第9節 夜になるまえに


 その学校がっこうがえりに銀行ぎんこう十万円じゅうまんえん現金げんきんろした俺は、タクシーをんで悪友あくゆう三人さんにん一緒いっしょ駅前えきまえ繁華街はんかがいのカラオケで豪遊ごうゆう洒落しゃれんだ。


 もちろん全面的ぜんめんてきに俺のおごりだ。


 四人よにん一緒いっしょ二時間にじかん以上いじょう高校生こうこうせいらしくうたってさわいでんでべて、うたげわって、俺はふたたびタクシーにってウィークリーマンションの部屋へやかえってきた。


 ドアをめてスマホで時計とけいると、午後ごご七時半しちじはんすこぎたとこであった。


 俺はくついで部屋へやがり、制服せいふくのままベッドのうえ仰向あおむけにたおれこんで、おおきくいきく。


「……ふぅ」


――幸先さいさきいスタートではあった。


――萌実めぐみとは仲直なかなおりできなかったけど、それはまあいいとするか。


 しかし、これからどうするか。


 一応いちおう、カラオケでいするので夕飯ゆうはんはいらないと事前じぜんねえちゃんにスマートフォンの SMS でつたえてはおいた。


 天井てんじょう見上みあげたまま、スマホをてんにかざす。


 スマートフォンには、070ではじまる電話でんわ番号ばんごうともつぎのような表示ひょうじている。


『国枝かなで』


 あのコンビニエンスストアではたらいていた、亜麻色あまいろかみをした天使てんしのようなみお少女しょうじょ携帯けいたい電話でんわ番号ばんごうであった。


――どうして、一度いちどもかかってこないんだよ。


 国枝くにえださんと電話でんわ番号ばんごう交換こうかんしてから丸二日まるふつかやく四十八よんじゅうはち時間じかん経過けいかしたが連絡れんらくないままだ。


「ああ……ひとこころめるエスパーになりたい……」


 そんなつぶやきが俺のくちかられる。


 だが俺は、正真しょうしん正銘しょうめい普通ふつう高校生こうこうせいであり、エスパーとかじゃない。


 国枝くにえださんはあのあとすぐに公営こうえい団地だんちにあるとおもわれる自分じぶんいえかえったのであるから、そのばんのニュースでインタビューをけている俺の映像えいぞうて、なおかつおぼえのある俺のこえいたはずだ。


 月曜日げつようびばんは、日本人にほんじん旅行者りょこうしゃ七百ななひゃく億円おくえんちょうたからくじをてたというセンセーショナルな話題わだいに、どこのテレビきょくもニュースでおおきくあつかっていた。


 しかも当選者とうせんしゃ氏名しめい公表こうひょうする義務ぎむのあるアメリカのたからくじだったので、当選者とうせんしゃ実名じつめいうえした何回なんかい何回なんかいばれていた。


 大阪おおさかんでいる俺の親戚しんせきからも電話でんわがかかってきたくらいなのだから、埼玉県さいたまけんおなじこの国枝くにえださんがわからないわけはない。


――国枝くにえださんだったら、多分たぶんいまの俺だったら。


――一億いちおく二億におく、いや十億じゅうおく


――ゆるされるとしたら百億ひゃくおくくらいおくってしまうかもしれない。


 なにせ、俺があのたからくじをてずにんだのは国枝くにえださんのおかげなのだから。


 もし俺が、ねえちゃんにビールをたかられたにコンビニでたからくじをとしてから。


 国枝くにえださんがたからくじをっていかけてくれなかったら――


 きっといまも俺は、あのいえでいつもとわらぬ日常にちじょうおくっていただろう。


 つまり俺にとって、あのコンビニの少女しょうじょ人生じんせい恩人おんじんなのである。


――電話でんわをかけようか。


――でも、なんって電話でんわをかける?


――「いえーい、テレビてくれた?」とでもうのか?


 俺はベッドのうえよこになり、身体からだをくねらせてこころおくにあるどろのような憂鬱ゆううつからてくるうめきごえげる。


「ああぁぁぁ、うあぁぁぁぁぁ」


 自分じぶんでも、自分じぶんがヘタレで、臆病者おくびょうもので、自信じしんがこれっぽちもないということがいやというほどわかる。わかりたくないほどによくわかる。


――かれたいという欲求よっきゅうよりも、きらわれたくないという恐怖きょうふほうがずっとおおきい。


――中学ちゅうがく時代じだいに、ずっと萌実めぐみおもいをつたえられなかっただけのことはあるな。


――あいつなら、スポーツ少年しょうねんのあいつだったら、どうしただろうなこんなとき


――ああ、なさけない。本当ほんとうなさけない。本当ほんとう億万おくまん長者ちょうじゃか俺は。


 そんな自己憐憫じこれんびんおもいをかかえ、身体からだこしてがる。 


――とりあえず、ねえちゃんといもうと部屋へやってみるか。


 自分じぶんではどうにもならないこころよどみをむねなかいだきつつ、俺はとりあえずとなり部屋へやかうことにした。





 制服せいふくのままインターフォンをらすと、茶髪ちゃぱつショートカットの明日香あすかねえちゃんがおそらくだれかをたしかめもせずに元気げんきこえともとびらけてくれた。


 まねれられてその部屋へやがると、黒髪くろかみをツインテールにしているいもうと美登里みどりゆかにぺたりとすわってノートパソコンのちかくでピザをべていた。


「……あ、おかえり。おにいちゃん」

 そんな美登里みどり元気げんきそうなこえに、俺はかえす。

美登里みどり今日きょうはどこかにかけたのか?」


 すると、ゆかしりをつけてすわっているいもうと美登里みどりくちからチーズをばしつつこたえる。

「……かけるわけないし。一日中いちにちじゅううちでネットやってきなだけ課金かきんして音楽おんがくいて動画どうがて、電話でんわ一本いっぽんでご馳走ちそうとどいて、将来しょうらい心配しんぱいをしなくていい生活せいかつってひかえめにって最高さいっこう


――だめだこいつ、はやくなんとかしないと。


――このまま、堕落だらくするまんまんだ。


 俺があきれたいもうとていると、ねえちゃんがばしてピザを1ピースってくちはこぶ。


 俺はピザをもぐもぐしているねえちゃんにたずねる。

とうさんとかあさんは?」

「んー? なんかー、会社かいしゃめる引継ひきつぎとか、送別会そうべつかい準備じゅんびいそがしいってー」


「ああそう……」

 生返事なまへんじかえしたところ、ねえちゃんが言葉ことばつづける。

「それにねー、ちかいうちに豪華ごうか客船きゃくせん世界せかい一周いっしゅうするらしいから、あたらしいうちったらしばらく日本にほんにはかえらないらしいよー」


「はぁ!?」

 俺がこえげると、ピザのはしわった美登里みどりが俺のほういて、意気いき軒昂けんこうしゃべる。

「……わたしもついていくかどうかまよったんだけど、日本にほんでのネットとゲームの自堕落じだらく三昧ざんまい生活せいかつえらびました! きりっ!」


「きりっ、じゃねーよ!」

 俺がかえすと、ねえちゃんが「まーまー、かたいことはうことないってー」とかって俺のかたうでまわしてなだめてくる。


 俺はそんなねえちゃんにたずねる。

「で、ねえちゃんはどうだったんだよ? 大学だいがく?」


 ねえちゃんはたからくじにたったことがわかってからも、普通ふつう東京とうきょうにキャンパスがある大学だいがくって、普通ふつう部活ぶかつをやって、俺がアメリカにわたっていた週末しゅうまつから土日どにちにかけても普通ふつう仲間なかまんでいた。


「んー? 一応いちおう昨日きのうかれたからったよー?」


「どういうふうにだよ」

大学だいがく友達ともだちが『アメリカのたからくじてたの、名前なまえおなじだけど親戚しんせきとか?』っていてきたから、正直しょうじきに『あー、あれあたしのおとうとー!』ってかえしたけどー?」


 その屈託くったくのない笑顔えがおねえちゃんに、俺は再度さいどたずねる。


「で、友達ともだち反応はんのうは?」

「みーんなそろって、『そんなわけないでしょ!』だったなー」


 ああ、アホなねえちゃんで安心あんしんした。どんだけ普段ふだん適当てきとうなことをっているんだ。


 そして、美登里みどりが俺にいかける。

「……で、おにいちゃんはどうだったの? 高校こうこう?」


――え。


 美登里みどりいに、俺は若干じゃっかんだが演技えんぎこころみる。


「えーっと……普通ふつうだったよ、きわめて普通ふつう

 俺がそううと、美登里みどりちかくにいてあったノートパソコンをずらして画面がめんを俺にせる。


「……ふーん? 学校がっこう二千にせん万円まんえんくらい寄付きふする予定よていって情報じょうほうてるんだけど? すっごいちやほやされてたって情報じょうほうがってきてるんだけど? ガセ情報じょうほう? ファイブちゃんねるによくあるガセ情報じょうほう?」


 美登里みどりせたノートパソコンの画面がめんには、日本にほん最大さいだい電子でんし掲示板けいじばんである『ファイブちゃんねる』のページが表示ひょうじされていた。


 なんか、みたくないようなことも沢山たくさんいてある。


「これ、大丈夫だいじょうぶか? この居場所いばしょ特定とくていされてたりしないか?」

 俺がそうたずねると、美登里みどりこたえる。


「……一応いちおういまのところあきらかになっているのはおにいちゃんが元々もともとのあのうちんでいたってことと、かよっている高校こうこうたってことだけ。あとは海外かいがいげたとか、もうマフィアにころされたとか、北海道ほっかいどうにいたとかガセ情報じょうほうばっか。電子でんし情報じょうほう管理法かんりほう成立せいりつしててよかったね」


 ちなみに電子でんし情報じょうほう管理法かんりほうとは数年前すうねんまえ成立せいりつした法律ほうりつで、電子でんし情報じょうほうもとにテロなどの事件じけんきた場合ばあい、サーバー管理者かんりしゃ教唆犯きょうさはんとして一定いってい責任せきにんうという国際こくさい条約じょうやくもとづいた法律ほうりつである。


 その法律ほうりつ施行しこうされて以来いらい危険きけんだとされる情報じょうほうはほとんどが AI エーアイによってはじかれているらしい。


 俺は美登里みどりたずねる。

「それで掲示板けいじばんには、結局けっきょくどんなことがかれてんだ?」


「……よくある話題わだい。おにいちゃんのいま居場所いばしょさがせとか、おにいちゃんに土下座どげざしたら一億円いちおくえんくらいくれるんじゃないかとか、おとこだけどおにいちゃんと結婚けっこんするにはどうしたらいいのかとか、おにいちゃんのこえがキモくね? とか」


――最後さいごのはちょっとだけきずついたな、おにいちゃん。


 いもうと言葉ことばつづける。

「……たんなる嫉妬しっとだよ、嫉妬しっと掲示板けいじばんじゃ、もしいきなり数百すうひゃく億円おくえんれたらなん使つかうかっていう議論ぎろんわされてる。まずみなみしま別荘べっそううとか、旅行りょこう三昧ざんまいとか、一生いっしょうニートするとか、わたしたちとあんまりかんがえることはちがわない」


 その美登里みどり言葉ことばに、俺はかえす。

「あー……そりゃそうだろ。俺たちもついこのあいだまでこいつらとおなじで、そこらへんにいる一般いっぱん庶民しょみんだったんだから」


 すると美登里みどりかえす。

「……それよりもなによりも、十六歳じゅうろくさい男子だんし高校生こうこうせいがいきなり数百すうひゃく億円おくえんれたっていう厳然げんぜんたる事実じじつたいしての嫉妬しっとすごい。もう、これでもかってほどに渦巻うずまいてる。でもわたしは、そんな嫉妬しっとみるくらいに心地ここちいい」


「どういうことだよ?」

 俺がたずねると、をキラキラかがかせて美登里みどりかえす。


「……きっと以前いぜんわたしだったら、このひとたちとおなじように嫉妬しっとあふれたみをしてあおってたとおもう。でもいまちがう。てるものたざるもの境界線ボーダーラインのこっちがわにいるという愉悦ゆえつをしみじみとかんじる。余裕よゆうあるひとって、あおったりするすらなくなるものだってよくわかった」


――っていうか、いままであおってたのかよ美登里みどり


 なんとなく、こいつが不登校ふとうこうになってしまった真相しんそうえてきたようながする。


 そんなことをかんがえつつわがいもうとていると、俺からはなれてたねえちゃんがこえをかける。

「そーいやさー、みどりは家探いえさがしもしてくれてたんだよねー? いえつかったー?」


 その言葉ことばに、美登里みどりってましたとばかりにブラウザのべつウィンドウをける。

「……一応いちおう日本にほんにある物件ぶっけんをいくつもしぼんでおいた。一番いちばんのおすすめはおな埼玉県さいたまけんやまなかにあるもと温泉おんせん旅館りょかん天然てんねん温泉おんせんつきで十五じゅうご億円おくえん


 ウィンドウのなかには、随分ずいぶんひろ敷地しきちてられた三階さんかいての巨大きょだい日本にほん家屋かおく写真しゃしんやま背景はいけいにして表示ひょうじされていた。


 もちろん温泉おんせん施設しせつであることをしめ無人むじんひろやかな露天ろてん風呂ぶろ浴槽よくそうなどの写真しゃしんあわせて掲載けいさいされている。


随分ずいぶんふるそうだけど、ちく何年なんねんなんだ?」

 俺がたずねると、美登里みどりかえす。

「……旅館りょかんとしてひらかれたのは三百さんびゃく年前ねんまえ享保きょうほうってころからだけど、この建物たてもの大正たいしょう時代じだい初期しょきてられたものでちく百年ひゃくねんちょっと。一応いちおう無線むせんのネット環境かんきょうもあるって」


却下きゃっかだ、ふるすぎる」

 俺がかえすと、美登里みどり若干じゃっかんむくれる。

「……毎日まいにち温泉おんせんはいって、だらだらのんびりごすのって、日本人にほんじん理想りそう生活せいかつだとおもうけど」


維持費いじひすごいことになるだろ。そんなむかし温泉おんせん旅館りょかん維持いじするのにどれだけかかるとおもってんだ。却下きゃっか却下きゃっか

「……ぷー、けちー。三百さんびゃく億円おくえんっておいて」


 いもうとのふくれっつらに、俺は冷静れいせいさとす。

「あのな美登里みどりたからくじにたってからおにいちゃんも色々いろいろ調しらべたんだ。たけわなさぎる大金たいきんをいきなりれて、数年すうねんって破滅はめつしている人達ひとたち大勢おおぜいいたんだ」


 俺は、しっかりとはっきりと、あに立場たちば美登里みどりへの説得せっとくこころみる。

たからくじで大金たいきん破滅はめつしたひと大抵たいていは、散々さんざん浪費ろうひしたり、ぎた豪遊ごうゆうをしたりして、あっというまにおかねうしなったんだ。ドラッグやギャンブルにしたり、ひとわれるままにおかねくばったり、ぎゃくだれにもおかねわたさなかったのでうらまれてころされたり、本当ほんとう色々いろいろあったんだ」


 すると、美登里みどりちいさなくちかえす。

「……でも、三百さんびゃく億円おくえんだよ三百さんびゃく億円おくえん? そんなに簡単かんたんになくなるとはとてもおもえないけど」


 俺は、すこしだけ口調くちょうきびしめにしてかえす。

「いや、おかねなんてそのになればいくらだって使つかみちあるからな。自分じぶん自分じぶんにしっかりとセーブをかけなかったら、たとえ三百さんびゃく億円おくえんっていてもあっというになくなるぞ?」


 そこまでってあに立場たちばでしっかりといもうとさとしたところで、いもうとほほ不満ふまんげにぷくっとふくらませる。その様子ようす確認かくにんして、俺はふたたいきんで言葉ことばつづける。


「もし、俺じゃなくてねえちゃんがたからくじたったってって、記者きしゃ会見かいけんしてたらどうなってたとおもう? きっと大学だいがくからあっといううわさひろまって、わるはなしってくる大人おとながわらわら近寄ちかよってきてたぞ!? そしたら三百さんびゃく億円おくえんなんてあっというになくなってるぞ? ねえちゃん、ちょっと人並ひとなはずれて無邪気むじゃきなところがあるから」


 すると、ねえちゃんは若干じゃっかんれたかんじでくちひらく。

「いやー、そんなにあたしをめても、なんにもでないよー」


――いや、めてないから。


 俺がややかなねえちゃんをると、いもうとおおきくいきしてくちとがらせる。


「……ちぇー。おにいちゃんなんかまえにもして説教せっきょうくさくなって、ますますわたし旦那だんなさんっぽくなってる」


「いや、そこはおとうさんだよな? 旦那だんなさんじゃなくておとうさんだよな? そもそも俺、美登里みどり正真しょうしん正銘しょうめいのおにいちゃんだし」


 そう俺がかえすと、ねえちゃんが豪快ごうかいこえす。

「ばっかだなー、啓太郎けいたろうー! 二十にじゅう億円おくえんもらって性格せいかくわっちゃったおとうさんもおかあさんもそんなことわけないじゃないー!」


――ねえちゃんはくちじておいてくれ。


 そんないたいこともえずに俺は「風呂ふろはいってるよ、おやすみ」とだけってその部屋へやあとにした。




 

 俺は部屋へやふたたび、制服せいふくのままで仰向あおむけにベッドに寝転ねころんだ。LED蛍光灯けいこうとう設置せっちされたあかるい天井てんじょうかって右手みぎてばす。


 そしてつぶやく。

「……魔物まもの、か」


 下校時げこうじに、花房はなぶささんにたとえられた言葉ことばあたまうらいている。


――結局けっきょく、俺に危険きけんさとしたのは悪友あくゆうほかには花房はなぶささん一人ひとりだけだったな。


――かね魔力まりょくかれて、自分じぶん自身じしん見失みうしなったらおしまいだ。


――せめて俺は、三百さんびゃく億円おくえんというちょう大金たいきん依存いぞんしないようにしないとな。


 そんなことをかんがえつつ、よるになってあかるくかがや天井てんじょう照明しょうめい背景はいけいに、俺はかかげていたてのひらかたにぎめた。




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