◇
そうこうするうちに、領主の館へゆく準備が整った。ここまでやれば心配ないとばかりに、青年はしあがりに満足した様子だ。
「ふうっ。あぶないあぶない」
「なにがあぶないんだよ。説明しろよな……」
表から雷鳴のような車の音がする。
リオンとチャンプはちょうど通りに出ようとしていたところだった。待っていたかのように呼び声がした。
「お迎えにあがりました」
車から御者が降りてきて、二人を乗せようとする。リオンは御者とチャンプを交互に見て、口を開きかけては言葉が見つからずに、凝視した。チャンプは彼を抱き上げると、てっとり早く車に乗せてしまった。
「え、だっ……チャンプ。えっ? あ、ああの……?」
御者は何も見なかったように、御者台にあがり、幌のない車を出発させた。
風に吹かれながら、リオンは後ろを見た。
どんどん遠ざかる景色。これが見納めか。
風が露出した肌を容赦なくなぶった。
「リオン、こっから俺はマジだからな。ようく考えて行動しろよ」
意味がわかるまで時間がかかった。
ああ、と手を打ったら、ばかやろう、と風に混じってリオンの耳に届く。
リオンは、いままでの青年を考えれば、少しはましな対応じゃないか、などと考えた。
車の縁につかまりながら、かえりみて、チャンプがそこにいるのを確認する。
愛しいものを見るように、そこに青年の存在を確かめる。わすれてなどいなかった。夕べも、そのいきさつも。
すべて――。
愛する、と言いさえすれば彼は自分を殺すのだ。その約束に、腕に、どれだけ安心を覚えたろう。
リオンは『一人ではない』とずっと感じたかった。
死ぬ時ですら側にいてくれるという、そんな青年を好きにならずにいられようか。
リオンは彼を愛しているのだと考えた。
心に穴のあいた自分に命を吹きこんでくれた。それが彼だった。
愛する、そんな言葉がふさわしく思えた。
友情も知らない彼にはその方がよかった。
これで『愛』を手に入れたと考えたのだ。
(愛なんてこの世にないと、どうして今までずっと思っていたんだろう)
氷解した想いがまっすぐに隣の青年にむかって流れこんでいく。流れをとめることはできない。逆らう気も起きない。熱い気持ちが胸を満たしていた。
「好きだよ……チャンプ」
青年は驚いたように彼を見、おちつかなげにいずまいを正した。
「な、なんだ。礼を言うのはまだ早いぜ。なんせ、こっからが正念場だからな」
「うん……」
青年はちらっとリオンを見、再び前方に視線を移す。リオンはそっと口を開いた。
「こんなにかかるのかい?」
もうだいぶ進んだ気がするが、一向にたどり着かない。
チャンプは顔をうつむけて溜息した。
「そうなんだよ。だから助かったぜ。徒歩じゃなあ。昨夜のこともある……いやいや! しかしお嬢さんも気が利くようになったな」
そのときになって、リオンはこの車がアリーシャのよこしたものと知る。
「そういえば……あの生き物は何?」
リズミカルに車を引いていく黄金の毛なみ。
そのたてがみはいつだったか、町で見かけた。
「んー……ちょっとわかんねえよな。馬、だと思うけどさ。お嬢さんの趣味なんか知るかよ」
馬に長い房飾りのマントを着せているのだ。だがそんなことをリオンが知るはずがない。彼には全身長毛に覆われた生物に見える。
チャンプは面倒くさそうだった。乾燥した土地をゆくにしたがって、森が見えた。
果樹が園をつくり、花をつけている。商業の都市からはなれて、その様子はいかにも優雅にのんびりとしている。
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