第31節 時計じかけのオレンジ




 幸いなことに、翌日の土曜日にはさいたま市の上空にはよくんだ十一月の晴天せいてんが広がっていた。


 そんな晴天せいてんの空の下、朝早く起きた俺はスポーツウェアを着て、マンションからタクシーに乗ってしばらく行ったところにある、近辺の住宅街から少し盛り上がった丘にある公園の周辺を歩いていた。


 健康けんこうのためのウォーキング、といえば高校生のくせにちょっとれすぎな考えなのかもしれない。


 しかし俺は、自分自身の健康けんこうというよりは、家にずっと引きこもってろくすっぽ運動をしていない妹の美登里みどり健康けんこうが何より心配なのであった。


 美登里みどりは、俺たち家族が金持ちになる前からそうだったが、食べてはゲームして、アニメを見てまた食べてはネットして、ときにはごろごろと昼寝をして、まるで運動がきらいなダメねこみたいな不摂生ふせっせいな生活を送っている。


――このままでは、今はほっそりしている美登里みどりがデブってからの生活習慣病せいかつしゅうかんびょうになってしまうのも時間の問題だ。


 俺が、こんな風にわざわざ少し離れた公園まで来ているのは、美登里みどり一緒いっしょ安全あんぜんにウォーキングをするルートを下見したみするためであった。


 なお、この公園は以前に可憐かれんに連れてこられた公園であり、高台からはさいたま市の様子を一望することができる見通しの良い公園である。


 公園を反時計回りに回りながら登っていくウォーキングコースのゆるやかな坂道を上がって高台に到着した俺は、色々と物思いにふけりながら、はるか彼方にある山並やまなみをとおくまで見渡みわたして呼吸こきゅうふかくしてととのえる。

 

 住宅街じゅうたくがいやオフィスがい繁華街はんかがいなどで構成こうせいされた街並まちなみが幾何学きかがく模様もようのようにどこまで広がり、遠くに見える大きなターミナル駅の近くにはさいたま新都心の高層ビル群が屹立きつりつしているのがわかる。


――それにしても可憐かれんやつ、よくこんな場所知ってたよな。


 この公園の高台を渦巻きのように登るウォーキングコースにはサイクリングコースも並走してあり、坂道を登っている最中に、ロードバイクに乗った少年少女を何人も見かけることができた。


 俺はさいたま市全域を眺望ちょうぼうしながら、スポーツウェアのポケットに入っていたスマートフォンを取り出す。


 そして暗証番号を入力してロックを解除してから、スマートフォンに組み込まれているヴァーチャルアシスタントに質問する。


Siariシアリ検索けんさく現在地げんざいち名称めいしょう


 すると一拍いっぱく置いてから、 Siariシアリ と呼ばれるヴァーチャルアシスタントが合成音声でかえしてくる。


『ハイ、 ”さいたま城跡しろあと公園こうえん” です』


――城跡しろあと公園こうえん? 


――って、もしかして。


 思うところがあった俺は、スマートフォンを口に近づけて再びヴァーチャルアシスタントに尋ねる。


Siariシアリ検索けんさく。さいたま城跡しろあと公園こうえん歴史れきし


 するとまた一拍いっぱく置いて、合成音声がかえしてくる。


『ハイ、次のページを参照してください』


 すると、どこかのウェブページへのリンクが現れたので、俺はスマホ上に表示されたそのリンク先をタップする。


 スマートフォン上に流したウェブページの上には、こんな文章が内容として書かれていた。


『……旧来きゅうらい名家めいかである花房はなぶさ家の城郭じょうかくがあったこの場所ばしょは、明治めいじはじめにくにはらげられ……』


――やっぱり。


 そこで俺は再び、この高台から一望することができる、さいたま市の全域をながめる。


――ここはあいつにとって、可憐かれんにとって、本当ほんとう特別とくべつな場所だったんだ。


――あいつ、なら本当ほんとうにお姫様ひめさまなんだな。


 そんなことを感慨深かんがいぶかく思っていると、十一月の冷たくなってきた風が俺の前髪を吹き上げる。


――可憐かれんやつじつは小学生のころからずっとずっと、俺をここに連れてきたかったのかもな。


――そういえば一学期とかに、俺は可憐かれんとどんな風に関わってたっけ?


 俺は立ち尽くしたまま、半年近く前のまだあめの多い梅雨つゆの時期であった六月に悪友三人組と話していた、クラスの女子についての話題のことを思い返していた。



 ◇



 六月ろくがつなかばの梅雨時つゆどき相応ふさわしく長雨ながあめがざぁざぁと降っていたある日のこと、確か水曜日の放課後のことだったと思う。


 掃除当番だった俺と悪友三人組は、モップを使って掃除そうじを終わらせた後に、四人しかいない教室にて、一緒に机を囲みつつカードゲームである UNOウノきょうじていた。


 カードを数枚持ったままの俺は、目の前にいる悪友三人に対して言葉ことばげる。


「そーいやさー、まーた、教室移動きょうしついどうんときに花房はなぶささんににらまれちまったよ」


 すると、左に座っているさとしがからかい気味に返す。


「またか? そりゃおめー、多分啓太郎けいたろうに気があんだろ」


「なわけねーだろ。ありゃー、ぜってーゴミとか蛆虫うじむしとかを見る目だっつーの。はい、リバース」


 俺がそう言ってふだを捨てると、向かい側にいるすぐるが口を開く。


「ふぅむ、あーいうギャルというのは、性にだらしなくても意外と正義感が強かったりするからな。おおかた、貴様が天童てんどうにしていたストーカー行為にまだ怒っているのであろう」


「だから、もう後を追っかけまわすのはやめたろ? いつまでも言うなよ」


 俺がそう応えると、右に座っている高広たかひろふだを捨てながら俺に尋ねる。


「でもさー、天童てんどうさんってなんか小動物しょうどうぶつっぽくて可愛かわいいよね。ストーカーはちょっといただけないけど。思春期ししゅんき高校生こうこうせい男子だんしなら、ついついそういうこともしちゃうんじゃないかな?」


 すると、すぐるが左手でふだを捨てながら口を開く。


天童てんどう萌実めぐみか。ま、たしかにあーいうのが好きなやつの気持ちはわからんこともない。……スタイルもいいしな」


 萌実めぐみはその小動物しょうどうぶつっぽいいのわりには、そこそこ胸が大きい。


 そして、さとしふだを捨てながら声を出す。


「やっぱすぐるは、そーいうのが好きだよなー。西園寺さいおんじさんとかも好きそーじゃね?」


 すぐるが応える。


「うーむ、おれはあーいう真面目まじめしずかでマグロっぽいのよりは……もっとこう、快活かいかつ溌剌はつらつとした感じの明るめの女子の方が良いな。まあ、何よりボインちゃんであることは欠かせないがな」


 俺はふだを捨てながら、すぐるに返す。


「ってことは、花房はなぶささんがぴったりじゃねーか。告白しちまえよ」


 すると、高広たかひろふだを捨てたタイミングで、すぐるが鼻息を鳴らしつつ俺たちに大声で告げる。


「はっ! 違うのだよそーいうのとはな! おれは、あーいう誰とでも寝る不健康ふけんこうそうなビッチではなくて、もっと健康的けんこうてきな女が好きなのだ!」


 その言葉に、俺が返す。


健康的けんこうてき? スポーツ少女ってことか?」


 すると、すぐるふだを捨ててから眼鏡をクイッと上げて返す。


「そうだな、よる運動うんどうあせだくになって懸命けんめいはげんだとしても、すこやすめばすぐに元気げんきになる女が理想的りそうてきだな」


――あー、やっぱその方向性か。


 俺がそんな感じで心の中で呆れていると、左に座っているさとしふだてながら軽快な声を出す。


「よし! ウノ! でもさー、オレだったらスポーツ少女よりは、もうちょっとか弱い女子の方が好きだなー」


 俺がふだを捨てると、高広たかひろさとしに尋ねる。


「具体的にはどんな感じの女の子?」


「そーだなー、ピュアで純粋じゅんすいで、乙女チックで、ぬいぐるみとかが好きな女子がオレのタイプだなー。こう、かよわくてまもってあげたくなるよーな感じの」


――あれ、いつのまにか男子高校生の恋バナになってる。


 そして高広たかひろふだを捨てつつ、ふたたさとしに尋ねる。


Wisneyウィズニー キャラとかが好きそうな感じ?」


 すると、さとし明朗めいろうな口調になる。


「そーそー! まさにそんな感じ! で、浦安うらやすWisneyウィズニー ランド連れて行ったら大喜びすんの!」


 すると、すぐる高広たかひろに尋ねる。


高広たかひろ、そういう貴様はどういう女子メスが好きなのだ?」


 すると高広たかひろが、指を口元に当てながら答える。


「うーんと、ぼくはねー。いっぱい食べる女の人かな」


「いっぱい食べる女だとぉ!? つまりデブってことかぁ?」


 すぐるおおげさなこえに、高広たかひろが返す。


「そりゃ、せてるにしたことはないけど、ぼくと同じくらい一緒いっしょに食べてくれるなら体型たいけいは気にしないよ。一緒いっしょ料理りょうりを食べて、一緒いっしょ美味おいしい美味おいしいって言い合える女の人がいいな」


 すると、すぐるふだを捨てながら口を開く。


おれもウノだ。まあ、人の好みは千差万別せんさばんべつだからな。特にどーこー言うつもりはない」


 そして高広たかひろが、思い出したように俺たちに告げる。


「あ、でも性格だったらもうひとつタイプがあるね。あんまり人前に出るのが好きじゃない女の人がいい」


 すると、さとし山札やまふだから一枚ドローしながら尋ねる。


「つーと、目立ちたがり屋はいやってーことか? かげのある感じな女?」


「そうだね。こう、ひっそりとした所で目立たずに生きている女の人って、すこあこがれるところがあるね」


 高広たかひろの少し照れたような表情に、俺は心の中で考える。


――人の好みは、千差万別せんさばんべつ、か。その通りだな。


 俺がそんなことを思っていると、悪友三人組の視線が全て、こっちの方を向いていることに気付いた。


「へ?」


 間抜けな声を出してしまった俺に、真正面からすぐるが尋ねる。


「で、貴様はどうなのだ啓太郎けいたろう


 左隣からさとしが言葉を重ねる。


「好みのタイプ言ってねーの、おめーだけだぞ」


 右手の方から高広たかひろが告げる。


「一人だけ言わないのは、公平じゃないよね」


 そんな悪友三人組の詰め寄り気味だった呼びかけに、俺はてられたふだと、手元にある二枚のカードを見比べる。


 手元には、色も数字も同じカードが二枚あり、その数字は一番上のふだと同じ色であった。


 俺は、ごまかすように手元にあるカードを二枚とも場に捨てる。


「はい! あーがり! 二枚て!」


 すると、悪友三人が三人とも俺に人差し指を突き付ける。


「「「はい、ダウトー!」」」


――あ、ウノって言ってなかった。


 自分の失敗に気付いた俺は、口をあんぐりと開ける。


 で、結局そのあめがざぁざぁとりしきっていた日のカード勝負はトータルで俺が負けて、三人にコンビニのジャンボフランクフルトを一本ずつおご羽目はめになってしまったのだと覚えている。



 ◇



 そんな半年近く前のか細い記憶を辿たどっていた俺は、丘をぐるぐると周回するウォーキングコースをショートカットできるような、急勾配きゅうこうばい石階段いしかいだんくだっていた。


――あれ? 確か俺も、好みのタイプを悪友三人に話したはずだけど。


――俺は、好みのタイプを何て言ったっけか?


 そんな、あまり遠くない日常を思い返していた俺は、石の階段を下りながら丘陵きゅうりょう段差だんさになっている左脇の壁を手で触る。


 ざりっとした、石の感触であった。


 俺が視線をすぐ左横に移すと、そこには相当昔に組まれたのであろう、巨石がいくつも積み重なった、階段を形作るために切り取られた石垣の様子が目に入った。


――あー、やっぱりここ、立派りっぱしろがあった痕跡こんせきのこっているんだな。


――それも、可憐かれんとおとおいご先祖様がつくったはずの。


 そんなことを考えつつ、俺は石階段の反対側、向かって右の方に目を移す。


 石階段の反対側の壁も、やはり石垣が切り取られたような感じになっていた。


――ずーっと向こうまで、続いてんのかな?


 そんなことを思いながら、俺は向かって右の少し離れたところにある石垣の跡を見ながら、急勾配の石段を最後までりきり、左から右へと降りてゆくゆるやかな勾配となっているウォーキングコースに早足で飛び出した。


 しかし、それがいけなかった。


 俺は完全に左の方向確認をおこたって、見通しの立たない石垣のかげから、自転車がハイスピードで降りてくる、ウォーキングコースに並走しているサイクリングコースに飛び出してしまったのである。


「どいてどいてー!!!!」


 大きなかん高い声が耳の後ろから聞こえてきた。


 俺が振り向くと、流線型のヘルメットをかぶったスレンダーな少女が、黄色いスポーティーな自転車じてんしゃまたがって大声で叫びながらこっちに向かって急速に近づいているのがわかった。


――ロードバイクだっ!!


 俺は、立ち尽くす。


 それは一秒かそこらの、ひと呼吸をするもない時間だった。


――ぶつかる!!


 動くこともできず呆然ぼうぜんと突っ立ったままの俺に、爆走ばくそうする自転車があせがおの少女を乗せたまま猛スピードで突っ込んでくる。


 その少女は、色を抜いているかのような明るい髪色をした、外ハネシャギーショートの髪にいくつもヘアピンを付けていて、どこかで見たことのある元気そうな少女であった。


――あ、俺死んだ。


――やっぱ、超ラッキーの帳尻ちょうじりは、どこかで合わさなきゃいけないのか。


 俺はそんな縁起えんぎでもないことを、いまにも激突げきとつしそうなロードバイクを真正面ましょうめんとらえつつ、まばたきするあいだときかんがえていた。

 




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