第20節 雪どけ


 出前でまえたのんだ特上とくじょう寿司ずし三人前さんにんまえ堪能たんのうした俺たち三人さんにん姉兄妹きょうだいは、すこしやすんだあと建物内たてものないにある温水おんすいプールに来訪らいほうしていた。


 このプールがあるフロアには強化きょうかガラスをとおして午後ごごあたたかい太陽光たいようこうが、ゆったりとんでいる。


 このフロアはそこそこたかかいであるので、プールぎわいてあるいくつものリラックスチェアーからは、すわったままとおくまでをながめよく見渡みわたすことができる。


 プールにはそんなにひとおおくはなく、人妻ひとづまであろうスタイルの女性じょせい幼稚園ようちえんくらいのちいさなおんなつないでバタあしおしえてあげているくらいしか、ほか家族かぞく人影ひとかげることはできない。


 あとはまあ、あかいビキニ水着みずぎねえちゃんがクロールにてほかひと邪魔じゃまにならないように真剣しんけんおよいでいるくらいである。


 そしていま紺色こんいろのスクール水着みずぎたままふたつのリボンでツインテールをっているいもうとは、太陽たいようひかりむプールサイドにいてあるリラックスチェアーにゆったりとふか腰掛こしかけ、ペットボトルのベジタブルジュースを優雅ゆうがんでいる。


 とど距離きょりにあるとなりのリラックスチェアーには俺があおいサーフパンツを穿いてすわっており、いもうとはそんな俺にこえをかける。

「……おにいちゃん? おにいちゃんはおよがないの?」


 俺はかえす。

「おにいちゃん、掃除そうじあさからやっててつかれてるんだ。美登里みどりこそおよがないのか?」


 すると、いもうと子供こどもっぽく背伸せのびをしたかんじでこたえる。

「……わたしも、あさまで戦場せんじょうはしまわってたからつかれてるの」


「どうせゲームのはなしだろ」

「……おにいちゃん、最新さいしんのハイスペックPCピーシーでするVRヴイアールゲームを馬鹿ばかにしちゃダメ。高性能ハイエンドだけあってぬるぬるうごくし、臨場感りんじょうかんもリアリティーもまるでちがう。ホンモノそっくり」


 あまりパソコンにくわしくない俺は、いもうとたずねる。

「そんなにすごいのか? あのパソコン?」

「……メモリ512ギガだからね。128ギガのメモリ四枚よんまいしだから、わりとすごい。ストレージの記憶きおく容量ようりょうだって、SSDエスエスディーHDDエイチディーディーのハイブリッドでわせて180テラあるし」


――まいったな、いもうとなにっているのかさっぱりわからん。


 俺はいもうとに、言葉ことばわたしてたずねる。

「そういえば美登里みどり英語えいごしゃべってたな。オンラインゲームでおぼえたのか?」


 すると、妹の美登里みどりがあどけなく精一杯せいいっぱい得意とくいげなかおせつつかえす。

「……まーね。オンラインゲームじゃ英語えいご共通言語コモンだから。一応いちおう砕けた感じブロークン簡単かんたん英語えいごくらいなら使つかえるし、外国人アンネイティブけにかれた英文えいぶんくらいだったらフツーにめる」


――あたまわるくないんだよな美登里みどり


――性格せいかくは、ちょっとアレだけど。


――俺があにとしてちゃんと、美登里みどり性格せいかくたださなきゃな。


 俺がそんなことをおもっていると、ベジタブルジュースをわったいもうとがペットボトルをカップホルダーにいて、そのをチェアーのうえゆだねた。


 そしていもうと天井てんじょう見上みあげたまま、心底しんそこリラックスしたようなこえでこうった。

「……それにしても、十三歳じゅうさんさい有閑ゆうかんマダムになれるとはおもわなかった。おかねがうなるほどある生活せいかつってホントに素敵すてきだよね、おにいちゃん」


 その言葉に、俺は返す。

「いや、有閑ゆうかんはまだしもマダムじゃないだろ。そもそも美登里みどりはまだ中学二年生だろ」

「……気持ちの問題だよ。お兄ちゃん」


 しばらくの沈黙が流れると、妹が寝転んだまま再び口を開く。


「……あーあ、それにしても鳥之枝とりのえ温泉買って欲しかったなー。せっかくの江戸時代からの由緒ゆいしょある温泉旅館だったのに、外資がいしとかに買われたらもう取り返しつかないよ」


 そんな妹のやるかたなさそうな言葉に、俺は返す。

鳥之枝とりのえ温泉? この前言ってた、埼玉県にある温泉旅館か?」

「……正確には埼玉県の秩父ちちぶ温泉旅館。三百年近く続いてた歴史ある老舗しにせ温泉旅館だったんだけど、去年の頭に経営破綻はたんしたの」


――ん?


 頭の中で、推論すいろんがひっかかった。


――いや、まさかな。


――そんなできすぎた偶然、そうそう簡単にあるわけ――


 俺が頭の中でそんなことを考えていると、プールから上がった姉ちゃんが水をしたたらせながら俺たちの方に近づいてきた。


 そして、無邪気むじゃきな感じで俺にたずねかける。


「そーいやさー、啓太郎けいたろう昨日どっか出かけてたみたいだけど、やっぱりあのコンビニに行ってたのー?」


――うわ、当ててくるなよ。


 俺は返す。

「どうしてそう思うんだよ」

「んー? そりゃー、昨日帰ってきてから前の家にいたときとおんなかおしてたものー。やっぱりあの可愛かわいい女の子に会いに行ってたんじゃないかって思ってねー」


――やっぱり姉ちゃん、勘は鋭いな。


 その姉ちゃんの言葉に、妹の美登里みどりが上体を起こし、手を伸ばして俺の腕をつねる。


 ぎりりり


「……お兄ちゃん? 説明せつめいお願い」

 すると姉ちゃんが即座に返す。

「あー啓太郎けいたろうねー、コンビニに好きながいるのー」


 ぎりりりりり


 姉ちゃんの言葉により、妹のつねる力が三倍近くに強まった。


 俺は大声で弁明する。

「違うって! 俺と国枝くにえださんは単なる友達だから! そういうんじゃないから!」


 すると、妹が手を離す。

「……え? 国枝くにえだ?」

「ああ、国枝くにえださんだ。ちょっと前に知り合った友達だよ」


 すると、妹がポカンとした目で俺を見つめる。


「……お兄ちゃん? その人、もしかして秩父ちちぶ出身とか?」

「え? そうだけど……なんでわかるんだよ?」


 俺が返すと、妹が応える。


「……だって、さっきの鳥之枝とりのえ温泉の……亡くなった元オーナー、確か国枝くにえだって名前なまえだった」


 その妹の言葉の内容の意味に、俺は呆然とする。


 姉ちゃんは、なにを言っているのかわからないといった感じで、あっけらかんとしていた。




 

 プールからマンション最上階の自宅に帰った俺たち三人は、妹の部屋にてパソコンの前にて並んで画面を眺めていた。


 妹が二人けソファーに座ってパソコンを操作し、俺と姉ちゃんがソファーの後ろからモニター画面を見ている、という塩梅あんばいである。


 妹が無線マウスでモニター内のポインタを操作すると、アメリカの世界最大手 SNS である faceboothフェイスブース の画面を始めとして、埼玉県の秩父ちちぶにあったという鳥之枝とりのえ温泉に関しての様々な情報が表示された。

 

『鳥之枝温泉』の公式ページにはオーナーの名字が『国枝』と表示されており、一昨年おととしの秋にそのオーナーが亡くなったという事実が家族の手により示されていた。


 その他にも、妹が独自にその温泉旅館について調べたページを色々と見せてもらった。


 話を総合すると、一昨年前いっさくねんまえの秋ごろまでは鳥之枝とりのえ温泉旅館は通常業務を続けていたのだが、オーナーが亡くなったと同時に経営が立ち行かなくなり、去年の初頭に経営破綻を宣告したらしい。


 そのオーナーの家族に『かなで』という名前の少女がいたかどうかは、ネット上の情報だけではわからなかったが、俺の頭の中ではもうその推論は確かさを強めていた。


 モニター前のソファーに座ってパソコンを操作している妹が、どことなく冷然れいぜんな感じで声を出す。

「……ふーん、そっかあ……お兄ちゃん……やけにコンビニに行ってたと思ってたら可愛い女の子に会いに行ってたんだね」


 妹はモニター画面に顔を向けたまま、ピクリとも動かない。俺は妹の、ツインテールをうために髪が分けられた後ろあたまに返答する。

「いや、それは否定しないけど。やましいこととかは何もないから」


 すると妹は、振り返らずに俺に後頭部を見せたまましゃべる。

「……ま、いいけど。わたしのことさえきちんと面倒みてくれたら、女の子の一人や二人くらい」

「だからそういう話じゃねーっつーの」


 俺が妹に対して抗弁こうべんをしていると、俺の隣で同じくソファーの後ろからパソコン画面を眺めている姉ちゃんが告げる。


「じゃーさー、ちょーどいいじゃん。旅館のだったら家事もできそーだしー。そのに家にかよってもらって家政婦さんやってもらおーよー」

「えっ!?」


 姉ちゃんの規格外な発案はつあんに、俺は頓狂とんきょうな声を出す。

 そして妹が姉ちゃんのいる方向に振り返って、うきうきした表情で尋ねる。


「……お姉ちゃん? その子ってそんなに可愛い? える? メイド服似合いそう?」

「うんー! すっごく可愛かったよー! お人形さんみたいだったー!」


 その姉ちゃんの言葉に、妹が表情に加えて声まで上機嫌になる。


「……おお、お人形さんみたいな可愛い年頃の女の子……リアルメイドさんキタコレk t k r……お兄ちゃん、その女の子にメイドさんになるようお願いしてよ」


 妹の若干興奮気味になった上ずった声に、俺は少しだけ汗をかいて返す。

「簡単に言ってくれるよな。依頼いらいするのは俺なんだぞ」


 すると、姉ちゃんに顔を向けていた妹が、改めて俺のいる反対側に振り向いて言葉を返す。

「……お兄ちゃん? ハワイで宝くじ買ったとき、わたしと約束したよね? 覚えてる?」

「なんの約束だ?」


 すると、妹が確然かくぜんと口走る。

「……宝くじが当たったら、わたしになんでも好きなもの買ってくれるって」


――あ。


 すると、姉ちゃんが応える。

「あー、確かに言ってたねー。当たったら、啓太郎けいたろうがみどりに何でも好きなもの買ってやるってー」


 姉ちゃんがそこまで言うと、妹がほっぺたを膨らまして口から息を吹き出してドヤ顔になる。


「……ぷふー。と、いうわけで、メイド服の似合う可愛いメイドさんお願いね? お兄ちゃん?」


――やられた。


 俺は心の中で、自分の迂闊うかつさをしみじみと実感していた。





 夕方になって自分の部屋に戻った俺は、明日からまた始まる学校生活のことを考えていた。


 明日の週明けから二学期の中間テスト期間に入るので、半日授業がしばらくの間続くはずである。


 そして、テストが終わったらその一週間後には二日続けて文化祭が執り行われる予定である。


 俺は、自室にある北欧製の勉強机の前に備え付けてあるリクライニングパーソナルチェアーに座りながら、スマートフォンを操作していた。


 俺はパソコンにはあまり詳しくないが、スマートフォンでインターネット上のウェブページを見るくらいだったら慣れている。


 そして、俺の手に収まっているスマートフォンには、先ほど妹の部屋で見せてもらった『鳥之枝とりのえ温泉』の不動産情報が表示されていた。


 その価格はおおよそ、十五億円。


 それが、その温泉旅館の値段であった。


 それと同時に、国枝くにえださん一家が背負っている借金がどれだけ大きなものなのかも想像がついてしまう。


 俺は頭の中で、思考を巡らせる。


――国枝くにえださんの元々の実家が、この売りに出されている温泉旅館なのだとしたら。


――俺は彼女を、救ってあげることができるはずだ。


――そもそも俺が三百億円もの大金を手に入れることができたのは。


――宝くじを持って追いかけてくれた国枝くにえださんのおかげなのだから。


 そんなことを考えつつ、俺はスマートフォンを机の上に置きリクライニングチェアーを倒して、大きく息をく。


「はぁー……でも、どうやって切り出せばいいんだよ」


 俺が億万長者になっていることなんて、証明するのは簡単だ。

 その事自体は真実なのだから、それこそやり方はいくらでもあるだろう。


 と、そこで姉ちゃんと妹が言っていた発案が頭に浮かんだ。


――家にかよってもらって家政婦さんやってもらおーよー。


――メイド服の似合う可愛いメイドさんお願いね?


 家に来て欲しいなんて伝えるのは思うほどにはやすくはないことは、嫌と言うほどにわかっている。


 俺は一人ひとりごちてつぶやく。


「メイドさんか……そりゃまあ、うちで働いてくれるなら大歓迎だけど……」


 ただ、心底ヘタレな俺がどんな感じであの年頃の美少女に切り出すかは、色々と考えなければいけないだろう。


――何せ、年頃の男のいる家に出入ではいりするってことだし。


――家政婦さんがお年寄りとかだったら、こんなに迷わなくて済むんだろうな。


 俺は更に考える。


――でも、姉ちゃんは何で国枝くにえださんをいきなり家政婦さんにしようとしたんだろうか?


――妹も、特に他人を家に上げるのに抵抗はないみたいだったし。


 更に考える。


――おそらくは、三百年も続いていた老舗しにせ温泉旅館のお嬢様だったからだろうな。


――国枝くにえださんが元々からまずしかったら、姉ちゃんも妹もそう簡単には家に上げてやとおうだなんては――


 そこまで考えた所で、俺の頭の中でシナプスが弾けたような感覚が襲った。


 お金があるひととお金がないひとの違い。


 お金とは、何の価値かちを数値化したものか。


 島津しまづさんにさとされた、お金がある人はそのあるものの価値を持っていて、使えば使うほど増加していくというその概念。


 それはまさに、花房はなぶささんに出されたクイズの答えであった。


 花房はなぶささんが俺に出した、夕日のす公園で問いかけられたクイズの声が脳内で繰り返される。



「じゃあ第一問いくね。おかねとは『価値かち』を数字すうじにしたものだけど、それはいったいそれぞれの持っているなにの『価値かち』を数字すうじにしたものでしょーか?」



――そうか、それがクイズの答えか。


――確かにそうだ。以前の俺はそんなもの持っていなかった。


――だけど、今俺はそれを持っているし、使用と共に増えていくことになる。


 おそらくは正解であるその答えに到達した俺は、新しく生まれた更なる疑問を頭の中にとどめていた。


――でも、何で花房はなぶささんはそんなことを俺に分からせようとしたんだ?


 疑問がひとつ氷解ひょうかいすると、新しい疑問がまた沸いてくる。


 あの花房はなぶささんの、賢者めいた問いの裏にある真の意味を、俺はまだ見つけることができないままであった。



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