第82節 TAXi



 タクシーの急発進きゅうはっしんで、俺の身体からだ加速度かそくどによってシートにけられた。


 運転席うんてんせきからびる楽保よしやすさんの左手ひだりてが、ガコッガコッとおとててマニュアル操作そうさでギアをえていく。

 

 急発進きゅうはっしんしてからすぐさま急加速きゅうかそくしたタクシーは、一方いっぽう通行つうこう道路どうろえがかれている交通こうつう規則きそく指示しじする路面ろめん表示ひょうじ矢印やじるし無視むしして、おおきな歩道橋ほどうきょうのかかっている十字路じゅうじろけてまたた片側かたがわ二車線にしゃせん大通おおどおりにはいる。


 俺がうしろをかえると、あのマフィアのっているくろいワゴンしゃおなじように交通こうつう規則きそくやぶっていかけてきているようであった。


 楽保よしやすさんがさけぶ。


みぎのドアにつかまって!!」


 俺がその言葉ことば反応はんのうし、即座そくざみぎのドアのでっぱりにつかまると、楽保よしやすさんはハンドルをまわし、ひだり車線しゃせんからみぎ車線しゃせんへとうつる。


 みぎのドアにつかまっている俺の身体からだが、瞬間的しゅんかんてき加速度かそくどおおきく左側ひだりがわられる。


 バゴン!


 衝撃音しょうげきおんとも左側ひだりがわにある助手席じょしゅせきうしろに、ちいさなあないた。


 かえってひだり後部こうぶ座席ざせきてみると、そこにもあないて、げたかんじになっていた。


――またじゅうってきやがった!


 運転席うんてんせきすわっている楽保よしやすさんが、うしろもかずに運転うんてん集中しゅうちゅうしながら俺につたえる。


あぶないところでしたね! 運転席うんてんせきにいる私ごとくつもりだったんでしょう!」


 俺はあせながれる。


――もうすこしで、ぬところだった!


公道こうどう無茶むちゃ苦茶くちゃしますね! あきらめてくれればいいのに!」


 俺がそううと、楽保よしやすさんがこうかえす。


じゅうたれるのははじめてですかい!?」


「そりゃぁはじめてですよ!」


 あたまかかえたい気分きぶんになりながら俺が返答へんとうすると、二車線にしゃせん道路どうろくるまくるまあいだ華麗かれいなドライビングテクニックですりけていく楽保よしやすさんにこんなことをわれる。


「私は二度目にどめです! わかころにカミさんとちしたんですがね! いかけてくる大旦那おおだんなさまうしろから猟銃りょうじゅうたれそうになりました!」


 まえ運転席うんてんせきすわっている楽保よしやすさんは、つづけてこんなことをう。


「ですが、今回こんかいのはててきてころマンマンなんで性質たちわるいですね! がりますよ!」


 運転席うんてんせき楽保よしやすさんはそんなことをって、ハンドルをおおきなアクションでまわす。


 ギャリギャリギャリギャリ!!


 タクシーが信号しんごう無視むしをして交差点こうさてんみ、ドリフトをかけながらほぼ反対はんたい方向ほうこうかってびていたみちんでいく。


 おおきな加速度かそくどよこにかかり、俺のまえのフロントガラスこうにえる景色けしきが、よこながれていく。


 四輪よんりんドリフト回転ターンて、交差点こうさてんけたところで俺がたずねる。


げきれそうですか!?」


 すると、おそらくはあせをかいているのだろうという声質こえしつで、楽保よしやすさんがこたえる。


「いいえ、まだです! こうもかなり手練てだれのドライバーを用意よういしているみたいですね! 軍役ぐんえき経験者けいけんしゃでしょうか!」


――あの中国人ちゅうごくじんのおじさんじゃなさそうだな。


 俺がリアガラスからうしろをのぞいてみると、昨晩さくばん俺がったときとはあからさまにことなる、いかにもあらっぽいかんじの運転うんてんで、あのワゴンしゃいかけてきている。


 楽保よしやすさんが、けにこんなことを言ってくる。


「ところで啓太郎けいたろうくん! 10びょう以内いないめてしいんですがね!」


「なんですか!?」


 俺が即答そくとうすると、楽保よしやすさんが即座そくざかえす。


「このタクシー、会社かいしゃからのりものなんですが、こわしたら弁償べんしょうしてくれますか!? 保険ほけんかないので!!」


「いくらでもします!!」


 そう俺が即決そっけつすると、楽保よしやすさんがさけかえす。


承知しょうち!!」


 大通おおどおりをこのくろいタクシーで爆走ばくそうしていた楽保よしやすさんは、ハンドルをおおきく威勢いせいよくまわす。


 ガガガガガガガ!!!!


 タクシーは零戦ゼロせんのように急旋回きゅうせんかいをして、くるま一台いちだいがギリギリとおれるほどのはばしかない、薄暗うすぐらいビルとビルの隙間すきま路地裏ろじうらはいっていった。


 みぎのドアのこうも、ひだりのドアのこうも、タクシーの側面そくめんがコンクリートでられて火花ひばなっている。


 ガガガガガガガ!!


 運転席うんてんせきすわってハンドル操作そうさをしている楽保よしやすさんが大声おおごえ言葉ことばはっする。


今度こんどのはれるといいんですがね! まえみたいなのじゃなくて!」


 俺がさけかえす。


まえのはれなかったんですか!?」


「カミさんと一緒いっしょに、故郷こきょう愛媛県えひめけんまではげたんですがね! そこで温泉おんせん旅館りょかんものつかまりました!!」


 銃弾じゅうだん戦場せんじょうでの兵士へいし同士どうしであるかのようにおおきなこえわしい、俺がうしろをくと相変あいかわらずワゴンしゃ火花ひばならしていかけてきているのがわかる。


「まだってきてますよ! しつっこいですね!」


 俺がそうさけぶと、金物かなものたたいたおとかえるかのように、楽保よしやすさんが即座そくざこたえてくる。


啓太郎けいたろうくん! 座席ざせきしたにオイルかんがあるのがわかりますか!?」


 そうたずねられて、俺ははじめて後部こうぶ座席ざせき足元あしもとに、自動車じどうしゃかんする仕事しごとをしているひとがよく使つかう、エンジンオイルのおおきなかんよこたわっていることに気付きづいた。


「はい! どうするんですかこれ!?」


路地裏ろじうらけたら、それをみぎまどからめいいっぱいながしてください! すぐひだりがりますんで!」


 俺は即座そくざこたえる。


「わかりました!」


 俺がエンジンオイルかんふたくことを確認かくにんして、みぎほうのすぐした火花ひばならしているまど手回てまわしハンドルでけていると、楽保よしやすさんがさけぶかのように俺につたえる。


「あとは、路地裏ろじうらからさいに、ひと自転車じてんしゃとおらないことをいのるばかりですね! いくら緊急きんきゅう事態じたいとはいえ、ひところしちまったら私は刑務所けいむしょきです!」


 そんな緊張感きんちょうかんめた言葉ことばつづき、楽保よしやすさんはハンドルのうらからているウィンカーレバーをひねってハイビームにし、クラクションをつづけざまにらしはじめた。


 プァン! プァンプァン! プァン!


 もうちょっとで路地裏ろじうらけるひかりこうがわに、クラクションのおとひびく。


――出口でぐちだ。


 両隣りょうわき火花ひばならしていたタクシーは、くらかったビルの隙間すきま路地裏ろじうらた。


 けたところのすぐちかくには、おそらくは路地裏ろじうらからひびいてくるクラクションをあやしんだのであろう、スーツをたサラリーマンふう通行人つうこうにんあしめていて、いきなり路地裏ろじうらからしてきたこのタクシーを呆然ぼうぜんとしていた。


――あっぶねぇ!!


 そうおもうやいなや、楽保よしやすさんの運転うんてんしているタクシーが車道しゃどうしてすぐさまひだりがったので、俺はふたけていたオイルかんで、指示しじされたとおりにみぎまどからエンジンオイルを大量たいりょうそそはなった。


――すぐ、うしろからマフィアのくるまいかけてくるはずだ。


 そうおもってすぐ、予想よそうどおり俺たちがさっきまでとおっていた路地裏ろじうらから、マフィアのくろいワゴンしゃしてきた。


 キキィィィィィッ!!!


 マフィアのったくろいワゴンしゃが、道路上どうろじょうにばらまかれた油膜ゆまくによって摩擦力まさつりょくうしない、スリップをする。



 バァッゴォォォォン!!!


 そして、ほかにどの自動車じどうしゃ通行人つうこうにんむこともなく、かいがわ建物たてものまもるように敷地しきち外縁がいえんととのえられていた生垣いけがきのブロックに衝突しょうとつし、おおきくげてから車輪しゃりんちゅういたとおもったら、しばらくの滞空たいくう時間じかん派手はでおとよこだおしになってすっころんだ。


 その様子ようす運転席うんてんせきからバックミラーでていたのであろう楽保よしやすさんは、はかりごと上手うまくいった戦国せんごく武将ぶしょうであるかのように快哉かいさいこえげる。


「ははぁっ!! よしっ!! 成敗せいばいっ!!」


 そんな、いくさったときげるときこえいて、俺はこんなことをおもう。


――さむらいみたいなひとだなほんとに。


 そして、楽保よしやすさんの運転うんてんするタクシーは、れいのマフィアのワゴンしゃ横転おうてんしたところから充分じゅうぶんはなれたところにて、歩道ほどう沿ってまる。


 あのマフィアの横倒よこだおしになったくるまていると、激突げきとつしてげて転倒てんとうする原因げんいんになった生垣いけがきブロックでかこまれた敷地しきちの、おおきな建物たてものからわらわらと制服せいふくつつんだ警官けいかんてきて、マフィアのくろいワゴンしゃかこはじめる。


「あ、あの建物たてものってもしかして……」


 俺がそうたずねかけると、楽保よしやすさんは冷静れいせい沈着ちんちゃくに、だがどこか得意とくいげに俺にげる。


「はい、警察署けいさつしょです」


 そんなことを飄々ひょうひょうかた楽保よしやすさんに、俺は感心かんしんしつつも呆然ぼうぜんとする。


 そして、停車ていしゃしたタクシーのサイドブレーキをき、完全かんぜん駐車ちゅうしゃして楽保よしやすさんが運転席うんてんせきからりる。


 そんなおもいもしなかった行動こうどうに、襟元えりもとにほつれたマフラーをいていた俺は、後部こうぶ座席ざせきとびらひらかれていたまどからかおしてたずねる。

 

「ちょっとってください、どこへくんですか?」


 すると、そとっている楽保よしやすさんは超然ちょうぜんとした態度たいどでこうべる。


警察署けいさつしょに、こうなってしまった理由わけをちゃんとはなしにいきます。まあ、大人おとな責任せきにんってやつですね。啓太郎けいたろうくんはここでしばらくっていてください」


 そんなかんじで、この四十代よんじゅうだいなかばのしぶ精悍せいかん顔立かおだちをしたさむらいみたいな男性だんせいは、一歩いっぽ一歩いっぽ警察署けいさつしょほうあるいていった。


 無責任むせきにんに、げたりせずに――


 きっちりと政府せいふ機関きかんであるおおやけたいして、なにきたのかを、大人おとな役目やくめとして説明せつめい責任せきにんたしにく――


 俺はその楽保よしやすさんのうし姿すがたに、覚悟かくごをもってみしめるしんおとことしてのざまと、ひとのいない鬱蒼うっそうとしたもりにて孤高ここうきるおおかみのような気高けだかさをたようながした。

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