第24節 パッション


 暗がりの公園にて目の前で、目になみだを小さく溜めたまま、その金髪を後ろにてポニーテールにして垂らした花房はなぶささんが、サッカーボールを手に持ったまま微笑ほほえんでいた。


 俺は声を上げる。


「レンん!? なんでおまえおんなになってんだよ!?」


 花房はなぶささん、いや、胸を大きく膨らませたグラマーな女子高生に成長していたレンが返す。


「アタシはもともとおんな! そっちが先におとこだって勘違いしてきたから、ついアタシもっちゃっただけだし!」


――そういえば、小学校が違ったから性別なんて確かめなかった。


――そもそも、名字みょうじすら知らなかったし。


 自分の迂闊うかつさを改めて認識にんしきした俺は、大声で返す。


「でも、一言ひとことくらい言ってくれてもいいじゃねーかよ!」


「ゴメンゴメン。アタシの通ってた小学校、お嬢様ジョーサマ学校でどーっか気取った女の子しかいなかったからさ。一緒にスポーツしてくれる男の子の友達とか、気取らなくてもいい女の子の友達とかできたの嬉しかったんだ。黙っててゴメンね」


 その、レン、いや、可憐かれんの言葉に俺は手を自分の顔に当てる。


「ゴメンねって……なんだよそりゃ。もしかして俺たちと同じクラスになったのも、親とかに頼んで追いかけて来たとかか?」


「いや、それは神様かみさまチカってタンなる偶然グーゼン。入学式の日に、クラス分けの掲示ケージで下の名前見てもしかしたらって思ってたんだけど、クラスに入って顔見てビックリした」


「マジか……なんだよ、そんなレアな偶然あるのかよ……いや、宝くじ当たった時点でげきレアか……」


 俺と可憐かれんとでそんなやり取りをしていたら、今まで黙っていた萌実めぐみが小さく声を出す。


「……レン」


 俺が萌実めぐみの方を見ると、萌実めぐみ再三さいさん、ぼろぼろと涙をこぼしていた。


「レェン!!!」


 そう萌実めぐみが叫んで熱情ねつじょうをもって両腕を広げて、かつてレンと呼ばれていた金髪ギャルの胸に飛び込む。


 可憐かれんの持っていたサッカーボールは、地面に落ちて小さな音を立ててバウンドした。


「レン! レン! レン! アタシぃぃぃ、アタシぃぃぃ!! ずっとぉぉぉ!!」


 そしてバウンドしたサッカーボールは、まるで最初からそこが定位置であったかのように、地面の上で転がるのをやめる。


 萌実めぐみ抱擁ほうようをその母性溢れる大きな胸で受け止め、悩める人を優しく受け止める観音様のような腕で包んだ可憐かれんは、萌実めぐみのふわふわの栗色のくせを優しく撫でる。


「ゴメンね、メグ。やっぱりアタシ、ちゃんとお別れ言うべきだったね。ずっとずっと連絡できなくてゴメンね」


 すると萌実めぐみが泣きながら叫ぶ。

「ううん! いい! もう何もかもどーでもいい! レェェン!!」


 その光景を見て、俺は思う。


――萌実めぐみやつ、本当に本当に、レンのこと大好きだったんだな。


――それこそ、俺なんかが入る隙間すきまなんて、ないくらいに。


 そんなことを思って、ただう二人の女子を少し離れたところで眺めていた俺の後ろから、足音が近づいてきた。


 振り返ると、そこには可憐かれんのセキュリティーサービス、黒服を着た非常に体格のいい筋肉質の大男であるオールバックの真田さなださんがサングラスをかけて俺の近くに立っていた。


 そして、真田さなださんは俺に伝える。


「少年、こういうときおとこは、そっと見守っておいてあげるものだぞ」


 俺は応える。


「ああ、はい。わかってます」


 すると、真田さなださんが名刺を差し出してきた。


「少年、もしご家族の警護けいごを頼みたいときは連絡をしてきてくれ。相談に乗る」


 その受け取った名刺には、セキュリティーサービス会社の名前と、真田さなださんのフルネームが印刷されていた。俺は、公園の街灯に備え付けられたLEDライトの光に照らされたその文字を読む。暗がりなので、小さく打ってあるルビは読みづらい。


『警護主任 真田大有』


 俺は尋ねる。

真田さなだ……だいゆうさんですか?」


「いや、自分じぶんの名前は大有ひろなおだ。よろしく頼む」

 それだけ言って、真田さなださんは再び暗がりの中に消えてしまった。


 暗闇をバックにう二人の女子高生の姿を見て俺は、星の輝き始めた夜空を見上げる。


――タクシーは、待っててくれているだろうか。


 そんなどうでもいいことを、ふと考えていた。





 それからまたしばらくの時間が経過して、泣きやんだ萌実めぐみの隣で萌実めぐみの手を握っているレン、もとい可憐かれんが口を開く。


「ホントはさー、アタシもずーっと気にしてたんだよね。アタシの親、そこではじめたコンビニの経営ケイエー上手うまくいき始めて、東京の支店とかにも顔出さなきゃいけなくなってさー……アタシも小学校帰りに親についてきた時間が取れなくなっちゃったんだよね」


 俺は返す。


「ってことは……あの『ペタルマート』ってコンビニ、レンの親が創業者そうぎょうしゃなのかよ!?」


「んー? ソーだよ? 『ペタル』ってのは花弁はなびらって意味なんだって。名字ミョージ花房はなぶさだから、それになぞらえて付けた名前なんだって」


「うわー……知らなかったー……ヒントが結構近くにあったのかよ……」

 俺は再三、自分の迂闊うかつさを実感する。


 既に泣き止んでいた萌実めぐみが、可憐かれんの手を両手で握ったままうきうきと伝える。

「でもいい! またこうやってレンに会えたんだから!」


 萌実めぐみの口調が、どことなく乙女おとめ声色こわいろになっているのがわかる。


 そして、可憐かれん萌実めぐみに伝える。


「じゃ、アタシがメグの家の前まで送ってってアゲルね。ケータ、アンタは一人で帰れる? ボディーガード一人貸そっか?」


 俺は返す。


「いや、すぐ近くにタクシー待たせてるから別にいいよ。ありがとう、また明日学校でな」


 俺がそう言って手を掲げると、可憐かれんも手を掲げて返してくれる。


「んー、じゃーまたね。明日からもよろしくね」


 そして、可憐かれんの手を握ったままの萌実めぐみも、俺に対してもう片方の手を振ってくれる。


啓太ケータ、明日アタシちゃんとクラスの皆の誤解とくから。今までごめんなさい」


 その萌実めぐみのどこか晴れやかな口調は、いままで失っていた情熱じょうねつあなを、伝えられなかった心のしこりを、深層心理しんそうしんりのどこかにとどめていたかなしい少女の声色こわいろではなかった。

 

 俺は安心して萌実めぐみ可憐かれんに声を伝える。


「別にもういいよ、俺こそごめんな。じゃーな、また明日」


 それだけ言って、俺はその公園から離れる。


 そして、夜の街灯の光で照らされた住宅街の道を抜け、車のう片側二車線道路に出る。


 タクシーは、コンビニの蛍光灯の明かりに照らされたまま『予約』の表示をフロントガラス近くに表示させ、待っててくれていた。


 俺は窓を軽く叩いて、タクシーのちょっと太った中年男性の運転手さんに声をかける。


「すいません、無事終わりました」


 俺が助手席のガラス越しにそう言うと、タクシーの後部座席のドアが開かれたので、すぐさまタクシーの白い布がかけられた後部座席に乗り込む。


 料金表示を見ると、5020円になっていた。


 一時間以上待たせてしまったのだから、それはしょうがない。


 置いていた一万円札が、やはり信頼しんらいというか信用しんようあかしとしての役割を果たしたということだ。


 俺が運転手さんに、自分が住んでいる高層タワーマンションに戻ってくださいと伝えると、運転手さんは了承の言葉を返してくれて、再びタクシーを運転することを生業なりわいとしている者としての運転を開始した。


 そして、後部座席でタクシーの運転に揺らされた俺は、頭の中で考えを巡らせる。


――それにしても、花房はなぶささんがレンだったなんてな。


――萌実めぐみとも無事仲直りできたし、誤解も解いてくれるって言ってくれた。


――もしかして、ゆめとかじゃないよな。


 そんな悪い考えが浮かんできた俺は、自分の手の甲をつねる。


 ぎりりりりりり


 痛い。


 確かに、ゆめではない。


 俺は子供の頃からの仲が良かった親友といつの間にか再会していて、言葉を交わさなかった幼馴染おさななじみとも和解できた。


――ゆめのような話ではあるが、紛れもない本当のことだ。


――まさか、こんなに突然にすくわれるなんて。


 そんなことを考えながら俺は、目の前を反対方向に流れる、暗くなってヘッドランプを輝かせて走り抜けている車の波を見やる。


――運転手さんとかも、雇ったほうがいいかもしれないな。


――いや、それよりもメイドか。


――国枝くにえださんにメイドになって欲しいなんて、どう切り出せば――


 俺がそう思ったところ、ポケットの中にあるスマートフォンが振動した。


 ブブブブブブブブ 


――やべっ! 姉ちゃんに遅くなるって伝えてなかった!


 俺は大急ぎでポケットからそのスマートフォンを取り出して、画面を確認する。


 当然そこには『姉ちゃん』という名前と、姉ちゃんのスマートフォンの電話番号からの SMS を受信したという表示がされていると思っていたが――


 その表示はこうだった。


『国枝かなで さん からメールが1件届きました』


――えっ!?


 その表示に、俺は心音しんおんを跳ね上げて、焦りつつも暗証番号を入力してスマートフォンを開く。


 メールボックスをタップすると、確かにそこには国枝くにえださんからのメールを受信していたことが表示されていた。


 そのメールには題名はついておらず、ただ本文にはこう示されていた。


『もうしわけありません いますぐあっていただけませんか あのこうえんでまっています』


 機械オンチな国枝くにえださんが、慣れない手で懸命けんめいに、ガラケーで入力したのだろうなという事実が伝わってきた。


 俺は、タクシーの運転手さんに「さっきの場所に引き返してください!」と伝え、道を曲がるのを繰り返してもらって、道路を折り返すことになるように引き返してもらい、片側二車線道路のさっきとは反対の歩道沿いにタクシーを停めてもらった。


 ドアが開かれたところで、俺は運転手さんに告げる。


「すいません! もうちょっとだけ待っててください! 一万円札、もう一枚置いておきます!」


 財布から一万円札を二枚取り出した俺は座席に置き、そのまま車を出て歩道を駆ける。


 さっきとは反対側の歩道にタクシーを停めてもらったので、コンビニの裏手にある例の公園に行くためには横断歩道を渡らなくてはならない。


 夜の住宅街を包む闇をバックに、歩行者の足を止めるために明るく輝く赤い光がずいぶんと恨めしかった。


 ふたつの縦に並んだ信号機の光が上から下に落ち、その明滅めいめつの色が赤から青に変わる。


 そのことを確認した俺は、横断歩道をダッシュで渡る。


 そしてコンビニの隣を通り過ぎ、先ほどの公園に向かう。


 その暗がりの中にはもうすでに、金髪巨乳ギャルである可憐かれんの姿も、栗色のくせを肩上まで伸ばした萌実めぐみの姿もなかった。


 その、LEDライトの光で茫々ぼうぼうと照らされた公園にたたずんでいた少女は――


 白っぽく見える亜麻色あまいろの髪を後ろに長く伸ばし、両耳の近くから小さく三つ編みにして結って垂らしている少女、国枝くにえだかなでさんだった。


 俺は少し息を切らしながら声を出す。


国枝くにえださん!? どうしたのいきなり!? こんな時間にいきなり会いたいってメールしてきて!?」


 俺がそう言うと、国枝くにえださんはそこはかとなく悲しそうな顔を見せつつ、その西洋人形のように整った色素の薄い顔を体ごと地面に下げた。


 そして国枝くにえださんはこちらに向けたひざを地面につけて、両の手の三つ指をそろえて土くれの地べたにつける。


 俺は、その動作が、日本人にとって何を意味するのかをよくわかっていた。


――土下座どげざ


 その線の細い美少女の挙動きょどうは、何らかの指南書しなんしょるくらいの、完璧なまでの土下座どげざ所作しょさであった。


 そして、両方のみが地面につくくらいに深く深く頭を下げた国枝くにえださんが、かおせたまま、俺に対して懇願こんがんをもって伝える。


啓太郎けいたろうさん……どうか、どうか……おかねをおしください……」


 そのつむがれたことは、数百年来の温泉旅館の元お嬢様とはとても思えないような、なにもかもを失う覚悟で発した、その自分ひとりでは耐えることができない受難じゅなんを示すかのような、静かな静かな叫び声であった。


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