第3話

 鷲野主任は、誰にでも好かれているイメージがある。この人を嫌いな人なんていないと思う。ああ今日も私は胃が痛い。どうしてこんなに胃が痛いんだろ。やっぱり日頃の食生活が悪いのかなぁ。うーん。お酒も最近はワインしか飲んでないし、あ、でもこの前泡盛と焼酎を飲んだ。これが原因だったりする? わっかんないな。私がわかるのは、今日も太田さんが後輩に優しく仕事を教えている。私も太田さんのチームだったら良かったのになぁ。見ているだけで落ち着くんだよねぇ。イケオジって実在するんだなぁ。

「ちーっす! 安達ちゃーん! 資料できたー?」

「あ、はい。これです」

 鷲野主任に仕上がった資料を手渡す。ぺらぺら捲って確認が済むと、すぐに返された。ダメだった?

「さすが安達ちゃん。完璧だね。じゃあこれ、太田さんに渡しといて」

「ふぇ?」

「アタシは、ちょっち別件入っててさ。頼んだよー!」

 親指をグッと立ててサムズアップすると、鷲野主任はフロアーから出て行ってしまった。鷲野主任の上司は、太田さんだ。この資料は最終的には太田さんの手へと渡る。そんなことくらいは、私でもわかる。でも、私の手から太田さんへ渡すなんてことは初めてだ。鷲野主任がチェックしてくれたから問題は無いし、鷲野主任から「渡しといて」と頼まれたから、おかしい点はない。ただ、私から太田さんに話しかける勇気が少し無いだけだ。ああ、胃がキリキリしてきた。死んじゃいそう。私はデスクに突っ伏す。ああ、早く太田さんに届けに行かなきゃいけないのになぁ。胃痛が治ったらにしよう。他の案件を終わらせたらにしよう。とりあえず、胃が痛い。体を起こすと、レモンライムの香りがした。

「安達ちゃん大丈夫?」

「ほわっ!」

 驚いて変な声を出してしまった。太田さんは目をパチクリさせると、にこりと微笑んだ。きめの細かいほうれい線から渋みを感じる。微笑んだまま私のデスクにある資料を手に取った。私が鷲野主任から「渡しといて」と言われたあの資料だ。これじゃあ取りに来させてしまったみたいになる。つらいなぁ。私がオロオロしていると、太田さんはポケットから何かを取り出して、私のデスクに置いた。カラフルな包み紙の飴が3つ。

「資料できあがったんだね。いつも仕事が早くて助かるよ。これは頑張り屋さんな安達ちゃんへのご褒美」

「あ、あああ、りがとうございます!」

 ドキドキして変にドモッてしまった。胃痛は治る。この人と話していたらなんでかいつも胃痛が治る。不思議。イケオジだから? そんなことはないか。

「この飴。インスタ映えすると思うんだ」

「太田さんインスタされてるんですか?」

「ハハッ。こんなオジサンのインスタなんて誰も見ないと思うよ」

 いえ、私のようなものが見ます。とは流石に答えられない。いつもより長めに話せて嬉しい。ああ、やっぱりキレーだなぁ。良い香りもする。

「胃が痛くなったら、いつでも俺を頼りなさい。それじゃあね」

「あ、はい……」

 太田さんって、自分のこと「俺」って言うんだ。いつも「私」と言っていたような気がするんだけど……は! もしかして、意外な一面を見てしまった? 普段は「私」のイケオジ紳士は、素だと「俺」ってこと? なにそれズルい。私はキュンキュンする胸を押さえながら、貰った飴を1つ、舌で転がした。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る