第35節 パルプ・フィクション




 そして翌日の日曜日の昼過ぎ、俺は大宮駅おおみやえきから池袋駅いけぶくろえきへと向かう電車でんしゃられていた。


 俺は濃い色のデニムジーンズを穿き、前にファスナーがあるパーカーフーディーという私服姿で乗降じょうこうドアの近くに立ち、体を支えるためのバーを握ったまま、電車の外にながれる風景ふうけいをただただ傍観ぼうかんしていた。


 目的地はもちろん、声優握手券の当たるコミック CD が売っているであろう、池袋いけぶくろにある大きな書店である。


 愛用していた東京駅百周年記念の Suikaスイカかなでさんにあげてしまったのでもう手元にはないが、新しく手に入れたデビットカードを使うことで改札口はキャッシュレスで通過することができる。


 しかし、それだけでは心もとないので、あらかじめ駅近くにあったATMにて五万円の現金を引き落とし、しっかりと財布の中に入れておいた。


 電車に乗って出入り口ぎわのバーを握ったままの俺は、乗降じょうこうドアの外に流れる、雑居ビルが立ち並ぶ情景じょうけいうつろいを、物思ものおもいにふけりながらただただ無言でながめていた。


――なんか、以前とはずいぶんと、見え方が違うな。


 俺が金持ちでもなんでもなかった、そこらへんにいる一般庶民いっぱんしょみんの学生だったころは、このまちらすひとたちがどういうシステムにのっとって日々ひびを生きているかということなんて、考えたこともなかった。


 先月に、顧問弁護士こもんべんごし先生せんせい投資とうしすすめられたときに「投資とうしをするには社会しゃかい経済けいざいのメカニズムをよくらなければならない」とさとされたので、俺はここしばらくの期間きかんはインターネットに接続せつぞくされたノートパソコンを使って、色々なことを勉強べんきょうしていたのである。


――おそらくは、社会しゃかいシステム全体ぜんたいながわたすにはまだまだ全然ぜんぜんとどかないんだろうけど。


――それでもかりとして、ひとつだけわかったことがある。


――人間にんげんすべからく、平等びょうどう公平こうへいであるべきだという建前たてまえはんして。


――このなか実際じっさいにはまったくもってして、平等びょうどうでも公平こうへいでもなんでもない。


 おおよそ人間にんげんとしてまれた俺たちは、まれたときからあからさまながついている。


 それは、おや収入しゅうにゅう資産しさん仕事しごとであったり、家族かぞくのそれぞれの性格せいかくかかわりかたであったり、まれそだった環境かんきょうとしての地域ちいき場所ばしょであったり、それぞれが個別こべつっている外見的がいけんてき身体的しんたいてき知能的ちのうてき情動的じょうどうてき感覚的かんかくてき特徴とくちょうであったりする。


 場合ばあいによっては、それが性別せいべつだったり、出生地しゅっせいちだったり、国籍こくせきだったり、まれた時代じだいだったり、人種じんしゅだったり、家柄いえがらだったり、才能さいのうだったり、遺伝子いでんしだったり、先天的せんてんてき疾患しっかんだったりもする。


――人間にんげんは、いや地球上ちきゅうじょう生物せいぶつすべては基本的きほんてきに、自分じぶんまれをえらべない。


 そして、それらのあたえられた条件じょうけんは、ことごとくがひどく不平等ふびょうどうだ。


 なかには、なにもしなくてもおや金持かねもちというだけで、なに不自由ふじゆうなく裕福ゆうふくらすことができる人間にんげん一握ひとにぎりだけいる。


 そして、それと同時どうじにどれだけ苦労くろうしても貧困ひんこんからせない人間にんげんが、かずはるかに上回うわまわって大勢おおぜいいる。


 地球上ちきゅうじょうのあらゆる人間にんげんまれつき平等びょうどうで、社会しゃかいにおいて公平こうへいであるというのは、かみかれたフィクションに過ぎない。


――俺も。


――俺も、宝くじが当たらなければ。


――多分たぶん一生いっしょう普通ふつう庶民しょみんのままだった。


 今の俺は、たまたま超ラッキーによって三百億円以上の大金を持っている高校生になっているが、それはあくまでてんあたえらえた幸運ロトリーによるものにすぎない。


 自分じぶん実力じつりょくかせぎ、たおかねじゃない。


――俺は。


――この運否天賦うんぷてんぷあたえられた、身分みぶん不相応ぶそうおうな超大金を。


――いったいどうあつかうべきなんだろうか?


 俺の答えの出せそうにないこのさきえない疑問ぎもんは、東京とうきょう池袋いけぶくろへと向かう電車でんしゃとびらの向こうに広がる、流れる風景の向こうに溶け入ってしまった。







 俺は、池袋駅いけぶくろえきの東口を出てすぐ南に行ったところにある大型書店である、『三誠堂さんせいどう書店しょてん』におとずれていた。


 日曜日での都会の街にある大型書店だけあって、書店のフロアには大勢おおぜいの人がっている。


 かつて、大型書店や小型書店は Amazinアマジン などのインターネット通販会社にシェアをうばわれつづけ、地方ちほうにおいては閉店へいてん相次あいついだらしいのだが、少なくともここ数年すうねんほどは書店しょてんむかしながらの活気かっきもどはじめているらしい。


 その理由も、いくつかある。


 まず、外資系がいしけい大手おおてインターネット通販つうはん会社がいしゃである Amazinアマジン に対抗するため、日本中の様々な大型書店から小型書店までもが手を組み、ネットワークで結ばれたこと。


 例えば池袋いけぶくろにある書店しょてん目当めあての本が見つからなくても、店員てんいんさんにたずねれば、同じ池袋いけぶくろにある別系列べつけいれつ書店しょてん在庫ざいこ確認かくにんしてくれるようになっている。


 そして、スマートフォンでの拡張かくちょう現実げんじつ機能きのうもちいて、インターネットの検索けんさく機能きのうではそう簡単かんたんにはつけられないような、それぞれの趣味しゅみったローカルでニッチなほんたなごとにすすめてくれるシステムがもうけられたこと。

 

 その他にも、本を読みながらゆったりとくつろぐことができる喫茶店きっさてん併設へいせつや、大学生による子供こどもけの簡易かんい学習塾や保健士ほけんしによる老人ろうじんけの健康講座けんこうこうざひらくことができるセミナースペースのレンタル、声優やミュージシャン、人気アイドルなどを呼んでの定期的なイベントの開催かいさいなど、店によって様々さまざま創意工夫そういくふうをしているらしい。



 そんなことを考えながら、漫画コミック類が売ってある二階にエスカレーターで上がろうとすると、近くに実用書フェアという名目で、様々な本がいくつも平積みされている棚が目に入った。


 どんな本が売られているのか少しだけ気になった俺は、そのフェアが行われている本棚に近寄る。


 そこには、年金ねんきんについての知識ちしきや、生活せいかつかかわるファイナンシャルプラン、積立式つみたてしき保険ほけんサービスのかしこい使い方や、主婦しゅふが好きそうな節約術せつやくじゅつ、などなどを標榜ひょうぼうしている種々しゅしゅ多様たよう啓発書けいはつしょ大量たいりょう平積ひらづみでならかれていた。


 つまり、お金に関する実用書じつようしょのフェアが行われているわけである。


 興味きょうみいた俺は、ポケットからスマートフォンを取り出して AR拡張現実 アプリを起動きどうさせ、カメラを本棚ほんだな設置せっちされている二次元コードに向ける。


 するとスマートフォンの画面には、レンズを通して本棚ほんだな様子ようすうつり、それと同時どうじ拡張かくちょう現実げんじつ機能きのうによってすじ書物しょもつリストがかさねて表示ひょうじされる。


 すじ書物しょもつリストをフリックでスライド移動していると、そのリストの中に気になるタイトル名があった。


『ウォール街でのランダム・ウォーカー』


――ランダム・ウォーカー?


――つまり、『出鱈目でたらめあるひと』? どういう意味いみだ?


 リストの細目さいもく確認かくにんして、その書物が置かれている場所を調しらべる。


 一番上の右端にある本だということをたしかめてから、その書物しょもつ本棚ほんだなから抜き出す。


 その本は、どうやら洋書ようしょ翻訳ほんやくしたものらしく、随分ずいぶん分厚ぶあついハードカバーの本であった。


 パラパラと紙をめくってみた俺は、学校の教科用きょうかよう図書としょ小説しょうせつなどの娯楽ごらく文学ぶんがくとはあからさまにちがう、その印刷いんさつ文字もじちいささと稠密ちゅうみつさに面食めんくらった。


――ずいぶんと、むずかしそうだな。


――もっと、簡単かんたんそうな本はないかな?


 そう考えつつ分厚ぶあついハードカバーのほん平積ひらづみの本の上に置き、投資とうしに関する他の本を本棚ほんだなべつ箇所かしょから引っ張り出してパラパラとめくる。


 初心者しょしんしゃけなのであろう、あからさまに文字の大きな本や、物語風ものがたりふうになっているような、かみくだいて説明せつめいされているような本も他にあった。


 しかし、最初のかんをなんとなくてきれなかった俺は、また機会きかいがあれば買おうと思い、ウォール街でのランダムなんとかという分厚ぶあついハードカバーの本をスマートフォンアプリの『気になる本リスト』に入れて、しっかりと本棚ほんだなもと場所ばしょに戻した。


 そして、妹の誕生日プレゼントのために、二階にあるコミック売り場に向かって歩き出す。


――ま、今日はいいか。


――先に、妹への誕生日プレゼントを買わないとな。


 俺は大型書店のエスカレーターで上昇しながら、妹に頼まれたコミックCDのタイトルが書かれたメモ書きを見ていた。





 

 その大型書店の二階にて、妹に頼まれたコミック CD を探したのだが、どうしても見つけられなかった俺は店員さんにその CD の所在を尋ねることになった。


 どうやら、かなりの人気作品らしくて、もうその大型書店では売り切れてしまったのだという。


 と、いう訳で他店の在庫ざいこ確認かくにんしてもらったところ、池袋駅いけぶくろえきから少しひがしに行ったところにあるコミック専門店ならまだ在庫ざいこが残っているということがわかり、俺は池袋いけぶくろのビルが立ち並ぶまちをそちらの方角ほうがくに向かって歩いていた。


 ひがし上方じょうほう視線しせんを移すと、池袋いけぶくろのランドマークビルであるサンシャイン60が天高てんたか屹立きつりつしているのが目に入る。


 池袋いけぶくろ東口ひがしぐちからひがしに向かい、歩行者天国を抜けつつスマートフォンマップに示されたその目的地である書店へと歩いている俺は、だんだんと通行人つうこうにん特徴とくちょう遷移せんいしてきたのがわかった。


 あからさまに、かみめていない眼鏡めがねをかけた、わかくてどこかいた、わるえば地味じみかんじの女性じょせいおおくなってきている。


――これがうわさの、乙女おとめロードとかいうやつか。


――いや、落ち着け、落ち着け。COOLクールだ、COOLクールになれ、啓太郎けいたろう


――俺は妹のために、大切な妹の美登里みどりのために誕生日プレゼントを買いに行くんだ。


――つまり、男子だんし高校生こうこうせいである俺がそういった場所ばしょったとしても、なぁんにもおかしくない。


 男子だんし高校生こうこうせいとしてありがちな尊大そんだい羞恥心しゅうちしん臆病おくびょう自尊心じそんしんむねいだきつつ、俺はみずからをふるたせてそのスマートフォンマップに示された、のコミック専門店へとビルの間にある池袋いけぶくろ街路がいろにて一歩いっぽ一歩いっぽあしすすめていた。


 全ては、あのわがままな妹のため。


 そう考えないわけにはいかなかった。


  





 池袋いけぶくろにある乙女おとめロード。


 そこは、人種じんしゅ性別せいべつ年齢ねんれいなどのあらゆる垣根かきねえて様々さまざま聖域せいいき薔薇ばらはな、そして所々ところどころ百合ゆりはないている、乙女おとめにとっての秘密ひみつ花園はなぞの


 かつて俺は、妹にそうおしえられた。


 大型書店で案内された同じ池袋いけぶくろにあるコミック系専門書店、まあぶっちゃけオタク向けアニメショップの階段の下にて、俺は妹に手渡されたコミック CD の題名を書いたメモ書きを改めて確認していた。


『センス・オブ・ワンダーワールド ~破局後世界の魔法術士~』


 聞いたことのないタイトルの漫画まんがであった。


 おそらくはマイナーな漫画まんが雑誌ざっし漫画まんがなのだろうが、妹の美登里みどりはもしかしたらかく出版社しゅっぱんしゃがデジタルコミックを公式こうしきにアップロードしている、インターネット上の定額ていがく漫画まんが見放題みほうだいサイトでこの漫画まんがのことを知ったのかもしれない。


 そして、俺がこんな風に人のあまりこない階段の下で待機しているのには、立派な訳がある。


――間違って、BLボーイズラブコミックスが大々的に売られているフロアにエレベーターで降りてしまうというトラップを避けるためである。


 一般の少年・青年コミックの新刊が売っているフロアは二階、BLボーイズラブコミックスとかが売っているフロアは四階。


 つまり、美登里みどりに頼まれたような少年・青年コミックの新刊が展示されている売り場は二階。しっかりと入り口近くにあった案内板フロアマップで確かめた。


――そう、オタクでもなんでもない、一般の男子高校生である俺が。


――ちょっとばかり趣味しゅみがコアな婦女子ふじょし貴婦人きふじん神聖しんせいなる領域りょういき土足どそくるわけにはいかない。


 そんなことを考えながら、階段を一歩一歩踏みしめ、登っていく。


 そして、無事二階へと到着したところ、新刊漫画のコーナーへとおもむく。


 そこでしばらくうろうろとフロアを歩き回り、その美登里みどりたのまれたコミック CD をさがしたのだが、あるはずの目当めあての漫画まんがのタイトルをかんしたコミック CD はどこにもなかった。


 しかたなく店員さんに尋ねてみたところ、どうやら二階では紙でできた書籍しか扱っておらず、コミック CD などのオーディオプレミアムグッズはずっと上の七階で取り扱っていることがわかった。


 五階分の階段を上がらなければならなかったが、エレベーターは使わないことにした。


 十代の男子だったら、これくらいは大丈夫。


 そう考えて階段に向かい、そして階を上がり、三階から四階へと昇る階段の踊り場を抜けたところで、俺はその事件じけん遭遇そうぐうしたのである。


――ひらひらの、フリルがついたロングスカートの――


――白いゴシックロリータドレスに身を包んだボブカットヘアーのおんなが、空から降ってきた――


 それは、一介いっかい男子だんし高校生こうこうせい遭遇そうぐうするにはあまりにも漫画まんがチックな出来事であった。


 まるで、ひと昔前のラブコメ主人公の、くだらない物語のプロローグのような――




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