第5節 シンデレラマン

 


 たからくじがたったことがわかってから八日後ようかごのこと。

 十月じゅうがつ第一だいいち月曜日げつようび夕方ゆうがた東京とうきょうのとあるホテルの一室いっしつにて、俺はテレビ画面がめんなかうつされたワイドショー番組ばんぐみていた。


 テレビモニターのなかには、サングラスをかけてキャップぼうかぶった俺がうつっている。


 画面内がめんないの俺は、カメラマンがはなつフラッシュのひかりなくつづけている。


 これは、現地げんち時間じかん一昨日おとといになる土曜日どようび夕方ゆうがたひらいた記者きしゃ会見かいけん録画ろくが映像えいぞうだ。


 アメリカのたからくじというのは日本にほんたからくじとはことなり、大抵たいていしゅう当選者とうせんしゃ氏名しめい公開こうかいする義務ぎむがあるということだった。


 そして、氏名しめい公表こうひょうされるしゅうではこういうふう記者きしゃ会見かいけんひらくのが慣例かんれいとなっているらしい。


 右上みぎうえほうには『日本人が快挙! 超高額宝くじ当選!』との文字もじがある。


 そして俺の映像えいぞうしたには、当選者とうせんしゃ実名じつめいがしっかりとカタカナで表示ひょうじされている。


 フラッシュがかれつづけられているなかで、リポーターの一人ひとり画面がめんなかの俺にインタビューする。

「タチバナさん! おかねなに使つかうつもりですか!?」


 すると、画面がめんなかの俺は若干じゃっかんたかこえでこんなことをう。

「え……えーっと……まだ全然ぜんぜんめていませんが……とりあえず預金よきんして……家族かぞくのために使つかおうとおもっています……」


――俺ってこんなこえだったのかよ。


 そして、べつのリポーターが画面がめんなかの俺に質問しつもんする。

「タチバナさん! いま一番いちばんしいものはなんですか!?」


「え……えーっと……なんでしょうか……こんな大金たいきんたことに、自分じぶんでもびっくりしているので、いまはまだめられません……」


 画面がめんなかの俺は、あからさまにテンパっていた。


――てられねえよ。


 リポーターのこえひびく。

「タチバナさん! ピースしてくれませんか!? ピース!?」


「あ……はい、こうですか?」


 モニターないの俺がピースをすると、一斉いっせいにフラッシュの明滅めいめつまたたいた。


――もう正直しょうじきにたい。


 ずかしくてもう、てもってもいられない。


 そんなことをおもいながら、ホテルのちいさな部屋へやにある一人用ひとりようソファーにすわり、ただただおのれひざわせてそのうえ両手りょうてんでにぎっていた。


 コンコン


 ノックのおとがした。


 俺はなにわずソファーからがり、ドアに近寄ちかよってドアスコープからそとのぞく。


 ドアのそとには、スーツをてネクタイをめた黒縁くろぶち眼鏡めがねをかけた知的ちてきそうな長身ちょうしん黒髪くろかみ青年せいねんが、ビジネスバッグをって一人ひとりだけでっている。


 俺はこえす。

島津しまづさん? 一人ひとりですか?」

「ああ、まわりにはだれもいないよ。はいってもいいかな?」


いまけます」

 そうって俺はロックバーをはずし、かぎけてゆっくりドアをける。


「どうぞ、はいってください」

失礼しつれいするよ」


 その眼鏡めがねをかけた黒髪くろかみ男性だんせいすみやかに俺のいる部屋へやはいる。


 このひと名前なまえ島津しまづ清昭きよあきさん。


 両親りょうしんがハワイでった弁護士べんごし先生せんせいである。


 三十歳さんじゅっさい弁護士べんごし男性だんせいいていたので、まえ中年ちゅうねんのオジさんのようなかんじかとおもっていたのだが、ってみたら意外いがい若々わかわかしくてたかいスマートなおにいさんといった印象いんしょうであった。


 アメリカに本部ほんぶがあるたからくじの運営うんえい会社がいしゃへの連絡れんらく飛行機ひこうきチケット予約よやく記者きしゃ会見かいけんスケジュール設定せってい手配てはい親権者しんけんしゃによる同意書どういしょ委任状いにんじょうとう作成さくせい、アメリカへの旅程りょていい、重要じゅうよう会話かいわ通訳つうやくなどは、全部ぜんぶこのひとにおねがいしたのであった。


 週末しゅうまつ一緒いっしょにアメリカのハワイしゅうわたり、現地げんち時間じかん金曜日きんようび高額こうがく当選とうせんきん小切手こぎってった俺はそのままハワイにある日系にっけい銀行ぎんこうかい、島津しまづさんの指示しじどおりに、日系にっけい銀行ぎんこう換金かんきんした小切手こぎってのおかねをあらかじめ日本にほんつくっておいたメガバンクの外貨がいか預金よきん口座こうざ送金そうきんしたのであった。


 そして翌日よくじつ土曜日どようび夕方ゆうがたに、んでいたマスコミを相手あいて記者きしゃ会見かいけんひらき、現地げんち時間じかん昨日きのう日曜日にちようびあさとも飛行機ひこうきり、日付ひづけ変更線へんこうせんまたいで今日きょう月曜日げつようび昼過ひるすぎに日本にほん到着とうちゃくして、俺だけこの東京とうきょうのホテルにチェックインした、というわけである。


 ドアをめた俺は、島津しまづさんにたずねる。

進展しんてんがあったんですか?」


 すると、島津しまづさんが明朗めいろうに俺に伝える。

「ああ、きみ外貨がいか預金よきん口座こうざにドルてで入金にゅうきんがあったという確認かくにんれた。おめでとう、きみはもう億万おくまん長者ちょうじゃだ」


「そうですか……なんかまだ、実感じっかんないですけど……結局けっきょくいくらになったんですか?」


 俺がたずねると、島津しまづさんが答える。

「まず、当選とうせん金額きんがくは7おく1000まんドル。しかしこれは、三十さんじゅうねん分割ぶんかつ当選金とうせんきん場合ばあいかぎられる。きみ一括いっかつでのりをのぞんだので、62%にって4おく4020まんドルに。そして、アメリカの連邦税れんぽうぜい30%が源泉げんせん徴収ちょうしゅうかれて3おく814まんドルが入金にゅうきんされたことになる」


「それで税金ぜいきんわりですか?」

「いや、来年らいねん確定かくてい申告しんこくさら日本にほんおさめるべき所得税しょとくぜい住民税じゅうみんぜいがかかるんだ。アメリカのたからくじでたった賞金しょうきん日本国にほんこく税務上ぜいむじょう一時所得いちじしょとくとして換算かんさんされ、22%ほどを所得税しょとくぜいとして、5%ほどを住民税じゅうみんぜいとしておさめなくてはならない。だけど、日本にほんとアメリカは租税条約そぜいじょうやくむすんでいるから、確定かくてい申告しんこくさい連邦税れんぽうぜい納付のうふ書類しょるい添付てんぷして外国がいこく税額ぜいがく控除こうじょ申請しんせいおこなえば最終的さいしゅうてきには控除こうじょされることになる」


「ってことは……とりあえずどうすればいいんですか?」


 そうたずねると、島津しまづさんは俺にげる。

来年らいねん日本国にほんこく一時所得いちじしょとく税金ぜいきんとしておさめなければいけない27%ほどのおかねは、ねんのためきみ名義めいぎ使つかった別口座べつこうざべつのメガバンクにつくって、をつけないおかねとして確保かくほしとけばいいよ。ちゃんと申請しんせいをすれば控除こうじょされるはずのおかねだから、るわけじゃなくて一時的いちじてきべつ口座こうざけるだけとかんがえていいかな」


「そうですか……そのあたりは俺はわからないので、島津しまづさんにおまかせします」

「ああ、担当たんとうするのは僕じゃないけどね。うちの事務所じむしょには国際こくさい会計かいけい担当たんとうしている会計士かいけいしさんもいるから、そのひとまかせることになる」


 島津しまづさんはそんなこといつつ、ビジネスバッグをベッドのうえろして書類しょるいす。

「じゃあこれ、費用ひよう税金ぜいきん申請もうしこみ業務ぎょうむ代行だいこう請求書せいきゅうしょ二週間にしゅうかん以内いない支払しはらってくれたらいいから、きみわたしておくよ」


 俺は、島津しまづさんから書類しょるいる。


 そこには、島津しまづさんのつとめる法律ほうりつ事務所じむしょ支払しはらわなければいけない金額きんがく記載きさいされていた。


 その金額きんがく百万ひゃくまんえんえるが、二百万にひゃくまんえんにはとどかない金額きんがくであった。


 俺は島津しまづさんにたずねる。

「えっと……最終的さいしゅうてきに俺の手元てもとのこるおかねが3おくドル以上いじょうってことは……日本円にほんえんでどれくらいでしたっけ?」

かりいちドルを110えんとして計算けいさんすれば、330億円おくえん以上いじょうだね」


 つまり、俺は今日きょうから三百さんびゃく三十さんじゅう億円おくえん以上いじょう大金たいきん自由じゆう使つかえる身分みぶんになってしまったわけである。額面がくめんだけをくと、とんでもない大金持おおがねもちだといえる。


 それなのに、請求せいきゅうされた金額きんがく二百万にひゃくまんえんらずなのである。


 俺は島津しまづさんにつたえる。

「俺、一億円いちおくえん二億円におくえんくらいはらうのかとおもってました」


 すると、島津しまづさんは軽快けいかいわらう。

「ははは、そりゃいまきみにとっては簡単かんたんせる金額きんがくなんだろうけどね。うちは一応いちおうまっとうな事務所じむしょだから、相手あいてにふっかけた金額きんがく請求せいきゅうするなんてことはしないよ」


「そうですか、両親りょうしんったのがまっとうな事務所じむしょかたかったです」

 俺がそううと、島津しまづさんがこんなことをった。

「しかし啓太郎けいたろうくん、きみはこれから大変たいへんになるよ。なにしろかお名前なまえがワイドショーでてしまったんだからね」


「そうですね……マスコミとかもうちるんでしょうか」

「そうだね。テレビでこえ放送ほうそうされたから、学校がっこう同級生どうきゅうせい近所きんじょひとにはすぐにわかったとおもう。いま時代じだいは SNS が発達はったつしているから、すぐにきみ住所じゅうしょ周知しゅうちのものになるだろうね。僕はなるべくはやく、セキュリティのしっかりしたマンションに引越ひっこしすることをおすすめするよ」


 その言葉ことばに、俺のあたまなか国枝くにえださんのかおかんだ。


 ワイドショーで俺のかおこえとも当選者とうせんしゃ氏名しめい放送ほうそうされたということは、国枝くにえださんがワイドショーをたとしたらすぐにわかるだろう。国枝くにえださんにはこのまえ名前なまえつたえたばかりなのだから。


 島津しまづさんは言葉ことばつづける。

「それよりこわいのは、家族かぞく誘拐ゆうかいだね。きみはおねえさんといもうとさんが一人ひとりずついるといているけど、とくにその二人ふたりかお絶対ぜったい公開こうかいしちゃいけない。きみ自身じしんもなるべく移動いどう手段しゅだんとして安全あんぜん方法ほうほう移動いどうしたほうがいい。明日あすになったら朝一番あさいちばんでウィークリーマンションにはいるなり、ホテルを使つかうなりして仮住かりずまいの宿やど確保かくほして、そしてあらためて新居しんきょさがすべきだね」


 そんなことや、もう三点さんてんほどの注意ちゅうい事項じこう島津しまづさんからいた俺はおれいう。


「ありがとうございます。また色々いろいろ問題もんだいとかがこるとおもいますので、そのとき相談そうだんってくれますか?」


 すると、島津しまづさんはスーツのポケットからスマートフォンをした。

「じゃあ、僕のプライベートの携帯けいたい電話でんわ番号ばんごうおしえておくよ。なにこまったことがあったら、SMS で連絡れんらくしてきてくれるかな」


 俺は自分じぶんのスマートフォンに、島津しまづさんの電話でんわ番号ばんごう登録とうろくする。


 と、そこであたまなかにあるかんがえがかんだ。


――国枝くにえださんにも、しばらくえなくなりそうだな。


 たからくじがたったことがわかってからの平日へいじつ五日間いつかかんは、学校がっこうがえりに様々さまざま用事ようじがあっていそがしかったので、国枝くにえださんとはまったくっていなかったのであった。


――よし、国枝くにえださんの連絡先れんらくさきこう。


 そんなことおもいつつ、俺は荷物にもつりまとめてホテルの部屋へやあとにした。





 東京とうきょう都心としんにあるホテルのチェックアウトをませてから、埼玉県さいたまけんにある俺のいえまでの行程こうていは、ホテルがんでくれたタクシーを利用りようすることにした。


 うしろでかみさむらいみたいにちいさくしばっている、四十代よんじゅうだいなかばほどのしぶ精悍せいかん顔立かおだちの男性だんせい運転手うんてんしゅさんは「都心としんから埼玉県さいたまけんのあのあたりまでは一万円いちまんえん以上いじょうかかりますよ」とってくれたのだが、俺が「かまいませんよ」と了承りょうしょうしたら笑顔えがおかえしてくれた。


 と、いうわけで俺のってるくろいタクシーはいま都心部としんぶから埼玉県さいたまけんかう道路どうろうえはしっていた。俺のちかくには、かたひもきのおおきめのバッグがいてある。


 本多ほんだ楽保よしやすさんというであると掲示けいじされている背中せなかひろ運転手うんてんしゅさんが、ハンドルをにぎりながらうしろにいる俺にこえをかける。

「いやー、一万円いちまんえん以上いじょう使つかってくれるおきゃくさんはひさしぶりですよ。おきゃくさん、高校生こうこうせいくらいにえますけど、もしかしたらどこかの御曹司おんぞうしさんとかですかね?」


 後部こうぶ座席ざせきすわっている俺はかえす。

「えーっと、……まぁそんなかんじです」


 そんなこたえをしていると、前部ぜんぶのラジオからニュースがながれてきた。

「……なんと、七百億ななひゃくおくえんたからくじで小切手こぎってった超幸運ちょうこううん日本人にほんじんは、まだ十六歳じゅうろくさい少年しょうねんだというのです……」


 そんなラジオ音声おんせいいて、運転手うんてんしゅさんが俺につたえる。

「そうそうおきゃくさん、きましたか? たからくじで七百億ななひゃくおくえんてた日本人にほんじん少年しょうねんはなし


「あ……はい、テレビでやってましたね」

七百億ななひゃくおくえんなんて、ゆめがありますねー。私もむかし一攫いっかく千金せんきん夢見ゆめみったりもしたんですがね、数千すうせんえんたったのがせきやまでした」


「あーっと……もう結構けっこう世間せけんでは話題わだいなんですかね?」

 俺がたずねると、運転手うんてんしゅさんは背中せなかこたえる。

「そりゃぁもう、一番いちばんはじめにニュースがながれたのが今日きょう昼過ひるすぎでしたからね。今日きょうばんには会社かいしゃ学校がっこうからかえってきたひとたちがみんな話題わだいにするでしょうね」


――ってことは、国枝くにえださんはまだワイドショーをてない可能性かのうせいがあるのか。


 そんなことをおもっていた。





 タクシーが埼玉県さいたまけんはいってから随分ずいぶん街中まちなかはしって、だいたいよくっている住宅街じゅうたくがいかった。


 タクシーはいま、俺のいえちかくにある片側かたがわ二車線にしゃせん道路どうろうえはしっている。太陽たいようしずんでもない、あき薄暗うすぐらよいくちとなっている。


 俺は運転手うんてんしゅさんにつたえる。

「このみちをしばらくくとひだりに『ペタルマート』っていうコンビニがあるので、そこでろしてください」


 運転手うんてんしゅさんはこたえる。

「へぇー、あそこのコンビニのちかくなんですかい」


 しばらく走行そうこうつづけると、左手ひだりてほうに『Petal Mart』とかれた看板かんばんがあるコンビニがはいった。


 国枝くにえださんはまだ、バイトちゅうだろうか。


 タクシーが薄暗うすぐらなか蛍光灯けいこうとうひかりはなつコンビニのまえ停車ていしゃする。そして運転手うんてんしゅさんがメーターをって俺にげる。

「はい、到着とうちゃくいたしました。14030えんです」


 その言葉ことばに、俺は財布さいふなかる。アメリカにわたさい父親ちちおやからかなりおおくのおかねあずかってあったので、まだまだ余裕よゆうだった。俺は一万円いちまんえんさつ二枚にまいかかげる。


「どうぞ、二万円にまんえんです」

「はいはい、ちょっとってくださいね。おつりがえーっと……5970えんですね」


 おつりりないのか、一万円いちまんえんさつ二枚にまいった運転手うんてんしゅさんは運転席うんてんせきちかくにいてあったキャッシュケースをける。

「えーっと……小銭こぜに小銭こぜに……」


 運転手うんてんしゅさんがおつりかぞえるのにまごまごしてるのでまどそとてみたら、四角しかくふくらんだコンビニぶくろ手提てさぶくろった国枝くにえださんがコンビニの自動じどうドアから出て、夕暮ゆうぐれのまちもうとしているところがはいった。


――まずい、このままじゃ見失みうしなう。


 そうおもった俺は、運転手うんてんしゅさんに大声おおごえつたえる。

「おつりはもういいから! ドアけてください!」

「ああ、そうですか? ありがとうございます」


 まえのドアがけられ、俺はバッグをかたからげて大急おおいそぎで国枝くにえださんにかってける。


「おーい! 国枝くにえださーん!」


 俺は大声おおごえで、車道しゃどう沿いの歩道ほどうある国枝くにえださんへとこえをかける。

 しかし、ひろ車道しゃどうはし自動車じどうしゃ走行音そうこうおんにかきされ、国枝くにえださんは俺のこえ気付きづかないようであった。


 ちかくにった俺は、とどきそうな距離きょり国枝くにえださんにうしろからびかける。


国枝くにえださん!」


「あっ……!!」


 ドサリ


 吃驚びっくりした彼女かのじょきざまにとしたのは、弁当べんとう複数ふくすうはいったコンビニぶくろであった。


「あ! ごめん! ひろうから!」

 俺は大慌おおあわてで、彼女かのじょちかくにちたふくろひろう。


 ひるがえした国枝くにえださんは、おどろいた様子ようすで俺を凝視ぎょうししていた。


「あの……としましたよ?」

 俺がそううと、国枝くにえださんはわれかえったようになる。

「あ……たちばなさんでしたか、びっくりしました……もう一週間いっしゅうかんくらい姿すがたせないから、なにかあったんじゃないかと心配しんぱいしましたよ……」


 そこで、国枝くにえださんはすこしだけ微笑ほほえんで言葉ことばつづける。

「でも……病気びょうきとか事故じことかじゃなくてかったです……」


――天使てんしかこの


 俺がそうこころなかおもいつつ、国枝くにえださんに弁当べんとうはいったコンビニぶくろわたす。


 しかし、こんなこたえがてくるということは、彼女かのじょはまだテレビをてないってことだ。


 そして俺は、すこ躊躇ためらいながらつたえる。

「えっと……俺じつは、家庭かてい事情じじょうすことになって。だから、まえのように頻繁ひんぱんにはここにれなくなるとおもいます」


 すると、国枝くにえださんはすこしだけ、そこはかとなくかなしそうなかおせた。


 俺は言葉ことばつづける。

「あ、にしないで。不幸ふこうなことが理由りゆうじゃないから。むしろいいことがあったんで……それで、えっと……よかったら途中とちゅうまでおくります。いいですか?」

「では……おねがいします……」


 国枝くにえださんの了承りょうしょうに、俺は車道側しゃどうがわとなりあるはじめる。


 中々なかなか連絡先れんらくさきせないまま、国枝くにえださんと一緒いっしょ夕方ゆうがた歩道ほどうあるく。


 ちきしょう、俺はなんでこんなにヘタレなんだ。


 拒絶きょぜつされるのがこわくて中々なかなか連絡先れんらくさきくことができない。


――俺はいま億万おくまん長者ちょうじゃなのに。


 そして、みちなりにあるいてすこはなれたところまでやってきたところ、公営こうえい団地だんちがある区画くかく入口いりぐちにて国枝くにえださんは俺にかるあたまげる。 


「では、わたしはこれで……おくってもらってありがとうございました……」

 国枝くにえださんのれないみがこころさる。


 一歩いっぽ一歩いっぽゆっくりっていく国枝くにえださんの背中せなかて、俺は勇気ゆうきしてけっする。


「あの! 俺と RINEライン 交換こうかんしてくれませんか?」


 すると国枝くにえださんはゆっくりく。そして、あたまげて俺につたえる。

「ごめんなさい……それはどうしてもできないんです……」


――ああ、やっぱりかよ畜生ちくしょう、せっかく勇気ゆうきしたのに。


 そんなことをおもった直後ちょくごあたまげた国枝くにえださんがつづけた言葉ことばつぎのようなものだった。

「わたし、スマートフォンってないんです……携帯けいたい電話でんわ電話でんわ番号ばんごうでいいですか?」


 手提てさぶくろからガラケーを国枝くにえださんのこえに、俺はあわてる。


「あ! は、はい!」


 そんなこんなで、俺はスマートフォンをポケットからし、国枝くにえださんと電話でんわ番号ばんごう交換こうかんした。


 そして、国枝くにえださんがすこもうわけなさそうなかんじで俺のくちひらく。

「でも、この電話でんわ番号ばんごうはお祖母ばあちゃんと共用きょうようなので……もしかしたら一緒いっしょらしているお祖母ばあちゃんがるかもしれません……そのときはごめんなさい……」


 国枝くにえださんのしんのあるしずかなこえに、俺はれたかおかえす。


――やっぱり、すぐにかった。


 億万おくまん長者ちょうじゃでもなんでもない、一人ひとり人間ひととして以前いぜんおなじようにおくられた言葉ことば。それがなによりうれしかった。

 

 

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