高山テキスタイル株式会社 -経営者たるもの-

「あ、小森課長さんですか、お世話になります、高山です。あ、はい。ちょっとね、今日もらった図案なんですけどね、色番があっちにもこっちにも書かれて意味不明なんですよ、え? そうですそうです。しょうもない柄なんですけど色が分かりにくくて困ってるんですわ、え? はい。いや、これ課長さんが書かはった字ですわ。はい、え? 僕が、ですか? いやー、まーちょっとわかるかどうかわかりませんけど適当にやってみますわ。はい」

 ガチャっと受話器を下ろした豪は電話横に置いた図案を持ち上げると、ぶつぶつ独り言を喚きながら自分の机に戻り、隣の篤郎に図案を差し出した。

「仲瀬さん、ちょっと見てくれはりますか。小森のおっさん、あっちにもこっちにも色番打っては間違えたとか言うて別番号書きよるさかい、どの色がどの番号か分からんなってもうとるんですわ」

 紀ノ川への納品から帰ってきた豪が図案の指図作業をしている際であったので、辻崎よろしく我関せずと自社トレースを進めていたのだが、篤郎には子守りの役目からは逃れることは出来ない。

「ほんまですね、同系色で階調が分かりにくいですね。でもこれ、打ち合わせで聞いてこられたんでしょ?」

 同意はするものの、先程の電話のやり取りでおよその打ち合わせ風景が目に浮かぶ。図案の発注元お客様にしょうもない柄とかどの口が言うんだろうと呆れるばかりである。

「いやいや仲瀬さん、おっさんの打ち合わせなんか無茶無茶ですわ。色番書いては消し、書いては消しであとは分る範囲でやってくれって丸投げなんですわ。他の図案から進めるんでちょっと仲瀬さん、こんな場合どうしたらいいかよう知ってはるでしょう。ちょっと見てもらえませんか」

「はぁ」

 豪は丸投げされたと主張する図案を仲瀬に丸投げすると、難は去ったとばかりに次の図案作業に取り掛かり始めた。

 篤郎は押しに負けたと言うよりは、馬鹿さ加減に気が失せ止むを得ず受け取ったと言う方が正解だろう。図案を眺めると同じ色に別番号が打たれていたり斜線で消した後などが入り乱れており、確かに分かり難いのではなく分からない。しかしそれは他人の力を頼った場合であり、自分で一から見直すと大方の濃い薄いの色番を捉えることが出来る。豪が分からないのは自分で考えないからに過ぎない。

「豪さん、大体この色順で問題ないと思いますけど、色が混ざってどちらの色とも言えない箇所がありますけど、ここはどうします?」

「仲瀬さん、ちょっとそれは小森課長に直接電話で聞いてもらえます?」

 押し付けた作業はすでに無関係とばかりに面倒そうに豪が答えた。

「電話の窓口をいくつも分けるのは伝達ミスの元だと思いますけど。直接聞いてこられたん豪さんでしょ」

「あのおっさん、こっちを陥れようとしとるんですわ。ミスするようにミスするように分からんように言いよるんやで、こんなしょうもない柄で手間取らせんなって思いませんか?」

 小学生の終わりの会で反省させられる際の子供が言い訳するように豪が愚痴ると、

「客先相手にしょうもない柄とか言うのはどうかと思いますけどね。陥れるとかってそんな事を考える会社がある訳ないですやん」

 初めに厳しく、そして後半を冗談めかして調整したつもりが豪には通じなかった。

「とにかく、電話は仲瀬さんしてもらえますか、お願いします。お願いします」

 豪は目を真っ赤に充血させ、頑とした眼差しは篤郎を正面から捕えて連呼する様はすでに狂気地味ており、流石に篤郎もこの時ばかりは腰を引けてしまい、

「小森課長に取り付いてもらえればいいんですね。短縮何番ですか?」

 そう言うのが精いっぱいだった。

「短縮00で掛けてもらったら大概小森課長出てくれますわ。仲瀬さん。忙しいのにすいませんね」

 豪の眼がいつもと同じに戻り、口調も落ち着いていた。

 瞬時に切り替わる豪の豹変に、篤郎が立ち上がり際に目の合った栞里も同じように空恐ろしく感じていた。

「もしもし、高山テキスタイルの仲瀬と申します。はい、いつもお世話になります。小森課長を、あ、ご本人様で? すいません。先ほど電話させていただいた型番32114の図案ですけど、はい。一部絵の具が混ざってどちらともいえない箇所があるんです。はい。分かりました。絵の柄粋に合わせてこちらで決めさせてもらいますね。はい。ありがとうございます。」

 篤郎が紀ノ川染工の小森との電話を終え受話器をそっと下ろすと、豪はそのタイミングを見計り、片手を手刀の形で顔の前に上げて篤郎にお礼の合図を送った。

「そういう事ですし、スキャンデータに色順と今の補足説明を書いておきますんで、それを指図に使ってください。」

「ありがとうございます、仲瀬さん、助かりました」

 豪はいつものペコペコバッタよろしく頭を何度も下げて篤郎にお礼を言ったが、心に思ってない人間ほど身振りがワザとらしいいい見本である。


 翌日、朝から小森課長から電話があり、松永豊美からトレース室に内線が鳴った。

『豪ちゃん、小森課長から。すぐに電話に出てもらえる?』

 ビジネスフォンの濁ったスピーカーからでも豊美の切羽詰まった口調が聞き取れた。

「朝からなんやねん、今座ったばかりやのに」

 そんなつまらない文句を吐きながら豪が電話に出ると

『専務さんか、昨日納品してくれた枠な、樹脂塗ってないのが一枚混ざっとったんやけど、あれなんでやろ?』

「ええ!? そんなんありましたか。いや、僕が積んだん違うんで分からな知らなかったですわ。瀬田によう言うときます」

『誰がどうとかはいいんや。なんでそんな事になったんかを聞いてるんやわ』

「ええ??」

 豪は受話器の口側を押さえながら

「誰やねん、しょうもないことやってくれるわ」

 とキョロキョロ辺りを見渡し、右足は貧乏ゆすりをカタカタ震わせた。今すぐにでも誰かに怒鳴りつけたい気持ちが昂るも、トレース室の面々にはそれは出来ない。

『ま、とりあえず、専務さん、どうするんや?』

「次の納品時に必ず枠を持っていきますので型番…」

『次っていつの次や? 今日すぐに持ってきてくれはらへんのんか?』

「ええ? 今日ですか? それは分りましたけど今日新柄って入ってますか?」

『…今日は無いかもしれんな』

「そしたら次の納品時に合わせて持っていきますので型番教えてください」

『…32083の七番の型や。ほしたら次でいいさかい、持ってきた時なんでそうなったんか教えてくれるか』

「はい、わかりました、小森課長、すいませんでした。ほんま瀬田のおっさん!」

 ガチャっと受話器を叩きつけると、豪は型番を控えたメモ用紙を持ってトレース室を飛び出した。

「なんやったんやろ?」

「さぁ? でもなんかやらかしたんは間違いなさそうやな。私ら以外で」

 篤郎と栞里が笑いながら話していると、

「ちょっと、聞いた?」

 トレース室の裏口から豊美が入って来ると、二人の笑いも一気に失せて緊迫感が漂った。

「何かあったん? 瀬田さんがどうとか豪ちゃん言うてはったけど」

 栞里が座りながら椅子を後ろに引いて検修台に腕を置いて豊美と向かい合う。

「昨日の納品の時に樹脂ひいてないのが一枚あったんやって。多分一枚素焼きして樹脂ひくのん忘れたままトラック積んでしまったんみたいやわ」

 豊美にも思い当たる節があり動揺していた。素焼きとは、通常インクジェットで焼いた型に樹脂を塗り、樹脂が乾いたのちに絵刷りをするのだが、時間の都合から絵刷りを済ませてから樹脂を塗る事がある。インクジェットで焼いてすぐに絵刷りをするため素焼きと言うのだが、樹脂詰まりの不良や樹脂塗り後の刷りとの格差を生じさせるためデメリットの方が多かった。

「あっちゃー、なんで一枚だけ…」

 栞里が声を上げると同時に豪がトレース室に駆け込んできた。

「あ、松永さん、ここにいたんか。昨日の納品時に…」

「一枚樹脂の引き忘れがあったんやろ。最初に小森さんから電話で聞いたんや」

 豪が息を継ぎながら言うより先に豊美が言った。

「なんでこんな事になるんや。今も瀬田さんとこ行って来たら、わしも積むとき数枚挟んで乗せるから気がつかんかったって、自分らプロやろ。気が付かんってなんやねん」

「そんなん私に言われても…」

「豪さんも一緒に行ったんでしょ? 豪さんは積み荷のチェックしてはれへんかったんですか? 僕は知らんでは許されんでしょう」

 豪が無遠慮に豊美に噛み付くのを篤郎が割って止めた。

「俺は柄をもらいに行ったんであって配達じゃないですわ、仲瀬君」

 箍が外れた時に出る”俺”が発動された。いつもはこれ以上追い込まないよう気を付ける篤郎だが、今回はそういうわけにはいかない。

「なんや、騒がしいけど何がどうなってるんや?」

 博隆と瀬田が一緒にトレース室に入ってきた。一触即発の状態だけに誰もが口を閉ざす。

「松永さん、どういうこっちゃ?」

 博隆は豊美に視線を向けた。いつも豊美の現場について回る博隆が一番話しやすく、偉ぶれるのも豊美だけである。そして豊美もその視線から逃れる術を知らない。

「はい、今朝小森さんから電話があって、昨日収めた型の一枚が樹脂引いてなかったみたいなんです。」

「なんでそんなしょーもないミスやってしまうんや!」

 博隆が豊美に詰め寄ろうとすると、

「いや、わしがたまたまその枠を間に挟んでトラックに積み込んでしまったんですわ。社長わしのミスです。すいませんでした」

 瀬田が前に出て深々と頭を下げた。

「なんや、瀬田くんかいな、ちゃんとしてもらわんと困るで」

「いや、社長、今もその話やったんですけど」

 篤郎が割って入る。

「なんや?」

「豪さん、電話で僕関係ない言うてはりましたけど、一緒に納品行く者が積み荷を知らんって言うのは無責任とちゃいますか?」

「それはあかんな、仲瀬君の言う通りや」

「ですよね。そもそも原因となる樹脂忘れですけど、なんで一枚だけ素焼きやったんですか?」

 篤郎がさらに原因を追究すると

「あれ、最後の一枚のインクジェットの焼き上がりが間に合わんからって、次の日に絵刷りをしてから樹脂塗ろうって言ってたのを忘れてたんやわ」

 豊美が思い出しながら説明した。

「そしたら絵刷りしてた人間が樹脂場にもってこんさかいにこないになったんやろ」

「ん? でもさ、間に合わないって今日からやと一昨日やんね? 五時過ぎには樹脂引き終わって帰らはったん違うん?」

 栞里が顎に人差し指を当て、同じく記憶を辿って言った。いつもトレース室が定時まで残っているのに対し、樹脂場は五時過ぎには後片付けまで終わらせる段取りで日々調整している事に、トレース室やインクジェット担当は不満を持っていた。

「社長が待ってられんから今日はここまでにしよって言わはったんやもん」

 たまらず豊美が言い分を訴えると、

「ちゃんと定時までみんなが仕事してたらこんな事にならんかったってオチですよね。誰の責任とかそういう問題と違うん違います?」

 篤郎は検修台を囲んだ全員に目を通すと、原因はお前かと言わんばかりに博隆を見据えるが、博隆は目を合わせずうーんと腕を組み考えている振りで誤魔化した。

「とにかく、すぐに枠用意して持っていく準備するわ」

「そうしてくれるか」

 松永の言葉に助けられホッと博隆が答えると皆は一斉に持ち場に戻った。豪だけは自分の席に戻らず母屋へと帰って行った。

「ほんま親子揃ってしょうもないわ。でもさ、豪ちゃん電話で今日とか次の納品時に持って行くとか言うてへんかった?」

 栞里が検修台から戻ってすぐに思い出した。

「いや、それまずいやろ」

「やんな、ちょっと松永さんに言うてくるわ」

 栞里はすぐさまトレース室の裏口から樹脂場に向かった。

 樹脂場では博隆と豊美が椅子に座って先ほどの事を話していたようであるが、栞里が豪の電話のやり取りを伝えると、二人は揃って声を上げた

「それはあかんわ!」

「松永さん、すぐに小森課長に電話して!」

「わかった」

 電話の途中から豊美の顔は蒼白し、何度も陳謝の言葉が発せられていた。ようやく電話を切ると、

「小森さん、カンカンやわ。誠意を見せて今日にでも来てくれるんかと思ってたのに、新柄無いから今日は行かない、次の納品時に持って行くって豪ちゃん言うたみたいやで」

「なんやそれは、あいつは何もわかっとらへん。松永さん、瀬田君に今日走ってくれって言うといてくれるか。枠すぐに準備しよう。昼飯どころやあらへんわ」

「その豪さん、母屋帰らはりましたよ」

 栞里はここぞとばかりに付け加えた。

「あいつはいつもああや。なんかあったらすぐに逃げ出しよるんや」

 さすがの博隆も今日ばかりは栞里に同意するしかなく、責め立てられるのを避けるように樹脂の機械の準備に取り掛かった。


 ほくそ笑みながらトレース室に戻った栞里は我慢の限界とばかりに事の顛末を篤郎と朋弥に説明すると、

「社長、豪ちゃんの事貶してたけど、その育て親はお前やって言ってやりたかったわ」

「そもそものこの一連の原因も社長やしな。ほんまあほな会社やで。そんなあほ会社で勤めとる僕らはもっとあほなんやろうけどね」

「坊っちゃん、紀ノ川でさらに嫌われよるやろなぁ」

「ボク、知らなかったんでちゅわ」

 篤郎が幼児言葉で豪の真似をすると栞里は大ウケした。

「吉本のお笑い芸人、ここで修業したらなんぼでもネタ収穫できるやろうにな」

「でも、ここを知ってるから面白いのであって、他の人が聞いたら盛り過ぎって言われますよ」

「だよね!」

 途中から参加した朋弥が突っ込んだ。十時過ぎの出勤の朋弥が、あの緊迫したトレース室に居なかったのは幸いであったと言うまでもない。

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