第33節 カフェ・ソサエティ




 新品のロードバイクに軽快けいかいな少女を乗せて片道5キロ以上の行程こうてい走破そうはした俺は、大宮駅おおみやえき東口ひがしぐちからすぐのところまでやって来ていた。


 土曜日のお昼前なので、大通りにはかなり多くの通行人つうこうにんっている。


 後ろに乗っている新庄しんじょうさんが、俺に元気げんきな声で話しかける。


「よしっ、このあたりでいっか!! 太郎たろうくんお疲れさまっ!!」


 その言葉に俺がロードバイクのペダルに入れる力をゆるめると、新庄しんじょうさんは自転車の上から飛び降りるようにジャンプをしてその場に降り立ったようであった。


――俺もう、太郎たろうくんで固定されたな。


 俺はブレーキをかけて、人が大勢おおぜいう道にてまった自転車から、大きく足を上げてフレームをまたいでりる。


 そして、後ろから追いついた新庄しんじょうさんが、にっこりと笑顔を見せて俺にたずねてくる。


「それで、太郎たろうくんのいえってどのあたり? ちかい?」


 そうかれたので、俺は手を挙げて大宮駅おおみやえきの近くにて圧倒的あっとうてき存在感そんざいかんをもって屹立きつりつしている、天まで届く勢いの高層ビルディングの頂上を指さす。


「ああ、あのビルの最上階さいじょうかい


 俺がそう告げると、新庄しんじょうさんはを見開き大口を開け、驚愕きょうがく羨望せんぼうじった如何いかんとも表現しがたい表情になって叫ぶ。


「ええーっ!!? あのビルの、しかも最上階さいじょうかいぃーっ!!? さっすがーっ!!」


 その叫び声に、周囲の人たちの視線が新庄しんじょうさんに集中する。


 新庄しんじょうさんは、叫ぶべきでないことを叫んでしまったことに気付いたかのようにはっとした表情になって、ごまかすように視線しせんだけをらして大声を続ける。


「……そうだねーっ!! もしお金持ちになったら、あーいうとこ住んでみたいよねーっ!! あははっ!!」


 新庄しんじょうさんがそんなことを言うので、周囲の人々の視線しせんが再び散らばる。


 その元気いっぱいの少女は、ごまかすように口笛を吹いて、俺からロードバイクのハンドル制御せいぎょを手渡してもらう。


 そして再び、ヘルメットを外して返した俺とロードバイクを押している新庄しんじょうさんで、雑踏ざっとうの中で自転車をはさんで並んで歩き、会話を続ける格好かっこうとなった。


「それにしても、今日起こった出来事できごとには吃驚びっくりしたなぁっ!」


「ああ、あんな事故じこが起こるなんてね。でも、ケガとかしなかったのは不幸中の幸いだったかな?」


 俺が返事をすると、新庄しんじょうさんが首を横に振る。


「ちがうちがうっ、そっちじゃないっ!!」


「え? じゃあ、ロードバイクが新しくなったこと?」


 すると、新庄しんじょうさんは再び首を横に振って否定する。


「それもちがうっ、太郎たろうくんとお友達ともだちになったことだってっ!」


――あ、そうか。もう友達なのか。


 俺が心の中でそんなことを思っていると、新庄しんじょうさんが感慨かんがいぶかそうに言葉を続ける。


「なーんてゆーかさー、えんってのをひしひしと実感じっかんしちゃうよねーっ! 多分、こんな風にお友達ともだちになれたのはこないだ太郎たろうくんと握手あくしゅしてたからこそだよっ!?」


「あー、ははは、まあそうかもね」


 俺がそんな風に生返事を返していると、隣を歩いている新庄しんじょうさんが俺に告げる。


「それにしても、今日はいいことばっかだなーっ! ジョセフィーヌはグレードアップして生まれ変わるし、太郎たろうくんとはお友達ともだちになったし!! これも多分、握手あくしゅしたときに太郎たろうくんの強運きょううんを分けてもらったからだよね、きっと!!」


――よかった、俺が飛び出したせいで死なせかけてしまったことは気にしてないみたいだ。


 俺がそんなことを後ろめたく思っていると、新庄しんじょうさんが期待の入り混じった言葉を放つ。


「そうだ、ワタシうちに来てよ!! バイクを新しくしてくれたおれいするからっ!!」


「おれい?」


 俺が漫然まんぜんと返すと、新庄しんじょうさんが満面の笑顔で応える。


「そっ、おれいれい!! いーからいーからっ、ついてきてよっ!!」


 そんなことを言われて俺は、自転車を手で転がしている新庄しんじょうさんについていく。


 駅近えきちかくの繁華街はんかがい群衆ぐんしゅうなか道行みちゆき、たどり着いた場所は、大宮駅おおみやえき近辺きんぺんにあるアーケード商店街の入り口であった。


 俺が尋ねる。


「ここ? ここに、新庄しんじょうさんのうちがあるの?」


「そうだよ。ワタシの家は、駅前商店街の洋菓子屋ようがしやさんなんだっ!」


 その言葉に、俺は思い出す。


――ああ、そういえば昨日かなでさんが、駅前のいつもの商店街で天麩羅てんぷらの材料を買ってきたとか言ってたな。


――その商店街って、多分ここのことだろうな。


 そんなことを考えながら、俺は自転車を押し歩いている新庄しんじょうさんと共に、LEDライトで天井が明るく照らされたアーケード街に入る。


 土曜日の昼前ということもあってか、わりかし狭い道でもそこそこ人が歩いている。


 俺は新庄しんじょうさんに告げる。


大宮駅おおみやえき近くに、こんな商店街があったのか。この市には長いこと住んでるけど、こんなにじっくりと見たことはなかったよ」


 すると、新庄しんじょうさんがそのたいらなむねらして誇らしげな顔をする。


「そーでしょー、そーでしょー!? 数年前までは、シャッターが閉まったお店ばーっかりで、ライトもこんなに設置されてなかったから雰囲気ふんいきも暗かったらしーんだけどね! なんでもネットで……クラウド……ハンティング!? ってゆーのでお金集めてリニューアルしたんだってっ!!」


「……多分、クラウドファンディングのことだと思うけど」


 俺がみを入れると、新庄しんじょうさんが返す。


「そーそー、それそれっ!! クラウドハンディングっ!! ワタシの家も、その商店街リニューアルのときにオープンしたお店なんだっ!!」


 そんな話をお互いにやり取りしていると、新庄しんじょうさんは商店街にある、あわ黄色きいろっぽい色をふんだんに使ったカラフルな店舗てんぽの前で立ち止まった。


 その道に面している店舗てんぽの真ん中にはガラスをはめた大きな木製ドア、そして両サイドに店舗内を見渡せるショーウィンドーを兼ねると思われる大きなまどが、それぞれひとつずつ。


 西洋っぽくてずいぶんと瀟洒しょうしゃなつくりのその店舗てんぽは、まだ窓の内側にある木目調のブラインドが閉まったままであり、大きなガラスをはめた出入口ドアには内側から『準備中』のプレートがかかっているのがわかる。


 その店舗の前に到着した俺は、視線を上げる。


 アーケード天井の少し下には、二階部分のものなのであろう大きな窓が並んでいるのがわかる。


 そして、二階にある大きな窓と一階部分との間に、横に長い看板がかかっているのが見える。


 その看板には、ルビ付きの横文字でこう書かれていた。


pâtisserie soleil パティスリー・ソレイユ


 俺は顔を上げたまま、すぐ近くにいる新庄しんじょうさんに尋ねる。


「パティスリー・ソレイユ? ここが新庄しんじょうさんのうち?」


「そうだよーっ! フランスで『太陽たいようのケーキさん』って意味なんだってっ!! お昼前に開くんだけど、ケーキだけじゃなくってパンも売ってるんだよっ。それでね、二階にはテーブルと椅子があってコーヒーが飲めるカフェもあるの!!」


「お昼前? じゃあ、そろそろ開店時刻ってこと?」


「そーだねーっ! あと一時間か、もう30分くらいかなっ!?」


 新庄しんじょうさんはそんなことを言いつつ、自転車のキックスタンドをろして、店舗の正面に構えている大きなドアではなく、脇にある小さなアルミサッシのドアに近づき、持っていたカギを差し込む。


 新庄しんじょうさんがカギを回すとカチャリと音がして、そのあまり目立たないドアが開錠かいじょうされたのがわかる。


 そして、新庄しんじょうさんは置いていた自転車をひょいっと持ち上げて、その開けたドアの中に「ただいまーっ!!」という元気な大声と共に入っていく。


 ドアの向こうの暗がりから、新庄しんじょうさんが振り返って俺に声をかける。


「なにしてんの!? 太郎たろうくんもきなよっ!!」


 その言葉に、俺はおっかなびっくりと、お店の関係者じゃないと絶対に入れないだろうドアを潜って細い路地に入る。


 細い路地を数メートル行ったところにはもうひとつドアがあり、新庄さんは再びそのドアを鍵で回し開ける。


「さ、どーぞどーぞ。入ってよっ!!」


 新庄しんじょうさんに手招かれて入ったところは、玄関っぽい場所であって、俺が以前に住んでいた住宅街の一軒家とそんなに変わり映えはしなかった。


 ただ普通の家と違うところとして、玄関のドアを入ったところから靴を履いたまま、店舗先にそのまま入ることができるのであろう引き戸がすぐ近くに構えられている。


 玄関にあったバイクスタンドにロードバイクを縦に置いた新庄しんじょうさんは、ヘルメットを段差の上に置き、玄関に敷いているエントランスマットで、しっかりと靴の泥を落とす。


 そして、元気な声で俺に告げる。


「お店に入るときは、このマットでしっかりと足の汚れを落とさなきゃいけないんだよ! 太郎たろうくんも足を払ってついてきて!」


 そんなことを言って、新庄しんじょうさんが玄関から繋がっている引き戸を開けて、おそらくは店舗のあるスペースへと入っていくので、俺も黙って靴の汚れを落としてついていく。

 

 入ってすぐの所には、PCパソコン のある業務用机が置いてある事務所らしき部屋があり、その部屋を抜けるとそこは洋菓子店の厨房であった。


 その厨房にあったのは、金属製のシンク、生地をつくるのであろう大きな台、なまものを入れているのであろう大きな冷蔵庫、おそらくはパンやケーキを作る際に使うのであろう巨大な機械。そして何より、ケーキやパンがその身から漂わせている甘い芳香ほうこう


 見たところ、置いてあるプラスチックの大きなパン箱の中には、店舗てんぽで足りなくなったときのためのストックなのであろう調理パンが、大量にととのえてある。


 俺が新庄しんじょうさんの後ろをついていって、厨房を抜けようとすると、入り口の反対側にあった店舗に繋がっているのであろう出入り口から大柄の中年男性が出てきた。


 その人は、厨房にいる調理人っぽい白いコックコートを着て、頭には白くて長いコック帽を被っていた。


 ただ、どこからどう見ても日本人ではない。


 金髪で、ほりが深くて顔が濃くてガタイが良くて、どう見てもヨーロッパかアメリカ出身の白人にしか見えない。

 

 その男性が、新庄しんじょうさんとその後ろにいる俺に視線を移して、ラテン系の外国人であるかのように大きく陽気な声を出す。


Ohオー 、リンナ、おかえり……Oh la la オー ラ ラ!! リンナ、そのオトコダレデスか!?」


 すると即座に、新庄しんじょうさんが元気な声で返す。


「パパただいまっ!! 紹介するねっ、こっちは太郎たろうくん!! 同じ学校の隣のクラスの男の子っ!!」


「どうも、お邪魔してます」


 俺がそう挨拶あいさつをしつつ会釈えしゃくをすると、新庄しんじょうさんのお父さんが驚いたように手を自分の体に向けてひらひらさせる。


C’est pas vrai セ パ ヴレ!!? リンナがとうとう彼氏カレシを連れてくるナンテ!!??」


――あ、まずいパターンじゃないかこれ?


 新庄しんじょうさんが、即座にフォローする。


「違う違うっ! パパ、太郎たろうくんは彼氏とかじゃなくって、ワタシの命の恩人なのっ!!」


Ohオー!? それはドーイウことデスか!? リンナ!?」


ワタシ、バイクで坂道を下ってたらがけみたいな階段かいだんからちそうになっちゃってっ!! 太郎たろうくんはそれを助けてくれたんだよっ!! それで、ワタシ太郎たろうくんはついさっきお友達になったのっ!!」


Ohオー!! そうだったんデスかー!! ムスメがお世話セワになりマシタ――!!」


――あ、なんか都合つごうがいいように過去が改竄かいざんされている。


 新庄しんじょうさんのお父さんがそんなことを言いつつ俺に握手を求めてきたので、俺は手を差し出してそのシェイクハンドの要望に応える。


 すると、後ろの店舗てんぽつながっているのであろう出入り口の方からつやのある声が聞こえてきた。


礼於レオさん? どうしたの? 凜奈リンナちゃんのほかに誰かいるの?」


 そんなことを言って出入り口から出てきたのは、同じく白い厨房用のコックコートを着て、白く小さめの帽子を被った、黒く長い髪を後ろで大きな三つ編みにしてってしばって前にらしている、美しいご婦人であった。


 すると、その女性はポカンとした顔で、礼於れおさんというらしいお父さんの握手に応えた俺を見つめて、口走くちばしる。


「……凜奈リンナちゃん? その男の子は誰? まさか凜奈リンナちゃんの彼氏いいひと?」


 すると、新庄しんじょうさんのお父さん、いや、礼於れおさんが俺の手を強い力で握りながら振りつつ、軽快な声を出す。


Ohオー、アリサ!! どうやらリンナの命の恩人らしいデース!! リンナが bicyclette(バイシクル)ガケから落ちそうになったところを助けてくれたラシいデース!! HAHAHAHAハハハハ――!!」


「あら、そうなの? 凜奈リンナちゃん?」


「うんっ!! そーだよママっ!」


――あはは、俺が飛び出して死なせかけたのが、完全に書き換わってしまった。


 そんな口にはとても出せない思いを胸に、俺は新庄しんじょうさんとそのご両親とのわちゃわちゃした騒がしくも賑やかなやり取りを、心だけは距離を置いてはたから眺めていた。


――ああ、そうか。


 俺は、彼女の髪色が何故、ほとんど色を抜いたかのように明るい色になっているのかを理解りかいする。


――彼女のこの髪色かみいろは、別に色を抜いているわけでも、染めているわけでもない。


――ただ単に、地毛じげなだけなのか。


 元気いっぱいのこの新庄しんじょう凜奈りんなという名前のスポーツ少女は、ようは欧米人の父親と日本人の母親との間に生まれたハーフなのだということだ。


――おそらくは、ひとみいろがどことなくあおっぽいのも生まれつきなのだろう。


 そんなことを俺は、開店前の洋菓子店の、部外者ぶがいしゃがとても入れないであろう厨房ちゅうぼうにてただ一人考えていた。


 それは、まるでこの魔法まほうがかけられたように、どこまでもあまあま芳香ほうこうただよう、とある厨房ちゅうぼうでのひとコマであった――





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