第8章 平穏な日常はこれからも続くのだろうか?

第50節 乙女の祈り




 12月30日、コミマ二日目ふつかめ


 二日目ふつかめとなる今日きょうは、美登里みどりのお目当めあてのジャンルにとぼしいらしく、朝早あさはやくの出発ではなくて午後10時半過ぎに家を出て、11時半を少し過ぎたころにお台場へと到着した。

 

 開始時刻の午前10時からほんの一時間ちょっと遅れて国際こくさい展示場てんじじょうに到着するだけで、会場には正面から待ち時間なくスムーズに入ることができるとのことだ。


 今日は妹の要望ようぼうで、昨日とは違って『ゆりかもめ』と呼ばれるモノレールに乗り、国際こくさい展示場てんじじょう最寄もよりの駅までやってきた。


 リュックサックを背負った俺とキャリーカートを転がしている妹が、その通路やエスカレーターの側面そくめん一杯がアニメポスターで飾られた駅舎えきしゃを出ると、国際こくさい展示場てんじじょうまでの歩行者用通路が伸びていて、その通路を大勢のオタクっぽい人たちが行き交っている光景がいやでも目に入る。


 国際こくさい展示場てんじじょう方面から駅舎えきしゃの方に向かって、もう帰ろうと戻り始めている人が大勢いて、その人たちはかなり多くというかほとんどが、カラフルなアニメキャラのプリントされた紙袋を持って手にげていた。


 つまり、早朝からあの待機列たいきれつに並んで数時間待って、朝一あさいちで目的のブツを手に入れ、これから帰ろうという人たちの集団であった。


――本当に、そんな根性どこから出るんだろうな。


 俺はそんなことを考えながら、となりを歩く妹にちらりと視線を送る。


 昨日と同じく、二つの四角い赤と黒の浮いているようなリボンでその長いツインテールをっている妹が、俺の視線に気付く。


「……どうしたの? お兄ちゃん?」


 先に言葉を投げかけてきたのは妹の方だった。


 俺は返す。


「香水、今日はつけてきてないのか?」

「……うん、可憐かれんねえちゃんに貰った大切な香水は、もっとここ一番のときにつけることにする……リボンはこのままだけど」


「じゃあもしかして、そのリボンは……萌実めぐみのプレゼントとかか? なんか浮いてるように見えるけど、どうなってんだ?」

「……うん、そうだよ。萌実めぐみねえちゃんのプレゼント。このリボンね、中にプラスチックが入っていて空中で折れ曲がるようになってるの。支えはツインテールの下に隠してる」


 そう言って妹は、片手でその黒いツインテールの根元部分を持ち上げ、その裏側を見せてきた。


 確かに、ツインテールをしばってる部分と飾りの四角くなっているリボンは別々のようであり、その二つをつなぐ金属のヘアピンがその黒髪の下に隠れていたのがわかる。


 おのれのツインテールの秘密を見せた妹が、不敵な笑顔を見せて俺に尋ねる。


「……で、お兄ちゃんはケーキ屋でわざわざバイトまでして、可憐かれんねえちゃんに何をプレゼントしてあげたの?」


「何って……テディベアだよ。東京とうきょうで買ったくまのぬいぐるみ」


 俺がそんなことを言うと、キャリーカートを引く妹は再び正面を向く。


「……ふーん、そっかぁ……お兄ちゃんもそこまで気が使えるようになったんだ……やっぱ衣食いしょくりて礼節れいせつる、かな?」


 そんなことを言う妹を横目に、俺は人でごった返す通路を歩き、大きな広場に出る。


 大きな三角形をいくつも逆向きにしたかのようなシルエットの国際こくさい展示場てんじじょうの真正面にある、そのタイルがめられた空中広場には、数え切れないほどの大勢の人がっていた。


 正面の壁には大きなモニターがありコミマ情報に関するアニメキャラの映像が流れていて、オタク向けのイベントを開いていることを示している。


 また、広場の近くにはまるで巨大ロボットが使うかのような大きなのこぎりに見えるオブジェが、地面にぶっ刺さったような感じで屹立きつりつしている。


――まるで異世界いせかいだな。


 そんなことを思った俺は、立ち止まってその圧倒的あっとうてき存在感そんざいかんでそびえ立つ建物を天空にあおる。


――本当に、時代が時代だったら聖地だったのかもな。


――数百年後には、本当に聖地扱いされていたりして。


 そんな、昨日の妹の妄想もうそうのような夢の内容を俺が思い返していると、隣を歩く美登里みどりはポケットから自分のスマートフォンを取り出す。


 妹がスマートフォンを開き、スワイプしてアプリケーションを表示させるような操作をしているのがわかる。


 先日にコミマ一日目を終えて自宅に帰った後、美登里みどりはそのアプリケーションをインストールしたという報告と共に、俺に対しておのれのスマホ画面を見せてきた。 


『コミペイ-ComiPay-』


 昨日に実際にコミマに参加することになって初めて知ることになった、オタク専用キャッシュレス決済サービスの名称であった。


 入り口近くにある大きなモニタのすぐ下に『入場カタログ売り場』との看板があるテントがあり、そのすぐ横に『コミペイチャージ』との看板がある。


 その『コミペイ』とは、昨日知り合った中国ちゅうごく上海しゃんはい出身のコスプレイヤーである小雅しゃおやぁさんにアプリの使用方法を教えてもらったのであるが、コミックマーケティア運営が推奨すいしょうしているキャッシュレス決済サービスであるとのことらしい。


 俺は美登里みどりと一緒に、『コミペイ』の電子デジタル財布ウォレットに現金代わりになるポイントをチャージしてもらうための、人が群れをなす広場の列に加わる。


 そしてそんな群衆ぐんしゅうのざわめきに身を投じた俺の頭の中では、明眸めいぼう皓歯こうしなコスプレイヤーである小雅しゃおやぁさんとの昨日のやりとりが思いこされていた。



 ◇



 俺と妹は『コミックマーケティア105』というそのイベントの一日目、東館と呼ばれるらしい大きな建物の外縁部にて、青いショートヘアウィッグを被って東アジアっぽいみやびな衣装を身にまとった、小雅Yinしゃおやぁいんと名乗った小柄こがら優美ゆうびなコスプレイヤーさんの話を聞いていた。


「……で、家に帰ってからインストールすればよろし。後は会場の入り口近くに電子デジタル財布ウォレットにチャージできる場所あるから、そこに行けば現金をポイントに替えてくれるね。小銭こじぇに持ち歩くより、じゅっとじゅぅーっと便利べんりよ」


 そんな小雅しゃおやぁさんの言葉に、大きなデジタル一眼レフカメラを両肩からげた美登里みどりが、なるほどなるほどと何度もうなずく。


 そして、美登里みどりがポケットから出していた自分のスマートフォンをためらいがちにかかげつつ、目の前の小雅しゃおやぁさんに申し入れる。


「……あの、もしよかったら……twetterトゥイッター の相互フォローお願いしてもいい?」


 すると小雅しゃおやぁさんがほがらかに応える。


「いいよ、歓迎かんげいする。あなたとはなんとなくだけど、友達ともだちになれそうね」


 そんなことを言うと小雅しゃおやぁさんは少し動いてしゃがみこみ、すぐ近くに置いてあった少し大きめのキャリーバッグのファスナーを開ける。


――おそらく、あのバッグの中にコスプレ衣装を入れていたのだろう。


 俺がそんなことを思っていると、小雅しゃおやぁさんがスマートフォンを取り出す過程かていで、なにやらしろ楕円だえん球状きゅうじょう機器ききを取り出して、地面に置いた。


 ラグビーボールのような長球ちょうきゅうの形の両端りょうはしにはやや膨らんだ青い半透明のパーツがついており、正面にはマスコットキャラクターの単純化されたくちのようなスマイルマークが記されていた。


 裏からは電源コードのような線が延びていて、さらに片翼かたよくしろいプラスチック羽が取り付けられているのがわかる。


 その手に乗るくらいのガジェットに、美登里みどりが興味を示す。


「……それ、何?」


 すると、しゃがんでいた小雅しゃおやぁさんが俺たちを見上げて答える。


「ああ、これ? オーディオプレイヤーよ。三日目にブースでコスプレ写真集の売り子するときに、テーマ曲の音楽流すね」


「……それ、オーディオプレイヤー!? どこで売ってたの? 中国ちゅうごく!?」


「どこにも売ってないよ。大陸たいりくにいる機械きかいいじりが得意とくい朋友しんゆうが作ってくれたね。中に入ってる曲も、別の朋友しんゆうの送ってくれた作品よ」


 そんな小雅しゃおやぁさんの言葉に、俺は感心する。


――あーいうのって、自作とかできる人もいるんだな。


 そして美登里みどりはその手に持つスマホを操作し、同じくスマートフォンを持って立ち上がった小雅しゃおやぁさんと twetterトゥイッター と呼ばれるSNSのアカウントを交わしたようであった。


 小雅しゃおやぁさんが、スマホを操作してその機器上に視線を流しながら中国人ちゅうごくじんっぽい元気げんき明快めいかいな声を出す。


「えーっと……あなたのトゥイッターネームは……『うぐうぐ』か! よろしくな、うぐうぐ! 三日目には絶対じぇったいに来てくれ!」


 そして、美登里みどりも小声で返す。


「……うん、もちろん明日も来るつもり……よろしく、小雅しゃおやぁさん」


 そんな光景を見て、俺は思う。


――やっぱり、妹をオタクイベントに連れてきてよかった。


――妹がこういう風に、見知らぬ人と自発的に関わることができたんだからな。


 俺は、妹をオタクイベントに連れてってやるとした俺の決断に、心から満足していた。




 ◇




 そんな昨日のことを思い返しながら『コミペイ』のための列を並んでいた俺は、先ほどから無数に行き交うオタクの人たちを眺めていて、あることに気付いた。


 俺は隣にいる美登里みどりに視線を下げ、声をかける。


美登里みどり、今日はなんとなくだけど女の人が多いみたいだな」


 すると、妹が俺を見上げて応える。


「……二日目だからね。今日はBLボーイズラブ目当てのおくさびとたちが大勢来てる。だからわたしたちオタクにとってはこの日に女の人が多いのは自明じめいだよ、お兄ちゃん」


「そういうもんなのか? そういや美登里みどり腐女子ふじょしってやつじゃないのか?」


「……腐女子ふじょしっていうか……雑食ざっしょくかな。わたしは一応、ゲームファンで葡萄ぶどうしだけどひめもそこそこたしなむ。ゆめとか乙女おとめも好きだし、ここ最近はオメガバースなんかにも興味きょうみがある」


「悪い、お兄ちゃん美登里みどりなにいってっかさっぱりわからん」


「……一般人は知らなくてあたりまえ。むしろ知ってたらダメなやつ」


 美登里みどりがそんなことをいながら淡白な表情を見せてくる。


 俺は大きく息を吐いて、その人の心の中でそれぞれの色をしたたぎる炎を燃やしているのであろうオタク女性達の、広場からあふれんばかりの民族大移動に視線を戻す。


 ふいに、既視感きしかんある人影が広場の人ごみの中から小さく小さく現れた気がした。


 池袋いけぶくろ乙女おとめロードにあるアニメショップの階段で出会った、それぞれ漆黒しっこく純白じゅんぱくのゴスロリ服を身にまとった、同じようなアホ毛のぴょこんと飛び出した、仲の良さそうな姉妹――


 それも、あのときと同じ格好で――


 だが、俺がその二人の顔を眼をこらして確認する前に、群衆から出てきたその姉妹は再び群衆の中へと紛れ、消え入ってしまった。


 俺が呆然ぼうぜんと突っ立っていると、妹が不思議そうな声で尋ねてくる。


「……どうしたの? お兄ちゃん?」


「いや、ちょっと知ってる人がいたような……いや、なんでもない」


 俺がそんなことを言っているうちに、列は進んで『コミペイ』と呼ばれるアプリケーションの電子デジタル財布ウォレットにマネーポイントをチャージしてもらう段取りとなった。


 その手続きは、非常に簡単であった。


 テントで待機していた係の人に一万円札を五枚、現金を五万円渡して、美登里みどりのスマートフォンにアプリで二次元コードを表示し、設置されている端末たんまつにスマホをかぶせてその二次元コードを読み取ってもらうだけ。


 これだけで、妹のスマートフォンにあるアプリの電子デジタル財布ウォレットには五万円分のコミペイポイントが入っている格好となるらしい。


 コスプレイヤーである小雅しゃおやぁさんの昨日のはなしによると、このコミペイポイントは今回のコミマで使いきれずに余ったとしても、次回以降のコミックマーケティアでも引き続き使えるし、秋葉原あきはばら池袋いけぶくろなどのオタク向け商品を専門的に扱っているお店でも日常的に使うことができるとのことだ。


 ポイントを入れてもらった美登里みどりは、俺と一緒に列を離れつつ、嬉しそうにスマートフォンを操作する。


「……これでわたしも、あたらしい時代じだいに追いついたね。ビバ令和れいわ」 


 妹がそんなことを言うので、隣を歩く俺は返す。


「無駄遣いはするんじゃないぞ」


 妹は歩きながらスマートフォンを操作しているが、ふと立ち止まった。


「どうした美登里みどり?」


 立ち止まった妹に俺が振り返り尋ねると、美登里みどりつぶやく。


「……小雅しゃおやぁさん、活動してない」


「え?」


 その声は、無数のざわめきの中に消え入ってしまった。





 美登里みどりがトゥイッター相互フォローの相手である小雅しゃおやぁさんにダイレクトメッセージで連絡を取ったところ、小雅しゃおやぁさんはこんな返答をしてきたらしい。


『たのむ、来てくれ』


 それと共に場所が指示しじされて送られてきたので、俺たち兄妹きょうだいは人ごみにのまれたように移動して階段を上がり、テラスのようになっている西館と呼ばれている建物上部までたどり着く。


 そこからまた反対側の階段を下りてしばらく歩き、人気のない海沿うみぞいの駐車場広場におもむいたところで、昨日仲良くなった中国人ちゅうごくじんのコスプレイヤーである、小雅しゃおやぁさんが自身のキャリーバッグの脇でコンクリートの車止めに腰を下ろして座っているのが視界に入った。


 しかし、昨日のようなアニメやゲームに出てくるキャラクターの格好はしていない。


 なんというか、『UNICLOウニクロ』で売っているような廉価れんか衣料品いりょうひんを組み合わせてコーデしたような、さして目立たぬたたずまいであった。


 潮風しおかぜかおりがする駐車場広場に座っていた小雅しゃおやぁさんは、俺たちの姿に気付くと立ち上がって大声を上げる。


哎呀あいやー! うぐうぐ! 太郎たろさん! よく来てくれたな!」


 億万長者バレを防ぐために、俺は自分の名前を『太郎たろうと呼ばれている』としか伝えていない。


 再会した小雅しゃおやぁさんは、昨日みたいに青色のウィッグはかぶっていないが、その髪型は非常に特徴のあるコスプレイヤーっぽい髪形であった。


 ぱっと見だとショートヘアーだが、よくると長く伸びた黒い髪を長い四つのお下げにして、両脇の二つを前側に垂らし、残りの二つを頭の上でふたつのっかにして大きめのヘアリボンにて頭頂部とうちょうぶまとめてかざめ、みにしてって後ろに垂らしている。


 それはまるで、中国ちゅうごく古式こしきゆかしき仙女せんにょっぽい幻想的げんそうてき少女しょうじょ、という表現がぴったりと当てはまるような風貌ふうぼうであった。


 妹が、立ち上がった小雅しゃおやぁさんに尋ねかける。


「……どうかしたの? 小雅しゃおやあさん」


 すると小雅しゃおやぁさんは両手を合わせて、こんなことを言った。


「オーディオプレイヤーなくしたよ! たのむ! 探すの手伝ってくれ! うぐうぐ! 太郎たろさん!」


 その心底困っているという思いを受け取らざるを得ない、異邦人いほうじんいのりにも近い切実せつじつな言葉は、海から来る潮風しおかぜと共に俺たちのおもてげていった。




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