第53節 マグノリア



 さて、俺が東京とうきょうのお台場にある防災ぼうさい公園こうえん女装じょそうをお披露目ひろめしてから翌日のこと。


 コミマ三日目、12月31日つまり大晦日おおみそかにコミックマーケティア105、そのイベントとイベントへの参加さんかいもうとと共にとどこおりなく終了した。


 最終日である今日のコミマ三日目は、かなり多くのスペースが成人せいじん男性だんせい向けアダルト同人誌のブースで占められていたらしいが、俺は兄として妹の美登里みどりをそのあたりの領域りょういきには寄らせず、コスプレ写真集しゃしんしゅう創作そうさく小説しょうせつなどを売っている健全なブースを展開している売り場スペースへとおもむいた。


 そこで、自身のコスプレ写真集を売っていた仙女せんにょのような髪形の小雅しゃおやぁさんに、彼女が日本の大学で知り合ったという中国人の友達を紹介してもらった。


 一緒に写真集の売り子を手伝ってくれていたというその中国人留学生の友達は、髪がショートカットのボーイッシュヘアーで目がぱっちりとした、清潔感せいけつかんがあってスラリとしている楚々そそとした格好かっこういい感じの女性であった。


 なんとなく石鹸せっけんの香りがしたので、お風呂が好きなのかもしれないという印象を受けた。


 そして、小売ブースの机の上に置いてあった、昨日探した楕球だきゅうのラグビーボールのような形をした目と口のマークがついたオーディオプレイヤーで音楽を再生しているところにも立ち合わせてもらった。


 スイッチを入れているはずなのに、再生しているはずの音楽が聞こえなかったので不思議がった俺に、小雅しゃおやぁさんは「正面しょうめんに立って見下みさげてみろ」と言ってきた。


 で、俺が正面に立ってそのオーディオプレイヤーを見下げると、そのだけで音楽が俺の耳に直接ちょくせつひびいてきた。


 俺が美登里みどり胴体どうたいを持ってその音楽が聞こえる位置に持ち上げてやると、妹はその場所でのみひびおとを聞き、その摩訶まか不思議ふしぎ機器ききのテクノロジーにいたく興味きょうみかれたようであった。


 小雅しゃおやぁさんの話によると、機械いじりが得意な中国の親友が作ってくれたというこの特別製のオーディオプレイヤーは、微妙びみょう周波数しゅうはすうことなる複数ふくすう直進ちょくしんする超音波を用いることにより、任意にんいの方向にだけ人間の耳に聞こえる音が届くようにできているらしい。


 俺は中国のテクノロジーに感心し、美登里みどりも「……あなどれないね、中国ちゅうごく」とつぶやいていた。


 そんなことを思い返しながら、三日目のイベントをつつがなく終えた俺と美登里みどり兄妹きょうだいは一緒に、夕日ゆうひ東京とうきょうの海辺からやみに沈む埼玉さいたまへと向かうタクシーに乗っていた。


 昨日と同じく、一万円以上使ってのタクシーでの優雅ゆうが帰還きかんである。


 隣に座っているツインテールをシートまで垂らしている妹が、おのれのスマートフォンを操作しながら明るい声をだす。


「……ふー、はつコミマは首尾しゅびよく終了っと。これでもう今年は、思い残すこともないかな」


 俺は妹に返す。


「来年こそはしっかりと、学校に行けよ?」


「……ぷー、いまここでそれを言う? せっかく余韻よいんひたっているってのに」


 面白くなさそうな妹の文句に、俺は兄の立場でしっかりとさとす。


「そもそもお兄ちゃんが美登里みどりをコミマに連れて行ったのも、美登里みどりが引きこもってたからだろ? そこには感謝しろよ?」


 すると、妹は表情をゆるめる。


「……それもそうだね、いーあるチャイナむすめのコスプレイヤーさんとも友達になれたし。わたし小雅しゃおやぁさんのファンクラブとかあったら入ろっかな」


 そんなことを言って、美登里みどりはタクシーの後部座席でスマホを操作する。


 しばらく指先で操作を繰り返して、何か面白いものを発見した猫みたいな表情になる。


「……おお。お兄ちゃんの昨日の勇姿ゆうし、まとめサイトにまとめられてる」


「えっ? マジ?」


 俺が尋ねると、美登里みどりはそのスマホ画面を見せてくる。


「……マジ、ほらほら」


 美登里みどりが手に掲げたスマートフォンの中には、どこかのウェブサイトにて俺がコスチュームプレイをした女装姿じょそうすがたが、記事きじの中の写真しゃしんにて素顔を見せて掲載けいさいされていた。


 そんな画像がぞうを見て、俺は手を自分の顔に当てる。


「マジかよ……同じ学校の奴らにバレたりしねーだろーな」


「……バレたらバレたで、いっそのことコスプレイヤーデビューしちゃえば? 名前は KEIKOケイコ とかにして」


女装じょそう前提ぜんていかよ。するわけねーっつーの、アレは昨日だけの特異現象とくいげんしょうだ」


「……そう? もったいないなー、お兄ちゃんの女装姿じょそうすがた、カワイくてすごくすっごく似合ってたのに。お兄ちゃんの姿すがた明日香あすかお姉ちゃんにも見せてあげたいくらい」


後生ごしょうだ、姉ちゃんだけには話してくれるな」


「……はいはい、わかってるって。かなでちゃんにも言ったりなんかしないよ」


 妹の美登里みどりは、俺にそんなことを言いながらどことなく得意げな顔になる。


 そして妹は、俺から視線を外してタクシーの窓の外に流れる街の風景に目線を移す。


 大晦日おおみそかまち風景ふうけいを見ながら、妹が後頭部を俺に見せたまま声を出す。


「……もう、今日で今年も終わりだね。今年は本当に、いろんなことがあったなぁ」


 そんなしみじみとした言葉をつむ美登里みどりに、俺は悠然ゆうぜんとした態度で返す。


「そうだな。アメリカの宝くじに当たって、億万長者になって……色々なことがあったな」


 妹が窓の外を向いたまま俺に尋ねる。


「……えーっと、お兄ちゃん。今年ことしって令和れいわだと何年だったっけ?」


令和れいわ五年だな。で、明日あしたからの来年らいねん令和れいわ六年」


 俺が美登里みどりの問いに答えると、妹が感慨かんがいぶかそうに応える。


「……六年かぁ、もう令和れいわ六年かぁ……平成へいせいから令和れいわに変わったのってついこないだだったような気がするんだけど」


「そんなもんだろ。うかうかしてると年月ねんげつなんてすぐっちまうもんだ」


 すると、妹が一言。


「……平成へいせいカオスはゆめあと、か」


「なんだそれ?」


「……いま思いついた言葉。明治めいじモダンに大正たいしょうロマン、昭和しょうわレトロときて平成へいせいはカオスだったから」

 

 そんな美登里みどりの言葉に、俺は苦笑いする。


平成へいせいがカオスか……まあ確かに、いろいろとカオスだったよな。平成へいせいって」


 そして妹が、再びおのれの手に持ったスマートフォンを指先で操作する。


「……せっかくだから、トゥイッターにトゥイートしとこ」


 そんなことを呟く美登里みどりに、俺は尋ねる。


「そういや美登里みどり、トゥイッターネーム『うぐうぐ』って言うんだな。初めて知ったけど」


「……そうだよ、これ」


 美登里みどりが隣に座っている俺に、おのれのスマホ画面を見せてくる。


 もしかしたら妹がえがいたのだろうか、デフォルメされた緑色みどりいろとりのイラストがプロフィールらんまるなかおさまっていた。


「『うぐうぐ』ってどういう意味だ? なんかのゲームキャラの愛称とかか?」


「……ううん、緑色みどりいろとりでウグイスっているでしょ。わたしの名前が美登里みどりだから、それになぞらえて付けた名前。ウグイスの最初の二文字を繰り返して『うぐうぐ』」


「ああ、なるほどな」


――ウグイスって春先にホーホケキョって鳴く鳥だよな、確か。


 そんなことを思っていると、ポケットに閉まっている俺のスマホが振動した。


 ブルルルルル ブルルルル


 スマホを取り出して画面を確かめてみると、『姉ちゃん』からSMSでのメッセージが来ているらしかった。


「お、姉ちゃんからだ」


 そんなことを言って暗証番号を入力してスマートフォンの画面を開き、姉ちゃんからのメッセージを確認する。


『今夜はカニパーティーだよ。もう始めてるから楽しみにしてて』


――ん? もう始めてるって?


 姉ちゃんからのメッセージを受け取った俺は、頭の中に疑問符を浮かべる。


 美登里みどりが俺に尋ねる。


「……お姉ちゃんから、なんて?」


「今夜はかにだって」


 すると、美登里みどりがうきうきとした表情になる。


「……おお、やった」


「もう、パーティー始めてるって」


 俺がそう告げると、美登里みどり途端とたんしぶかおになる。


「……ああ、そうか。お姉ちゃん、そういうことか」


「そういうことってなんだ?」


 俺が尋ねると、美登里みどりはやれやれといった顔になって疲れを全身で表現するかのようにシートの上で身体を伸ばす。


「……お姉ちゃんも大学の友達を家に呼んだんだよ。大晦日おおみそかにみんなでカニパーティーするために」


「あー……なるほどな。ってことは姉ちゃんの友達も、宝くじで俺たち家族が億万長者になったってことを信じざるを得なくなったってことか」


「……そうだね、お兄ちゃんもある程度ていど覚悟かくごしといた方がいいかも」


覚悟かくごってなんだ?」


 すると、美登里みどりがぶすっとした態度で返す。


「……お姉ちゃんがいつも一緒に呑んでる飲み友達って三人いるらしいんだけど、三人が三人とも彼氏がいないソロの女子大生……らしい。だから、十中八九その毒牙どくがをお兄ちゃんに向けてくる……と思う」


「え? 俺に?」


「……他に誰かいるとでも?」


 そんなことを言いつつ、美登里みどりがジト目を俺に向けてくる。


 俺はたどたどしく返す。


「いやー……仮に誘惑ゆうわくされても、さすがに姉ちゃんの友達の誘いには乗らないと思うぞ。学校でも数々の誘いをかわしてるしな、お兄ちゃん」


 すると、美登里みどりがほっぺたをふくららましてどこか笑顔になって息を吹き出す。


「……ぷふー。ま、そこに限ってはわたしはお兄ちゃんのヘタレっぷりを信頼してるけどね……かなでちゃんもいることだし」


 その言葉に、俺は改めて妹の顔を見る。


――こいつ、俺がかなでさんの前では誘惑に乗らないだろうことを計算けいさんに入れてやがる!


 その小悪魔のような妹のドヤ顔に、俺は正面を向いて息を大きく吐き出す。


――やっぱり美登里みどり、引きこもりにしとくにはもったいないタマだな。


――本当に、兄としてどうしてやるべきなんだろうな。


 そんな俺のうれいなど関係ないかのように、車の光が車道にあふれる大晦日おおみそかまちは暗がりに沈んでいった。





 で、家に帰ってきてから俺は今、リビングに置かれているコタツにてテレビのある方向を背にして、姉ちゃんの呑み友達だという魅力的な大学生のお姉さん方三人とでコタツテーブルの四方を囲んで、黙々とかにを食べていた。


 どっちの方向を向いてもお姉さんしかいないのでハーレムといえなくもないが、そんなことより全員が全員ともかにからいてその身を食べることに精力を傾けていた。


 すっかり日が沈んでから大宮駅おおみやえき近くの高層タワーマンション最上階の豪邸ごうていに帰ってきた俺と妹を、メイド服姿のかなでさんがいつものようにパタパタとスリッパの音を鳴らして出迎えてくれた。


 大晦日おおみそかということもあって、幸代さちよさんも今日はお泊まりで俺たちのお世話をしてくれるらしい。


 そして俺が大広間であるリビングに入って直面したのは、床暖房のフローリングの上にカーペットを敷き、朝には無かったコタツを乗せてかにの乗った皿を囲んでえんきょうじていた姉ちゃん達女子大生四人の姿であった。


 姉ちゃんはこの前のクリスマスイブ以来、日本酒にすっかりはまってしまったらしく、今日はいつもの呑み友達三人を初めて自宅の豪邸ごうていに招いて、幸代さちよさん経由で手に入れた様々なめいの日本酒と共にカニパーティーをもよおしていた真っ最中であった。


 でられたケガニ、ズワイガニ、タラバガニなどの食欲をそそる赤くなった甲殻類こうかくるいがコタツの上にある皿に乗せられて、姉ちゃんと友達三人が黙々もくもく懸命けんめいかつ必死ひっしかにからしてべていた。


 そして、帰宅した俺と美登里みどりと、その女子大生三人との間で軽く自己紹介が交わされた。


 明日香あすか姉ちゃんは美登里みどりかにからからいてあげると言ってダイニングテーブルの方に移り座り、姉と妹で仲良くそのうまみあふれるならんでべることになった。


 そして必然的に、フローリングの床に敷かれたカーペットの上にえられたコタツには、姉ちゃんの代わりに俺が陣取じんどり、俺と姉ちゃんの友達三人とでコタツの四方に座ってかにを一緒に食べることになったのである。


 俺がコタツに座ってかにいていると、右隣にいる黒髪ロングの女性がまったかにあしちながら俺に笑顔で話しかけてくる。


「いや~カニってほんどに美味うめな~おとうとぐんもたのしんでっが?」


 この、東北から来た人っぽいなまりの強い女性は伊達だて潤子じゅんこさん。


 つやのある黒髪ロングヘアーで若干タレ目で胸が大人っぽくて、どこか素朴そぼく柔和にゅうわ印象いんしょうを受けるお姉さんだ。


 頭に丸い膨らみが三つある緑色のヘアバンドを着けていて、なんとなく西園寺さいおんじさんに似ている。


 ただ、毛先けさき内向うちむきにいている西園寺さいおんじさんとは違って、この人の髪先は姫カットと呼ばれるような感じで綺麗に切りそろえられている。


 なんでも大学では弓道部に所属しているらしく、レスリングで進学した明日香あすか姉ちゃんと同じスポーツ推薦組すいせんぐみなので、その関係で仲良くなったのだという。


 俺が「ああ、はい」と軽くうなずいて反応を返すと、コタツのかにの乗った皿をはさんで俺の向かい側に座っている、長いモミアゲお下げ髪の女性が注意するような口調できっぱりとした声を出す。


「ちょっとちょっと、潤子じゅんこさん。なまてますよ」


 俺の正面に座っている、長いサラサラの髪を茶色に明るく染めて二つのお下げにして前側に垂らしている、生真面目きまじめそうなこの女性は長倉ながくら結果ゆいかさん。


 大学生なのに随分とフラットなお姉さんである、特に胸が。


 頭に二つの円を合わせたような紫色のヘアアクセサリーをつけたこの女性は、やはり姉ちゃんと同じくスポーツ推薦すいせんで大学に進学したらしく、剣道部に所属しているとのことだ。


 そして左隣には、ふわっとそれぞれふたつにかれたようなツインテールの髪形をしている、どこかちんまりとした丸顔の童顔女性がいて、アニメに出てくる幼い女の子っぽいロリボイスで俺に話しかけてくる。


「そんなことよりぃー、弟くんって超がつくほどの大金持ちなんだよねぇー? 莉央りおねー、とってもとっても欲しいアクセがあるのー」


 すると正面に座って日本酒を呑んでいた結果ゆいかさんが、酒の入った丸みのあるグラスを手に注意を促す。


「こらこら、未成年をかどわかしたらいけません」


「はいはい、冗談なのー。明日香あすちゃんの弟くんをたらしこんだりなんかしないのー」


 この、あどけなさの残る幼い顔つきの黒髪女性は蜂須賀はちすか莉央りおさん。


 この中では唯一スポーツ推薦組すいせんぐみではなく、現代げんだいアニメ漫画まんが研究会けんきゅうかいというオタクサークルに所属しているらしい。


 美登里みどりみたくツインテールで低身長で、いかにもオタクに受けそうな容貌ようぼうをしているお姉さんだ。


 ただ、同じツインテールで低身長という様相ようそうでも美登里みどりとは違い、大人の女性っぽく胸がわりと大きい。


――ロリ巨乳きょにゅうってやつか? 


 ちなみに姉ちゃんとは、大学の保育士ほいくし養成ようせい課程かていで知り合ったらしい。


 俺は莉央りおさんから話を聞くまで、姉ちゃんが保育士ほいくし免許めんきょを取ろうとしてたこと自体を知らなかった。


 そして俺は、思春期ししゅんきさかりの男子高校生として彼女らの体の一部分を頭の中で比較せざるを得なかった。


 山脈さんみゃくを形成する明日香あすか姉ちゃん、丘陵きゅうりょうを構成する潤子じゅんこさん、莉央りおさん、そして一人だけ平野へいやを体現している結果ゆいかさん。体のどこの部分とは言わないが。


――格差かくさ社会しゃかいって本当ほんとう残酷ざんこくだな。


 そんな言ってはいけないことを胸に秘めながら、俺は大晦日おおみそかの晩に女性に囲まれつつ、手を動かしてうまみあふれる汁気しるけたっぷりのジューシーなうみさち黙々もくもくべていた。



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