第41節 運動靴と赤い金魚




 週末の土曜日、パーカーフーディーを羽織った俺は大宮おおみや駅から池袋いけぶくろ駅へと向かう電車にてガタンゴトンと揺られつつ、窓の外の灰色にどんよりとくもっている十二月始めの空をながめていた。


 何故なぜ池袋いけぶくろに向かっているかというと、俺の親友である可憐かれんの、12月27日の誕生日プレゼントを下見したみするためである。


 可憐かれんの欲しそうなプレゼントを聞き出してくれると言っていた毛利もうり先輩は、萌実めぐみ経由で可憐かれんに会い、三人で一緒に放課後に喫茶店でお茶をして、世間話をしながら首尾しゅびよく内心を探ってくれたらしい。


 後日ごじつ毛利もうり先輩が教えてくれたところによると、可憐かれんが本当に欲しがっているものは、今の俺だったら簡単に買うことができる高級なアクセサリーでもなければ、ハイブランドの高級ファッションでもない。


 おんなっぽい可愛かわいいものだったら、なんでもいいらしい。


 そのことを毛利もうり先輩に聞いたとき、俺は目が点になった。


 そして、毛利もうり先輩はその理由わけをも俺に説明してくれた。


 毛利もうり先輩の説明によると、可憐かれんは小学生のときに、ずっとずっと俺たちに対して活発なスポーツ少年であるふりをしてきた。


 だけど、おんなとして見てもらいたいという欲求よっきゅうをもひそかに心の中にめていたらしい。


 だからこそ、高校生になって初めて男女共学の学校に入ることになって、わざと女性っぽさを主張するようなスタイルを選んだのだという。


 つまり、あいつのあの豊満ほうまんむね谷間たにまなまめかしい脚線美きゃくせんびを見せびらかすようないかにもギャルっぽいセクシーなファッションスタイルは、子供の頃に抑圧よくあつされていた感情かんじょう反動はんどう表現ひょうげんだったのだという。


――あいつが、本当はおんなとして見られたかったなんてな。


――まさかあの、俺と一緒にどろだらけになって遊んでいた、あいつがな。


 そんな俺の心の中には、俺と一緒に土埃つちぼこりまみれになってサッカーをしていた、黒髪がツンツンととがっているレンと呼ばれていた溌剌はつらつな少年の姿が浮かんでいた。


――本当に。


――人の本心なんて、わかんねーんだな。


 俺は毛利もうり先輩に、具体的ぐたいてきにどんなものをおくってやればいいのかもたずねてみたが、それは教えてくれなかった。


 毛利もうり先輩のげんによると「それはね~、啓太郎けいたろうくんが可憐かれんちゃんのためにえらんであげるってことが、と~っても、と~っても重要じゅうようなんだよ~」とのことだった。


――そういうもんなのか?


 それから毛利もうり先輩の話によると、今の二高ふたこうでは次の生徒会長のねらう二年生たちが、同級生や下級生のご機嫌きげんを取るために色々と世話を焼いたり、さまざまな学校生活上の悩み事相談を受けたりしているらしい。


 というのも、来年の一月に選挙によって決まる次の生徒会長というのは来年度、高校内で絶大な権力を振るえると見込まれているかららしい。


 理由はいうまでもない。


 俺が生徒会を通じて学校に寄付した、二千万円という大金の処遇しょぐうだ。


 来年の二月ごろから各部活動の代表者は、予算よさん折衝せっしょうのために他の部活動の代表者や、生徒会委員らと話し合って予算よさん配分額はいぶんがく決定けっていしてもらう。


 そして、その配分額はいぶんがく最終さいしゅう決定けってい責任者せきにんしゃは、予算配分よさんはいぶん大幅おおはば裁量権さいりょうけんを持つ生徒会長であるのだという。


 つまり、生徒自治の代表者である生徒会長が、その采配さいはいにより各部活動への多大ただい影響力えいきょうりょくつことになるというわけである。


 かねというのはその存在自体がちからそのものであり、集団内しゅうだんないでそのかね配分はいぶんを決定できる権限けんげんった人間にんげんこそが権力者けんりょくしゃなのだという。


 そして、人間にんげん権力けんりょくへの希求ききゅうあまてはいけないのだそうだ。

 

 毛利もうり先輩いわく、俺が高校に二千万円を寄付することになってからのここ二ヶ月足らずで、水面下ではドロドロな権謀術数けんぼうじゅつすう渦巻うずまいているのだという。


――それに、おそらくは学校内でもっと権謀術数けんぼうじゅつすうさくろうしまくっているのは、他ならぬ毛利もうり先輩なのだろう。


――だからこそ毛利もうり先輩は、二千万円の源泉げんせんである俺の相談に乗ることができたのであろうから。


――やっぱり、あの人は敵に回さないようにしよう。


 そんなことを思って、池袋いけぶくろへと向かう電車の中から今にも雨が降りそうなくもぞらながめていると、ふと可憐かれんが俺に出したクイズ第二問の内容が頭に浮かぶ。


 文化祭が終わってからしばらくして、俺は可憐かれんからクイズの二問目としての問題を出されていた。


 可憐かれんによると、いつ答えてもらってもかまわないが、なるべく俺の頭で考えて欲しいとのことだ。


 それは、俺が偶々たまたまちょうラッキーのみで得た大金により、その身を破滅はめつさせてしまうことをけるための、可憐かれんなりの気遣きづかいなのであった。


 その質問が頭の中で反復はんぶくされる。





 「第二問。この世の中にはお金持ちになれる人と、お金持ちになれない人がいますが、その一番の違いは何でしょうか?」





 そこらへんにいる凡百ぼんひゃくの高校生だった頃の俺ならば、おそらくそんなことなんてつゆにも考えたりはしなかっただろう。


 大抵たいていの人は、子供の頃から学校に行ってしっかりと勉強べんきょうをして、少しでもましな学歴がくれきを身につけて、少しでも良い会社かいしゃに入ってきっちりとはたらくことが、良い生活を送るための最も堅実けんじつみちだと考えている。


 なぜならば、この人間社会というで生きていくうえでは必ずお金が必要になるからだ。


 そして、持っているおかね具体的ぐたいてきには銀行口座ぎんこうこうざ残高ざんだかは多ければ多いほど良い。


 これも、いままでずっと俺が考えてきた常識じょうしきであった。


 しかし、この電車内の窓からながめる風景は、俺に違うイメージを想起そうきさせる。


 目の前の埼玉さいたま県から東京とうきょう都に向かう車窓しゃそうから、雑居ビルや、マンションや、オフィスビルなどなどの建物が乱立している光景こうけいが前から後ろに流れていくのがわかる。


 そして、それら不動産が使用者以外の所有しょゆうする不動産である限り、働かなくてもそれらのテナント収入や家賃などを不労ふろう所得しょとくとして手元に収めている人間が、必ずどこかにいるということだ。


――いくら会社とかではたらいても、はたらいても、かせいだおかねというのはすぐにふところから誰かの手にへと逃げてしまう。


――そりゃそうだ。人間は文明社会にいる限り、おかねがないと生きていくことができない。


――どこかに住むにも、何かを食べるにも、服を着るにも、必ずおかねが必要だ。


――だからこそ、この世界に生きる人たちはみんな必死におかねかせごうとする。


――だけど、それらのおかねは人間として生活をしていく限り、羽でも生えているかのようにすぐに飛び去ってしまう。


――そして、それらのおかねみずうえからしたへとながれるように、不動産ふどうさん会社かいしゃといった資産しさんという形でおかねを所有しているお金持ちのところへと集まっていってしまう。


――結局この世界は、元々からおかねを持っているお金持かねもちが有利ゆうりなようにできている。


――いくら頑張がんばって必死ひっしはたらいても、かせいでも、権益けんえきっているお金持かねもちが何食わぬ顔で全てをさらってしまうだけだ。


――おかねはおかねのあるところあつまる。それがこの社会しゃかい法則ほうそくだ。


 そこまで考えたところで、可憐かれんの出したクイズが頭をよぎる。


――お金持かねもちになれる人と、なれない人の一番の違い――


――おかねはお金持かねもちのところあつまるという法則ほうそく


――でも、本当ほんとうにその法則ほうそく絶対ぜったいならば。


――この世に、庶民しょみん貧乏人びんぼうにんから立身りっしん出世しゅっせした人なんて一人もいないはずだ。


――けれども、世界中に一代いちだいざいきずいたがりの例なんていくらでもある。


――それともその人たちは、全員が全員、数百億円の宝くじに当たるような超強運の持ち主だったのか?


――お金持ちになれる人と、なれない人の違い?


――いったい、何なんだ?


 もう億万長者になってしまったので考えなくてもいいはずのその疑問ぎもんは、電車から見上げたくもぞらがそうであるかのように、薄暗うすぐられないままであった。





 電車で池袋いけぶくろ駅に着き、改札を通り抜けて駅ビルの西口から出たところ、右手の方向にタクシー乗り場がある大通りに出てから、俺のスマートフォンがポケットの中で振動した。


 何か着信があったのかと思って画面を開いてみると、俺のスマホにインストールされている『パラサイト』というアプリアイコンに、1件の更新があったということを表す数字が浮かび上がっていた。


 俺は、その『パラサイト』というアプリをタップして開いて、中身を確かめる。


 その画面には、たった一人の登録者として『Yuri』というアプリネームのメンバー表示があり、こんな数値が単位と共に示されていた。


『方位271° 西 295メートル』


 つまり、二週間前の日曜日に池袋いけぶくろまち再会さいかいしたヤンキー少女、前田まえだ百合ゆりさんの情報が示されているということだ。


 ちなみに、俺の設定していたアプリネームは『K-TARO』となっている。


 池袋いけぶくろ駅西口から出た俺がスマホを水平にすると矢印が表示され、正面の方向の斜め左、だいたい10時から11時の方角に矢印の先が向く。


 俺がスマホを水平に回転させると、矢印も回転し、コンパスのように必ず一定の方角を向く。


――前田まえださんは、あっちの方角に300メートル弱の場所にいるってことか。


 駅を出た俺がその方角を見ると、池袋いけぶくろという都会とかいまち相応ふさわしく、膨大ぼうだいな数の通行人が道路をい、その向こうにはビルが立ち並んでいるのがわかる。


――向こうも、気付いたのか?


 そんなことを考えたが、俺はそこで方向と距離を示している表示の隣に『通知』という名前のスイッチボタンが用意されているのに気付いた。


 そして今、前田まえだ百合ゆりという名前のヤンキー少女を表している『Yuri』というメンバーのスイッチは OFF に設定されている。


――あー、そっか。


――このスイッチを ON に入れると、こっちの位置いちこうに通知つうちされんだな。


――うらを返せば、通知つうちを OFF にしておけば、こっちだけが相手の位置いち把握はあくできるって訳か。


 そう認識にんしきした俺は、すこし考えた後でアプリ画面に表示された通知ボタンをタップして ON に切り替えた。


 すると、前田まえださんがいる場所を示しているその矢印の方角があまり変わらないまま、距離きょり数字すうじがどんどん小さくなってくる。


 こちらに気付いて、まっすぐこちらに向かっているということだ。


――せっかくの俺の事を億万長者だと知らない、貴重な知り合いだ。


――また会ってみるのも、悪くないかな。


 そんなことを思いつつ、俺も前田まえださんのいるはずの方角に歩き出した。






 その、いかにもヤンキーっぽい風貌ふうぼうをした金髪きんぱつプリン頭の男勝おとこまさりなロングヘアー少女は、池袋いけぶくろまちで俺と再会さいかいすると威勢いせいよくほがらかなこえをかけてくれた。


 その格好かっこうは、二週間前に会ったときと同じく、黒いジャンパーにダメージジーンズといった様相ようそうであった。


 前田まえださんに「せっかくだしよ、カラオケでも行くか?」と誘われたのだが、俺が池袋いけぶくろまちに来た理由りゆう、小学生の頃からの親友しんゆうへの誕生日プレゼントを探しに来たということを伝えると、前田まえださんもそのプレゼント探しに付き合ってくれることになった。


 なんでも前田まえださんは、物心ついた時からこの池袋いけぶくろまちがある豊島区としまくに住んでおり、このあたりで知らない店はないほど池袋いけぶくろまち熟知じゅくちしているらしい。


 また、彼女も今年の四月に高校生になったばかりであり、俺と同じ高校一年生であることがわかった。


 二週間ほど前に、ガラの悪い不良二人に喧嘩けんかを売ることになったがそれは大丈夫だったのかと尋ねると、「大丈夫でーじょぶ大丈夫でーじょぶつら見られてねーし。あーいうのは三歩さんぽ歩いたらなんでも忘れっから」とのことだった。


 そんな感じで、俺は前田まえださんと一緒に池袋いけぶくろにあるいろいろな小物ショップをたずまわることになったのである。


 可憐かれんへの誕生日プレゼントとして『おんなっぽい可愛かわいいもの』を探していたのだが、前田まえださんが紹介しょうかいしてくれた店はどれもなんか、デスメタル系というか、ハードロック系というか、そういった感じの退廃的たいはいてき小物こものばかりが置いてあった。


――スカル(頭蓋骨)なんか、おそらく対極たいきょくだろうな。


 そんなことを思いながら、とある小物ショップにて人間のドクロをかたどったアロマキャンドルを手に持って掲げていると、前田まえださんがこんなことを尋ねてきた。


「でもよー、その啓太けーた親友まぶだちってどんなやろーなんだ?」


――野郎やろう、か。


「いや、おんなだよ。正真正銘の」


「なんだよ! すけかよ! 早く言えよ!」


「まー、男友達おとこともだちみたいなもんだけどな」


 そんなやりりをわしながら、それならばと前田まえださんは年頃のJK(女子高生)が喜びそうなファンシーグッズがある店々みせみせに俺を案内してくれた。


 そういった店には、女子高生などのティーン(十代)女子がいかにも好きそうな、小さなぬいぐるみ、香水、ヘアアクセサリーのたぐい所狭ところせましと置いてあった。


 俺が前田まえださんと一緒にそんな店を巡っていると、そういったファンシーショップの店舗内てんぽないでは前田まえださんがなんとなくほほめてそわそわしている挙動きょどうが目に付いた。


――こういう店、あんまり慣れてないのかな?


――ま、ヤンキーだからな。


 そんな身勝手なことを思いつつ、色々な店を渡り歩いていると、途中でファンシーグッズショップに併設へいせつしてくつが売ってある売り場を見つけた。


 少し興味が沸いた俺は、前田まえださんと一緒にそのくつ売り場におもむく。


 そして色々とくつを見たところ、流線形りゅうせんけいの白と青で構成された模様が入った、三万円ほどで売りに出されているスニーカーのデザインにつよ関心かんしんかれた。


 また、俺の頭の中では、妹の美登里みどりが自分の趣味のために十万円以上分のゲーム機やソフトなどをこだわりなく購入したという事実が思い出されていた。


――そういや、俺は大金を自分自身のためにはあんまり使ってなかったな。


――少しくらいは、無駄遣いしてもいいか。


 俺はそこで、すぐ近くにいるヤンキー少女、前田まえだ百合ゆりさんをちらりと見る。


 そして、頭の中で考える。


――前田まえださんは、俺の事を数百億円の預金がある億万長者とは知らないけれど。


――完全に隠し通そうとしたら、多分どこかでボロが出る。


――親がそこそこおかねを持っている、小金持こがねもちってことにしとくか。


 そこまで考えた俺は、くつのサイズを確かめた上でそのスニーカーを売り場まで持っていく。


 消費税を入れて三万円を超える金額が提示ていじされたが、かまわずにデビットカードでそく購入こうにゅうした。


 靴を買い終わったあと、前田まえださんが吃驚びっくり仰天ぎょうてんしたような顔で俺を見てくる。


 そして、俺に対して尋ねかける。


啓太けーた、おめー三万さんまんもするスニーカー、よくそんな容易くチャラく買えんな? もしかしておめーんってけっこー金持ちなのか?」


 俺は返す。


「あーっと、親がそこそこかね持ってるしな。おかねには一応困っていない」


――うそではない。


 アメリカの宝くじが当たってから、両親は二十億円という大金をゲットしているのである。

 

――もっとも、現時点では俺の方が親より十倍以上も金持ちなのだが。


 すると前田まえださんが、くやしそうなというか、あきてたようなというか、手を顔に当てて如何いかんとも表現ひょうげんしがたいオーバーリアクションを取る。


「かーっ! なんだよ! ボンボンかよ! こん野郎にゃろー!」


「たまたまラッキーだったってだけだよ」


 そんなやり取りをしながら、買ったばかりのスニーカー箱の入ったプラスチック袋をげて、売り場から出る。


 俺の隣を歩く前田まえださんが、なんとなく刺々とげとげしい言葉で伝えてくる。


「いーや、だまされねーぞ。金持かねもちってのはかならずなんかわりーことしてるって相場そうばまってんだ」


「あくどいこととかはしたおぼえないけど」


「そっか? だれかがとくしてるってことはかならだれかがそんしてるってことだろ? かねなんて、所詮しょせんうばいじゃねーか」


 その不満ふまんかくそうともしない前田まえださんのくちぶりに、俺は考える。


――かねなんて、所詮しょせんうばい、か。


――確かにそれは、正しいのかもしれない。


――おかねる人がいるってことは、必ずおかねうしなう人がいるってことだからな。


――誰かがとくをすれば、誰かがそんをするってのはおそらく、ゆるぎない事実じじつだろう。


 前田まえださんがなんとなく不機嫌ふきげんなまま、建物の外に出た俺たち二人はまたてもなく池袋いけぶくろまちを歩いていった。


 そして、前田まえださんと何気なにげないやりりをわしながらも、心の中ではこんなことも考えていた。


――ちょっと小金持こがねもちであることをにおわせただけで、この態度たいどの変わりようだ。


――やっぱかねを持っているってことは、それだけで人のねたみやそねみをっちまうんだな。


――学校でも、みんなが俺をちやほやしているのはかねがある俺を学校から逃がさないようにしているだけで。


――本当は、おもてに出さないだけで俺の事を相当に嫉妬しっとしているのかもしれねーな。


 そんな、暗い気持ちになるようなことを考えた俺は大きなため息を吐き出す。


 すると、隣を歩いている前田まえださんが不器用ぶきようながらも気遣きづかうように俺にたずねる。


「どーした啓太けーた? ため息なんかついて?」


「あーっとな……色々とこっちにも思うところがあるんだよ」


「ふーん? ボンボンのクセに悩みなんかあるんだな?」


――ボンボンのくせに、か。


――かねがあるからといって、すべてのなやみが解決する訳じゃ――


 俺がそんな暗い気持ちになっていると、ただでさえ暗かった天から声が鳴り響いた。


……ゴロゴロ……


……ゴロゴロ……


――ん? 雷鳴らいめいか?


――ってことは、すぐに雨が降るはず――


 俺がそう思って空を見上げた瞬間のこと。


 ポタリ。


 一滴ひとしずく雨粒あまつぶが俺の鼻頭はながしららす。


 そして、コップに溜まっていた水が溢れてきたかのような加速度的な増加。


 ポツ…………ポツ……ポツ


 パッパッパパパパ


 ドザアアアアアアアア


 どこかに避難ひなんするひまもなかった。


 俺と、隣を歩く前田まえださんはあっという間にずぶ濡れになる。


啓太けーた!! ヤベぇ! はしれ! はしれ!」


 前田まえださんがどこか目標地点を定めたかのように走るので、俺もその後をついていく。


 俺は、くつが入ったプラスチックバッグで頭をガードしながらただ前田まえださんの後をついていく。


――前田まえださんは、このまち池袋いけぶくろにわだとしょうしていた。


――だったら、適切てきせつ避難ひなん場所ばしょを知ってるんだろう。


 数十秒ほどずぶれになりながら走って到着とうちゃくしたその場所は、どうやらどこかの高架こうか道路どうろを屋根にしている、人が通るためだけの幅がある狭いガード下のようであった。


 その狭いガード下の向こうには横断歩道があるのが見え、その更に向こうには無慈悲むじひあか足止あしど信号しんごう点灯てんとうしている。


 十二月に入ったばかりの時期に降る冷たい雨は、道路をひとしきりに叩き続けていた。


 そして今、このせまいガード下には俺と前田まえださん以外の人間はいない。


 びしょれになった前田まえださんが口を開く。


「ったく、ゴリラ豪雨ごううか? もう十二月だってのにな」


前田まえださん、それを言うならゲリラ豪雨ごううでは?」


「……っ! どーでもいーだろ、んなこたよ! あーあ、ずぶれんなっちまったな啓太けーた


「そーだな。前田まえださん、この近くにコンビニとかある? かさとかわねーと」


「……」


 前田まえださんは何故なぜか急に黙りこくってしまった。


前田まえださん?」


 俺が尋ねると、前田まえださんはジャンパーのポケットに両手を入れたまま、不機嫌そうに口を開く。


「なー啓太けーたあたいがなんでさっきから機嫌きげんわりーかわかっか?」


――え?


「えーっと、金持ちだって事がわかったから?」


「んなわけねーだろ。それだけだったらここまで機嫌きげんわるくなんかなんねーよ」


 ガード下の外からはしきりに雨粒がアスファルトとコンクリートに叩きつけられる音がひびいてくる。


 十二月の冷たい空気の中で、俺たちは二人きりだった。


 さかなのようにずぶれなままの前田まえださんは、俺のことをじっと見つめたまま何も言わない。


 そして、身体が冷たい。


 ずぶれになってしまった俺の体感温度が、どんどん下がっていく。


――なんで、こんなときにまで考えなきゃいけないんだ?


――できれば、すぐにでもタクシーを呼ぶなり、喫茶店に入るなりでも――


 だが、俺は考えていた。


 考えなくてもいい、その問いを。


――前田まえださんは――


 そこで、俺の脳裏のうり毛利もうり先輩せんぱい助言アドバイスが浮かんだ。


――俺が考えてあげるってことが、何よりのプレゼント、か。


――多分、前田まえださんは俺に答えを導き出して欲しいんだろうな。


――でなきゃ、風邪かぜを引きそうなこの状況でこんな俺を試すようなことは――


――おそらく前田まえださんは、俺と本当に友達になりたいんだろうな。


 そして言葉をつむぐ。


「……じゃあ百合ゆりさん、でいいか?」


――多分、正解のはず。


 すると百合ゆりさんが、少年漫画に出てくるぐなヤンキーであるかのように、歯を見せてにかっと笑う。


 どうやらこれでよかったようだ。


 俺はこころなしか、気持きもちがゆるむ。


 それよりも、十二月の冷たい雨は確実に俺の体力を奪いにかかっている。


 俺はポケットからスマートフォンを取り出し、動作確認をする。


――良かった、れてこわれてはいないみたいだ。


 暗証番号を入力してロックを解除かいじょした俺は、スマートフォンに組み込まれているヴァーチャルアシスタントに質問する。


Siariシアリ検索けんさく。この雨はいつむか教えてくれ」


 一拍いっぱくおくれて、ヴァーチャルアシスタントの合成ごうせい音声おんせいがこのひびく。


『ハイ、150分後には現地点げんちてんでの降雨こううわると予報よほうされています』


「あと二時間半? まいったな……このままじゃ風邪かぜいちまうよ」


 俺がそんなことをつぶやいていると、少し離れた場所にいた百合ゆりさんが大声で叫ぶ。


啓太けーた!! おめー、走れるか!?」


 俺が百合ゆりさんの方を見ると、彼女はその化学繊維でできた黒いジャンパーを脱いで頭の上に被せる格好になっていた。


「ああ! 走れるけど!?」


「だったらあたいについてこい!! こんなとこにいつまでもいるわけにゃいかねーからな!」


 そう言うが早いか、百合ゆりさんは防水っぽいジャンパーを頭にせたまま、こごえそうな雨の降る池袋いけぶくろまちに飛び出した。


「ちょっと! 待てよ! どこ行くつもりだよ!!」


 俺もそう叫び返して、雨よけのためにプラスチックバッグを頭上に掲げて後を追いかけた所、百合ゆりさんがこちらに振り向きもせずに叫ぶ。


やすめるところだ! いーからあたいについてきな!!」


 俺は、頭頂部とうちょうぶくろくなっている金髪きんぱつプリンあたまのヤンキー少女と一緒に、十二月の雨が降る池袋いけぶくろの街を駆け抜ける。


 そして、俺の頭の中では当惑とうわくせざるをない推測すいそくがっていた。


――まさか、こないだ案内あんないされたホテルがいじゃねーだろーな。


――やすめる場所ばしょってラブホ……なわけねーか。


 そんな俺の心中しんちゅうなどおかまいなしに、あめまないままつよつづけて池袋いけぶくろまちける俺たちの身体からださかなのようにらしていた。


 

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