第19節 熱いトタン屋根の猫




 顔を洗って歯を磨いた俺は、自分の部屋に戻ってクローゼットから私服を出して着替えを終わらせた。


 自分の部屋を出てからすぐ近くにある扉を抜け、平たい机を乗せたカーペットを囲むように黒いソファーが置いてあるリビングを見渡した俺は、そのごちゃごちゃと乱雑に散らかった大広間の様子にため息をく。


 昨日の晩にとりあえず口をしばったゴミ袋と、からになってしまった何本かの酒瓶さかびんが、カーペットの外側であるフローリングの床の上に放置されている。


――本当に、引っ越してきたばかりのせっかくの豪邸ごうていを、なんでこんなにためらいもなくよごせるんだよ。


 今は日曜日の朝。姉ちゃんも妹も、まだおそらく自分の部屋だろう。


 俺は昨日の夜にコンビニで買ってきたおにぎり類で朝飯を軽く取ってから、リビングから出たところにある物置部屋に向かい、秋葉原で買ってきたばかりの片手で持てる掃除機を持ち出す。


 そして、自らのほほをぱしりと叩いて気合を入れる。


――よしっ!


――いいかげん、本格的に掃除するぞ!


 ズボラな姉ちゃんと妹の将来を若干ながら心配しつつ、俺は掃除に取り掛かった。



 いくら広い広い7LDKの高級おくションの部屋といえども、この部屋にて生活している人間は俺と姉ちゃんと妹の三人だけなのである。

 

 下の階にある居間リビングと姉ちゃんの部屋の掃除は、二時間足らずですっきりと片付いた。


 ベッドの上で惰眠だみんむさぼっていた姉ちゃんは「あたし、もうちょっとたいー」とか不満げだったが、半ば強引に洗面所に向かわせた。


 姉ちゃんが呑んだお酒の空瓶からびんも水道の水でしっかりと洗って金属部分を分けて、袋で取りまとめてエレベーター近くにあるゴミ出し場に分別して置いておく。


 プラスチック容器などのゴミも、しっかりと洗って分別して袋に入れて、同じくゴミ出し場の中に置いておく。


 こういう高級マンションには、それぞれの階にゴミを置いておくための場所があり、定期的に業者の人が回収して地下のゴミ集積所に運んでくれるシステムになっているらしい。


 家の扉はもちろんオートロックなのであるが、指紋しもんを登録しているのでカードキーがなくても家の中に戻ることができる。


 改めて我が家に入った俺は、段差のある玄関にてサンダルを脱ぎながら考えを巡らせる。


――さて、いよいよ本丸ほんまるか。


――美登里みどりのやつ、少しくらいは自分で掃除してくれるといいんだけどな。


 そんなことを考えながら、俺は廊下を抜けてリビングにある掃除機と空のゴミ袋を何枚か持って階段を上がって、部屋の中の二階にかいにある妹の部屋に向かう。



 俺は今、リビングの吹き抜けを右にして、妹の部屋の前にて掃除機とゴミ袋何枚かを持ってたたずんでいる。


 妹の部屋の出入り口である、部屋の内に向かって開くタイプの木目調のドアには、マジックにて手書き文字が書かれたプレートが掲げられている。


『みどりの お・へ・や ノックしないと殺す』


――なんで『ころす』だけ漢字で書いてるんだよ。


 そんなことを思いつつ廊下に掃除機とゴミ袋を置き、妹に殺されないように注意深くノックする。


 コンコン


美登里みどりぃー、お兄ちゃん入るぞ」


 返事はなかった。


 俺は再び、妹の部屋を今度は強めにノックする。


 コンコンコン


美登里みどりぃー、掃除そうじするから入れてくれー」


 しかし返事はなかった。


 ほんの少しばかり迷った俺は、妹の部屋に鍵がかかってないことを確認して、ゆっくりと扉を開ける。


美登里みどりぃー、寝てんのか? お兄ちゃん美登里みどりの部屋掃除そうじするから入るぞー」


 妹の機嫌きげんそこねないように配慮はいりょし、扉をゆっくりと奥に開けた俺が、その散らかり放題の薄暗い部屋で見たもの。


 その暗がりでもわかるくらいにごちゃごちゃに汚れきった広い部屋を、三枚のモニターから発する光が奥深く幽々ゆうゆうと照らしていた。


 妹は、秋葉原で購入した最新式ゲーミングPCパソコンが設置してある机の前の、二人けソファーにて座り、パジャマ姿のままVRヴァーチャルゲームに熱中している。


「……Shootシューㇳ! Lookルッㇰ leftレフㇳ! Thereゼア isィズ enemyエネミー!!」


 妹の美登里みどりはパジャマを着たまま、頭がすっぽりと隠れるようなVRヴァーチャルヘッドセットを取り付けて、何やら英語で叫びつつ右手に握った銃型コントローラーを宙に掲げ操作している。


 妹の座っている二人けソファーの前にある三つのモニターには、妹が今まさにプレイしている最中なのであろうゲーム画面が表示され、場面が目まぐるしく移り変わっている。


 どうやら、迷彩服を着た兵士になって市街地で銃撃戦を楽しむゲームのようである。


 パジャマを着たままの妹の美登里みどりは、ツインテールが飛び出した無線むせんヘッドセットをかぶったまま左手で移動コントローラーを、右手で銃型コントローラーを握って、せわしなくソファーに座ったまま体を動かしている。


 そんな妹にソファーの後ろから近づいた俺は、声をかける。

美登里みどり、お兄ちゃん掃除そうじするからゲームやめろ」


 しかし美登里みどりは、VRバーチャルゲームに夢中で俺に一切気づかない。


美登里みどりぃー、ゲームやめろ。掃除そうじするから」


 至近距離にいるヘッドセットをかぶっている美登里みどりは、相変わらず英語で何か叫んでいて、俺には気づかないようである。

 

 妹が英語でうれしそうに叫ぶ。

「……HAHAHAHAハハハハー!! Enemyエネミー isィズ killedキルド!!」

 

 俺はソファーの後ろから、ゲームを楽しんでいる美登里みどりの両肩をパジャマ越しに両手で掴む。


 そして、ふるえるように妹の肩を揺らしながらしっかりと伝える。


美登里みどりぃー、ゲームやめろぉー」

「……んひゃぁぁぁぁぁぁ!!」


 いきなり肩をシェイクされた妹が、叫び声と共にソファーの上に倒れこむ。


 妹の操作している迷彩服を着た中年男性キャラが、銃撃を受けて地面に倒れる。

 モニターの画面が赤い血しぶきで染まり、ダメージを受けたことを表していた。


 一拍おいて、ソファーに倒れこんだ妹がモニターの向こうにいるのであろう相手にしゃべりかける。


「……Sorryソーリー Sorryソーリー!! I'veアイヴ beenビーン too トゥー  excitedイクサイティド!! I am offアイㇺ オㇷ! Byeバイ!」


 妹の美登里みどりはそんなことを英語で言ってソファーの上で上体を起こし、ログアウト操作をする。

 そして、ヘッドセットを急いで取り外して机の上に置き、あせり気味に振り返ってハイテンションな口調で俺に伝える。


「……お兄ちゃん!? なんでこんな夜更よふけにわたしの部屋に!? はっ!! まさかばい!?」


「起きたまま寝言ねごと言ってんじゃない。もうあさの九時過ぎだ」


「……あさ? またまたぁー、まだ夜中よなか午前ごぜん零時れいじ過ぎだけど?」

 妹は、机の上にあるマウスを操作してモニタ上に大きなデジタル時計を表示する。


 そこには確かに、午前0時過ぎであるとの時刻が表示されていた。


 俺は即座に妹に突っ込みを入れる。


「こりゃ、グリニッジ標準時ひょうじゅんじだろ」

「……おお、うっかりしてた!!」


――普通、気づくだろ。


 そんなことを思った俺はソファーから離れ、置いてある大きなベッドのそばを通り抜け、遮光しゃこうカーテンを勢いよく開けた。


 シャアアアアア


 朝の爽快そうかいな日差しがこの陰気いんきだった部屋に差し込むと同時に、妹が体をらして顔を光から両手で隠して叫ぶ。


「……あああ! お兄ちゃんやめて! わたしけちゃう!」

けるかっつーの」


 まるで吸血鬼ヴァンパイアのようにひかりいやがるいもうと姿すがたて、俺はあきれる。


 そして俺はいもうとこえをかける。


美登里みどり、お兄ちゃん美登里みどりの部屋掃除しとくから、リビングのソファーで横になってろ。寝てないんだろ?」


 そんな感じで気を使って妹に伝えると、妹は大きく欠伸あくびをした。


「……ふぁーあ。そうだね、どうりでやけに眠いと思った。居間でちょっと寝転ねころんでくる」


 そう言って妹はデスクトップパソコンをスリープ状態にし、立ち上がってベッドから枕を持って部屋を出て行こうとする。


――さて、掃除そうじしなきゃな。


――それにしても、よくこんなごちゃごちゃした部屋で暮らせるよな。


 十畳以上ある妹の部屋は、食事以外の生活ゴミ、落書きイラストをいたコピー用紙やノート、漫画まんがの本とその内容を音声化した声優握手券が当たるコミックCD、アニメの円盤ディスクケースやイラスト集などで乱雑らんざつに散らかっていた。


 俺がこれから開始するであろう掃除手順のシミュレーションを頭の中で組み立てていると、部屋から廊下に出ていた妹が、そのリボンでわれたツインテールを揺らしつつドアのかげから頭だけを見せてきた。


 そして、妹が少しだけほほめて俺に伝える。


「……お兄ちゃん? 掃除そうじするついでに、わたし下着したぎをクンカクンカとかしないでね?」


「するかっつーの!!」


 俺は、心の叫び声を妹の部屋にひびかせた。





 なんとかかんとか、美登里みどりの部屋に散乱している本やグッズを片付けて、掃除機をかけてゴミを袋に取りまとめた。


 もう少しで正午というところで掃除そうじが終わってからリビングに行くと、妹がレザーブラックの高級ソファーの上で頭を枕に乗せて横になってうつらうつらとしていた。


 俺は、ソファーの上でねこみたいにまどろんでいる妹に声をかける。

美登里みどり、掃除終わったぞ」

「……うん、わかった。部屋に戻って眠る」


「いや、もう昼だぞ。今から寝たら昼夜ちゅうや逆転するだろ。せめて日が沈むまでは起きてろ」

「……えー……いいじゃない。どうせ学校なんか行かないんだから」

「そういうわけにはいかないだろ。引きこもっててもちゃんと生活リズムだけは調ととのえろ」


 俺と妹がそういうやり取りをしていたら、後ろの方からスリッパの鳴る音と共に姉ちゃんの声が聞こえてきた。


「だったらさー、昼ごはん食べてからみんなでプール行こうよー」


 俺が振り向くと、そこには下半身にショートパンツを穿いて、上半身はだかでバスタオルを首から回してふくらんだ両胸りょうむねにかけているだけの、割れた腹筋を披露ひろうしている姉ちゃんがいた。


 俺は即座に叫ぶ。

「ちょっと姉ちゃん! なんて格好してんだよ!」

「えー? 別にいいじゃん、家の中なんだからさー」


 そんなことを言いながら、半裸はんら姿の姉ちゃんはバスタオルでごしごしと上半身と髪の毛についた水分を拭き取る。その動作のたびにちらちらとその大きな胸のピンク色の乳首ちくびが見えてしまっている。


「どこ行ってたんだよ?」

 俺が尋ねると、姉ちゃんが応える。

「ジム行って筋トレしてたー。で、汗かいたからシャワー浴びたのー」


 ソファーに寝転んだままのパジャマ姿の妹が怠惰たいだな感じで声を出す。

「……そういえばお腹空いた。お寿司すし取ろうよお寿司すし。最高級の特上のやつ」

「おっ! いいねー! 取ろっかー!」


 姉ちゃんが表情を明るくするのを見て、俺は返答する。

「取ってもいいけど、二人とも着替えてからにしてくれ」


 パジャマ姿のだらしない妹に、半裸はんら姿の別ベクトルでだらしない姉ちゃん。


――この二人をおよめに貰ってくれる男は、果たして存在するのだろうか。


――もしかして、一生俺が面倒見るって訳じゃないよな。


 そんな感じで、俺は姉ちゃんと妹の将来を心の中で深く深く心配しんぱいしていた。





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