第32節 激突!




 圧倒的あっとうてきなパワーとスピードで急速接近きゅうそくせっきんしているロードバイクが俺に衝突しょうとつしようとしていた、まさにその瞬間だった。


――ぶつかる!


 俺がそう思ったまま立ち尽くしていたところ、その黄色いロードバイクに乗っているサイクルウェアを着た少女は、俊敏しゅんびんな動きでハンドルをくいっと切った。


 俺に直撃するコースだったはずのロードバイクは、その二輪の接地角度を半直角はんちょっかくくらいの角度に大きく傾けて、俺から見て向かって右、丘陵きゅうりょうの下に向かって旋回せんかいする。


――しかし、もちろんそこには道はなく――


 バッコーン!!!!


 その黄色いロードバイクは、下へと通じる石階段の自転車止めである立て看板に、大きな音を立てて激突げきとつした。

 

 そして、俺にとって一秒にも満たないはずの、わずかなわずかなその時間の視覚情報は、主観的にはスローモーションのようにゆるやかな映像となって流れていた。


 立て看板に激突するロードバイク。


 その前輪を大きく歪ませたロードバイクは、見えないピアノ線に吊られたかのように後輪ごとふわっと上に持ち上がる。

 

 そしてもちろん、その自転車にまたがっていた、色を抜いているかのような明るい髪色をしたサイクルウェアを着たスレンダーな少女もちゅうに放り投げ出される。


――人が浮かんだ。


 そんなコマ送りのような、まるで時間を操作する能力者によって時が操られたかのような、現実感のないワンシーンが俺の視神経を通じて脳内に送られていた。


 そして、黄色い自転車と共に中空に勢いよく投げ出された少女は、手足を伸ばしたままその流線型のヘルメットをかぶっている頭を地面に向ける。


 頭と足、天地が逆転したまま最高到達点に到着した少女の軌道は、そのまま落下放物線を描き始める。


――下、石階段だろ?


――死ぬって。


 秒針びょうしんうしのようにおそある世界せかいで俺は、ただ漫然まんぜんとそんな風に考えていた。


 その少女の激突シーンをなすがままに眺めていたとこと、サイクルウェアを着た少女は上下逆さまのまま手足をすぼめる。


 そして、なんと――


 その少女は己の手足をすぼめて回転を速めたところ、そのままちょうど一回転しようかというタイミングで再び足と手を伸ばして回転をゆるめた。


 回転をコントロールして足を下、頭を上にしたところで、その明るい髪色の少女は放り投げられたネコ科の敏捷びんしょうな野生動物みたいに、段差があるのであろう階段の下にスタリと音を立てて着地したのだった。


「とっとと」


 手を大きく広げて足を揃えた少女が、この角度からは見えない位置にある石階段の下にある段差にて、ほんの少しだけバランスを崩しつつも体勢を立て直す。

 

 そして、その金髪のように見えなくもない明るい外ハネの後ろ髪をヘルメットの下で揺らしながら、俺に顔を見せないまましっかりと声を出す。


「ふう、あぶなっ!」


 その元気そうな声はまるで、オリンピックに出場するような世界レベルの器械体操選手が、大会競技にてほんのささいなミスをしたかのようなのほほんとした口調であった。


――いや、死にかけてんだぞ!!?


 俺がそう思ったところ一拍遅れて、金属でできたフレームが石に叩きつけられる音が響いた。


 ガッシャーン!!


 宙を舞っていた自転車が落下し、固い固い石の段差に、したたかに打ちつけられた音であった。


 そして、当然のことながら自転車が石階段を転げ落ちていくので、その金属音はこの公園内に連続して響き渡る。


 ガシャ!! ガシャ!! ガッシャーン!! ガン!!


「ああーっ!!! ジョセフィーヌーッ!!!」


 そんな少女の悲痛な叫び声が、連続する金属音と共に公園内に木霊こだまする。


――ジョセフィーヌというのは、あの愛車あいしゃであろうロードバイクの名前だろうか。


 そんなどうでもいい事を考えている俺の前で、その少女が階段を早足で駆け下りて視界から外れていく。


 気を取り直した俺は、後を追いかけるように自転車よけの立て看板が設置されているその石階段に近づき、その急勾配の下方に気を配る。


 その少女はトンットンと軽快な足音を立てながら、がしゃがしゃと音を鳴らしながら一番下まで転がり落ちていく自転車を追いかけて、三段飛ばしで階段を駆け下りていく。


 俺は、見ていられなくなって石階段を急ぎつつ慎重に降り、その駆け下りていった少女の元まで追いつこうとする。


 階段の一番下、駐車場となっている広場では、すでに転落てんらくを完全に終わってしまったロードバイクがからからとむなしく前輪を回転させていた。


 そしてその横倒しのロードバイクの近くにて少女は両手をつき、いつくばるような格好になりながら、言葉にするのも辛そうな沈痛ちんつう気配けはいをあふれんばかりに発している。


 俺がその少女に近づこうと階段を急いで降りていたところ、哀愁あいしゅうただよわせたその地面に手をついて伏したシルエットから悲嘆ひたんな声が響く。


「ジョセフィーヌぅ……ああぁーっ、フレームぐっにゃぐにゃぁ……こんなのって、こんなのって、あんまりだよぉ――っ!!」


 石階段いしかいだんからった俺は、ヘルメットをかぶった少女のつんいになった姿に背後から話しかける。


「でも、ケガがなくてよかったよ」


 少女は背中を見せて地面に伏したまま、金属部分が歪んでしまった自転車に寄り添い、まるで大切な人を亡くしたかのような哀傷あいしょうに満ちた言葉を発する。


「でも……ジョセフィーヌが……ジョセフィーヌが……まだ、買ってもらって三週間だよ!!? こんなのって……こんな突然のお別れって……ないよぉっ……!!」


 俺は、そんな嘆き声を出す彼女に近寄って声をかける。


「自転車なら、俺が弁償べんしょうするよ。飛び出した俺が悪かったんだし」


 すると、少女は四つん這いになったまま振り返り、その視線を上げる。


弁償べんしょうって……簡単にいうねーっ、キミっ!? このバイク、何万円すると思ってっ……!!?」


 俺を見たところ、その元気そうな少女はアーモンドがた形良かたちよまぶたをぱちくりさせた。


 長袖のサイクルジャージと下半身にぴったりとしたスパッツのようなサイクルパンツを身に着けたその少女は、予備動作なく素早く立ち上がってから、俺を指さして目をしばたかせて大声を出す。


「えっ……もしかして……三百億くんっ!!?」


 その叫び声に、人気のない駐車場に降り立っていた野鳥がばさばさと音を立てて飛び去っていった。


 そして、俺はこの少女に会ったことがあるという事実を思い出す。


――以前に学校で俺に握手を求めてきた、別のクラスの女子生徒だ。


――あのときは、なんとなく日焼けしてたけど。


 俺が顔の表情筋をピクリとも動かさないまま一言。


「……たちばなです」


 俺は、自分のせいで愛車あいしゃを失ってしまった可哀想な少女に、そんな短いフレーズを伝えることしかできなかった。






 結局、スマートフォンのヴァーチャルアシスタントに尋ねたところ、すぐ近くの大通り沿いにて自転車を販売しているスポーツグッズショップを探すことができた。


 スポーツグッズショップの自動ドアを潜り抜けて店先から出てきたその元気そうな少女は、ピカピカの新品な黄色くスポーティーな自転車を天に向かってかかげつつ、心の底からあふれんばかりの歓喜かんきちた声を出す。


「えへへー、よろしくね――っ!! ジョセフィーヌⅡ号にごうっ!!」


 ちなみに、あのフレームがゆがんでぼろぼろになってしまった古い方のロードバイクは、粗大ゴミとしてこのスポーツ用品店に引き取ってもらった。


 彼女が現在嬉しそうに掲げている新しいロードバイクは、フレームがアルミニウム合金の金属ではなく強化カーボンでできている高級なタイプのものであり、二十万円台半ばくらいの値段であった。


 もちろん、そのおかねは俺がデビットカードで支払しはらったのであるが、差額さがくの十万円以上はまあ、慰謝料いしゃりょう代わりのプレゼントということにしておこう。


 明るい髪色の少女が、新しいロードバイクの二輪部分の両タイヤをアスファルトに接地せっちさせつつ、俺に感謝の言葉を述べる。


「新しいバイク、買ってくれてありがと! えーっと……たちばなQ太郎きゅうたろうくんだったっけ!?」


たちばな啓太郎けいたろうQ太郎きゅうたろうじゃなくて啓太郎けいたろうだって」


 俺が憮然ぶぜんとして返すと、ハンドルグリップを両手で握った少女が俺の態度たいど対比たいひするかのような、明るく天真爛漫てんしんらんまん笑顔えがおもって返してくる。


「そっかぁ! なーんか、全校集会ぜんこうしゅうかいで名前聞いてたけどもう忘れちゃったよ! えーっと、じゃあ太郎たろうくんって呼ぶね! ワタシ新庄しんじょう凜奈りんな! よろしくねっ!」


 そんな、晩秋ばんしゅう蒼天そうてんらす太陽たいようのようにひたすら明るいうきうきとした声に、俺は少しだけ顔をゆるめて返す。


「ああ、よろしく。新庄しんじょうさん」


「えー、やだなーっ! ワタシ太郎たろうくんって呼んでるんだからリンナちゃん、とかリンちゃん、とかでいいってば!!」


――何かこのノリ、なんとなく馴染なじぶかいな。


――そうだ、この脳天気でパワフルな感じは、どことなく明日香あすか姉ちゃんに似ている。


 俺はそんなことを思いつつ、新品のロードバイクのハンドルを両手でにぎってあるいている新庄しんじょうさんの、サイクルウェアで形どられたフラットな胸部きょうぶ視線しせんを移す。


――こっちは、どちらかというと妹の美登里みどりに似ているけど。


 そんな、口に出したら問答無用もんどうむようでぶんなぐられそうなことをひそかに心の中にいだきながら、俺はその少女の相手が何を考えているのかわかってなさそうな無垢むくな表情に視線を戻す。


 以前に学校で握手あくしゅを求められたときにも思ったが、優秀ゆうしゅうなデザイナーに設計せっけいされたかのように目鼻めはなちがととのっている、相当そうとうな美少女だ。


 目はくりっと大きく均整きんせいのとれたアーモンド形で、よく見ると少しばかりひとみいろあおい。


――もしかして、カラーコンタクトでも入れているのか?


 はなは大きすぎず小さすぎず、少しだけ丸みをおびつつも鼻筋はなすじがシュッと通っている。


 その顔立ちは、さながらルネサンス時代の芸術家が彫刻したかのように見えなくもない。


――あれ? なんとなく、かなでさんにも似てないか?


 俺がそんなことを考えていると、新庄しんじょうさんがその色を抜いてるかのような明るい外ハネシャギーの髪をらしつつ、俺に笑顔を向けてこんなことを言った。


「ねえねえ、もっとキミのこと教えてよ。ワタシ太郎たろうくんのこと、宝くじで三百億円当てた大金持ちの男子高校生ってだけで、それ以外はキミのこと全然ぜんぜんらないもん」


 そんな人懐ひとなつっこい笑顔えがおに、俺はこころあせをかきつつ愛想あいそわらいを返す。


「あはは……まあ、とりあえずこれからうちに帰るところかな」


 すると、新庄しんじょうさんがうきうきとした様子で身を乗り出してくる。


「家ってどこ!? この近く!?」


「えっと、大宮駅おおみやえきのすぐ近く」


 俺がそう返すと、新庄しんじょうさんはキラキラと目を輝かせる。


本当ホントっ!? ワタシいえ大宮駅おおみやえきのすぐ近くなんだっ!! 一緒にそこまで帰ろうよっ!!」


――なんか、姉ちゃんにをかけてハイテンションだな。


――それとも、スポーツ少女ってみんなこんな感じなのか。


 そんな感じで穿うがった感想かんそういだいていると、新庄しんじょうさんはそんな内心などお構いなしに、さっきまで自分が頭に着けていたヘルメットを俺にかぶせてきた。


「え? 何で俺がヘルメットかぶるの?」


 俺がそう返すと、新庄しんじょうさんはますます笑顔になって、悪戯いたずらっぽい子供のような表情を俺に見せる。


「だって、ぐ人がヘルメット付けてなきゃ危ないでしょ!?」


――いや、さっき死にかけるような危ない目にあったのはどっちだと思って――


 そんな言いたいことも言えずに、俺はヘルメットのストラップひもめて、しぶしぶその新品のロードバイクの上にまたがることとなった。


 ロードバイクにまたがってハンドルグリップをにぎった俺は、隣にいる新庄しんじょうさんに顔を向けて尋ねる。


「でもさ、新庄しんじょうさんはどうする気? この自転車、荷台にだいがないからどう見ても二人乗ふたりのりじゃないし。まさか後ろから走ってついてくるわけ? 大宮駅おおみやえきまで、少なく見積もっても五、六キロあるけど?」


 すると、新庄しんじょうさんがにこやかに俺に伝えてくる。


「いーからいーからっ!! いで走ってみてよっ!! ワタシはすぐに走って追いついてみせるからっ!!」


 そんなことを笑顔で美少女に言われたら、俺もそうせざるを得ない。


――ま、走るつもりなんだったらゆっくりいでいくか。


――それに多分、途中とちゅうつかれて交代こうたいするんだろうし。


 俺は、正面を向いて体のバランスを整え、そのジョセフィーヌⅡ号にごうと名付けられた黄色いロードバイクの初走行のためにペダルを踏みしめた。


 ススッ


 つばさのようにかるいカーボンフレームのボディーが、アスファルトでできた大海原おおうなばらぎだした。


――軽い。


 さすが二十万円以上するカーボンフレームの高級自転車だ。俺が子供のころに乗っていた安物のチャリとは訳が違う。


 さわやかなかいかぜ前髪まえがみげるのに調子ちょうしを良くした俺は、新庄しんじょうさんが後ろから走って追いかけてくれていることを忘れて少しばかりスピードを上げてしまった。


――あ、新庄しんじょうさんのためにスピード落とさなきゃ。


 俺がそう思った次の瞬間であった。


 ストリ。


 両肩をつかまれたと思ったら、ほとんど音もなく、俺のぐ自転車の後ろ側に、いかにも細身ほそみの少女っぽいそれなりの質量しつりょうが、ふわりと加わった。


「えっ!!?」


 両肩に両手を置かれた感触を受け取った俺は声を出し、後ろを振り向く。


 新庄しんじょうさんはなんと、どう考えても二人乗りを想定そうていされていないその荷台にだいのないロードバイクの、今まさに走っている後輪こうりんの両サイドに突き出したに両足を置いて颯爽さっそうと正面から風を受けていた。


――まさか、走って俺に追いついてこの自転車に飛び乗ったわけ!?


 すると即座に、俺の両肩に両手を置いていた新庄しんじょうさんが、にこやかに微笑ほほえんだまま注意喚起ちゅういかんきをする。


「こらっ! 太郎たろうくん、前みなきゃ!!」


「あ! ごめん!!」


 俺は前を向き、自転車で広い国道の道の端をひた走る。


 後ろには、元気にちた快活かいかつな美少女付きで――


 すると、ヘルメットを介して、俺の頭の後ろにふにっと柔らかいものが当たった感触が伝わる。


――え、なにこの感触かんしょく


 その薄く柔らかい感触かんしょくのすぐ向こうには、人間のボディフレームである、ごつごつした肋骨ろっこつがあるのがなんとなく感じ取れる。


――むね感触かんしょくか? これ。


――しかし、なんつーぺったんこなむねなんだ。


 ヘルメットしとはいえ、後頭部こうとうぶ美少女びしょうじょむねを押し付けられているのに不思議ふしぎとあんまりうれしくなかった俺は、無言のままペダルを交互こうごに踏みしめて自転車で疾駆しっくする。


 そして、後ろに乗った新庄しんじょうさんが俺の肩から離した右手の指先を前方に向けて、うれしそうな声を溌剌はつらつはなつ。


けーっ!! ジョセフィーヌⅡ号にごうとその御者ぎょしゃよ!! ぶっちぎれーっ!!」


「俺は御者ぎょしゃかっつーの」


 そんなみを入れながら、俺は頭の中で考える。


――しっかしこの、とんでもない運動神経うんどうしんけいしてんな。


――さっきも石階段いしかいだんで、野生やせい猛獣もうじゅうみたいな動きしてたし。


――なんか、俺のまわりにはクセのつよい女子ばっかが集まるな。


 そんな、気苦労きぐろうちた贅沢ぜいたくなやみを考えながら、俺は自宅がある大宮駅おおみやえき近辺までの道を新品のロードバイクにてひた走っていた。


 その街路がいろける黄色きいろいロードバイクの後ろに、何から何までまるで少年しょうねんのような、元気いっぱいの美少女を乗せながら――



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