第62節 ペイ・フォワード




 一月いちがつ中旬ちゅうじゅんの、あるさむふゆ夕方ゆうがたのことであった。


 高校こうこう指定していのブレザー制服の上にブラウンいろのカシミアコートをを羽織はおり、首周くびまわりに毛糸けいとあおいマフラーを巻いた俺が、いつもみたく高校からに帰ってきたところであった。


 ドア付近にある指紋しもん検知器けんちきにて、指先ゆびさき指紋しもん静脈じょうみゃくいえとびらをピッという音とともに解錠かいじょうする。


 そして扉を開けて入ると、この豪邸ごうていにてみで働いてくれている、まだ十五歳で来月の26日に十六歳の誕生日をむかえるというりょうみおがみメイド少女のかなでさんが白っぽい亜麻色あまいろの髪を後ろに垂らしつつ、いつものように忠犬ちゅうけんみたくパタパタとスリッパの音を鳴らして迎えに来てくれた。


 しかし、その日はいつもと様子が違った。


 毎日毎日中学校にもいかず引きこもっていてゲームやネットのようなインドア活動ばかりをしている、自堕落じだらくねこのように勝手気ままな妹の美登里みどりがどことなく高揚こうようした感じで、かなでさんと共に玄関にやってたのである。


 いもうとはそのふたつのリボンでわれた長いツインテールがみ興奮こうふん気味ぎみらしつつ、玄関口の俺にはなしかける。


「……お兄ちゃん。たった、たった」


 そのいきなりの妹の発言に、俺はきょとんとしながら返す。


「へ? 当たったって何がだ?」


 すると、美登里みどりのすぐかたわらにいる、ヴィクトリア朝のイギリスっぽさを思わせるようなロングスカートメイド服のコスチュームを着た、かしこまったたたずまいのかなでさんが俺に伝える。


声優せいゆうさんとの……握手券あくしゅけん? というのが当たったとおっしゃっています……」


「え? マジ!?」


 俺が玄関口でポカンとしながら返すと、妹の美登里みどりが感情をたかぶらせた様子で俺に話しかける。


「……マジだよ、マジ」


 妹が、段差の下にいる俺の手を引っ張る。


「こらこら、引っ張るな。今靴脱ぐから」


 俺はそう言って、池袋いけぶくろ近くに住んでいる友達であるヤンキー少女と一緒に巡った靴屋くつやにて買った、青い流線型の模様が入ったスニーカーを乱雑らんざつに脱ぐ。


 そして、段差を上がって妹に手を引っ張られつつ振り向くと、背を向けてかがんだかなでさんが無言でくつを整えてくれてたのが見えたので、俺は軽くそのメイド少女の後姿に向かって会釈えしゃくをする。


 そして、妹に手を引っ張られて大広間おおひろまにある階段かいだんではない方の階段かいだんからマンション部屋へやないうえかい、すなわち上階じょうかいに上がるルートで、妹の部屋まで連れられていく。


 妹の部屋に至る途中にて、俺は手を引っ張られながら前を行く美登里みどりに尋ねかける。


声優せいゆう握手券あくしゅけんってコミックCDで当たるやつだよな?」

「……そうそう。正確に言うとそれぞれのCDにキー番号ばんごうがついていて、その番号ばんごうを公式サイトに抽選日ちゅうせんびまでに入力しとくと、当日に当選したかどうかを教えてくれるシステム」


 そんなやりとりをしながら、俺と美登里みどり兄妹きょうだいは一緒に廊下ろうかけ、豪邸ごうていらしくゆるやかな勾配こうばい階段かいだんのぼり、上階じょうかいにある妹の部屋の前までやってきた。


――美登里みどり、何種類もコミックCD買ってたみたいだからな。


――そのうちの一枚が当たったってことか。


 俺の手を離した後、自分の部屋なので当然の事ながらノックもせずに勢い良く木目調のドアを開けた妹は、三台のモニターがえられてある妹専用ゲーミングデスクの前に駆け寄る。


 そして、その前に置いてある二人用ソファーに腰を落ち着けて座席の端にて、一人分の位置を占める。


「……ほらお兄ちゃん、これこれ。コミックCDの声優せいゆう握手券あくしゅけんについての当選とうせん番号ばんごう照会しょうかい画面がめん


 少し離れた場所から妹がそんな感じではやてるので、俺は開かれたドアをゆっくりと閉めながら返す。


あせるな、あせるな。すぐそっち行くから」


 俺はそんなことを言って、かなでさんがんでくれた毛糸けいとのマフラーを首に巻いた制服姿のまま、妹が座っている二人掛けソファーのもう片方、妹の隣に座る。

 

 目の前にある机の上には、最新式の高性能デスクトップパソコンから出力を得て接続されている、三枚のモニター画面が設置されている。


 三枚も本当に必要なのかははなはだ疑問なのであるが、おそらくは妹の趣味であるゲームを最大限に楽しむためのものなのだろう。


 俺の隣に座っている妹が、机の上に置いてあるマウスを操作し、なにやらブラウザ画面を広げてインターネット上のウェブページを見せてくる。


 そこには、妹のネット上での名称を示している『うぐうぐ』という文字と一緒に、こんな表示が現れていた。




『うぐうぐ さん。おめでとうございます! ファン感謝交友券に当選しました!』




 二人掛けソファーに座りながらその画面を見ていた俺は、隣にいる妹の美登里みどりに尋ねる。


「これか? これが声優せいゆうさんとの握手券あくしゅけんが当たったってことなのか?」

 

 すると、妹がウキウキした顔をしながら俺にうれしそうな声をかける。


「……そうだよ。それもお兄ちゃんがわたしの誕生日にプレゼントしてくれたコミックCDの番号が当たったってこと」


「ええっ!? マジかよ!? 俺が池袋いけぶくろで買ったあのCDか!?」


 俺がおどろきの声を上げると、美登里みどりがなんとなくほほふくらませ、息を吹き出しつつ喜悦きえつこえす。


「……ぷふー、マジだよ。やっぱりおにいちゃんのクジうんつよさっていうか、豪運ごううん具合ぐあい寒々さむざむとするくらいすさまじいね」


――ええー、マジかー。


――ここまでついてると、なんっつーか反動はんどうこわいな。


 俺はそんなことを考えながら、三枚のモニターに表示されているウェブページ画面を再びながめる。


 隣にはいもうとが座り、無線マウスをテーブルの上のアニメキャラがえがかれたマウスパッド上で動かしつつ、なにやらカチカチとクリック操作をしている。


 俺はいもうと美登里みどりたずねる。


「それで……美登里みどりが当てた奴、何て漫画のコミック CD だったっけ?」


 するといもうとが、きゅう饒舌じょうぜつになる。


「……『センス・オブ・ワンダーワールド』、通称つうしょうSOWソウ』。文明崩壊後ポストアポカリプスうえ絶望郷ディストピアになった未来みらい日本にほん舞台ぶたいにした古事記こじきをモチーフにした SF 漫画コミック。あんまり有名じゃないマイナーな雑誌ざっし漫画まんがなんだけど、カルトでコアな世界観が細部さいぶにわたってこまやかにつくりこまれてるので、かんじの熱狂的ねっきょうてきなファンがわりと多い」


「あー……そうなんだ」


 俺が軽く流そうとすると、妹は血気けっきさかんな表情でマウスを操作し、画面上のカーソルでリンクをクリックする。


「……で、このわたしのいちしキャラ。アルビノメイドのイナちゃん」


 開かれたブラウザの中にあらわれたウェブページ上には、おそらくは漫画まんがのキャラクターなのであろう、しろかみしろはだあかをした、随分ずいぶん際立きわだった特徴とくちょうそなえた少女しょうじょのカラーイラストがえがかれていた。


 どこかのイラストサイトにてえがかれたその少女しょうじょは、ふたつのながみみのような白いテールがみりょうサイドにらして、まるで美登里みどり当初とうしょかなでさんにさせたがっていた格好かっこうのようにみじかいスカートのメイドふくて、その太腿ふとももせたあしには二―ソックスをいて絶対ぜったい領域りょういき主張しゅちょうしている。


 おそらくは、美登里みどりがミニスカメイドふくかなでさんにさせたがっていたのは、このキャラクターの影響えいきょうであろう。


 俺は尋ねる。


かみはだしろいけど、白人はくじんさんか?」


 すると妹が、自分の領域エリアに入ってきた小動物しょうどうぶつ確保かくほしたねこであるかのようなうれしそうな横顔よこがおで答える。


「……厳密げんみつにはちがう。日本人にほんじんあたりをベースにオモ博士はかせ遺伝子いでんし操作そうさで生み出したデザインドヒューマン。もう一人、ついになる存在そんざいくろかみくろはだのメラニズムメイドのヤトちゃんってのもいる。で、キュートでいき暗殺者あんさつしゃのヤトちゃんと違ってチャーミングで悪戯いたずら好きなハッカーのイナちゃんはナムくんが好きすぎてナムくんのためならスサさんやテラさまの制止を振り切ってときどきやりすぎちゃうくせがあって……」


 なんだかいもうとが、俺にはまったくわからない漫画まんが内容ないようをオタクっぽく早口はやくちでまくしたてはじめた。


「はい、ストップ、ストップ。ひとまず落ち着け」


 俺は昂進こうしんしているいもうとに対してそんな感じでなだめ、はつ声優せいゆう握手券あくしゅけんが当たったという事実じじつにたちまち感激かんげきしてあからさまに興奮こうふんしているいもうと美登里みどり暴走ぼうそうを食い止めようとこころみる。


 俺は兄として、いもうと趣味しゅみをできるだけ否定ひていせずに柔和にゅうわいかける。


「で、美登里みどりはその漫画まんがのファンなんだな? 面白おもしろいんだな?」


 すると、妹の美登里みどりがコクリとうなずく。


「……うん、ちょう面白おもしろい。っていうか、こんなマイナーな雑誌にこんなに波長はちょう漫画まんがまってるって思わなかった。『まんがのさと』に感謝かんしゃ


――『まんがのさと』?


 その、聞いたことのない固有名詞こゆうめいしが気になった俺は、隣に座っている妹の美登里みどりに尋ねかける。


「『まんがのさと』って各出版社かくしゅっぱんしゃ漫画まんがをネットじょう公式こうしきにアップロードしているっていう定額ていがく漫画まんが見放題みほうだいサイトのことか?」


 すると、いもうとが再びうなずいてこたえる。


「……うん、正式せいしき名称めいしょうじゃないけどね。平成へいせい時代じだいにまだ法整備ほうせいびがあまりされてなかったときに個人こじん運営うんえいしてた違法いほう漫画まんがアップロードサイトがあったんだって。その違法いほうサイトの名称めいしょうが『まんがのむら』。で、こっちはそこからちょっとひねって名付けられた俗称ぞくしょうおもにネット上ではこっちの公式サイトは『まんがのさと』って愛称あいしょうで呼ばれてる」


 妹はそんな感じで言葉ことばつらね、それからひと呼吸置いたのちに再び机上きじょうの無線マウスを操作する。


「……お兄ちゃんにも見せてあげるね。『まんがのさと』のサイト」


 いもうとはそんなことを言いつつ目の前のモニターに、どこかのウェブページを開けて表示させる。


 そのウェブページのサイト上には、おそらくは日本にほん有名ゆうめいどころからマイナーどころまでなのであろう、多種多様たしゅたよう漫画まんが表紙ひょうし画像がぞうが並べられて表示されていた。


 俺は隣に座るいもうとたずねる。


「これ、何作品くらいあるんだ?」


 すると、妹がこたえる。


「……昭和しょうわ時代じだい黎明期れいめいきのから平成へいせい時代じだい興隆期こうりゅうきとおして令和れいわ時代じだい最新さいしんのまで、日本中にほんじゅうのほとんどすべての漫画まんが作品さくひん網羅もうらしているらしい。単巻たんかん作品や単話たんわ作品もかなりあるから軽く数十万作品ほど」


 そんな妹の言葉に、俺は感嘆かんたんの息をらす。


「すげーな……ネット上にある漫画まんが総合そうごう図書館としょかんか……月会費げっかいひ、いくらで会員かいいんになれるんだったっけか?」

「……成人せいじんだったら月ごとに支払うとしたら、ひと月に1430円だね。18歳未満の未成年みせいねんだったら毎月440円」


 そんないもうとの言葉に、俺は頭の中で少しばかり思惑しわくめぐらせる。


――こんなの、出版社しゅっぱんしゃはどうやっても赤字あかじになるんじゃねーの?


――だって、このサイトがあれば読者どくしゃ雑誌ざっし単行本たんこうぼんもまったくわなくなる。


――単行本たんこうぼん一冊いっさつ500円くらいだとすれば、読者どくしゃは3冊分さつぶんんだらおつりがる。


――ぎゃくに、出版社しゅっぱんしゃにしてみればひと月に3冊分以上読まれたら赤字になるわけだ。


――どう考えても、商売しょうばいとしてたねーんじゃねーか?


 俺がそんなことを考えていると、隣に座っている妹がどことなくにやけた顔をしながらこちらの方をのぞき込んでくる。


「……不思議ふしぎそうだね、お兄ちゃん」


 俺は返す。


「ああ、どうやって利益化ペイしてんのかなーって思ってな」


 すると、妹がモニターに向き直りマウスパッドの上にあるマウスでカーソルによる操作をもう一度始める。そして、俺に横顔でしゃべりかけてくる。


「……まずね、このサイトは日本人のためだけのサイトじゃないの」


 そんな妹の言葉と共にモニター上のカーソルが操作され、表示が日本語から別言語へと次々と切り替わっていく。


「……ほら、これが英語版。そしてフランス語版、ロシア語版、スペイン語版やアラビア語版。プルダウンメニューの選択ひとつで即座に切り替わる仕様になってるの。中国語だったら台湾たいわん香港ほんこんで使われてる繁体字はんたいじにも、中国本土で使われてる簡体字かんたいじにも対応してる」


 そんな様子を見て、俺は感心の息を漏らす。


「あー……なるほどな、日本国内だけじゃないんだな。世界中の漫画まんがきの人らがこのサイトを利用してるってことか」

「……そゆこと。日本人向けだけだったらどんなに多くても市場しじょうはせいぜい数百万人規模。でも、このサイトは世界中の漫画コミックスファンに向けて作られているから、市場しじょうは大体数千万人から一億数千万人規模になっている。つまり、日本人向けだけの場合の数十倍の規模で展開されているってことになる」


 そんな妹の言葉に、俺は少しばかり考える。


 仮に、一億人のユーザーが月に千円くらいを支払ってくれるとしたら――


「世界中に一億人の会員がいるとすれば、一人あたりの利益が千円かそこらでも月に固定収入が一千億円くらい、一年あたり一兆円超えの市場しじょう規模きぼか……とんでもねーな」

「……ま、それぞれの国の物価によって月会費げっかいひは変わるみたいだけどね。日本にほん世界的せかいてき標準ひょうじゅんからすれば上の下くらいの価格かかく設定せっていになってるらしい」


 俺は美登里みどりに尋ねる。


「でも、そんなに簡単かんたん翻訳版ほんやくばんなんかつくれんのか? 翻訳家ほんやくかやとうにもけっこうなおかね必要ひつようなんじゃねーのか?」

 

 すると、妹が応える。


「……それぞれの国の、日本語を自国語に翻訳ほんやくすることができるファンがそれぞれ独自に翻訳ほんやくしてるらしい。そして、翻訳ほんやくされた漫画まんが閲覧数えつらんすうに応じて、あとからその翻訳ほんやくしてくれたファンにロイヤルティが支払しはらわれる仕組しくみなんだって」

 

「へー……なるほどな、うまくできてんだな。でも、国によって色々な禁忌きんきがありそうなんだがそこはどうなってんだ?」


「……それはね、出版社が事前に年齢、国籍、性別、宗教でレーティングしてるんだって。アメリカでは子供こどもはだかはダメとか、中国ちゅうごくでは反政府はんせいふ勢力せいりょくのヒーローはダメとか、イスラムけん一部いちぶでは同性愛どうせいあい表現ひょうげんはダメとか禁忌タブーがいろいろあるから、かなり気を配っているらしい。ダメな表現が含まれている漫画は、該当がいとうするコマが台詞せりふ以外いがいりつぶされているか、場合によっては作品単位で見れなくなってる」


 そんな妹の語り口に、少し考えた俺は口を開く。


「あーそうか、なるほどな。電子でんし書籍しょせき漫画まんがってのはいくらでもコピーが可能かのうなデジタル商品しょうひんだから、ユーザー一人ひとりたりのげが十分じゅうぶんいちになったとしても、ユーザーのかず十倍じゅうばい以上になれば全然問題なくて、むしろ収益しゅうえきは増えるってことになるんだな。だから読み放題であっても出版社はペイできるってことか」


 俺のそんな言葉を聞いて、美登里みどりがドヤ顔になる。


「……そうだね。アメリカとか中国とかの国籍じゃレーティングで見れない漫画なんかも沢山あるらしいんだけど、そもそも現地では日本にほんかみでできたかみ書籍しょせきの方の漫画まんががあまり流通してないから、状態じょうたいらしい。ま、こういうときにはわたし日本人にほんじん本当ほんとうによかったっておもうかな……エロい漫画まんが普通ふつうれるし」


 そのくちすべらした14歳のいもうと言動げんどうに、俺は質問しつもんげかける。


「ちょっと待て、美登里みどりまえ何歳なんさいってことにして登録とうろくしてんだ?」


 すると美登里みどりが、きまり悪そうな顔をして口をとがらせ、明後日あさっての方角を向く。


「……えーっと……まあ、1984年生まれってことになってるから……39歳かな。GLACガラク 師匠ししょうFPSエフピーエス ゲームで言われた通りにしてる……かな」


 そんなまごついた口調に、俺はきっぱりと兄として注意をうながす。


「だーかーらー、そういうことをするんじゃない。サイト閲覧えつらん禁止きんしにするぞ」

「……えー、だってー……18歳未満の未成年みせいねんってことにしちゃうと漫画まんが修正しゅうせいきついんだもの……一般いっぱん漫画まんが乳首ちくびはおろか、パンチラとかまで普通ふつう修正しゅうせいかかってるし……漫画まんが技法ぎほう勉強べんきょうおろそかになっちゃうよ」


 俺がソファーの上にていもうと無軌道むきどうさに辟易へきえきすると、美登里みどり誤魔化ごまかすようにマウスを操作そうさしクリックをかえす。


「……ほらほら、見て見て。別ウィンドウを開いて二画面にして、それぞれの言語を別々にすることもできるの。こうやって日本語版と外国語版を並べて見比べながら読んでいくと、外国語の勉強にもなるんだよ、お兄ちゃん」


 そんなことを言いつつ妹がなにやらウェブページを開いてきたので、俺はその画面を見る。


 まったく同じ漫画のページがふたつ、それぞれのウィンドウに日本語と、中国本土で使われているのであろう画数かくすう随分ずいぶん簡略化かんりゃくかしたような漢字による中国語で表示されていた。


 妹はどうかサイト閲覧えつらん禁止きんしされないようにと、必死に言葉を続ける。


「……英語えいごも、このサイトで勉強べんきょうしたらすご効率こうりつがいいんだよ。最近は、小雅しゃおやぁさんに影響えいきょうされて中国語ちゅうごくご勉強べんきょうしているの。こんな有益ゆうえきなサイト、わたしにとっては禁止きんしなんかされずに続けていった方がいいよ、お兄ちゃん」


 俺は美登里みどりの勝手気ままさにあきれながら、あきらめの言葉をらす。


「わかったよ、好きにしろ」

「……ホント!? 流石さすがにいちゃん!!」


 俺は隣に座っている美登里みどりに向き直る。


「ただし、父さんにも母さんにも姉ちゃんにも、他の人には言うなよ。あと、成人せいじん男性だんせいけのエロのためだけにかれた漫画まんがは読むんじゃないぞ。それはお兄ちゃんと美登里みどりとの約束だ、守れるか?」

「……うん、わかった。約束する」


 ほほを少し赤らめた妹がそんなことを言って、俺に視線しせんを向けつつうなずく。


 俺にとってはすこうしろめたく、またがかりでもあるのだが、俺はこのいえなかにしか世界せかいのほとんどがないいもうと趣味しゅみ実益じつえき最大限さいだいげん尊重そんちょうしてやることにした。


 そして妹が再びマウスでカーソルを操作し、その『まんがのさと』と呼ばれている定額ていがく漫画まんが見放題みほうだいサイトの別画面を開けようとする。


「……で、こっちが日本国内だけに向けた出版社群しゅっぱんしゃぐんのもう一つの収益しゅうえきはしら。ファンメイドクリエイションマーケット」


――ファンメイドクリエイションマーケット?


――また、聞きなれないオタク用語だな。


「それって、どんなものなんだ?」


 俺がそう言うと、妹は目の前のモニター画面にて何らかの漫画キャラクターをモデルにしたのであろうフィギュアや、クリアファイルや、バッジ、マグカップなどの様々なキャラクター商品がそれぞれの金額と共にずらりと表示されたページを見せてきた。


 どうやら様々な漫画に登場するキャラクターの商品を扱っている、電子商取引 E C サイトのようであるらしい。


 妹は不敵な笑顔を見せてくる。


「……ちょっとばかり前に、パロディ作品とかの二次にじ創作物そうさくぶつ公正こうせい利用りよう合法化ごうほうかされたってニュース、聞いたことない?」


「あー……そういえばちょっとむかしにテレビのニュースで聞いたかも。興味なかったんでスルーしたけど。それってどんな法律なんだ?」


「……ま、ものすごくざっくり言うと、げん創作物そうさくぶつがある同人誌とかのパロディ作品でも、それが公正こうせい利用りようされるかぎ著作権法ちょさくけんほう違反いはんしないっていう法律ほうりつ。海外とかじゃ『フェアユース』って呼ばれてるらしいんだけどね」


 そんなことを得意とくいげにかたいもうとに、俺はかえす。


「その法律ほうりつが、このサイトと何か関係しているのか?」


 すると、妹がこれ以上ないほどのドヤ顔で応える。


「……その、創作そうさくされた二次にじ創作物そうさくぶつのことを最近は『クリエイション』ってんでるんだけど……実はこの『まんがのさと』のそれぞれの漫画まんがページからリンクでつながっている ECイーコマース サイトの創作物クリエイションはね……なんと、全部ぜんぶその漫画まんがのファンが作ったファンメイドの二次にじ創作物そうさくぶつなんだよ! お兄ちゃん!」


「あー、そうなんだ」


 俺が気の抜けた感じで返すと、妹が当惑とうわくの表情を浮かべる。


「……え? なんであんまりおどろかないの、お兄ちゃん? 二次にじ創作物そうさくぶつ出版社しゅっぱんしゃとかの公式こうしき宣伝せんでんで売られているのって物凄ものすご画期的かっきてきなことなんだよ!?」


「いや、そう力説りきせつされてもあまりピンとこねーよ。そもそも俺、オタクじゃねーし」


 すると、美登里みどりが少しばかりふくれっつらになる。


「……ぷー、革命かくめいとも言えるくらい物凄ものすごいことだってのに……」


 美登里みどりがちょっとばかし不機嫌ふきげんになったので、俺は少しかんがえてからフォローを入れる。


「あーっと、おそらく、この漫画まんがのファングッズがれたらそのげのなかから元作品もとさくひん漫画家まんがかにいくらかの金額きんがく支払しはらわれるってことなんだろうな」


「……多分たぶんね。なんパーセントくらいかはわかんないけど。ファンにとっても著作権者ちょさくけんしゃにとっても WIN-WINウィンウィン な関係なんだと思う」


 俺のフォローに機嫌きげんを直した妹はそんなことを言うと、思い出したようにつぶやく。


「……あ、そうだ。握手券あくしゅけんが当たったのがうれしくてすっかり忘れてた」


 そして妹は、机の下からスライドするテーブルを引き出して、その隙間すきまに置いてあった無線キーボードをなにやらカタカタと操作する。


 しばらくすると、目の前のモニター上にはどこかの地方新聞社が掲載しているのであろう、ニュース記事の表示が現れた。


 そこにはこんな表示がなされてあった。


『鳥之枝温泉旅館 東京都の区に保養所として売却か』


 その記事を見て目を丸くした俺は、隣にいる美登里みどりに尋ねる。


美登里みどり? これって……もしかして……売れちまったのか? 秩父ちちぶにあるかなでさんの実家の温泉おんせん旅館りょかん?」


「……ううん、今のところ東京とうきょう保養所ほようじょとして買い取るかもしれないって区長くちょうさんが意思を示しているだけ。もし買うことになっても、区議会くぎかい予算案よさんあんを通さなきゃいけないらしいから、どんなに早くても今年の四月以降になる」


「ええー……マジかよ」


 俺はモニター前で背筋せすじを伸ばし、そんな呆然ぼうぜんとした声を心から上げる。


 そして、隣に座っている妹の美登里みどりが猫なで声で俺に言葉をかけてくる。


「……ねぇー、お兄ちゃん、かなでちゃんの実家の温泉旅館、十五億円でさっさと買っちゃおうよ。いまならまだ間に合うよ? それに、かなでちゃんもさちばあちゃんも実家が戻ってきたらすっごく喜ぶと思うけど?」


 その話しぶりにピンときた俺は、妹の美登里みどりに対して言葉をかける。


美登里みどり、お前、かなでさんに家政婦メイドさんとしてはたらいてもらえるよう俺におねがいしたのは温泉おんせん旅館りょかんのためだろ」


「……ぎくり」


――『ぎくり』って言葉は、声に出すもんじゃないぞ、美登里みどり


 美登里みどりすこほほめ、視線を外しながら誤魔化ごまかすように口を開く。


「……えーっと……ま、お兄ちゃんがコンビニの女の子に家政婦かせいふさんとして通ってもらいたがってたように見えたってのもあるけどね。それに、上手うまくいけばお人形にんぎょうさんみたいなわかくて可愛かわいいメイドさんと広々ひろびろとした温泉おんせんと両方手に入って一挙いっきょ両得りょうとくかなって思ってたし」


 そんなことをわるびれもなく小悪魔こあくまのような妹に、俺は大きく息を吐く。


――本当に、したたかだな美登里みどり


――そのしたたかさを一途いちず学校がっこうかしてくれれば、あながち不登校ふとうこうにもならなかったかもしれねーのにな。


 そこまで思った俺は、美登里みどりの頭をわしゃわしゃとでつつ声をかける。


「ま、そこはお兄ちゃん、美登里みどりの計画性をめといてやるよ。温泉旅館のニュースについても、よく教えてくれたな、美登里みどり


「……ま、何かいいものが欲しければ、まずは未来みらいに向けて相手に何かを提供しなきゃね。ギブアンドテイク、授与じゅよ収受しゅうじゅではギブ与えるが先なんだよ、お兄ちゃん」


 俺に頭をでられているいもうと美登里みどりはそんなことを言いつつ、飼い主にめられているねこのようなうれしそうな態度を見せる。


 そして、俺の頭の中ではかなでさんの実家であった鳥之枝とりのえ温泉旅館に関しての思惑おもわくが浮かび上がってきた。


――やっぱ、このままじゃいけねーな。


――俺もきっちり、かなでさんのために将来しょうらいに向けて動いとかねーとな。


 ギブアンドテイク、相互そうご授受じゅじゅにおいてはさずけるがさきけるがあと、か。


 そんなことを思いながら、ある冬の日の夕暮れに、俺はわがままな妹のツインテール頭をわしゃわしゃとでていた。



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