第40節 ビューティフル・マインド




 水曜日の朝、少し早く家を出た俺はだるい欠伸あくびをしながら、学校へと乗りつけたタクシーを降りていた。


 昨日の火曜日におこなわれた美登里みどりの十四歳の誕生日パーティーは、よいのうちにとどこおりなく終了した。


 新庄しんじょうさんはすぐ近くに住んでいるのでお父さんが迎えに来て、西園寺さいおんじさんや幸代さちよさんにはタクシー代を渡すことになった。


 可憐かれん萌実めぐみは一緒に、ドイツ製の黒塗り高級乗用車に乗って帰っていった。


 昨日は夜半やはん近くまで俺と姉ちゃんで共用パーティールームを片付けなければいけなかったので、少しばかり寝不足気味だ。


 タクシーで降りた場所とは、学校の校名プレートがかかっている正門近辺であり、少し広い車道の脇にある歩道である。


 俺が降りてから、そのタクシーが走り去ったところ、俺がさきほどまで乗っていたタクシーの停車位置に重なるように明るいグリーン色の小型トールワゴン乗用車が停車した。


 そして、その普通乗用車の助手席のドアがガチャリと開いて、高校生の制服を着た小学生みたいなちっちゃな女子生徒が、学用品を入れているのであろうリュックを背負って出てくる。


 女子生徒は、運転席に座っているのであろう運転手に声をかける。


「じゃ、いってきま~す」


 その、頭の両サイドに丸い髪留めでお下げをつくっている女子生徒はもちろんのこと、毛利もうり裕希ゆうきと言う名前の、ちっちゃくてほんわかとした二年生の先輩せんぱいであった。


 毛利もうり先輩せんぱいは、歩道に立っていた俺に気付いて朝の挨拶あいさつをかける。


「あっ! 啓太郎けいたろうくん! おはよ~」


 俺はもちろん、上級生相手に敬語けいごにて丁寧ていねい挨拶あいさつを返す。


「おはようございます、もう……あ、いえ。裕希ゆうき先輩」


 以前から、名字でなく名前で呼んで欲しいと言われていたので、下の名前で呼ぶ。


 そんな朝の挨拶あいさつを交わす俺と先輩の近くで、どこか玉虫っぽい色とも見えなくもない、緑色の小型トールワゴン乗用車が車道を過ぎ行く。


 俺が運転席をちらりと見たところ、そこに座っていた運転手の姿には見覚えがあった。


――保健室ほけんしつの先生?


 平安へいあん時代じだい絵巻物えまきものに出てくる女性のようにすみられたかのごとき長い黒髪を伸ばし、目つきがどことなくするどくてなんとなく物憂ものうげで、いつも何かになやんでいそうな雰囲気ふんいきかもしている、かげがある美人びじんとして二高ふたこうで有名な養護ようご教諭きょうゆであった。


「いまの、養護ようご教諭きょうゆの先生ですよね? ご家族なんですか?」


 俺がそう尋ねると、毛利もうり先輩はにこやかに答える。


「え~っとね~、従姉妹いとこのお姉ちゃんなんだ~。ほら、あたしっておなどしの子に比べて少しちっちゃいから、危なくないようにいつも送り迎えしてもらってるの~」


 そんな言葉を交わしながら、俺は毛利もうり先輩と一緒に生活指導の先生が待機している正門を通り抜け、昇降口のある中庭へとおもむく。


 そんな中で、毛利もうり先輩が俺に尋ねる。


「昨日、妹さんのお誕生日会だったんだって~? 楽しかった~?」


 その情報は、おそらくは萌実めぐみから聞いたのであろう。


 俺は応える。


「ええ、楽しかったですよ。みんな喜んでくれました」


 すると、毛利もうり先輩がこんなことを言った。


萌実めぐみちゃん、十二月の誕生日も楽しみにしてるから、忘れないであげてね~」


――十二月の誕生日?


 疑問に感じた俺は、昇降口近辺でぴたりと足を止める。


 すると、毛利もうり先輩もそれに従ってとどまる。


――俺の誕生日は、五月に過ぎたし。


――萌実めぐみの誕生日は、来年の一月だし。


「十二月の誕生日って誰のですか?」


 俺がそう尋ねると、毛利もうり先輩はにこにこしながら返す。


「え~っ! やだな~、前生徒会長の花房はなぶさ会長の妹さんの誕生日だよ~! 子供の頃からのお友達なんでしょ~!?」


――え? 花房はなぶさ会長? ……の妹さん? 


「あっ! 可憐かれんの誕生日ってことですか? それよりあいつ、この学校に兄弟きょうだいいたんですか!?」


兄弟きょうだいっていうか、おねえちゃんだね~。ここの学校の上級生なら、花房はなぶさ会長のこと知らない人なんていないよ~」


――可憐かれんやつ、姉ちゃんなんかいたのか。


――そもそも、小学生のときに兄弟姉妹がいるとか言ってたっけか?


――あーだめだ、思い出せねー。


 そこまで考えた俺は、毛利もうり先輩に尋ねる。


可憐かれんのお姉さんって、どんな人なんですか?」


 すると、毛利もうり先輩がどことなく暢気のんきに応える。


「え~っとね~、そーだ! 生徒会室にアルバムがあるから、お昼休みに見においでよ~!」


「え……いいんですか? 部外者である俺がそんなところにはいって?」


「へーき、へーき~。今の時期は生徒会長せいとかいちょうさんも、委員いいんのみんなも、放課後ほうかごにしか集まらないから~!」


 そんな毛利もうり先輩の言葉に俺は了承を返し、昼休みに少しだけ生徒会室にお邪魔することになった。


――それよりも。


――可憐かれんの誕生日が十二月だったってことも、俺はすっかり忘れていた。


――確か、大晦日おおみそかのすぐ前だったっけか。


――年末年始はいつも、父さんの実家に帰ってたからいわったことねーんだよな。


――それに、可憐かれんに姉ちゃんがいるなんてことも全然意識してなかった。


――あいつ、自分の家のことはあんまり話さなかったからな。


――きっと、まだまだ俺が知らないこともいっぱいあるんだろーな。


 そんな後ろめたさを感じつつ、俺は毛利もうり先輩と別れて靴を履き替え、教室へと向かった。




 さて、午前中の授業が終わって、今は昼休み。


 教室で悪友三人と一緒に弁当を食べ終わった俺は、生徒会室があるという話の文化棟校舎一階に来ていた。


 俺はどこの部活にも所属していない帰宅部生なので、この校舎に入る用事が生まれるのは、音楽や美術などの芸術科目時限くらいである。


 生徒会室に近づくと、向こうの方から手に鍵を持った毛利もうり先輩が歩いてきた。


「あっ、啓太郎けいたろうく~ん! タイミングぴったりだったみたいだね~」


「ええ、丁度よかったです」


 毛利もうり先輩はそんな俺の気の抜けた返事を聞きながら、職員室しょくいんしつで借りてきたのであろう鍵を生徒会室の横開きドアの鍵穴に入れて回す。


 カチャリ


 そんな古めかしい懐かしい音と共に施錠せじょうが解かれ、毛利もうり先輩は引き戸を音を立てて開けて入っていく。


 俺も後をついて入っていくと、毛利もうり先輩が低い位置から手を上げて電灯でんとうのスイッチを入れてくれたところだった。


 生徒会室として用いられている部屋はそこそこ広く、授業が行われるクラスルームの半分くらいはある。


 ただ、天井に設置されている室内灯は、いつも俺たちが授業を受けている教室に設置されているような一瞬で点灯する LED 蛍光灯ではなく、昔ながらのチカチカしながら水銀すいぎん蛍光灯であった。


 そして、色々な資料を入れているのであろうロッカーや、四角いプラスチックケースに入れられた二高ふたこう校舎こうしゃ模型もけい、何らかの会議をするときに使うのであろうホワイトボード、そして中央にはパイプ椅子が並べられた長机ながづくえかれていた。


 電灯をつけてくれた毛利もうり先輩は、俺に向き直る。


「お茶とかもあるけど、どうする~? 飲んでいく~?」


――わずらわせるってのもちょっとな。


「いや、遠慮しときます」


「そっか~、で、聞きたかったのは花房はなぶさ元生徒会長さんのことだったよね~」


 俺がその言葉に返事をすると、毛利もうり先輩は備え付けられているロッカーの下のほうから、重厚じゅうこう装丁そうてい冊子さっしを取り出した。


 毛利もうり先輩が長机の上に置いたそれは、去年度の年号が書かれた生徒会アルバムであった。


 毛利もうり先輩がアルバムを開くと、そこには学校行事の様々なシーンが数々の写真の中に映し出されていた。


 俺は尋ねる。


「これ、アナログ写真のアルバムですよね?」


「そうだよ~、学校ってなんだかんだで古いものを大切にするからね~。こんな形での記録と保存を続けてるんだよ~」


――デジタル機器ききもちいない、昔ながらのアルバム。


――今はもうあまり見なくなったけど、なんとなく懐かしい感じがするな。


 俺がそんなことを思っていると、毛利もうり先輩がそのアルバム冊子さっしの、あるページを開いた。


 そこにある銀塩ぎんえん写真しゃしんには、どことなく雰囲気ふんいき可憐かれんに似た、ツリ目だが柔和にゅうわな感じの、二高ふたこうの女子ブレザー制服を着た金髪きんぱつロングヘアーの女子生徒が映し出されていた。


 その触覚しょっかくのような金色きんいろかみが二本飛び出した温厚おんこうそうな女子生徒の姿を、毛利もうり先輩が指差ゆびさす。


「この人が、今年卒業した花房はなぶさ会長だよ~。やさしそうでしょ~?」


「ええ、それに可憐かれんに似てますね」


――多分、可憐かれんがポニーテールをほどいたら、こんな感じなんだろうな。


 そして、なによりも可憐かれんに似ているポイントとして。


 デカい。


 可憐かれんみたいにブラウスの上のボタンは開けてないが、写真越しでもわかるくらいに、そのバストアップの魅惑的みわくてきな女性っぽさがはちきれんばかりだ。


――そりゃあ、男子の票を集めるよな。


 毛利もうり先輩は、みとともに俺に告げる。


「いま生徒会長をしている高梨たかなし先輩なんか、二年生のときに花房はなぶさ会長の騎士ナイトを気取ってたんだよ~。卒業式の日に告白して振られちゃったんだけどね~」


――あの生徒会長にそんな過去が。


 すると、毛利もうり先輩が不敵な笑顔と共に、俺の目を見つめてきた。


啓太郎けいたろうくん、本当はもっと知りたいことがあるんじゃないかな~?」


 毛利もうり先輩は、なんとなくニヤニヤしている。


「ええ、まあ」


「当ててみよっか~、可憐かれんちゃんっていう花房はなぶさ会長の妹さんの、誕生日プレゼントのことでしょ~?」


――この人、すごいな。


「ええ、どんなものを贈ればいいのやら。それにしても、よくわかりましたね。もしかして心でも読めるんですか?」


 俺がそんなことを冗談半分で伝えると、毛利もうり先輩は急に真顔になって、置いてあるパイプ椅子を引いてそこに座る。


「それはね~。ま、しょうがないよ~。なんとなくわかっちゃうんだから~」


――え? まさか本当に読めるとか?


 俺がそんなことを考えて狼狽ろうばいしていると、パイプ椅子に座った毛利先輩が、俺に顔を向けて口を開く。


「いま啓太郎けいたろうくん、ちょっとうろたえてるでしょ~。別に怖がらなくていいよ~。あたしだって、誰にも知られたくないプライベートな心の底まで読んだりしないから~」


 その言葉に、俺は毛利もうり先輩の隣にあったパイプ椅子を机から引き出して、そこに座る。


「俺の姉ちゃんも、勘はするどい方なんですけど。裕希ゆうき先輩はもっとするどいんですね」


 すると、毛利もうり先輩はほんの少しだけ、そこはかとなくかなしそうな表情を見せる。


するどいっていうかね~、本当に分かっちゃうんだよ~。もしかしたら、先祖に心が読める妖怪ようかいでもいたのかもね~」


 パイプ椅子に座った俺は、隣にいる毛利もうり先輩に返す。


妖怪ようかいなんて、リアルにはいないと思いますけど」


 すると、毛利もうり先輩がため息をつく。


「そうだよね~、妖怪ようかいなんているはずないんだけどね~。でも、少なくともあたしは、近くにいる人の心を、なんとなく読むことができちゃうんだ~」


――にわかには、信じがたい。


 俺は返す。


「本当に人の心が読めるんだとしたら、随分ずいぶん便利べんりだと思いますけど。違うんですか?」


 すると毛利もうり先輩が、何か複雑ふくざつなものを心の中に包んだような横顔を見せる。


「今はみんなの気持ちを知るのに便利だけどね~。慣れてなかった小学生のときはちょっとばかりつらかったんだよ~。でも、と~っても素敵すてきな先生に出会であって救われたんだ~」


――先生?


「あの、養護教諭ようごきょうゆの先生……ではないですよね?」


――養護教諭ようごきょうゆの先生は、毛利もうり先輩の従姉妹いとこだから、それ以外の人?


 俺がそう思うと、毛利もうり先輩は何かに気付いたようなハッとした顔を俺に向けて、両手をぶんぶんと横に振る。


「あっ! なんでもない、なんでもな~い! 忘れて~!」


 毛利もうり先輩が、いつものようなほんわかとした笑顔に戻り、言葉を続ける。


「とにかく、可憐かれんちゃんが欲しがっているものは、あたし萌実めぐみちゃん経由で本人に会って確かめてあげるから~。まかせといて~!」


「……すいません、毛利もうり先輩」


「も~、だから裕希ゆうきでいいってば~」


 俺と、このちっちゃな二年生の先輩の間になごやかな視線が行きかう。


 だが、俺には気になることがあった。


「……もし先輩が人の心をなんとなく読めるんだとしたら、何でそんな事を俺に伝えたんですか?」


――そんな話、萌実めぐみからも誰からもワンフレーズ一言も聞いてない。


――もし本当に、人の心が読める超能力なんかあったら、確実に噂になっているはずだ。


 すると、毛利もうり先輩が指を口元に当てて、上方を見る。


「ん~とね~、啓太郎けいたろうくんだったら信じてくれなさそうだったからかな~」


――なんだそりゃ。


 毛利もうり先輩は言葉を続ける。


「あとはま~、啓太郎けいたろうくんが先生みたいな心してたからかな~」


「先生って……さっき言ってた、先輩を救ってくれた先生ですか?」


 すると、毛利もうり先輩が少し照れたような笑顔になる。


「あはは、ま~やっぱり忘れることなんかできないか~」


 そんな先輩の様子を見た俺は、心の中で思う。


――多分、毛利もうり先輩の大切な思い出なんだろうな。


「別に誰にも言ったりしませんよ、俺の心の中に閉まっておきます」


 毛利もうり先輩に返したその言葉は、俺の本心であった。


 俺の言葉に、毛利もうり先輩は微笑む。


――俺も、萌実めぐみとの思い出を。


――そして何より、かつてレンと呼んでいた親友との思い出を大切にしている。


――誰にも知られたくない大切な思い出なんて、人間だったら持ってて当然だ。


――それにまあ、超能力者のように心が読めるなんて誇張こちょう表現ひょうげんだろ。


――多分先輩は、無意識むいしきのうちに人の表情ひょうじょうとか声色こわいろとかで感情かんじょう能力のうりょくが、人一倍すぐれているんだろうな。


――そもそも人間が、そんな超能力なんて持ってるわけねーもんな。


 そんなことを、この小さな先輩の隣で思っていた。




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