第15話 温もりよ、再びーー

大切なのは『正しき事』を成すことである。

必要なのは『義』を重んじることである。

己が信念を貫き、幾度もの

『試練』の果てに……

輝ける己の"正義"が見える。

 こんな台詞が、オリヴァーの父の口癖であり、幼心にオリヴァーはそんなことが言える自分の父に憧れ、その背中を追いつづけるようになった。

父が死んだあとの、追い続ける背中のなくなったオリヴァーは、いわば地図を持たずにヴァンクリーフ街(別名・煉瓦の迷宮)

を歩く愚者のようなものだった。

そう、オリヴァーにとって父親という存在は人生の"地図"。

無くしてしまったのならもう……生きる意味も、どう生きればいいのかも……

分からなくなってしまうような……

しかしそんな時、オリヴァーは新たに自分の"地図"になってくれる存在見つけた。

それはーーー


「ナターリア、起きて。朝御飯の時間だ」


「んん………ぁぁ……おはよ。オリヴァー」


その名は、ナターリア・シュツルム・アリア。

王の娘でありながら、記憶を失い彷徨っていたところをオリヴァーが保護した少女である。


「おはようございます。お母さん!」


「あら~!おはようナタちゃん!もうっ!

お母さんなんて呼んじゃってぇ!今日も可愛いんだからぁ!」


「そ、そんなことないですよぅ!」


そんな最早朝の恒例行事となった会話の後、三人は食卓についた。

オリヴァーの父ーーつまり夫の死によって

体調を崩していたオリヴァーの母ーーカレラだったが、ナターリアを家に迎えてからは

まるで娘ができたみたい!

と、以前の活気を取り戻し、

他愛もない会話も出来るようになるまで

回復していた。


「ナターリア……まだ……記憶は戻らないのかい?」


「うん……まだ……何も思い出せない……」


一番の問題は、戻らないナターリアの記憶だった。しかし、一つだけ分かっていることもあったのだがそれもーー


「でも……拉致されたってことは覚えてるんだろ…?」


「うん……」


大きな問題となっていた。

この王都に"光"と"闇"があることは、

王国の民のほとんどが知っているが、

その"闇"の中には得体の知れないものが存在するのを、オリヴァーは知っていたからだ。

その闇の中には、他人の記憶を売買する輩もいる。

王の娘の記憶となれば高値で取引されることは明白であろう。

もし、本当に"そういう"状況になっているのなら……一刻もはやく取り返さなくてはならない。

そういう意味で、オリヴァーは焦っていた。


「ということは、この街に……王の娘の記憶を奪えるようなイカれた精神と能力を持ってる奴がいて……今も……もしかしたら誰かの記憶を奪っている可能性があるってことか……」


オリヴァーの言葉を聞き、

カレラが不安げに口を開く。


「そうね……それはとても……恐ろしいことだわ……」


「あぁ、一刻もはやくどうにかしないと。

君はどう思う?ナターリア」


その問いに、ナターリアは酷く思い詰めたような表情で答える。


「実は……私、このままでもいいんじゃないかなぁ……なんて……思ってたりするんです……」


これには、カレラもオリヴァーも驚きを隠せない。

いくら記憶喪失の身とはいえ、自分が王の娘ーー所謂王族であることを知っていながら、こんな貧乏家庭に居続けていたいと思うなどということは、二人には到底信じられなかったのだ。

驚きながらも、オリヴァーはその真意を確かめようとナターリアに問う。


「それは何故だい…?君は王族の人間なんだよ。絶対に、城に帰った方が幸せになれるに決まってる…」


「私……記憶はないけれど……王女として生きていたころは、毎日が退屈だったと思うんです。

自分を……本当の自分をひた隠しにして生きる…ツマラナイ人生……

きっと今の私が、一番"本当の自分"に近い自分なんだと……思ってるんです。

だから……」


ナターリアの話を黙って聞いていた

オリヴァーが、ジッとナターリアの目を見つめて口を開いた。


「それは違う…それは違うよ。

ナターリア……君が王女として生きていた頃も、今の君も…どっちも君なんだ。

どっちが本当かなんて……誰にも分かりはしない。それに…きっとお父さんとお母さん……国王様と王妃様だって、心配してるはずだし……」


ナターリアはそれを聞いて、小さな声で「うん……」と呟き黙ってしまった。

そして、そう話すオリヴァーだったが、彼のなかには一つの疑問があった。


それは、何故王女が失踪したというのに

ただ貼り紙を貼るだけで国をあげての捜索などをしないのか、ということである。

オリヴァーがナターリアに出会ったあの日も現在も、別段街に騒がしい様子もなければ敵国との戦いが終わり最早王都の警備隊のようになった王国騎士団の騎士達が目を光らせているわけでもない。


「でも、一つだけ気になることがあるわ。

何で王様はナタちゃんを探さないのかしら…?普通自分の娘がいなくなったりしたら

貼り紙なんかじゃなく……こう…なんというか……」


オリヴァーはカレラが自分が考えていたことを口に出したので、ハッとしてカレラに続く。


「捜索隊を出したり、国民に呼び掛けたり…でしょ?」


「そう、それよそれ!王様なんだし、そんなこと簡単でしょう」


うーむ、と考え込む三人。

テーブルにはすっかり冷えた朝御飯達が、

食べられる瞬間を今か今かと待ちわびている。


「このまま考えててもしょうがないわ!

ご飯食べちゃって、その後また考えましょ!」


カレラは手をパンッ!と叩き、そうハツラツとした声をあげた。

そしてその一言に、その他の二人は前に置かれた質素な料理に目をやる。


「それもそうだね……ナターリアもお腹すいたろ?」


「……うん!お母さんの料理、すっごく美味しそう!」


「やぁねぇナタちゃんったら!お世辞上手なんだからぁー。ぎゅーってしちゃうわよ!」


「されたいですー!なんちゃって!」


「もう、やっぱり可愛いー!」


カレラの宣言通り、ぎゅーっとされるナターリア。それを暖かく見守るオリヴァー。

その光景は、まるで本当の家族のよう。


「さ、それじゃあ食べようか」


その一言と共に、三人は食事に手をつける。

まず始めに、ナターリアが口にしたのは

"エルネース"(味としては七面鳥に近い)

という鳥のだしとむね肉が入った汁に、

"チャロ(味としては大根に近い)"と呼ばれる

野菜を入れ一緒に煮込んで作った

"アルム"という家庭料理。


「おいしぃ………」


料理上手なカレラが作ったからというのもあり、筆舌に尽くしがたいほどの味なのだろう。

ナターリアは幸せそうな顔で小さく声を漏らした。

それを聞き逃さなかったのか、カレラはすぐに

「うふふ。ありがとうナタちゃん!

オリヴァーなんかいーっつも食べてるから、最初のころは美味しー美味しー言ってたくせに最近はもうなんも言わなくなっちゃって寂しかったのよ!」

と、ナターリアに食いついた。


「勘弁してくれ……昔のことなんてナターリア……うーん……ナタリーに言わないでくれよ……」


「……え?」


「あー……嫌だったかな?ほら、ナターリアって長いからさ。ナタリー……駄目かな…?」


食事に夢中だったナターリアが手をとめ、

パァッと目を輝かせ

「ぜんっぜん良いわ!むしろ嬉しい!」

と少女らしい口調で喜んだ。


「そうか……良かったよ。喜んでもらえて」


内心、オリヴァーは安心した。

自分であんなことを言っておいて、

嫌だなどと言われたら目もあてられない。

それどころか、喜んでくれたナターリアに

は感謝さえ覚えていた。


「ふふふ、仲良いわね。貴方達!」


にっこりと、二人に向けてカレラはそう

からかうように言う。


「そう?」


「そうですか?」


だが、二人は自覚していない。


「というか、ちゃっちゃと食べちゃわないとね!」

カレラのその一言で、三人は食事を再開した。


ナターリア、という一人の少女の存在が、

オリヴァーとカレラが無くしてしまっていた

"温もり"を甦らせた。

"出会い"が人を変える、ということはよくあること。

この少女との出会いがもたらすのはーーー

変化か、停滞か。

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