高山テキスタイル株式会社 -責任の所在-
染色業界も年末に近づくと商社から多くの発注が相次ぎ、俄かに捺染工場から型屋、外注のトレーサーまでが忙しくなる。日常の仕事量が一気に増えると、慢性化していた体制に無理が生じミスや事故が頻繁に発生する。
ここ高山写真型株式会社には指示系統が存在しない。そもそも頭となる社長と専務という役職がいるにはいるが機能しない。朝礼も前日の引継ぎもなく、月間目標もなければ今日一日の仕事量さえないという、正に無い無い尽くしである。あるのは唯一納期だけ。納期さえ間に合わせれば辻褄が合うといった行き当たりばったりな経営が数十年もの間続いてきているため、改善という言葉は見当たらない。故に同じ過ちを繰り返すのである。
不思議なもので一度躓いた仕事は尾を引く。作業中のミスを繕おうとすれば焦ると別のミスを誘発し、一度収めた納品に不具合が生じると、再納品時の検修の眼は一段と厳しくなる。初回であれば通った仕上がりが、二度目、三度目と修正回数が増えるとそもそも何が正解であったかさえの判断さえも揺らぎ、結局最初の納品で良しとすることもあれば一からの手直しという事もざらにある。これはコンピュータトレスに代わってから容易に変更が可能になった事も大きいが、すべてが簡単に変更できるものでもなく、その多くは受注の末端となるトレーサーが被ることになる。
火曜日、この日は和歌山の紀ノ川染工の納品に瀬田と豪がトラックで早朝から出ていた。
前日にインクジェットで焼きあげた型枠はその日の午後から樹脂を引く。終業から翌日に掛けて乾燥させた型枠を翌朝に絵刷りをする工程で日々を繰り返している。
インクジェットにデータを引き継ぐ前に、トレース室で全体の仕上がりを大判プリンタで確認するのだが、型を一枚ずつ刷って色を落としていく厚みのある絵刷りに対して、インクジェットプリンタは同時に5色のインクを吹き付けてフルカラーを表現するため薄っぺらい。一見同じに見えてこの二つの出力結果は歴然で、しかもインクジェットプリンタでは見つける事の出来ない重色という複数の色が重なっている個所や、ジョイント口の繰り返しプリントされる個所の確認も行える。インクジェットプリンタで確認したはずが、この時初めて柄が欠けているのを発見したり、色が抜けていたり、酷い時には柄がずれているのが見つかるのだ。また、人の仕上げたトレースデータを検修している時の眼と自分がトレースしたデータを検修する時の眼は別物で、心情的に自分はきちんと描いたであろう思い込みが目を曇らせる。
単なる見落としもあれば、プリント時に見つけた不具合個所を手直ししたはずが別の不具合を生じさせてしまうこともあり、検修員にとって実に心臓に悪い確認作業だった。心臓に悪い原因は一つである。
「ちょっとこのトレース、誰が検修したんや!?」
トレース室の裏口から博隆がすでに紅潮させた顔で怒鳴り込んで来ると、床に絵刷りの仕上がった紙を投げつけた。
篤郎は自社トレースの曲線を描いている最中で手が離せない。辻崎が動くことは、まずない。多くは朋弥か栞里が動くことになるのだが、栞里が椅子を回して振り返り投げつけた絵刷りを確認するや一言、
「その柄豪さんですよ。なにかありました?」
見る見る博隆の顔は赤から白へと変わり、吊り上がった眉はへの字へと下がっていく有様は滑稽であり、さらにそこから発せられた言葉はコントのネタとしか思えないのである。
「どこがやったトレースや!?」
普段篤郎や栞里に言いがかりをつけては反論されて立場を失う博隆が、ここぞとばかりに鬼の首を獲る勢いで上げた拳は下げられない。しかし、ミスを生じさせた相手が息子の豪とあっては拳の落としどころを変えざるを得ない。とっさに口にしたのがこの台詞。
「PMです」
栞里が立ち上がって絵刷りを拾い上げ検修台に広げると、朋弥も恐る恐る絵刷台に近寄った。過去に幾度もミスのたびに大声で怒鳴りちらす博隆や豪に責任を押し付けられ続けた朋弥は、すっかり大声に委縮してしまっていた。
篤郎もようやく満足な曲線を描き終え、なにやら面白そうな展開に急いでみんなの元に集まった。
博隆がしぶしぶ靴を脱いでトレース室に入って来ると広げた絵刷りの一部分を指さした。
「これや。左右対称の図案になってるのにここだけ色が違うやろ。PMもしょうもないミスをやってくれたな。これで何枚損するんや!」
博隆はPTDoricに矛先を変え、焼き直しにかかる経費を殊更に強調した。
「でもこれって検修時に確認したらすぐに気付くミスですよね。少なくとも六枚は焼き直しになりますよ。僕らがこんなミスしたらあんたらの責任やって社長前に言ってはりましたけど、これはPMの責任ですか?」
何かにつけてミスはすべて従業員の責任であり、夏にボーナスが出なかったのも無駄な経費が掛かり過ぎたからと豪語した博隆に、では息子の責任についてはどうするつもりだと篤郎は問い詰めた。
「朴ちゃんとこがちゃんと見直ししてデータを送らんからこんな事になるんやろ。なんでも豪の責任にするんはあんた、言い過ぎなんとちゃうか?」
この子にしてこの親ありとばかりに、一気に顔を真っ赤にして博隆は篤郎を睨みつけた。
「でもPMがミスしても罰金は取りませんよね。うちの会社が焼き直しの経費払って赤字や赤字やっていわはるんやったら、ちゃんと責任の所在を明らかにしてそれなりの罰則してもらわないと私ら損ばっかりですやん?」
栞里が援護射撃を撃ち、博隆は今にも頭から湯気が出る勢いとなり拳は当初計画通りに篤郎と栞里に向けられた。
「一事が万事、こういうミスをあんたらがちゃんと見てくれたら問題なく納品も出来るんや。焼き直しにどれだけ経費が掛かってるかあんたら分かって言ってんやろな?」
「だからね社長、これ豪さんの検修ミスですから。そもそもね、ミスした犯人捜しよりなんでこういうミスになったのか、どうすれば改善できるのかってのを話し合う方が先でしょ。なにより納品前に気付けて良かったじゃないですか。こんな下らん言い争いしてるより先に早いこと作業に掛かった方が良くないです?」
改めて息子の名前が出たことに動揺し、目を泳がせる博隆を追い込むのはここまでと、篤郎は懐柔策に入った。
「研修は一人だけでは見落としもあるんで、誰が、じゃなくみんなでもう一度見直すくらい慎重にやるよう豪さんとも相談し合ってミスを失くすよう対策します」
「そやな、わしもそう思っとたんや。みんなで協力してやってくれたらええんや。この件はこの部屋のみんなで話合ってやってくれたらええんや」
篤郎の提案に全力で乗っかり博隆は何度も首を上下させ、しかし納得のいかない不満げな表情で部屋を出て行った。栞里は絵刷りを確認しながらメモ書きを終えると、朋弥に指示を出した。
「とりあえず、すぐデータを修正するわ、安浦~、今やってる検修お願いしていい?」
「はーい」
「修正すぐ直せそう? こっちのトレース止めてやろうか?」
「ううん、糸目でくくってる柄やし、すぐ直せると思うわ」
「OK、じゃあ、任せるね」
それぞれが席に戻り作業に就くと、
「でもさ、焼き直し焼き直しって言うけど樹脂場で詰まらせた型を私らに内緒で何枚も焼き直してるみたいやで」
栞里が作業の手を止めずモニタを睨めながら言うと、同じく四苦八苦しながら左下から右上にかけての弧をペンでなぞっては描き直しの作業をしながら篤郎は答えた。
「そうなん。でもそれ今回言わんで正解やで。そういうネタはまた自分らの危機に使わせてもらおう」
「あ、そうやね」
博隆が敵視するこの二人になぜ頭が上がらないか、それは常にイニチアチブを取れるよう相手の弱みをストックする事に欠かしていないからである。
「流石ですー、胸がスッとしました」
朋弥はクスクス笑っている篤郎と栞里を頼もしく思い、もっと早くこの従業員に優勢なトレース室であったら多くの泣いて辞めていった同輩を失わずに済んだのにと心で嘆いた。
「流石ですー」頭の中で何度も反芻しながら、篤郎は誰より流石に感じたのはこの一連の間、一切我関せずを貫き通した辻崎であった。
今回ミスが発覚したトレースデータ。たしか製版前に豪が辻崎に、
「辻崎くん、これ混んだ柄やし製版する時にもっぺんさっとでいいし目を通しといてくれるか」
と言っていたのではなかったか?
就業年数がそうさせたのか、性格か? 篤郎は薄ら寒く感じずにはいられなかった。
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