高山テキスタイル株式会社 -異文化-

 日本の染工業界で働くトレース職人の人口は年々縮小傾向にあり、最近では紗を張った型枠に染料と捺染糊を落としてスケージで刷り下ろす古来の技法から、インクジェット機で直接生地に染色するデジタル捺染の技術が大躍進してきている。そうすると色別に版を分けてトレースする工程が不要となり、型を製造する型屋の存在も淘汰されていくことになる。

 簡単な図案で安い単価であったり、難しい図案で単価は高いものの日数を要するものであったりと、様々な図案を自身の許容内で捌くことで日当なりを稼ぐトレース職人は、自ら営業で仕事を増やすというよりは、取引している会社がどれだけの受注量を確保してるかで毎月の収入が変動する。取引会社を増やすにも、源流の商社から染工場、染工場から型屋、型屋からトレース職人という構図であるため、より多くの源流を持っている会社を掴まない事には仕事が回されず、安定した月給を求めて他の職へと脱落していくのだ。

 比較的人件費の安い韓国、中国でもすでにトレース職人は激減し、超学歴社会に変貌を遂げた中国ではトレース職人は底辺の仕事とまで忌み嫌われている始末である。それでも職を求め技術を磨いたトレース職人は多く、難度の高い図案を描き上げる根気は日本人以上に強い。また賃金に対する流動性も高く、より単価の高い仕事を選り好みする傾向もあり、安心して丸投げすると翌月にはトレース職人がいなくなり廃業に追い込まれる経営者も数多く存在した。

 梅津テキスタイル製作所の金本社長の姪っ子として勤めていた靖子は、高山家の三男の博隆と社内恋愛にあった。高山の長兄博康が写真型屋を立ち上げ成功を収めるやいなや、次男に続き三男、四男までと男四兄弟が揃って型屋業界に参入し、それぞれが独立を遂げた。

 博隆も兄弟に倣って靖子に独立を打ち明けると、今の家を購入して会社を併設した。金本の妻は在日韓国人女性であり、その強みを活かし韓国のトレース組合と協定を結んでおり多くの韓国人トレーサーを抱えていた。その中から独立希望者の朴氏を選出すると博隆に付き添い韓国内で共同出資会社PTを立ち上げた。金本にとっては同業ライバル社となる博隆ではあったが、姪っ子の夫へ対しての餞であった。

 フィルムからコンピュータへの端境期も乗り越え、二十数年を迎えた今も壁となるのが言語であり、数年前までは高山の会社には専属の在日韓国人を配属させ異国間の応対を全面的に賄っていたが、コンピュータの導入時に豪が加わった頃から確執が生じ、表向きは定年退社という幕引きで姿を消した。

 社長室がまだ宿舎部屋として利用されていた時期、観光ビザで入国してきた韓国トレーサー夫妻がその部屋で寝泊りして国内で仕事をしていた時があった。まだスナック店員を勤めていた豪が夜な夜な夫婦の夜伽に耳を傾けようと廊下をチョロチョロする事から、「頭に毛の生えた大きなネズミが出る」と社長に訴え、その後滞在トレース制度が消滅して今の社長室として落ち着いた。

 言語問題は強引な捲し立てによる指図と、一部一部韓国語を交えた会話で成り立たせ、都合が悪くなれば電話を強引に切り、少し間を開けては電話を掛けなおし猫撫で声で相手を立てる。

 よくこれで今まで成り立ってきたものだと感心する篤郎に、豪は得意そうに言う。

「韓国の人は目上の人を大事にするので言葉使いに気を付けないとダメなんですよ。あと”パボ”とかは絶対言ったら駄目ですよ」

「パボ?」

「韓国語でアホとかバカって意味です」

「へー」

 韓国語を話すこともなければわざわざ悪口を覚える必要もない。無関心に篤郎は頷いた。

 その数日後には指図のやり取りで朴社長との電話で、豪は相変わらず目上の人に声を荒げ、得意気に子供が幼稚園に行って級友から教わった魔法の言葉”うんこ”を言うように、”パボ”、を連呼する。

 また始まったよって篤郎が隣の栞里に目で語ると、その向こうの朋弥は豪の怒号に顔を強張らせていた。

 整備工場で働いていた篤郎が暴力事件に発展したのは、事務所の電話を無断使用し電話越しの相手に向かって声を荒らげたチンピラに小馬鹿にしながら制止の声を掛けたことから始まった。今横でがなり声を上げてるのは経営者であり少なくとも仕事に関する電話である。またつまらないことで職場を失っては元も子もないと無視をきめた篤郎である。

「ほんま、理解力がないわ。何回言ったら分かるんでしょうね、仲瀬さん」

 ようやく電話を切った豪が非難の目を避けるように同意を求めた。

「だから早くスカイプを導入したらって思うんですけどね。僕、韓国行ってきましょうか? 毎日やり取りしてる相手の顔も仕事環境も分からないってのも気になるし、しょっちゅう間違えてるやり方の改善とか進捗の確認方法、大容量のファイルの転送の方法も今のままじゃ面倒だしスカイプの機器のセッティングとか、今抱えてる問題の多くは解消できると思いますけど?」

 韓国トレーサーの多くは技術力が高く描画も速いが、手を抜く技術は何よりもずば抜けていた。よく言えば要領をかますことで、当時の図案が溢れていた時代はより多くを短時間で捌く必要があり、仕上がりが多少不細工であっても通すことが出来た。フィルムに「髪の毛一本分の線」などと言う表現で糸目(モチーフを縁取る細い線の事を言い、ククリとも呼ばれる)を描き、その線にはみ出さないように少し重ねてベタ(色の塗りつぶし)を手描きしていた頃は多少のはみ出しや線の太さにムラがあっても許容されていた。

 トレースがパソコンに置き換わると、誰もが正確無比な仕上がりを見せ始めたため技術力が僅差となり、完成された生地の検品の目も肥え始めた。これまで手描きでは不可能とされてきた一ミリ以下の糸目に対しての掛け合わせが可能となり、グラデーションはより滑らかに、そしてより重厚感をもった仕上がりを求められるようになった。

 そうするとこれまでの完成精度では、汚なくて雑な仕上がりと評され受け入れられなくなる。この経過をきちんと理解できる説明の無いままPTやその他多くの諸外国トレーサーが今に至ったため、単なる見落としや色間違いではなく、一見完成しているが細部が荒いという日本らしい繊細な検修によってダメ出しを受けるのである。

 篤郎はこれまでに何度となく精度に関する仕上がり見本を描いてはサンプルとしてPTに送ったが、なぜこれまでは通ったものが、今日には通らなくなったことへの反発から理解の溝は深まる一方であった。ましてや電話越しで片言の言語理解力で怒鳴られながら説明を受けるのだから納得に至らない。篤郎が韓国行きを要望したのは今日に始まったことではなかった。

「仲瀬さんが韓国にいかはっても何が出来るんですか? 僕も何回も行ってますし、今度一回朴ちゃんに日本に来てもらいましょう。それの方が早いですわ」

 毎回難色を示す豪は、この日も露骨に顔をしかめて篤郎を制するように言ってのける

「豪さんが韓国行ってなにしゃはったんかは知りませんけど、朴さんに来てもらってもトレースするのは他の人でしょ? 直接技術指導することに意味があるんじゃないですか」

 負けじと反論しながら、何を頑なに拒否するのかを探ろうと篤郎は豪の様子を窺った。

「仲瀬さん韓国語話せないでしょう? 朴さん通して言うのやったら朴さんに来てもらうことで済むことでしょ。そしたらよけいな旅費をこっちが払わんですみますやん」

「え? そこですのん?」

 単に渡航経費を出し惜しんでの拒否かと思うと一気に力が抜けて、篤郎は小馬鹿に言うのがやっとだった。

「まぁ、そおまで言わはるんでしたら出来るだけ早く朴さんに日本来てもらってください。それで改善出来ないようなら一度検討してもらえますか? どちらにしても今のままではいい仕事できませんよ。いつまでも毎回同じサンプルばかり描いてられんですからね」

「それは分ってます。朴ちゃんに電話してみますわ」

 韓国渡航の話が消えたことに安堵した豪は、ようやく表情を緩め再度PTに電話を掛けた。

「もしもし、あ、朴サジャン(社長)? 何度もミアネ(ごめん)やで、うん、朴サジャン、仲瀬さんが、一回日本に来て欲しいって、え? そう。出来たら早く。飛行機の予約? うんうん、あ、ちょっと待ってよ。お盆休みがあるんやな。あーそれはちょっとまた相談しましょう。うん、朴ちゃん、ありがとうね、カムサミダ(ありがとう)ですよ。はい」

 ガチャリと受話器を下すと豪は「ああ」と声を上げながら席を立ち、トレース室入り口に掛けられた納期カレンダーのところまで歩いて行った。納期カレンダーには日付のマスに図案の型番と外注先が書かれており、何日にどの型番の納期かが一目でわかる仕様になっている。

「どうしました?」

 目で追った篤郎が尋ねると、

「韓国のお盆休みが来月入ってすぐなんですわ。その間PT動かんから仕事が出せないんですわ」

 豪がブツブツとカレンダーを睨みながら答えてくれる。

 日本と違い韓国は旧暦で行事が行われるため、日本国内がお盆や正月で休みの間も韓国では平日のため業務を進めてくれるが、日本国内が平日の時に韓国は旧暦の連休で業務が停滞してしまうのだ。仕事量が多くなく、国内の外注だけで対応出来なくなると豪は決まって父の博隆を頼るのである。

 豪はトレース室の裏口から樹脂場へ向かうと、誰も居ない樹脂場で折りたたみいすを広げてぽつんと一人、博隆が座っていた。博隆は家では靖子に邪魔者扱いを受け、豪とは仲違いであり、真理子は蔑むように相手にすらしなかった。会社でもすでに誰からも相手にされず唯一豊美だけが家庭の愚痴聞きとしての話し相手であったが、今は階下で作業をしているため一人黄昏ていたのである。

「お父ちゃん、ちょっと朴くんとこ電話してくれるか。仕事溜まってるのに来月初めに盆休み取るいいよるねん」

「それはあかんな、わかった儂が電話で言うたるわ。やっぱり日本と仕事の付き合いしてるんやから、こっちのカレンダーに合わしてもらわんとな」

 普段家での会話は皆無であるが会社では社長と専務である、はずはなく、単に自分で厳しく言うのが億劫な豪が、親に頼っただけの事である。

 しばらくして博隆がトレース室に顔を覗かせると、

「豪ちゃん、朴くんに言っといたから。連休であっても仕事は進めるように努力しますって言うてくれよったわ。朴ちゃんはわしが面倒みてやってたんやさけ、ちゃんと恩を返してくれよるわ」

 報告に自慢を交えて博隆は言うと、続けて、

「盆休みに日本来るっちゅうとるけど、また宿泊先とか手配したらんなあかんぞ」

「おお、わしが来いっちゅうたんや。来てくれるって? そういうのはお母ちゃんに頼んどくわ」

 まったくの親子の会話が社内で交わされるのである。

 こんな親子と長年パートナーシップを続けてきた朴社長は、どれだけ忍耐力のある人なんだろう、篤郎はそう思わずにはいられなかった。

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