アイカ・ミタの人間定義とP7

ウエハラ博士がPure 7ロゼ・プードゥを自分の正面に立たせた。


「認識コード音声入力。」


ウエハラ博士が告げるとロゼの胸元の透明な小窓が光った。暗く不透明になり、白文字が流れる。どうやらモニターのようだ。


《開発者上原真の声を認識しました》


モニターに文字が流れると同時に、滑らかな発音の音声がロゼの口から発せられた。音声はウエハラ博士自身の声を模しているようでよく似ている。発声に連動して唇も動いた。


「開発者のウエハラ・シンの声を認識しました。」


「コード入力。136875jtpjm3985wpjwmga346j38aptnjadwp36872jwgmw。」


「許可。指紋認証します。」


ウエハラ博士がロゼの胸モニターに左手の薬指を当てた。


「許可。虹彩認証します。」


ロゼの目がウエハラ博士をじっと見つめた。


「許可。設定を受け付けます。」


アイカも含めて研究員は静かにウエハラ博士とロゼを見守った。


「名称変更。sutoim07からロゼ・プードゥ。」


「変更完了しました。」


「自己認識変更なし。アンドロイド。」


「了解しました。」


「他者認識プログラム。詳細モード。」


「変更完了しました。」


「P7起動。」


「以後P7プログラミングを使用します。よろしいですか?」


「もちのろん。」


誰かが「古典用語?」「さあ?」とこぼした。確かあっという間に廃れた俗語だ。ウエハラ博士は有用ではないのに、古いおかしな言語を好む。


「パスワード5を確認しました。以後パスワード5は使用不可となります。P7起動します。」


ウエハラ博士は満足気にロゼの肩を抱いた。ずんぐりとした単身短躯のウエハラ博士と背の高いロゼは正反対。研究員の幾人かがくすくすと笑い声を漏らした。


「P7って何ですか?」


アイカは隣のルールー研究員に尋ねた。特別チーム主任、二児の母。短かったがアイカの指導担当だった優秀で冷静沈着な科学者。


「博士が独自に開発した人工頭脳プログラミングよ。1人で極秘研究したいみたいでだれも内容を知らない。」


「人工頭脳プログラミング?それ自体が人工頭脳に働きかけるプログラムでしょうか。」


「言われてみればプログラミングね。」


感心した様子のルールー研究員にアイカは首を横に振った。


「ウエハラ博士の命名は考えなしのデタラメです。しかし無意識につけた名称がいつも的を得ている。」


「相変わらず辛辣ね。なら実験でロゼの名前にも何か意味が見出されるかしらね。」


「疑似恋愛に失われた子鹿。私には全く予想できません。」


「そうね。私もよ。」


ルールーと世間話をしていたアイカをウエハラ博士が呼んだ。アイカはウエハラ博士の隣に移動した。


「アイカ。今後ロゼは第1研究室でローハン博士の専属助手となる。君はロゼの世話係だ。具体的には僕の私室研究室で話そう。まずは仮眠室3を改装してあるからロゼをそこに。初期機能確認と記録をしてくれ。これが起動第一日目の資料だ。」


「分かりました。」


ウエハラ博士がアイカの肩に手を置いた。それからロゼの腰を押して一歩前へ出した。


「ロゼ。今後不明点があれば極力アイカ・ミタに聞くこと。」


「分かりました。」


ロゼがおずおずと笑みを作った。研究員達がおお!と感嘆の声を上げる。少しぎこちないが、動き出したロゼはやはり人間にしか見えなかった。



***



アイカのそれまでの仕事はウエハラ博士が開発した擬似脳神経のバグ回収。人間の脳へ近づけること。


しかし今日からはpure7試作成功体ロゼ・プードゥの観測、記録、そして解析か。アイカの新たな使命。


仮眠室3を改装したロゼの私室には、不必要なベッドに枕とそれから布団が占拠していた。小さなサイドテーブルと背もたれがゆったりした椅子。


全て不必要だ。そもそもアンドロイドには部屋が必要ない。


渡された資料に目を落としながらアイカはロゼをベッドに座らせた。それから椅子をロゼの前に置いて自分も座った。


起動第一日目の確認要項をアイカはロゼに確認しなければならない。ロゼはキョロキョロと部屋を確認している。


アンドロイドは空間把握をするが、ロゼのそれは見た目と相待って新しい場所に対して興味深そうにしている人間の仕草のように見える。


「貴方の名前を教えてください。」


「私の名前はロゼ・プードゥです。」


アイカは資料に目を向けてペンを走らせた。顔を見ていないとロゼの機械的な抑揚の無い声がよく分かる。


「ロゼ・プードゥ。あなたの仕事は?」


「私はアンドロイドで人間の利益のために働きます。ウエハラ博士とローハン博士の命令に従います。現在は命令によりアイカ・ミタ専属助手の命令にも従うようになっています。その他は搭載されたプログラムにより自己判断します。」


「自己判断不可能な場合はどうしますか?」


「アイカ・ミタ専属助手に指示を仰ぎます。なお倫理プログラムや国際規格三大項目に違反する場合はこの限りではありません。」


資料にもそのように記載されている。今後膨大になるであろうロゼからの質問を、アイカに任せたということだ。ウエハラ博士の思考回路から推測すると信頼ではなく、面倒だから押し付けた、だろう。


「搭載されているプログラムについて述べなさい。」


「極秘です。ウエハラ博士にのみ開示します。」


「研究所外で自身のことを尋ねられた場合どう答えますか?」


「具体例は《ウエハラ私設研究所本部第一研究室所属ロゼ研究員です。よろしくお願いします。》アンドロイドという事実は開発実験部外者には秘匿します。開発実験関係者はウエハラ博士ローハン博士アイカ・ミタ専属助手エリオンマールカールジョンルールー……。」


「列挙しなくて構いません。第1研究室特別チームメンバーですね。」


「何故ですか?私の認識と他者認識が違う場合に後で齟齬が生じる可能性があります。現行私に記録されている名前に誤りがあるかもしれないため確認が必要です。教えてください。」


早速かとアイカは資料からロゼへと目線を上げた。現行アンドロイドならば了承して終わりだ。現在使用されているアンドロイドなど足元にも及ばない高性能人工頭脳。


今後ロゼからの質問責めを覚悟しなければならない。


「108名列挙するのは時間の無駄です。記録の確認は本日の起動終了後に確認します。」


「時間が優先されるということですね。本日中にトラブルが生じた場合はどうしますか?」


無表情で生気のない瞳。しかし微妙に虹彩部分が動いている。それで人間と区別がつきにくくなっている。アイカが発明した人工義眼の応用だろう。アイカはじっとロゼを眺めた。


「ロゼあなたはどう判断しますか?」


「本日中私は自分がアンドロイドだと発言しません。誰に対しても。」


「正解。」


「了解しました。」


ロゼがニコリと笑った。表情による表現能力が低いアイカよりもずっと人間らしい。


「質問は以上です。この後は……図書施設で読書。閲覧指定書籍があります。行きましょう。」


いきなり読書とは何の実験なのだろうか。本を読むというのは知識の蓄積のためであろうが、資料に記載された閲覧指定書籍はどれもアイカが不必要と感じるタイトルだった。


有名で普遍的な古典小説の数々。アイカは一度も目を通したことがない。



***



ウエハラ博士の私室研究室のメインモニターとサブモニターに表示する内容が変更されていた。


「アイカ。君に頼んでいた擬似脳神経のバグ回収はもうほとんど問題ないので第2研究室に引き継ぎした。今日からいやむしろ今からロゼの事を宜しく頼むよ。」


「メインモニターはロゼの擬似脳神経の表示。サブモニターはロゼの視界。そうですよね?それで私は何を?」


「飲み込みが早いね。ローハン博士は説明しないと駄目だった。君は記録と観察と解析。ロゼの考察をするんだ。」


ウエハラ博士の隣でローハン博士が小さく唇を尖らせた。プライドが傷ついたのかもしれない。


「抽象的過ぎます。」


アイカの指摘を拒絶するように、ウエハラ博士は首を横に振った。


「アンドロイドと人間の比較。君の優秀な頭脳でロゼについて多方面から解析および考察をしてくれ。内容は全任する。光栄だろう?」


拒否権は無い。上司の命令なのだから仕方ない。


「本日は傍観します。今週中に考察内容および実験内容を考案します。では補佐としては-……。」


「選任補佐は無しだ。特別チームのメンバーと取り組んでくれ。シフト制だ。偏ってはいけない。ただ主任以上は別の研究があるから下っ端を使ってくれ。半年後のアンドロイド国際学会に相応しいものを頼むよ。」


アイカの言葉を遮るとウエハラ博士がローハン博士の背中をバンバン叩いた。その意味の無い行動はローハン博士には迷惑なようで、ローハン博士が顔をしかめた。


「僕は第1研究室にお引越しする。しばらくバカンスだ。残りの資料を渡しておこう。」


アイカは薄すぎる資料を受け取った。ウエハラ博士がヨレヨレの白衣のポケットからサングラスを取り出してそれを頭に乗せる。


「アデュ!」


ウエハラ博士はサッと白衣を翻して私室研究室から出て行った。


「ミス・ミタ。ウエハラ博士はしばらく私たちと脳損傷回復研究に携わる。ロゼも俺の助手として働く。また君と働けなくて残念だ。」


冷ややかなローハン博士の声色。羨望がこもっているかもしれない不愉快そうな表情。アイカは返事をしなかった。どう返答しても不正解だと判断した。


「ウエハラ博士に良いバカンスを。」


アイカはさらりとそれだけ口にした。


ローハン博士はふんっと鼻を鳴らしただけだった。


バカンス。長期休暇。ウエハラ博士のそれは他の研究。ロゼの開発に全身全霊を注ぎすぎて、ロゼ起動によって集中力も興味も切れたのだろう。ウエハラ博士のいつものパターン。


開拓はしても発展や成長に興味がない性格。アイカは頭を掻きながら部屋を出て行くローハン博士を見送った。



***



宣言通りアイカはサブモニター上に映る文字の羅列を傍観した。一定のスピードで文字を認識するロゼが規則的にページをめくっていく。


まるで人間のようなゆっくりとした動き。アイカにも読めるスピード。


閲覧指定されたのはアンドロイドには不必要な空想話。それをロゼは淡々と知識として蓄えていっている。


ロゼに搭載された人工頭脳と各種プログラムがどのように情報を処理するかは非常に興味深い。


ウエハラ博士から渡された資料に目を通す。ロゼの擬似脳神経は解明した限りの人間の脳を模して製作されている。アイカが携わっていたものとは少し構造が違う。恐らくアイカのバグ回収後に更にウエハラ博士が手を加えた改良型だ。


ロゼの神経配列に各接続部位の関連性と役割。アイカは一文字残らず暗記した。


それから情報をメインモニターに表示された各種波形やグラフと当てはめる。


認識、記憶、学習、判断、会話、運動おそらくそんなところだろうか。


文献内容を知識として蓄積していくロゼの疑似脳神経の働きとメインモニター上の情報を比較してもそう乖離はなさそうだ。


詳細はこれからじっくり確認すればいい。半年もある。


アイカはこの偉大な発明に相当する論文を作成しなければならない。


ウエハラ博士は科学者の純粋な探究心に従い、自らの全技術を投入して人間に類似したアンドロイドを製作した。


ならばPure 7 ロゼ・プードゥが如何に人間に類似し、如何に人間と異なるのかを考察するべきだ。これからロゼの人工頭脳は物凄いスピードで成長し完成するだろう。そこに至るまでの観察もまた実に有益であるに違いない。


アイカは今までの知識を総動員して考察項目を決めることにした。国際規格チューリングテストも実施するが、意味はないだろう。


今の段階でも50%以上の成績を残しそうだ。現行アンドロイドに適応している、コンピュータか人間かを判定するテストなど最早化石だ。


アイカは新型アンドロイドに対する新たなテスト方法を考案しなければならない。


新型アンドロイドと人間の区別の付け方。


そして現行のアンドロイドとロゼの圧倒的な格差を知らしめる。それこそアイカの新たな使命だ。



***



ウエハラ博士の趣味に合わせて、アイカは彼が以前珍しく酔いながら話した《人間の愚かさ》をロゼの考察に使用することにした。


pureに対してpeccata


7つの美徳と7つの大罪


暴食と節制


傲慢と忠義


憤怒と寛容


怠惰と勤勉


嫉妬と慈愛


強欲と分別


色欲と純情


暴食は論外。アンドロイドには食事は必要ない。過剰な燃料を理由もなく要求するなんてことは万に一つもないだろう。


アイカは専用のパソコンに早速否定文を入力し始めたがすぐにその手を止めた。


ロゼは未知数。


誰もが、天才ウエハラ博士でさえ優秀と褒め称えるアイカとてロゼの行末は予想出来ない。


人間のように堕落するかもしれない。人間でさえ不可能な美徳だけを発現するのかもしれない。はたまた混在して人間そのものだとしか見えなくなるかもしれない。


可能性は無限大。


ロゼ・プードゥは新型アンドロイドの未来の指針となる。これから新たなアンドロイドの歴史が創造される。アイカはその歴史的瞬間の立会人であり証人となる。


アイカはモニター越しにジッとロゼを眺めた。半年間後、国際アンドロイド学会の舞台上でアイカは新型アンドロイド第一人者となるだろう。


論文名【新型アンドロイドとP7】


それだけをパソコンに入力した。

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