額は設定しているからな、無制限じゃねーぞ。それにクレジットカードって18歳以上の成人しか作れねーからな」


 俺があおい美登里みどりにそんなことを説明するも、美登里みどりのむくれっ面は変わらなかった。


 俺は言葉を続ける。


「俺が今持ってるのはデビットカードだけど、こっちも高校生にならねーと作れねーんだよ。美登里みどりには、高校生になったら家族デビットカード作ってやるから。しばらく我慢がまんしといてくれ」


「……ホント? 約束だよ、お兄ちゃん」

 

「ただし、上限金額は設定させてもらうぞ。高校生になってから、ひと月に何百万円も使われたらたまらねーからな」


 俺がそう返すと、すかさずあおいこたえる。


けぃにぃちゃん、ウチはもう高校生やで。カード作ってや」


「あー……それも無理なんだよ。あおいは俺の兄弟きょうだい姉妹しまいじゃなくって従姉妹いとこだろ? それに名字みょうじも違うし。それだったらいくら同居してても、俺の口座から引き落とされる家族デビットカードもクレジットカードも作れねーんだ」


 そう返すと、あおいはあからさまに不機嫌ふきげん様子ようすになって、こんなことをぼやく。


「なんよそれ。せやったらウチもいっそのこと楠木くすのきせいから離れて、このうち正式せいしきせきれよっかな? そしたら名字みょうじたちばなになるし」


 すると、美登里みどり素朴そぼく質問しつもんする。


「……あおいねえちゃん、聖子せいこ叔母おばさんがってたようにおにいちゃんのおよめさんになるになったってこと?」

「ちゃうわ! 養子ようしや!」


 あおいが顔を真っ赤にして即座そくざに否定した。


 あおいは失言したのが気恥きはずかしくなったのか、ほほを赤く染めて気まずそうにして、すぐ隣に座っている俺と目を合わせてくれなくなった。


――やっぱ、俺とあおいって似てるんだな。


 俺がそんなことを思っていると、美登里みどりがこんなことをたずねてくる。


「……そういや、おにいちゃんはどうやって銀行ぎんこう口座こうざ残高ざんだか管理かんりしてるの? 通帳つうちょうたしか、貸金庫かしきんこあずけてるんでしょ?」


「ああ、それは可憐かれんに教えてもらったんだけどな。銀行ぎんこうでネット口座こうざ登録とうろくしたら、その口座こうざ情報じょうほうを集めて預金よきん総額そうがくをいつでもどこでもスマートフォンで表示ひょうじしてくれるアプリってのがあるんだ。見るか?」

「……見る」


 美登里みどり簡潔かんけつ返答へんとうに、俺はロック解除したスマートフォンのアプリケーションを開いた画面を妹に見せる。


「ほら、これがおにいちゃんの2行分こうぶんのメガバンクの預金よきん総額そうがくだ。もう税金ぜいきんの手続きも終わったんで、これが俺のいまのところ自由に使える預金よきん総額そうがくだな」


 そう言いながら俺が見せたそのスマートフォンの画面には、305おくを超える数字が日本円にほんえん預金よきん残高ざんだか合計ごうけいとして示されている。


 その四角しかく枠内わくない表示ひょうじされた非常ひじょうおおきな数値すうちて、美登里みどりがこんなことをあかるくべてくる。


「……おお、ステータスオープンだね。おにいちゃん」


「ステータスオープン? ああ、ゲームの話か」


 俺がそんなことを返すと、気を取り直したのかあおいも俺の手に持っているスマートフォンの画面をのぞき込んで預金額よきんがくを見てくる。そして、若干じゃっかん気味ぎみになってこんなことを言ってくる。


「うっわぁー……高校二年生で預金よきん残高ざんだか11けたとかとてつもないなー。もしかして日本にほんで一番お金持ちな高校生なん違うん? けぃにぃちゃん」


「え? 日本にほんで一番とか……さあ、どうだろうな。上には上がいるって言うし」


 スマートフォンをかざしながら冷や汗をかきつつそんなことを言うと、あおい美登里みどりが俺を見てほぼ同時に口を開く。


「上いーひんやろ」

「……上、いないと思う」


――あ、やばい。話題を変えないと。


 そんなことを思った俺は、新しい中学校に四月から通っている美登里みどりに尋ねる。


「それより、美登里みどりは学校では友達とはどうなんだ? 上手く行ってるのか?」


 すると、美登里みどりが少しばかり沈んだ表情で応える。


「……最初は色々とかまってくれたんだけど、なんだか一か月くらいって微妙びみょう距離きょりができてきた。前の学校と一緒」


――難儀なんぎだな、いもうとながら。


 そんなことを思った俺は提案する。


「じゃあ、またいつか明日香あすかねえちゃんやあおいと一緒に気分転換にテーマパークでも行くか? 俺も付き合ってやるから」


 すると、美登里みどりが相変わらず暗い表情で返す。


「……それはちょっと勘弁かんべんしてほしい。おにいちゃんやおねえちゃんのような親族しんぞくと一緒にテーマパークに遊びに行って、わたし抜きで集まったクラスメイト集団に出会ったら目も当てられない」


――クラスメイトから、一人だけテーマパークに誘われない性質たちだものな、美登里みどり


 俺はそうおもったが、いもうとこころきずのこさないためにもあにとしてうのをひかえた。


 と、そこで出入り口の扉の方から電子的な音がした。


 ピンポーン


 俺の部屋の入り口付近にある入室ボタンを誰かが押したようであった。


 いで、湖白こはくさんの声がする。


皆様みなさま紅茶こうちゃをおいたしました。入ってもよろしいですか?」


「はーい、どうぞ」


 俺がそうこたえるととびらしずかにけられ、そのなが銀髪ぎんぱつを後ろで結った、37歳だというのに二十代後半にしか見えない美人びじん人妻ひとづま湖白こはくさんの姿が現れた。


 胸の部分が大きくふくらんだ白いトップスとタイトな黒いボトムスの上に、純白のエプロンを身に着けた湖白こはくさんは、ティーカップやティーポッドなどが乗せられた小さな足のついたおぼんを、部屋のすぐ外の扉脇とびらわきにある机の上から持ち上げて部屋に入ってくる。


 住み込みメイドのかなでさんが、和室わしつ設置せっちしたモニターにて高校の授業を通信教育の DVD で受けているので、代わりに母親の湖白こはくさんが通いでハウスキーパーの仕事をしてくれているのである。


 俺たち三人が床の上にて勉強机を囲んでいるすぐ近く、美登里みどりのすぐ隣にて銀髪ぎんぱつ美女びじょ湖白こはくさんが膝をつき、ティーセットを運ぶ足付きのお盆をそっと床に置く。


 そして、落ち着いたたたずまいで俺たち三人が囲んでいるテーブルの上にティーカップなどをそろえていく。


 その途中で、ティーカップに揃えて机の上に置かれた、どろりとした赤いものが入った小皿を見て美登里みどりが尋ねる。


「……あれ? この赤いの何? ジャム?」


 すると、エプロン姿で膝をついた湖白こはくさんがほがらかに応える。


「ええ、ロシアふういちごジャムを用意してみました。今風いまふうにしたらわかのおすかと思いまして」


「……おお、くね。湖白こはくさん」


 美登里みどりがそんなことを言うと、湖白こはくさんがにこやかに応える。


「わたくしは皆さまに、おもてなしの心をもって接してるだけですよ」


――流石さすが老舗しにせ温泉おんせん旅館りょかんオーナーの一人娘だっただけのことはある。


 俺がそんなことを思っていると、美登里みどりが続けて湖白こはくさんに話しかける。


「……かなでちゃんも一緒に勉強会に参加すれば良かったのに。せっかく高校生になったんだし」


「ごめんなさいねぇ、かなでは昔から一人じゃないと勉強に集中できない性質たちなのよ」


 湖白こはくさんはかなでさんの母親として申し訳なさそうにそんなことを言いながら、人妻ひとづまらしく結婚けっこん指輪ゆびわ薬指くすりゆびめた左手を、その頬にあてる。


 俺は心の中でこんなことを考える。


――高校二年生になった俺が、高校一年生になったかなでさんにマンツーマンで勉強を教える、って訳にはいかなかったんだよな。


――本当に、現実は思い通りになんていかねーな。


 勉強机の上にティーセットを揃えて、ポットから紅茶を注ぎ終わった湖白こはくさんに、美登里みどりが話しかける。


「……湖白こはくさん、ちょっと座ったままそのエプロン外してみて」


「え? ええ、こうかしら?」


 そう言って、湖白こはくさんは膝をついたままエプロンを外す。そして、エプロンの下に隠れていたむねおおきくふくらみこしがくびれたちょうグラマラスな身体からだが、トップスの上からでもありありとわかる格好になる。


 続けて、湖白こはくさんのすぐ隣に座っている美登里みどりが告げる。


「……じゃ、ちょっとバンザーイってしてみて」


「こうかしら……? バンザーイ」


 そう応えて、湖白こはくさんが両腕を上げた。


 ぎゅっ


 すると座ったままの美登里みどりが、その白いトップスから立体的りったいてきにおっぱいの輪郭りんかくが飛び出た湖白こはくさんの身体からだに、いきなり抱き着いた。


――おい、ちょっと美登里みどり


 スタイル抜群ばつぐん湖白こはくさんの上半身にて、大人の女性らしさを主張するかのように大きく膨らんでいる柔らかそうな爆乳ばくにゅうに顔をうずめた美登里みどりが、ご満悦まんえつといった感じの声を出す。


「……思った通りのふかふかな心地ごこち……これが大迫力だいはくりょくJカップおっぱいの包容力ほうようりょく母性ぼせい……! 圧倒的あっとうてき母性ぼせい……! 最高さいこう……!」


「あらあら、あまえんぼうなのね、美登里みどりちゃん」


 湖白こはくさんは一児いちじ母親ははおやらしく満更まんざらでもない表情で上げていた両手を降ろし、おっぱいに顔をうずめている美登里みどりきしめかえす。


 いもうとのわがまま勝手な行動を見て、俺は兄として忠言ちゅうげんする。


「ちょっと美登里みどり湖白こはくさんに迷惑かけるようなことはやめておけよ」


 すると、湖白こはくさんがおだやかなこえで返してくる。


「あら、啓太郎けいたろうさん。わたくしは一向に構いませんよ? 美登里みどりちゃんも本物のお母さんが旅行に行っててさびしいでしょうし」


 そして、相変わらず湖白こはくさんにいている美登里みどりがおっぱいにかおうずめたままこんなことを言う。


「……お父さんもお母さんも近くにいないからね、今のわたしには」


 すると、湖白こはくさんが美登里みどりめたまま、いかにも子供のいる母親らしい慈悲じひぶかい口調で、あやすように胸元の美登里みどりに話しかける。


「なんだったら、お母さんの代わりだと思ってくれてもいいのよ? 美登里みどりちゃんをここまで立派りっぱそだててくれた本物ほんもののお母さんに比べたら、美登里みどりちゃんを上手うまあつかえなくて弱音よわねいたりする出来できが悪いお母さんかもしれないけど」


 そんなやさしい言葉ことばをかけられた美登里みどりが、その母性ぼせいあふれる大きく柔らかなふくらみにうずめたままの頭を回して、俺の方に顔を向ける。


「……こう言ってくれてることだし、おにいちゃんも湖白こはくさんの豊満ほうまん身体からだいてあまえてみる? 大きなおっぱいに顔をうずめると勉強べんきょうつかれたメンタルとのうがこれ以上いじょうないってほどいやされるよ?」


「しねーよ!」


 俺が即座そくざに返すと、湖白こはくさんが余裕よゆうある大人おとな女性じょせいらしい面持おももちで、おっとりした口調くちょうこたえてくる。


「あら、ふくうえからかれるくらいでしたらわたくしはべつにしませんよ? 啓太郎けいたろうさんも遠慮えんりょしなくてもいいのに」


 俺は湖白こはくさんにいている美登里みどり視線しせんけていたが、後ろの方からの強烈きょうれつ感情かんじょう同時どうじとらえていた。


――いま絶対ぜったいあおい俺のことすっげー顔でにらんでるんだろーな。


――「いたらコロす」っていう殺意さつい波動はどうをビンビンにかんじる。


 そのときの俺には、いて女王様じょうおうさま気質きしつ従妹いとこかお勇気ゆうきはなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る