第16節 コンタクト



 翌日よくじつ土曜日どようび時計とけいはり正午しょうごすこぎたあたりの時間帯じかんたいに、俺はひさしぶりに元々もともとんでいた自宅じたくがある住宅街じゅうたくがいおとずれていた。


 念のために変装ということで、度の入っていない伊達だて眼鏡めがねをかけてニット帽を耳が隠れるくらいに頭に深くかぶっている。


 宝くじが当選した際の俺へのインタビュー映像がニュースで流れてから十日以上の日数がっていたので、自宅の近くにはもうすでにマスコミもユーチューバーもどこにもいなかった。


 ただ、自宅の塀にはなにやらペンキで白く塗りつぶした跡がある。


 おそらくは野次馬やじうまがスプレーでなんらかの落書きをして、近所の人が上からペンキで消してくれたのであろう。


――もしかしたら、萌実めぐみの家族の人かもな。


 そんなことを思いつつ、自宅前にてまるで他人事のようにたたずんでいた。


――近所の人には迷惑をかけたみたいだから、あとで何かおくっとこう。


――五十万円分くらいの、商品券とかでいいか。


 俺の足は自宅から離れつつしばらく歩き、土曜日の昼過ぎの閑静な住宅街を通り抜け、車の行きかう二車線道路の方向へと向かう。


 昨日の夜、花房はなぶささんとマンションのエントランスで別れてから、新居にある自分の部屋に戻って俺が最初にしたことは、レシートを出してからの大学ノートを用いての金銭出納きんせんすいとうの記録であった。


 俺は大金持ちになってから、何月何日になんの名目でどういう出費があったのかを、きっちりと記録している。


 おかねがいくらでもあるということは、それはおかねの価値がわからなくなるということにつながりかねない。


 だが俺は、宝くじが当たってからインターネットで調べたところ、いきなり身の丈に合わぬ大金を手に入れた事によって、逆に人生が破滅してしまった人もかなり大勢いたのだということを知ったのであった。


 だから俺は、お金を使ったときは必ず金銭を何に使ったかという事柄ことがらを、しっかりと記録しようと決めたのである。


 歩く最中で、花房はなぶささんが昨日言ってくれた言葉が頭に浮かぶ。


――チャンスは、どんなにお金があっても買えない、か。


 俺が今日の土曜日に、改めて自宅近くまでやってきたのは理由わけがある。


 十二日前の月曜日に電話番号を交換した、あの亜麻色あまいろの三つ編みお下げ髪少女である、国枝くにえださんにもう一度だけいたかったからだ。


 結局、一週間が過ぎても国枝くにえださんから電話はかかってこなかった。


 何度も何度も電話をかけようとしたが、心の奥底から湧き上がってくる恐怖心がブレーキを踏んだみたいに俺の指を止めたのであった。


――だから直接会いにいくって。


――これじゃまるで俺、本当にストーカーじゃないか。


 そんな自嘲じちょうした薄ら笑いと共に、車が行きう片側二車線道路の歩道に出る。


 顔を上げると、すぐ近くに『Petal Mart』と書かれた看板が掲げられているのが目に入る。


 土曜日の正午過ぎには、確か国枝くにえださんはあの店で勤務きんむしているというシフトであったはずである。


 俺がまだあの家に住んでいたころにコンビニに通っていた、三週間の経験が教えてくれていた。


 コンビニの中から見えないくらいだけ少し離れたところで立ち止まった俺は、深く呼吸をする。


――そうだ、人生なんてなるようにしかならないんだ。


――行ってやれ。


 俺は意を決して前に進み、コンビニエンスストアの自動ドアをくぐった。


 小学生のころから聞き慣れた入店音が店内にひびく。


 そして俺は、あの少女がいることを期待してレジの方を見る。


 そこにいたのは、十代半ばの線が細いはかなげな少女、ではなくて――


 四十代終わりから五十代前半くらいの、いかにも噂話うわさばなしが好きそうな中年のおばさんであった。


――あれ、国枝くにえださんがいない。


 俺は内心で狼狽ろうばいしつつ、スマートフォンを取り出して何気ない顔をよそおって冷蔵庫に近づき、ゼロカロリーのダイエットコーラを手に取る。


 そして、レジに近づいて財布から Suika スイカ を取り出す。


「いらっしゃいませ」

 レジの中年女性が俺に挨拶あいさつをかける。


 俺は「 Suika スイカ でお願いします」と言ってコーラをレジ台に置き、ドキドキと心臓を鳴らしながらおばさんに尋ねる。


「あの、国枝くにえださんはシフト変わったんですか?」

 俺がそう口走ると、おばさんはいぶかしげな顔をする。

「何? あんたくにちゃん知ってるの?」


 鼓動こどうを波打たせながら俺が返す。

「あー、俺じつ国枝くにえださんの友達なんですよ。最近連絡が来ないから、何かあったんじゃないかと心配してたんです」


 すると、おばさんはうたぐぶかそうな目で俺を見る。

本当ほんとう? ストーカーとかじゃないの?」


「本当ですよ! ほら、電話番号も交換してますし!」

 俺は、手に持っていたスマートフォンの画面を見せる。


 そこには『国枝かなで』という名前表示とともに、国枝くにえださんの電話番号が表示されている。


 おばさんが目をらして俺のスマートフォン画面を見て、口を開く。

「あー、確かにくにちゃんの番号だわ。友達だったら教えるけど、くにちゃん、ここのお店めることになっちゃったのよ」


 その意外な言葉に、俺は衝撃を受ける。

「え……!?」


 おばさんはかまわずに言葉を続ける。

「まあ、あたしの口から理由りゆうを言うことはできないけどさ。お友達だったら直接会ってみていてみればいいじゃないの」


「そうですね……わかりました。俺から連絡取ってみます……」


 半ば呆然として、それ以上は何も言えずに熱量カロリーのないダイエットコーラを、袋ごと受け取ることしかできなかった。





 コンビニの裏手の方向に少し行ったところにある公園のベンチで、俺はコーラを飲んでいた。


 土曜日の昼過ぎだというのに子供の姿は見えない。


 この公園には水のみ場があり、遊具としてブランコと滑り台、それから砂場があるのでそんなに悪くはない遊び場ではあるのだが、近所の大抵の子供は少し離れた広い運動公園に行ってしまうのである。


 ベンチに座ってコーラを飲んでいた俺は、何もない高い高い青さの中に、ひとつだけ光る太陽がある十月の空を見上げていた。


――子供の頃に遊んでた公園は、こんなに狭くなったけど。


――空の高さは、いつまでたっても変わらないな。


 俺はベンチの上で、昨日の晩にクラスメイトの女子である花房はなぶささんに話した、この公園にてできた親友とも呼べる男友達のことを思い出していた。



 ◇



 俺と萌実めぐみが、まだ小学校に上がったばかりの春のころだった。


 確かあそこにある『ペタルマート』というコンビニは、丁度ちょうどそのころに開店したのであった。


 その月の初めに小学生となったばかりだった俺は、幼稚園のころからのご近所さんであった萌実めぐみと一緒に、この公園の砂場すなばに遊びに来ていた。


 ベンチには、頭に白髪しらがを生やした杖を持ったお爺さんが、呆けた感じで日向ひなたぼっこをしていた。


 そして俺たちはこの公園で、子供用のサッカーボールで下手なリフティングの練習をしていた、黒髪がツンツンとがっていたそいつに出会ったのであった。


 何せ、遊びたい盛りの小学一年生だ。幼かった俺は、おそれも戸惑とまどいも躊躇ためらいもなく、名前も知らないそいつに「遊ぼうぜ!」と元気よく声をかけた。


 それから、日が暮れるまで萌実めぐみとそいつと一緒に遊んだ。


 男らしくシュッとがった目をしていたそいつは、終始楽しそうに笑っていた。


 いざ別れる時になって、六歳の俺はそいつに名前を尋ねた。


「そーいやさー、おまえ、名前なまえなんてんだ?」


 すると、そいつは目を嬉しそうに細めて、笑いながら元気に叫んだ。


「オレか!? レンだ!!」


「そっか、レンか! 俺は啓太郎けいたろうだ!」


 そして、萌実めぐみが小声で伝えた。

アタシ萌実めぐみ。よろしくね」


 そして「また遊ぼうな!」とお互いに約束し合った。


 その思い出は、決して忘れたくない大切な思い出だった。


 誰にも汚されたくない、ピュアだった幼き自分のための大切な思い出。


 多分、誰にでもそういうものはひとつふたつはあるものだと、俺は思っている。



 ◇



 そんなことを思い返してコーラを飲み終わったところ、俺は決意した。


――どうせ、駄目だめもとだ。


 国枝くにえださんの名前と電話番号が表示されているスマートフォンの画面にある、通話ボタンを震える指先でタップする。


 そして、耳にスマートフォンを当てる。


 プルルルルルル

 プルルルルルル


 その電話の呼び出し音を聞いている最中は、ほんの一分にも満たないはずなのに、永い永い時が緊張と共に流れていた。


 プルル プッ


『はい、もしもし』


 電話口に出たのは、しんは強そうだがほんの少しだけしわがれた、おそらくはとしを取っているだろうなといういた女性の声であった。


 おそらくは、国枝くにえださんと一緒に住んでいると言っていたお祖母ばあちゃんの声であろう。


 俺は、くちびるをぷるぷる震わせながら通話口に声を出す。


「あ、あの……俺、た……啓太郎けいたろうっていいます。国枝くにえだかなでさんの友人でして……」


 そこまで言ったところで、俺は言葉が止まる。


 しばしの沈黙の後、電話口の向こうから老女ろうじょ粛々しゅくしゅくと声を送る。


『……少々、お待ちを』


 心臓の鼓動が鳴り響く音が聞こえる。


 それからの沈黙は、生きた心地がしなかった。


 そして、あの少女の繊細せんさいな声が電話口から天上の音楽のように聞こえてきた。


『……もしもし、啓太郎けいたろうさんですか? かなでです……』


 俺は、ドギマギしながら返す。


「あ……お久しぶりです。元気でした? 連絡来ないから、元気だったかなーって……思いまして」


 一拍の間を置いて、国枝くにえださんが返す。


いま……啓太郎けいたろうさんどこですか? もしかして近くとか……いますか?』


 俺はぎこちなく返す。


「あーっと……国枝くにえださんがつとめていたコンビニの近くの公園です。コンビニに行ったらいなかったので……電話をかけたんだけど……」


『そうですか……お話をしたいので……そっちに行っていいですか……?』


「え!? ああ、はい。ぜひ」


『じゃあ……今から行きますね。待っててください……』


 そこで電話は切れた。


 顔に少しだけ熱を帯びた俺は、国枝くにえださんが言ってくれたことを思い出していた。


 鼓動は相変わらず、ドキドキと高鳴っている。


 今この場に鏡があったとしたら、気持ち悪い感じでにやける男子高校生の顔を見ることができたであろう。



 ◇



 この公園で、いつものように萌実めぐみとレンと遊んでいたある日のことだった。


 備え付けてあるベンチには、年金で暮らしていそうな白髪頭しらがあたまのお爺さんが杖を持って、いつものように呆けた感じで日向ひなたぼっこをして座っていた。


 小学三年生になっていた俺たちは、ある夏の暑い日に、涼を取るためにそこのコンビニで好き好きに買ってきた飲み物を飲んでいた。


 ゼロカロリーコーラを飲んでいた俺は、レンに伝える。

「レンもなー、俺たちと同じ小学しょうがくだったらよかったのにな。そしたらひるやすみとかもあそべんのにな」


 すると、バナナ入りミックスジューススムージーを飲んでいたレンがぶっきらぼうに返す。

「しゃーねーだろ、オレの小学しょうがく私立しりつだし。でもなー、たしかにオレも小学しょうがくにはいる前に啓太ケータメグ出会であいたかったなー。そしたらおな小学しょうがくいけたかもしれねーし」


 その言葉に、抹茶グリーンティーを飲んでいた萌実めぐみが応える。

「そーだねー。レンがいたら、クラスのいじわるな男子とかやっつけてくれたかも」


 すると、レンがけわしい表情になる。

メグ? おめー、クラスの男子にいじめとかされてんのか!?」


 そのレンの言葉に、俺がからかい気味に返す。

「いじめってゆーか、悪口わるくちよくいわれんだよ。ほら、萌実めぐみってくしゃくしゃあたまだろ? てんてんパってよくからかわれんだ」


 すると、萌実めぐみがむうっとした顔になって俺に怒る。

「もうっ! 啓太ケータ馬鹿バカ! くしゃくしゃあたまって言わないでよ! くせっなの気にしてるんだから!」


 すると、出し抜けにレンが萌実めぐみげる。

「そっか? オレはメグかみ、ふわふわで可愛かわいいと思うけどな?」


 その言葉に、萌実めぐみは急に押し黙ってしまった。


 後から考えれば、萌実めぐみの心の中にあるあかはじけてしまったのはそのときだったのだということは、火を見るよりも明らかであった。


 なぜならその日以来、萌実めぐみが急に小学生なりに服装ふくそうのコーデにこだわるようになってしまったからだ。


 体を動かすスポーツ系の遊びも、レンの前ではあまりしないようになってしまった。


 でも、幼かった俺にはそのときには萌実めぐみの気持ちはわからなかった。


 俺が好きだった幼馴染おさななじみである萌実めぐみが、俺の親友であるレンを好きだということを、心のどこかが認めたがらなかったのかもしれない。



 ◇



 俺が国枝くにえださんに連絡を入れてから、多分十分くらいの時間が経過していたのだと思う。


 その、亜麻色あまいろの長い髪を後ろに伸ばし、耳の近くからそれぞれ小さな三つ編みを垂らした優美ゆうびはかなげな雰囲気ふんいきの少女が現れた。


啓太郎けいたろうさん……お久しぶりです……」


 過去かこ未来みらいに帰ってきた俺は、国枝くにえださんとの接触せっしょく機会きかいに、胸の中にある血潮ちしおを生み出すこころ臓器ぞうきを力強く拍動はくどうさせていた。



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