第34節 欲望の翼




 スポーツウェア姿の俺が、商店街にある新庄しんじょうさんのいえってから自宅である豪邸ごうていに帰ってくると、品の良いロングスカートメイド服姿のかなでさんが、いつものようにパタパタとスリッパの音を鳴らして出迎でむかえてくれた。


啓太郎けいたろうさん……お帰りなさいませ……」


「ああ、ただいま。これお土産みやげ


 俺はそう言い、新庄しんじょうさん一家いっかからおれいとしてプレゼントされていた、四つのケーキが入っているケーキボックスをかかげる。


 かなでさんは、予想外の出来事に出会ったかのように目をぱちくりさせる。


「あ……ケーキ……お買いになられたんですか……?」


「ああ、買ったっていうか……さっき友達になった人にもらったっていうか……」


 そんな俺のセリフを聞きながら、かなでさんは俺に手渡されたケーキボックスをしっかりと手に取って支える。


 そして、メイド少女であるかなでさんはいつものようにお澄まし顔で、靴を脱いで段差を上がった俺の一歩後ろにて、従順じゅうじゅん忠犬ちゅうけんのように付き従う。


 廊下を歩いている最中で俺が振り向くと、かなでさんが少しだけ表情ひょうじょうゆるめた感じで尋ねてくる。


「えっと……確か……妹さんが太ってしまうといけないから……ウォーキングのコースを下見されてたんじゃなかったんですか……?」


「いや、なんか、高級な砂糖を使っているからあんまり太らないって言われたからさ。たまにはいっかなって思って」


 その言葉に、かなでさんがほんの少しだけ微笑ほほえむ。


「やっぱり、啓太郎けいたろうさんはどこまでも妹さんにおやさしいですね……」


「いやー、自分でも妹に甘い性格を、いつかは直さなきゃいけないとは思ってるんだけどね」


 そんなやり取りをしつつ廊下を抜けてリビングに出たところ、妹の美登里みどりが大広間のレザーブラックのソファーの上で、そのリボンでわれたツインテールを興奮気味に揺らしつつ、猫背ねこぜで携帯ゲーム機のゲームを懸命けんめいに楽しんでいる様子が目にうつった。


 妹が両手で持っていたそれは、ブルーグリーンの色をした見たことがない新型の小型携帯ゲーム機であった。


 リビングには、その携帯ゲーム機から出ているのであろうゲーム音楽と、斬撃ざんげき効果音こうかおん怪物かいぶつうめくようなとどろごえつづけざまにひびいている。


 俺は、背中をねこのように丸めた美登里みどりに、ソファーの表側から近づく。


美登里みどり、ただいま」


「……あ、おかえりお兄ちゃん。てやっ!! そいっ!!」


 生返事なまへんじを返した妹は、俺の方にはほとんど視線を移さずにゲーム画面に対して前のめりになって、その操作そうさ熱中ねっちゅうしている。


「そのゲーム機、またネットで買ったのか?」


「……そだよ、いまちょっとアクションゲームに集中してるから話しかけないで。おりゃっ!! うりゃっ!! バフ(強化)!! からのデバフ(弱体化)!!」


 そんな感じで、子供っぽく精いっぱいゲームに集中している妹を見て、俺はため息をつく。


 先月に、家で引きこもっている妹が不自由しないようにと大手インターネット通販サイトである Amazinアマジン のアカウントに、大盤振る舞いでギフト券ポイントを90万円分登録して入れたのだが、このままだと割と早く底をついてしまうだろう。


――もし、デビットカードの番号ばんごう美登里みどりに教えて。


――ソーシャルゲームのアイテム課金かきんとかいうやつはじめられたら。


――多分、一千万円いっせんまんえん二千万円にせんまんえんくらいすぐに使つかっちまうだろうな、こいつ。


 俺は妹に尋ねる。


「すぐやめられないのか?」


「……もー、しつこいなー。ゲームなんだから簡単にやめられるわけない、あっ! クリティカル食らった! ヒール(回復)!」


「じゃ、ケーキはおあずけだな」


 俺がそう言うと、ゲーム画面に対して前のめりになっていた妹は背筋を伸ばしてシャキッとした姿勢になった。


「……はい、ポーズ(一時停止)っと。もー、ケーキがあるんだったら早く言ってよお兄ちゃん」


 ゲームの音声がすみやかに止まったところ、妹の美登里みどりは少しだけほほめつつ、俺に対して片手を掲げて手首を曲げ、にゃんこのように宙をいた。


「ったく、調子いいな」


 俺がそう告げると、妹は携帯ゲーム機をソファーの上に置いてうきうきした感じで立ち上がり、ケーキボックスを乗せたダイニングテーブルに早足で向かう。


 俺もダイニングテーブルに向かうと、かなでさんがケーキを乗せるための小皿とフォークを2セット用意してくれていた。


美登里みどり嬢様じょうさま……どのケーキがよろしいですか……?」


 開けられたケーキボックスを覗き込んだ妹が、うきうきとしゃべる。


「……おお、四つとも美味おいしそう。全部ってのはダメ?」


 少し離れた所から俺は返す。


「わがまま言うなっつーの」


「……言ってみただけだよ。じゃー、このチョコレートケーキでお願いね、かなでちゃん」


 そんな妹の言葉に、メイドのかなでさんがケーキを甲斐甲斐かいがいしく丁寧ていねいに手に取り、妹のために小皿に乗せる。


 そしてかなでさんが、ダイニングテーブルに近づいていた俺に尋ねる。


啓太郎けいたろうさんは、どのケーキがよろしいですか……?」


 俺は返す。


「ああ、いや。俺はあとで姉ちゃんと一緒に食べるからさ。それにこの四つのケーキ、ひとつはかなでさんの分だからさ、好きなの選んでよ」


 その言葉にかなでさんが、とんでもない、といった感じで目を見開いて両手を振る。


「いえ……わたしはただの家政婦かせいふですから……そういうわけにはまいりません……」


「じゃ、改めてやとぬしとしてかなでさんに仕事しごと依頼いらいするよ。妹の美登里みどり一緒いっしょにケーキを食べるっていう、子守こもり役目やくめをしてほしい」

 

 俺がそう言うと、すで椅子いすに座ってチョコレートケーキをフォークで食べていた妹の美登里みどりが、甘いものを食べてご満悦まんえつといった感じになりながら悠然ゆうぜんと声を出す。


「……かなでちゃんもさー、仕事しごとがどーとか、家政婦メイドさんとしての職務しょくむがどーとか、あんましかたいことばっか言わなくてもいいよ。こーゆーのって、どー考えても一緒に食べたほうが美味おいしいじゃない」


 そんな美登里みどりのフォローに、俺は少しだけ表情をゆるませる。


 俺は、かなでさんに尋ねる。


「ほら、美登里みどりもそう言ってるし、どれでも好きなの選んでよ。どれが食べたい?」


 すると、かなでさんは遠慮えんりょがちな小声こごえで、少し恥ずかしそうにいちごったしろいケーキをゆびさす。


「えっと……でしたらこのショートケーキを……食べさせてもらってもかまいませんか……?」


「ああ、いいよ。食べて食べて」


 俺がそう伝えると、かなでさんはきわめてつつましやかにショートケーキを上品に手に取り、置いてあった小皿に乗せる。


 そして、椅子に座ってから両手を合わせて食事前の挨拶を述べる。


「いただきます……」


 そんなことを言って、フォークでショートケーキを食べるかなでさんは、その表情をわずかに動かして甘いものを食べた女の子っぽい微笑ほほえみ顔になる。


美味おいしいです……随分ずいぶん高級こうきゅうなお砂糖さとうを使っているんですね……このケーキ……」


――かなでさんがよろこんでくれたみたいで、良かった。


 そんなことを心の中で思いつつ、俺は告げる。


「そのケーキ屋の主人であるパティシエさんが、フランス出身の人なんだよ。お菓子作りの腕は本場仕込みなんだって」


 すると、かなでさんが応える。


「本当に……抜群ばつぐん美味おいしいですよこれ……相当な高級品なんじゃないですか……? お友達ともだちになられた方にいただいたっておっしゃってましたけど……?」


 すると、チョコレートケーキを食べきりつつある美登里みどりが、かなでさんに疑問をげる。


「……そこまで違うもんなの、かなでちゃん? せいぜい、デパートのケーキより少し美味おいしいくらいじゃないの?」


 そんな言葉に、俺は妹に対して若干じゃっかんのアイロニカルさをふくんだ言葉を返す。


美登里みどり生粋きっすいのお嬢様じょうさま料理上手りょうりじょうずかなでさんはお前とは根本的こんぽんてき味覚みかくが違うんだ。お前のバカじたと一緒にするな」


「……はいはい、わかってるって」


 妹はそんなことを言い、チョコレートケーキの最後のひとかけらを口に運ぶ。


 そして、口元にチョコレートクリームをつけたままもぐもぐと食べてから間を置かずに一言。


「……ふー、ケーキ美味おいしかった。さーて、ゲームゲーム」


 フォークを小皿に置いた妹が椅子から立ち上がり、ソファーに急いで向かうので俺は追いかける。


「こら美登里みどり口周くちまわりにチョコがついてるぞ。ちゃんといてからにしろ」

 

 しかし、妹はわがままな小動物みたいに俺のうことなどにもめず、ソファーにそのまま座って放り投げていた携帯ゲーム機を手に取る。


 俺が近くに置いてあったティッシュ箱からティッシュを抜き出し、ソファーに座っている美登里みどりのぷにっとしたやわらかい口元くちもといてやると、ぬし横暴おうぼうにしぶしぶしたがねこのような態度たいどのジトを向けられた。


 くろかわのソファーに座って携帯けいたいゲームかまえている妹に、俺はたずねる。


「そういやそのゲーム機、いくらしたんだ?」


「……ソフトとかも色々と買ったからね。込々こみこみで十万ちょっと」


 すると、妹が一時停止を解除してプレイを再開したのであろう、ゲーム音声が再び部屋の中にひびはじめる。


――本当にこいつ、自分の欲望よくぼう忠実ちゅうじつだな。


 ゲームを再開して、アクションゲームに集中しつつソファーの上で懸命に体を揺らしている妹に、俺は皮肉交ひにくまじりの言葉を伝える。


「そんなんじゃ、誕生日プレゼントはなしだな」


 すると、再びゲーム音声がぴたっとしずまった。


「……えー、誕生日は誕生日で、ちゃんとプレゼント欲しいよ。お兄ちゃん」


 そんな感じで、妹は甘えたような猫撫ねこなごえを出す。


「つっても、 Amazinアマジン先月せんげつ90万円分もポイント入れてやったばかりだろ。これ以上、なんか欲しいものとかあるのか?」


 俺がそこまで伝えると、妹の美登里みどりは少し中空に視線を浮かばせ、思いついたかのような声を出す。


「……だったら、お兄ちゃんの豪運ごううんが欲しい……かな」


豪運ごううん? どういうことだ?」


 俺がオウム返しに尋ねると、美登里みどりは携帯ゲーム機を両手で持ったまま俺の目をまっすぐと見る。


「……お兄ちゃん? コミック CDシーディー っていうの知ってる?」


 そんな妹の質問に、俺は答える。


「ああ、漫画まんが内容ないよう音声化おんせいかして収録しゅうろくした CDシーディー だろ? なんでも、グループアイドルの CDシーディー みたいに声優せいゆう握手券あくしゅけんが当たるようにしたら、爆発的ばくはつてきに売れるようになったとかなんとか」


「……そ、それ。昔はドラマ CDシーディー っていって、漫画コミック熱心コアなファンのためのプレミアムグッズのひとつだったんだけどね」


「それがどうかしたのか? まさか誕生日プレゼント、そんなんでいいのか?」


――コミック CDシーディー なんて、確か二千円もしなかったはずだ。


 すると、妹がこくりとうなずく。


「……うん、アメリカの宝くじで何百億円もの超大金を当てたそのお兄ちゃんの豪運ごううんで、声優せいゆうさんとの握手券あくしゅけんを当ててみて欲しい」


「そんなの、まず当たらないと思うぞ」


 俺が即座にそう返すと、妹はわかってるといった表情で俺に伝える。


「……当たらなかったらそれでいいから。とりあえず今月の誕生日プレゼントはそれでお願い、お兄ちゃん」


 そんな妹の上目遣うわめづかいのおねだり顔に、俺は気持ちをゆるめて大きく息を吐き出す。


「わかった、じゃあ明日あしたあたりに、池袋いけぶくろに行って買ってくるよ」


 すると、妹がほんの少しだけほほあかめる。


「……ありがと、お兄ちゃん」


 そんなあま上手じょうずな妹の態度たいどに、俺はおおきくいききだし、やわらかな口調くちょうで返す。


「来月にはクリスマスもあるしな。そっちのプレゼントは俺が勝手に決めさせてもらうぞ」


 すると、妹の美登里みどりが何かを思い出したような顔つきになる。


「……そういえばお兄ちゃん? お兄ちゃんの好きな色って、青っぽい色でよかったんだよね?」


「え? そりゃ、昔っからずっとそうだったけど、今更いまさらなんでそんなわかりきったことくんだ?」


 俺がそうたずかえすと、妹は少しだけぷくっとほほふくらませてから、手に持っている携帯ゲーム画面がめん不機嫌ふきげんな顔を向ける。


「……それは、教えてあげない」


 妹はそこまで言うと、一時停止いちじていし解除かいじょして再びゲームを開始かいししたのであろう、携帯ゲームからなが円舞曲ワルツのように軽快けいかい音楽おんがくが、再びリビングにひびはじめる。


――なんだろな?


 俺はそんなことを思いながら、リビングと接しているカウンターキッチンの方向にあるダイニングテーブルに視線を移す。


 かなでさんは、既にショートケーキを食べ終わってしまったのだろう。


 ダイニングテーブルにはもうすでに人の姿はなく、かなでさんはリビングからつながっているカウンターキッチンの洗い場にて、水が流れ出る蛇口じゃぐちの前で甲斐甲斐かいがいしくあらもの仕事しごとをしている。


 そんなかなでさんの西洋人形のようなととのった顔立かおだちと、先ほど友達になったフランス人の父親と日本人の母親とのハーフである新庄しんじょうさんの顔立ちを、俺は心の中で比較ひかくする。


――新庄しんじょうさんの、あの顔立ちにかなでさんっぽさを感じたってのは。


――やっぱ、かなでさんにも西洋人の血が入っているからだろうな。


 さらに俺は考える。


――母方のお祖母ばあさんである幸代さちよさんが日本人で。


――温泉旅館のオーナーだった母方のお祖父じいさんも日本人だったから。


――多分、お父さんが外国出身の方なんだろうな。


 そう考えた俺は、あらもの仕事しごといそしむかなでさんから視線を外して、着ているスポーツウェアを着替えるために、自分の部屋に向かって歩き出す。


――ま、そんなことなんて。


――非常にデリケートな家庭かてい事情じじょうだから、おいそれとはわけにはいかないんだけどな。


 そんなことを考えながら、俺は妹がゲーム音声をひびかせている、し込むリビングを出て、自室に向かう。


――あ、そういやロードバイクの購入こうにゅう代金だいきん出納帳すいとうちょう記録きろくしなきゃな。


 そんなことを思っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る