第59節 ボヘミアン・ラプソディ



 そしてやすみがけ、冬休ふゆやすみがわり三学期さんがっきはじまった。


 冬休み明けに体育館での始業式しぎょうしきませ、俺たち一年生の生徒せいとを教室にて待っていたのは、去年きょねんの十二月なかばにおこなわれた二学期期末きまつテストの返却へんきゃくの時間であった。


 教室にはそれぞれの科目かもくを担当している教師きょうしわりわりやってきて、教卓きょうたくにて学生番号順に生徒の名前を呼んで、採点さいてんがされた銘々めいめい答案とうあん返付へんぷしていく。


 学業がくぎょう一応いちおう本分ほんぶんである俺たち高校生にしてみれば、この自分じぶんたちが生まれ持った才能さいのうである知能ちのうと、懸命けんめい頑張がんばってきた日々ひび努力どりょく成果せいかさらけ出されるこの瞬間しゅんかんというものは、ドキドキするものでもあるし、ヒヤヒヤするものでもある。


 の高校がどうなっているのか俺はよく知らないが、少なくともこの高校では生徒個人個人こじんこじんのプライバシーが尊重そんちょうされているので、テストの合計点数が順位付けられて廊下ろうかに張り出されることもないし、答案とうあん返却へんきゃくを受けるときに点数てんすうげられることもない。


 だから、少なくとも生徒においては、これらみずからの学力テストの結果を知ることになるのは、自分自身とおたがいに点数をおしえるなか友達ともだちくらいに限定げんていされている。


 これもやはり、自由じゆう校風こうふう評判ひょうばんの『二高ふたこう』なりの、生徒せいと自立じりつのありかたであるらしい。


 俺たち生徒は学生番号順に列をなしそれぞれの科目の先生から、国語こくご理科りかなどの主要しゅよう教科きょうか、そして音楽おんがく美術びじゅつなどの実技じつぎ教科きょうかまでの、一通りの答案とうあん順次じゅんじ受け取っていく。


 そして、各生徒が全てのテストの答案を受け取ったところで、最後さいごがクラスの担任たんにんたる佐久間さくま先生が戻ってきて教卓きょうたく陣取じんどり、生徒の名前を呼んでそれぞれの生徒の全ての科目の点数とその平均点、合計点、校内こうない偏差値へんさちが一枚にコンパクトに印刷いんさつされたプリントをあたえ、期末きまつテストの答案返却の時間が終わる。


 で、ふたたやす時間じかんとなり、俺たちはいつも集まっている友達ともだちグループ同士で固まり、テスト結果けっか内容ないようなどについてごく普通ふつうのそこらへんにいる平凡へいぼん男子だんし高校生こうこうせいらしく、とりとめなく無駄話むだばなし駄弁だべっていた。


 悪友三人、さとしすぐる高広たかひろがそれぞれの成績表せいせきひょうかみを手に俺のつくえそばに集まり、俺たち四人は口々にやりとりをわす。


啓太郎けいたろう、お前やっぱり英語えいごが得意なんだなー」


 座っている俺に、小柄こがらでソフトモヒカンな髪形かみがたをしているさとしが伝えてくるので、言葉を返す。


「ああ、英語えいごは小学生の頃からなんとなくできちまうんだ。他はだいたい平均かそこらへんなんだけどな」


さとしくんだって英語えいご得意とくいじゃない? あと現代文げんだいぶん古典こてんも」


 恰幅かっぷく七三分しちさんわけな髪形かみがたをしている高広たかひろがそうたずねると、さとしが返す。


「でもさー、オレ数学すうがく理科りかがボロボロだからさー。数式とかワケわかんねーって」


 そんな悪友のなげきに、俺が素直すなお感想かんそうべてこたえる。


「ってことはやっぱ、さとし完全かんぜん文系ぶんけいの頭してんだな」


 二学期に宝くじが当たったことがニュースで流れてから俺が初登校したときに、その口八丁くちはっちょうさでクラスメイトとの調整役ちょうせいやくになってくれた、さとしたくみな弁論術べんろんじゅつを思い返しつつそう言うと、そのお調子者ちょうしものな悪友は反応を返してくる。


「そーだよなー、オレ大学だいがく進路しんろ志望しぼう決めるとしたら、ぜってー文系ぶんけいだろーなー」


ぼくは全般的にテストの成績悪いからね。元々二高ふたこうに入れたのも奇跡みたいなものだったし」


 高広たかひろがそんなことを言いつつ、その手に持つ点数が印刷いんさつされたプリントに視線を落とす。


 そして俺が、まだ一人だけテスト結果のひょうをみんなに見せてない、ヒョロ長ノッポでぼさぼさ頭な眼鏡をかけた悪友に尋ねる。


「で、すぐる。お前はどんな感じだったんだよ?」


「ん? おれか? おれ通例つうれいどうりだな」


 そう声を出し、すぐるが俺たちに成績表を見せてくる。


 そのコンパクトなプリントに示されたテストの結果は、数学すうがく物理ぶつり満点まんてんで、英語えいご化学かがくのぞけばほか教科きょうかは赤点ギリギリの点数であった。


 さとしが感心したように声をかける。


「へー、すぐる、おめーまた数学すうがく物理ぶつり満点まんてんかよ。すっげーなー」


 すぐるは、一学期の中間テストも期末テストも、それから二学期の中間テストも、ずっとずっと数学すうがく物理ぶつり満点まんてん英語えいご化学かがく平均へいきんややしたくらい、他が赤点ギリギリの点数であった。


 俺も脇で感心していると、すぐる他意たいのないようなかおなんなしにかたる。


「そもそも、貴様きさまらは何故なにゆえにあんな簡単なテストで満点が取れんのだ? あのような初歩的な数学すうがく物理ぶつりの問題なんざ、かたさえ学べば小学生でもける子供こどもだましのパズルであろう」 


「それ皮肉ひにくかよ? すぐる?」


 俺が冷めた口調くちょうでそんなことを言うも、すぐる素面すおもてのまま不思議そうに応える。


「いやいや、皮肉ひにくではないぞ。本当ガチにわからんのだ。というより、文系科目と理系科目で難易度なんいどがあり過ぎやせんか? 何故なぜ貴様きさまらはあんなむずかしい問題でそこそこの点数が取れるのだ?」


 そんなすぐるてらいのない真剣な表情を見て、俺は気づく。


――あ、こいつ俺たちを見下してる訳でもなんでもなくて。


――ナチュラルにガチで言ってるな。


 俺はそんなことを思い、悪気わるぎ悪友あくゆうの顔を薄笑うすわらいしながら見る。


 すると、さとしが笑いながら言葉を出す。


「ってことはさー、やっぱすぐる根本的こんぽんてき理系りけい脳味噌のうみそしてるってことなんだなー」


 高広たかひろものんびりと言葉を重ねる。


「みんなみんな、頭のつくりや出来できなんて全然違うしね。仕方ないよね」


 と、そこで授業開始一分前の予鈴よれいが教室にひびく。


 キーンコーンカーンコーン


 その合図と共に、それぞれ成績を見せ合っていたクラスメイトたちのグループが、おのおの解散かいさんして自分の席に戻り始める。


 俺たちのグループメンバーもそれぞれ自分の席に戻り、これから始業式の日の三限目が開始するという段取りになる。


 おそらくはこれから、一年生が三学期に受ける予定となっている学校がっこう行事ぎょうじの話になるのであろう。


 窓際まどぎわの席に座っていた俺は、すぐかたわらにある教室の窓ガラスのはる彼方かなた向こうにある、この新春しんしゅん季節きせつにありがちなみやかにわたった青い空を見上げていた。


 そして、頭の中で考える。


――将来しょうらい進路しんろ志望しぼう、か。


 先ほどの話題の中で言及げんきゅうされた『将来しょうらい進路しんろ志望しぼう』について、俺はあてもなく思索しさくふけらんとしていた。


 去年の夏にした家族五人での海外旅行のさいに、俺がたまたま買っていたアメリカの宝くじが当たってからというものの、今現在いまげんざいの俺の手元にはそこそこのサラリーマンが一生いっしょうかかってやっとかせすことができる生涯しょうがい賃金ちんぎんおおむね百倍、三百億円さんびゃくおくえんえる超大金ちょうたいきんがある。


 当然の事ながら、もうはたらかなくても一生遊んで暮らしていけるだけの金額だ。


 つまり俺は実のところ、もう勉強べんきょうをする必要ひつようはないのだともいえる。


――俺たち高校生のような学生が、何故なにゆえ勉強べんきょう頑張がんばらなくてはいけないか。


――それには明確めいかく瞭然りょうぜんとした、シンプルな理由がある。


――勉強べんきょうをして、その成果せいか学歴がくれきという形でしっかりと残しておかないと。


――将来しょうらい企業きぎょうなどにやとわれるときに、雇用こようしてくれる人に信用しんようされないからだ。


 お金を持っているやとぬしが誰かはたらいてくれそうな人をやとおうとするときに、一番いちばん重要視じゅうようしするものは『信用しんよう』だということを、俺はかなでさんを家政婦メイドさんとしてやとさいに気付かされた。


 基本的きほんてきに、それぞれの知能ちのうやセンスなどの才能さいのう多寡たかはあれど、学校がっこう成績せいせきというものは適切てきせつ努力どりょくすれば努力どりょくしたぶんだけ個人こじん素質そしつおうじたびをしめす。


 ぎゃくたと先天的せんてんてき地頭じあたまかったとしても、勉強べんきょうという努力どりょくをまったくせずになまけてばかりでいてしまっては学校がっこう成績せいせきわるいままだし、ある程度ていど学歴がくれきすらけることはできない。


 つまり、おおよそではあるがある程度ていど学歴がくれきというものは実際じっさいにどんなことを勉強べんきょうしたか、その人間にんげんにどれだけのまれった先天的せんてんてき知能ちのうがあるかということよりはむしろ、『適切てきせつ努力どりょくをしつづける能力のうりょくがあるか』ということの証明書しょうめいしょとして機能きのうしているわけだ。


 たとえば、俺たちがデパートやスーパーで食料品しょくりょうひんのようなしつにバラつきのあるものうときには、その食料品しょくりょうひん美味おいしいものなのかどうか、安全あんぜんものなのかどうかということを、産地さんちしるされたラベルである程度ていど判断はんだんする。


 そして企業きぎょう人間にんげん労働力ろうどうりょくとしてやとうときも、その人間にんげんをある程度ていど吟味ぎんみするために学歴がくれきおなじことがおこなわれる。


 すなわちというものは、なのだ。


 そこそこの学歴がくれきというものは社員しゃいんやとおうとする企業きぎょうにとって、その人間にんげん能力のうりょく仕事しごと出来できなどの才能さいのう見極みきわめるための基準きじゅんなのではなく、どれだけたりまえことたりまえにできそうかを見極みきわめるための基準きじゅんなのである。


 べつ言葉ことばえれば、学歴がくれきとはどれだけ根性こんじょうがありそうかを見極みきわめるための基準きじゅんなのだともいえる。


――努力どりょくをしたってかならずしもその努力どりょくむくわれるとはかぎらない。


――だが、努力どりょくをしなければ現実げんじつかならずや俺たちをめる。


 それがこの人間にんげん社会しゃかい、いやおそらくは何億年なんおくねんむかしからある自然界しぜんかい基本きほん法則ほうそくそのものに由来ゆらいしているのであろう、人類じんるい文明ぶんめい以前いぜんから延々えんえんつづいてきたからくも残酷ざんこくなシステムだ。


 きとしけるものは全員ぜんいん全員ぜんいんとも、たがいがたがいにおなじその位置いちとどまりつづけるためには、ちからかぎはしつづけなくてはいけないのだ。


 とはいっても――


 こんな達観たっかんしたような隠遁いんとんした老人ろうじんじみたことを、そこらへんにいるたんなる高校こうこう一年生いちねんせいがなにげなく、ごく自然しぜんかんがえられるわけがない。


 こんなことを考えることができるのは、俺が高校生でありながら超幸運ちょうこううんのみで身分みぶん不相応ぶそうおうにも数百億円もの資産を持つような億万長者になってしまったからだ。


 お金をほぼ際限さいげんなく、心配しなくてもいくらでも使える身分になってしまったからこそ、俺はおかねやお金儲かねもうけをしようとするひとたちについて、あれこれ客観的きゃっかんてきかんがえる余裕よゆうができたのである。


 おやから色々いろいろ有形ゆうけい無形むけい財産ざいさんいだ、まれながらの大金持おおがねもちというものは生活せいかつについて余裕よゆうがあるため、おかねがどういうものなのか、どういうシステムにのっとってなかながれているのか、どうすればおかねをもっともっとかせげるのかということなどを、あしをつけて時間をかけてしっかりとまなんでかんがえることができる。


 ぎゃくに、おかね余裕よゆうのないひとはおかねのことをあまりりもせずかんがえもしないまま、お金をもとつづける一生いっしょうごすことになる。


 子供こどもころからおや教師きょうしわれるまま学校がっこう勉強べんきょうをして、場合ばあいによっては大学だいがく進学しんがくして、そのまま自分じぶん能力のうりょく相応ふさわしい会社かいしゃ組織そしきなどにぞくして、日々ひび支払しはらいに追いかけられるように懸命けんめいはたらきつつもずっとずっとお金という概念がいねんそのものの本質ほんしつや、社会システムに関して無知なままの生涯しょうがいを送る。


 そしてそのような労働ろうどうでおかねかせ大多数だいたすう人間にんげんは、はたらくことでそこそこゆたかでたされた生活せいかつおくれるような小金持こがねもちの立場たちばにはなれても、使つかいきれないほどの超大金ちょうたいきんがあるような大金持おおがねもちになるのには、よっぽどの幸運こううんがないかぎり非常ひじょうむずかしい。


 まなぼうとする姿勢しせいまなぼうとしない姿勢しせい――


 っている知識ちしき存在そんざいらない知識ちしき存在そんざい――


 そして、日々ひびかんがえる習慣しゅうかんかんがえない習慣しゅうかん――


 そのわずかなわずかなちがいが、数年後、数十年後にはかえせないくらいのおおきなおおきなになってえてあらわれてくる。

 

 つまり、この世界せかいというものは根本的こんぽんてきに――


 お金持かねもちであればあるほどおかねかせぐのに有利ゆうりに――


 貧乏びんぼうであればあるほどおかねかせぐのに不利ふりにできている――


 それもまたおそらく、この人間にんげん社会しゃかいえることができないくやしくも残念ざんねん現実げんじつなのだろう。



 と、そこで時限開始の合図であるチャイムが教室に鳴り響く。


 キーンコーンカーンコーン


 新春しんしゅんんだ冬空をまどガラスの向こうに見上げていると、元日がんじつあさ友達ともだちみんなで初詣はつもうでをしたさいに、まれながらに大金持おおがねもちな金髪きんぱつ嬢様じょうさまギャルである親友しんゆう可憐かれん神社じんじゃ境内けいだいわれた言葉ことばが、俺の脳裡のうりおもこされる。


 


 「しばらくケータは、おかね歴史れきしについて勉強べんきょうしたほうがいいかもね」




――おかね歴史れきし、か。


 俺が冬休ふゆやすみの間に東京とうきょう池袋いけぶくろに行き、さっそく書店で『投資とうし』の本を購入こうにゅうしたのも、元旦がんたん可憐かれんにそんなことを言われたからであった。


――いまの俺になによりもまして必要ひつようなのは。


――多分、正しい『知識ちしき』なんだろうな。


――三百億円を超えるような超大金を持つ事により、くずしてしまうことをふせぐための『知識ちしき』なんだろう。


――なんせおかねというものは、人生じんせい存分ぞんぶんくるわせるだけの怪物かいぶつのようなちからっている存在そんざいだ。


――せっかく大金持おおがねもちになって労働ろうどうから自由じゆうになっても、人生じんせいくるって破滅はめつしちまったらなんの意味いみもねーからな。


 そんなことを思いながら俺は、抜けるようにんだ快晴かいせいあおい冬空を窓の外に見上げていた。


 自分のきる意味いみ将来しょうらい目標もくひょうがなくなってしまうのではないかという、どこか神経質しんけいしつなまでのほのかなほのかな狂想曲きょうそうきょくめいた危惧きぐむねなかいだいたまま――



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